吉田健一は「羽越瓶子行」で、酒田の宿が用意した、韮と生卵にとろろ、蕎麦の實に鶏のたたきをあはせたの、鱒の照焼きを肴に、昭和十三年の初孫(「羽越瓶子行」の發表は昭和卅年)を呑みながら
[朝飯の途中で雨が降り出した。今度の旅行は雪の山が見え始めた頃から曇っていて、それが酒を飲む気持ちを更に引き立ててくれたが、この時の雨のように旅情を覚えさせてくれたものはなかった]
何とも羨ましい場面を書いてゐる。この後には、ルーヴル展があつても行かなかつたらう、と續けてゐて、呑み助の気分がよく伝はつてくる。
實際、呑むのに一ばん似合ふ空模様は、曇や雨、雪…荒天だと思ふ。理想を云ふなら、終日篭つて差し支へない宿がいい。吉田ほどの贅沢は許されまいから、事前にお酒…麦酒に葡萄酒に日本酒と、食べもの…お辨當(幕の内が好もしい)、早鮓、散し寿司、餃子、鯵フライ、酢のもの、鶏の唐揚げ、チキン南蛮、肉団子(甘酢)、お漬もの色々、サンドウィッチ、各種のサラド、チーズ、お味噌汁、ソップなどから、気分と腹具合で撰びたい。
早朝に起きたい。先づシャワーを浴びる。それからカーテンを開けはなつて、お誂へ向きの曇り空だねえと呟きたい。雨がぽつぽつ落ちてくれば、なほ喜ばしい。それで麦酒を呑む。先にシャワーを浴びるのはこの為である。行き届いた配慮でせう。麦酒を呑み始めたら、後はもう勝手気儘であつて、サンドウィッチからでも、鶏の唐揚げでも好きにすればよろしい。経験的に云ふなら、コース料理のやうに、食べすすめるのが理に適ふ。
但しこの稿の目的…空想は、荒天を眺めつつ呑むことなので、儀礼的な食べ方に固執しなくてもいい。醉つてきたと感じたら、お茶を喫めばいいし、お腹がくちくなつてきたら、お箸を置いて寝転がつてもいい。何なら少し外を歩いたつてかまはない。朝めし晝めしの区別をつける必要もなく、矢張り吉田が云つてゐた、酒呑みは朝から呑みだしたのが、いつの間にか陽が中天に達し、気がつけば空に月が浮んだ筈なのに、朝陽が障子だか庭の苔だかを照らしてゐるので、せはしないねえと嘯きながら、呑み(續け)たいのだ、といふくだりを思ひだす。
いや實のところ、お日さまや月、苔や障子でなくたつて、窓を叩く雨粒や大風が電線を撓らせる音、或は遠雷や、ほたほた降つてゐると思しき雪があれば、それはまつたく買ひこんだおかずと共に、素晴しい酒菜となる。そんなこと、そんな時間の為に宿を取るのですかと訊かれれば、さういふこと、さういふ時間を、俗事であふれる家でつくり、叉樂まうとするのは、人生の困難に属する行為ではありますまいかと応じる。困難ではないと思ひ、實践してゐるひとがゐたら…私は黙つて、そのひとを羨み、手を拍ちたい。
羨んだところで併し、こちらの感覚に変化が起きるわけではない。叉むりに変へる必要もなくて、上に挙げたやうなひとはゐるだらうと思ひつつ、私は私の流儀(そこまで大層でもないけれど、實は)で、荒天の宿と酒肴を樂めればよい。宿の近所にオルセーだらうが、エルミタージュだらうが、美術展が巡廻してゐたところで、知つたことかと思へれば、目論見は達せたことになる。