閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1312 海老との距離

 海老は普段、食べない。

 出されれば食べる。食べればうまいとも思ふ。ただ自分からは、積極的に撰ばない、くらゐの意味。

 

 天麩羅。

 掻き揚げ。

 フライ。

 塩焼き。

 チリーソース炒め。

 マヨネィーズ焼き。

 炒飯やピラフの具。

 早鮓の種、お椀の種。

 

 こんな風に挙げると海老は、和洋中の生焼揚蒸茹炒、どれでも対応してゐるのが判る。主役を張るのは勿論、脇を固めも出來る(更に云ふなら、殻でソップまで取れる)のだから、まことに優れた食材と云つていい。

 積極的に食べたいと思はない一点を除けば。

 

 云つておくが、海老にうらみはない。食べられるのだから、アレルゲンでもない。要は口に適はないといふ、単純きはまりない理由に帰結する。

 「かはいさうに。丸太はきつと、本当に旨い海老を、食べたことがないのだな」

 さう云はれたら、返す言葉も見つからないが、そもそも海老を食べる習慣を持たないまま、この年齢まで辿り着いてしまつたのだ。今さらどうかうするのも、まあ無理だらうと思ふ。

 

 ぢやあ何故、習慣に到らなかつたかと云へば、これも叉ごく簡単に、幼少期の食卓で見掛ける機會が、たいへん少かつたからである。祖父母と一緒に住んでゐると、おかずが揚げものより、煮炊きものや焼きものが主になる(海老の登場する確率がぐつとひくくなる)のは、止む事を得まい。嗜好の基本は、幼時の食卓から作られる。

 

 併しどうかすると口にする海老は、決して惡くない。たとへば早鮓の甘海老は、私の頬を綻ばすのに十分である。或は洋食屋のフライ盛合せ定食の、タルタルソースをたつぷり掛けた海老フライなら、壜麦酒を註文するのに躊躇ひは感じない。私は公正な男だからね。海老を一方的に拒む態度は取らないのだ。

 

 ただ早鮓なら烏賊や鰤を、洋食ならミンチカツや鯵フライを、より喜ばしく思ふのも、私といふ男である。かう云ふと、海老党諸嬢諸氏から再び

 「本当に旨い海老を」

云々されるやも知れないが、そんなら烏賊や鰤の早鮓、ミンチカツや鯵フライを凌ぐ…いや凌がなくてもいいから、私の蒙を啓く海老料理を食べさしてもらひたい。一週間くらゐなら、待つてあげてもいい。

 

 さうだ、待つ間に提案ひとつ。

 鯵や鰯やサモンや鮪。

 烏賊や蛸や帆立。

 さういふ海産物に限つた串揚げと一緒に、海老も喰はす呑み屋はどうか知ら。あの生きもの…食べものには、何と云ふか、“高級(でなければ特別)な食材”の印象が纏はりついてゐる。野暮つたい赤葡萄酒を呑みつつ、一匹二百円とか三百円くらゐの海老串揚げを、二度漬け禁止のタルタルソースにどつぷりつけて頬張れれば、海老と私の距離も縮まらうといふものなのだが。