閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1282 鶏の照焼きはいつ、どこで

 鶏肉の美味しい食べ方は幾らもあるけれど、照焼きもそのひとつて、“鶏肉料理撰手権”が開催されたら、ベストエイトくらゐまでは、確實に進むと思ふ。開催されるのが“照焼き料理撰手権”なら、鰤の照焼きと、歴史に残る決勝戰を見せるのは、間違ひない。

 

 取敢ずは念の為、Weblio国語辞典で、“照り焼き”の項目を調べてみると

 

 「魚・貝・鳥肉などにみりん・醤油を付けて焼き上げ、つやをもたせる焼き方。また、その焼いたもの」

 

とある。焼いた時、味醂からもたらされる“照り”を、特に強調した調理法、名附けといふことか。

 

 尤も別の資料を見ると、鶏の照焼きは、Weblioの定義から少々離れてゐる。醤油をベースにして、アルコールや大蒜や胡麻で調へた“テリヤキ・ソース”に、鶏肉を漬けこみ焼いたのを、Teriyakiと称するさうで、キッコーマンが、アメリカで醤油を賣る為の工夫だつたらしい。この場合、テリヤキ乃至Teriyakiは、さういふソースを用ゐた、甘辛い焼き料理の意味に近く…照焼き一族の帰國子女、と考へればいいのか知ら。

 

 ややこしい考察は、鶏の照焼き研究に任せます。そんなことより鶏の照焼きは、まつたくうまい。尊敬する檀一雄は、『檀流クッキング』の[鶏の手羽先料理]で

 

 「一番手っ取り早い、手羽先の食べ方といったら、醤油とお酒を半々に割って、そのタレの中に五分が十分ひたし、てり焼きにすることだ」

 

と我われに教へてくれてゐる。味醂も大蒜も胡麻も無いけれど、甘辛と照りの要素は抑へてある。アメリカで、ソイソースとジャパニーズ・サケだけのソースを使つたテリヤキ・チキンを作るのは、現在でも中々、六つかしからう…いやもしかして、令和の日本もさうなつてゐるやも知れないんだが、眞面目な文明論は、眞面目に文明を論じられるどなたかに任せたい。

 

 さて『檀流クッキング』の發行は昭和四十五年。新聞聯載を一冊に纏めた本だから、それ以前から、鶏を“てり焼く”技法はあったのだと思ふ。それとも鰤なぞの照焼きを、檀が手羽先に転用したのか知ら。どうであれ、甘辛く焼いた鶏や鰤がまづくなつたら、その方が寧ろ、不思議である。

 

 まあえらさうに云つたけれど、照焼きといふ調理法、叉はソースを明確に認識したのは、思ひだすとマクドナルドが平成元年に出した(日本でのテリヤキソースを用ゐたハンバーガーは、昭和四十八年のモスバーガーまで遡れるさうだが)、てりやきマックバーガーが最初だつた気がする。いや待てよ。てりやきマックバーガーが、高々四十年足らずの歴史しか持たないなら、それ以前から、照焼きを意識叉は理解してゐた可能性はある。

 

 最後に食べたのは、いつだつたか。

 鶏の照焼きですよ、私が云ふのは。

 マーケットやコンビニエンス・ストアのお惣菜コーナーや、お弁当屋でも目にしない。見過してゐるのだと云はれたつて、目にしなければ無いのと同じで、詰り長いご無沙汰の最中なんである。

 

 味醂で照り輝く鶏の肉。

 立ち上る香ばしい湯気。

 

 お皿にはレタースを敷き、うで玉子を混ぜたポテトサラドと、スパゲッティのケチャップ和へ。ほんの少し、辛子マヨネィーズも添へてもらへれば、なほ。

 罐麦酒を先づ一本。白いごはん、長葱のお味噌汁と柴漬けはその後にする。前半は麦酒の忠實なお供、後半はご飯の佳き友人の役割を任せ、過不足無く応じられるのは、この料理のポテンシャルと云つていい…と、ここまで書いて、今さら

 

 「鶏の照焼きは、“家で用意して食べる御馳走”、との位置附けが、一ばん似合ひではなからうか」

 

さう気がついた。お惣菜コーナーやお弁当屋…だけでなく、近所の定食屋でも、馴染んだ呑み屋でも、“鶏の照焼き”と“鶏の唐揚げ”が並んでゐたら、すりやあ後者を撰ばう筈(唐揚げが“鶏肉料理撰手権”に出たら、ベストフォー未満になるとは思へないもの)だが、家での晩ごはん…お摘み兼おかず…としてなら、照焼きが唐揚げを追ひ抜く可能性、余地は十分に考へられる。

 そこでこの際、鰤と組んでテリヤキ・ブラザーズ(味はひから云へば、シスターズが正しからうか)を結成すれば、お摘みとおかずを兼ねる、素晴しい一皿が誕生すると思つたが、かういふ組合せも矢張り、家の食卓でないと成り立つまい。要するに照焼きは、さういふ調理なのだな、きつと。