閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1366 貪りなほした鶏の唐揚げ

 わざわざ“貪りなほす”としたのは、[1364 貪り損ねた鶏の唐揚げ]に背景がある。どうもあの晩、旨くはあつても、“貪れ”なかつた事實が、埋み火のやうに底に溜つてゐたらしい。我ながら変なところで、しつつこいのだな。

 それで別の日、ある休日の夕刻、ちよつとした用件で出掛けた序でに、暫く顔を出してゐなかつた呑み屋を覗いた。チェーン店で、手広くやつてゐるらしい。ここはオウナーの方針で、調理場に立つひとがくるくる、入れ替る。定聯客との“癒着”を、きらつてゐるさうだ。

 (阿房なことを、するものだなあ)

さう私は思つてゐる。チェーン店は、その看板より、たれが切盛りしてゐるかで、お客がつくのに。

 と書けば、“覗いた”理由も解つてもらへるでせう。知らないひとが仕切つてゐたら、看板が同じでも、それはもう別の呑み屋なんである。

 馴染んだ大将の姿が見えたから入つた。いらつしやいと云つて、こつちに視線を寄越した大将が、これは随分お久し振りですと續けた。確かにその通りで、何ヶ月も無沙汰をしてゐる。最初は焼酎ハイ。それから塩キヤベツ。胡麻油と塩昆布と葱をあしらひ、白胡麻を散らしてゐて、中々うまい。塩キヤベツを摘みながら不意に、鶏の唐揚げが食べたくなつた。註文した。

 ぜんぜん、洗練されてゐない。辞書に“安呑み屋の鶏の唐揚げ”項を作るなら、是非とも参考にしてもらひたいくらゐである。いや併し

 (かういふのが、いいんですよ)

手を拍ちたくなるやうな唐揚げでもある。

 揚げたては勿論だから、囓りつくとたいへん熱い。油つこくもある。焼酎ハイで口を洗ひながら、おれは今、鶏の唐揚げを喰んでゐるなあと思つた。

 平らげた後、御馳走さまを云つた。陋屋に帰る途中、胃袋に何とも云へない重たさがあつた。鶏の唐揚げは当分、食べなくてもいいと思つた。年経りた證拠である。