閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1368 シニョーラには勧められない百五十円

 デミグラスソースと何がちがふのかと思つたら、こつちはトマトのソースが基なのらしい。もつと云ふなら、ボロニェーゼ…ボローニヤ風と呼ぶのが、正しくもあるらしい。ミートソースのことである。

 

 ボロニェーゼといふ言葉を知つたのは、たれだつたかのエセーだつた。イタリーのどこかで、ミートソースのスパゲッティを慾したのはいいが、まつたく通じず、トマトソースで、挽き肉を使つて云々と説明すると、納得したウェイターが

 「ああ。シニョーラは、ボロニェーゼをお望みで」

それでありつけたさうだ。成る程イタリー人は、日本風のナポリタンには、柳眉を逆立てても、ミートソース…ボロニェーゼには、(比較的)寛容であるらしい。尤も、日ノ本のミートソースを食べたボローニヤ人が、寛容なままでゐるかどうかまでは、判らない。

 

 マーケットで賣つてゐる、百五十円くらゐの、廉なレトルトパウチのミートソースは、同じくレトルトの(矢張り廉な)カレーと共に、臺所に常備してある。日々スパゲッティ…パスタを食べるのではない。イタリーの血を引いてゐるからでも、イタリーの愛人がゐるからでもないけれど。それに値段から想像出來るとほり、そのままでは大してうまくもない。

 

 「ぢやあ何の為に、買ふのです」

 「出汁のかはりに、使ふのです」

 

 ああ、そこの貴女、呆れてはいけません。私の知る臺北料理を出す呑み屋の女将さん(臺灣人である)が云ふには、臺灣だとトマトを出汁…ソップに用ゐるさうだ。であれば、トマトを使つたソースでも、似たことは出來るでせう。それにレトルトなら、ソースとしては(一応附きでも)完成してゐるのだ、手間は少く済む。

 小鍋に移して弱火にする。後は炒めた挽き肉やホールトマトは勿論

 大蒜、生姜、醤油、味噌、胡椒。

 ウスターソースやマヨネィーズ。

 刻み葱でも揚げ玉でもツナ罐。

 もやしや細切りの油揚げやえのき。

何でも好きに入れ、好みの味に調へれば宜しい。蒸し野菜やごはんに打ちかけ、小口葱を散らし、物足りなければ七味唐辛子を振ればよく、濃すぎたなら、温泉卵でも落せばいい。ね。単純きはまりないでせう。

 

 飯炊きや野菜を蒸すのすら面倒な日(そんな日があつたところで、不思議ではありますまいさ)だつたら、饂飩や素麺をうがく手がある。詰りボロニェーゼでなければ、ミートソース・スパゲッティでも、叉カレー饂飩擬きでもなく、イタリー式は勿論、和風でもない…兎にも角にも、何かの麺料理にはなつて、一袋百五十円に幾ら足すのか、計算はしてゐないが、外で麺料理を啜るよりはぐつと廉につくのは間違ひない。それに基がそれなりに出來てもゐるから、まづくなる心配も少い。尤も他人さまに出せる代物にならないのも、云つておく必要はある。なので仮にイタリー人のウェイターが、寛容且つジャポネーゼ贔屓な男であつても、シニョーラにお勧めしないのは、確實と云つていい。