閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1343 組合せ

 呑み屋の品書きに見る酒菜が、どれもこれも旨さうに感じられるのは、呑み助に共通する癖だと思ふ。何やらの昆布〆とか、何とかの燻製サラドとか、冷静でゐられるわけがない。我われがうつかり呑み過してしまふ主な原因に、品書きの誘惑を挙げて、異論が出る可能性はきつと、ひくからう。

 併し僅かながら例外もあつて、私にとつては、よだれ鶏がさうである。云つておくと、よだれ鶏が不味いと云ふのではありません。それ自体は寧ろ旨いのだが、よだれの語感が宜しくない。何と云へばいいか、粘膜めく響きが感じられて、一歩退きたくなつてくる。とは云へ、ふと思ひたつて註文したくなるのも叉、よだれ鶏の魅力であり…實に厄介である。

 或晩、そのふと思ひたつ時があつた。偶さか、高千代の澱絡み…詰りほんのりあまい…のを呑んでゐて、適ふか知らと思つたのだ。それが、画像。

 旨いかまづいかなら、旨い。

 併し澱絡みには、適はない。

 甘辛いか、甘酢つぱいかと思つてゐたら、唐辛子的なからさが立つてきて、ほのあまいお酒と正反対だつた。こまつた。麦酒なら似合つたらうに。

 

 詰り組合せ方を間違へた。間違つたのは私だから、たれにも苦情を申し立てられない。改めてこまつたと思ひながら、何年も前に試した、シャブリと生牡蠣もさうだつたと気がついた。それぞれに旨くはあつたけれど、一緒に愉めたかと云ふと、佛國のマダムとマドモワゼルには(序でにムシューにも)失礼ながら、私の口にはどうにも適はなかつた。

 裏を返すと、適切な組合せを撰べば、よだれ鶏…何が別の、好もしい呼び名はないものか知ら…を、もつと美味しく口に出來るにちがひない。山廃系統の濃密なお酒か、切れ味がすすどく、辛い白葡萄酒か、焼酎の水割り(薄くないやつ)か、そこは何度かに分け、何杯か呑まなくては判らない。結論を得るには中々、えらいことになりさうで、またしても私は、こまつてゐる。