閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1351 安定と安心の焼き厚揚げ

 尊敬する内田百閒は、お酒…日本酒が大の好物で、それも樽より(確か菊正)壜を好んだ。あのひとは毎晩の食卓にお酒を欠かさず、その味が一定であることを喜んださうで、一ぺん、灘か伏見かの樽を送つてもらつたのはいいが、美味すぎて口に適はず、結局は料理酒に下ろしたと書いてゐる。徹底してゐるなあ。(残念ながら)眞似は出來ないけれども。

 併し百閒先生の気分は解る。呑み屋の品書きを見て、その姿や味の想像がしにくい酒肴は註文しなく…いや出來なくなつた。たかが数百円なんだから、といふ意見は成り立たうとしても、人生の残り時間を考へると、踏みとどまつて仕舞ふ。余程に通つてゐる(詰り酒肴に信頼を置ける)お店なら、験してみる気になるやも知れないとして、ほんの二回か三回、足を運んだ程度なら、さうはゆかない。臆病なのである、要するに。

 もつ煮。

 ポテトサラド。

 ハラミやネギマのたれ。

 鶏の唐揚げ。

 経験的にこの辺なら、大外れにはならない。人の手で調整する余地の広い食べものなら、厨房のひとが(ある程度)経験を積んでゐれば、それが少くとも、不味くなる道理は無からうと云ふものだ。

 もつと大事なのは、知らない(美)味は、いつも呑んでゐる麦酒や焼酎ハイやお酒に適ふものか、見当がつきかねることである。赤の渋い葡萄酒をきこしめてゐる目の前に、よく知らない、それも半生の魚介が出されたら、きつとこまる…少くとも困惑はする。と考へれば、どこの呑み屋でも註文出來る、ありきたりで大外れのない酒菜が有難いとよく判る。いやありきたりは失礼で、ここは時間の洗練を経て、安定に到つた結果と見る方が正しい。

 その安定…安心と云つてもいいが…は、百閒先生が好んだ壜詰と同じで、たとへば焼き厚揚げを、上に挙げた四品に加へても、苦情は出まい。

 さう云へば百閒先生、借金取りから逃げて、早稲田の砂利場に篭つてゐた頃、客人をもてなすにあたつて、厚揚げだか油揚げだかを焼いて供したさうである。