閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1349 “西へ”の秘密

 この手帖で書いてゐるのは、身辺の他愛もない話で、それ以上でも以下でもない。文章を商賣にしてゐないから、許してもらへる態度だと思ふ。尤も他愛ないからと云つて、何もかも正直に書いてゐる、とは限らない。

 

 尊敬する文章の大先達が、内田百閒、吉田健一檀一雄、そして丸谷才一なのは、何度も書いてゐる。この先達には、随筆が抜群に巧い点が共通する。ことに丸谷随筆の巧緻は、文ノ藝とはかういふことか、と醉ふに足る美事さで、遂には私に歴史的仮名遣ひを常用させるに到つたのだが(出來の良し惡しはこの際、目を瞑つて頂きませう)、ここで特筆したいのは、内田百閒である。

 

 これも叉、何度も書いてゐるが、内田百閒の「特別阿房列車」は、私の理想とする随筆なんです。

 誇張と省略。

 緊張と緩和.

 事實と虚構。

 更にアンチ・クライマックスまで加はれば、文句をつける余地があるものか。もしこの一篇に近づけたと思へたら、この手帖を終らしていいと思つてゐるが、私の如き淺學菲才の身に、實現は不可能と云つていい。

 

 併し眞似はしてゐる。游びに行つたとか、何を食べたとか、呑みに出掛けたとか、さういふ話の時、この手法は實に具合がいい。様々の事どもをそのまま書いて、面白くなればいいけれど、そんな都合よい話には出会へない。なので脚色を施す。この手帖の中から云へば、[胸痛碌]だらうか。阿房列車の眞似といふ点では、年に一度の[丸太花道、西へ]が近いかも知れない。

 “西へ”は時系列に沿つて書いてゐる。そこは事實である。何を呑み、摘んだかも叉、事實である。ただそこでたれとどんな言葉を交し、その時に何を感じ、或は考へたかは、まつたく不正確である。メモは取るが、正確を期す為でなく、話の種を忘れないのが目的。その種を、取捨撰択し、膨らませ、萎ませ、改竄しながら纏めたのが“西へ”であつて、ここで冒頭の“何もかも正直に書いてゐる、とは限らない”に繫がつてくる。

 

 こんな風に云ふと、膨らませと萎ませはまだしも、改竄までしたら作り話…小説になるよ、と云はれるかも知れない。成る程尤もな指摘。ただ我われの先達は、随筆と小説の境目に、明確な線を引かなかつたらしい。

 どちらも“自分のこと”を書くぢやあないか。

 区別の必要を認めなかつたとも考へられ、この曖昧加減が、私小説の苗床に転じた気もする。この稿で踏み込む話題ではないにせよ、阿房列車はその曖昧が、文學的な始發驛と見て、大外れではなささうだし、そこから分岐した各種のローカル線も、その流れを汲んでゐるやうに思はれる。勿論“西へ”も例外ではない。詰り外題に挙げた“西へ”の秘密。

 

 さてこれで問題なになるのが、令和七年の“西へ”を同じ路線で運行していいのか、といふこと。路線と云へば恰好はいいが、視点をずらればそれは、型に嵌つてゐるに過ぎず、種を明してなほ、そこを走るのも叉、如何なものかと思はれる。悩ましくつて、いけませんね。