『荷風随筆集(上)(下)』

長短織り交ぜ、上下巻あはせて卅余篇が収められてゐる。文語体は歴史的仮名遣ひなのに、口語文は現代仮名遣ひに変換するといふ、莫迦げた…少くとも理解にくるしむ方針の所為で、讀みながら何度も目が散らついた。尤もそれは荷風の責任ではない。
帝都の官吏(後には商ひ人)の家に生れ、漢文を學び、幼少の短い期間を上海に過し、アメリカとフランスに游んだ小説家は、自分が生きた現代の日本…東京を甚だしく厭惡した。
西洋の淺はかな摸倣。
泥濘の路地。
猿叫をあげる獰猛な子供。
強慾な出版社。
醜聞にしか興味の無い新聞記者。
何より傲慢で愚劣きはまりない武断政治…中學の同窓に、後の陸軍大将、寺内壽一が居たのは、硬軟の取合せとして象徴的ではないか…を忌みきらひ、生き續けたひとと云つてもいい。
かう書くと、この“随筆集”に、どれほどの激烈な怒りが著されてゐるのか、と思ふかも知れないが、一讀の印象は丸でちがふ。「日和下駄」に添へられた序文の最後を引きますよ。
[昨日の淵今日の瀬となる夢の世の形見を伝へて、拙きこの小著、幸に後の日のかたり草の種ともならばなれかし]
何といふ諦観。
裏路地と淫祠。
憐れな下層民。
消え失せた東京以前の東京…即ち江戸に憧憬を抱いた荷風は、併し近代の東京の(高等)游民でもあつた。
「娘がきみの書く江戸趣味にあてられてね、こまつてゐるのだよ」
と云はれ、返す言葉もなかつたとある。鷗外先生はほんの冗談の積りだつたかも知れないが、荷風の一面を刳るやうな冗談ではなかつたか。
但しそれで荷風の江戸趣味を、懐古好みの優隠者と決めつけるのは、大きな誤りになると思ふ。あの狷介な小説家は徹頭徹尾、文學…藝術の徒であつた。藝術は寫生と誇張と省略、それから懊悩である。
荷風は町をあるき、ひとを路地を川を、古刹や淫祠を見て、時に感じ、或は考へ、叉思ひだした事どもを、随筆(「妾宅」のやうに私小説とも取れる体裁をも含め)といふ形式に纏めた。令和の讀者にはきつと、執拗とも感ぜられる衣裳や髪形の描寫、失せた地名への拘泥は、企まずして都市のある時期の記録となり、高度に軟派な文明論をも形成してゐ゙る。
併しまあ、この本は、さういふ堅苦しい視点で讀まずともかまふまい。荷風は戻らない川の流れ…かれが生きた時代のある瞬間を、一筆書き(多少の露惡好みも含め)に著してゐる。後世の我われは、その“かたり草の種”をば、存分に樂めば宜しい。