もつ鍋を食べたことがない。
臓物の煮込みや串焼きは大の好物だし、韮葱…五蘊は人生に欠かせない。鍋料理だつて、私の冬の何割かを占めてもゐるのに、そのすべてが纏つたもつ鍋に縁が無いのは、我がことながら不思議に思ふ。
博多人の食べもの、といふ印象がつよい。博多には足を運んだことがないけれど、東都で目にするもつ鍋屋の幟では、博多を強調してあることが多いから、見当外れだと、咤られずに済みさうでもある。
印象をもうひとつ加へれば、余つた臓物(それも残念ながら、少々やれたの)を棄てたくないと考へたのが、もつ鍋のそもそもではなかつたらうか。香りのつよい野菜や味噌で煮るのは、匂ひ消しと衛生上の事情があつたにちがひないよ。
さうなると、もつ鍋は餓ゑの産物かと推測出來る。詰り太平洋戰争に敗けた後。臓物や屑肉や屑野菜の欠片から始つて、“新鮮な捌きたての臓物”と、“契約農家が栽培した韮”を使ふに到つても、(所謂匂ひ消しの)味噌から脱けだせない事情は、その辺にありさうな気がする。
尊敬する内田百閒は岡山の造り酒屋の息子。当時(百閒先生は明治廿二年生)の酒屋は、四ツ足を穢レと忌んだといふ。實家の商ひが没落し、獸肉を食べてもいい環境になつても、肉屋の包みには味噌が添へられてゐたさうだから、獸肉…叉その臓物と味噌は、定つた組合せだつたらしい。もつ煮やもつ鍋に受け継がれてゐても、不思議とするには足るまい。
こんな風に書いたら、丸太はもつ鍋にえらく辛辣な態度を取る、と云はれさうだが、冒頭に挙げたとほり、臓物も五蘊も鍋料理も好物なのだ、食べれば気に入るに決つてゐる。機會に恵まれないだけで。ぢやあ何故、その機會に恵まれないのか。ここが自分でもよく判らない。
陋屋で食べない理由は簡単で、鍋料理は獨居の卓に、似合はないからである。
友人と鐵鍋を囲むとして、互ひに何をどれくらゐ食べたか、気になるのが、面倒でいけない。
気遣ひ無用でいかうとなつても、そもそも東都のどこに足を運べばいいのやら、見当もつきやしない。
さういふ理窟が先に立ち、思ひきれないのが、機會に恵まれない…掴み損ね續ける背景にあるのだらう。更に云へば、機會を得ても、何を呑めばいいのかといふ問題が残る。麦酒は最初の一杯か二杯。百閒先生には惡いけれど、お酒…日本酒は似合ふまい。九州なんだから焼酎かと思つても、私は焼酎に就て知るところが殆ど無い。黑糖焼酎なら少し経験はあつてと、臓物との相性には疑念が残る。尤も實際のところは、試してみないと判らない。ここはひとつ、九州福岡博多の讀者諸嬢諸氏からのお招きを待つのが最良なのか知ら。
併し九州に足を運んだら、崎陽のちやんぽん、日向の冷や汁にチキン南蛮、肥後の馬刺しと辛子蓮根、薩摩の黑豚を食べねばならない。奄美で黑糖焼酎も呑まねばならない。まことに忙しくなる。食べたことのないもつ鍋を、味はへる余裕まで残るかどうか、甚だ疑はしい。