閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1375 待てよの食パン

 普段の朝は、粉末珈琲と食パンで済ます。

 毎朝それで飽きないかと訊かれたら、朝のルーティーンだもの、飽きるも何もない…などと云つたら、食パン屋さんから、咤られるかも知れない。併し毎朝に欠かせないのも事實だから、差引してもらへる気もする。

 

 主食用パンを略して、食パンらしい。“西洋料理の中のごはんに相当する”くらゐの意味での主食か。日本の食卓でのお米…ごはんが、おそろしく高い地位を得てゐることが伺へる名附けだと思ふ。

 日本でのデヴューは、明治の中頃、横濱で英國人の営むベーカリーが賣り出したといふ。なーんだ、エゲレスかあ、と苦笑してはいけない。ハムサンドもタマゴサンドもツナサンドもカツサンドも、あの國の伯爵閣下まで遡れるのだ。食パンが不味い筈はない。

 角型と山型に大別出來るといふ。枠の天井を閉めれば角型、開けてゐれば山型で焼きあがる。私が常食するのは角型。山型は厚切りが多いから、そこまで好まない。バタやジャム、ママレイドをたつぷり乗せるなら、話はちがふから、念の為。

 

 幼い頃から、朝は食パンだつた。

 トーストしてから、薄焼き玉子と輪切りのトマトと薄切りの胡瓜、ぺらぺらのハムにマヨネィーズで、サンドウィッチに仕立ててもらつたのをよく食べた。小學生の給食は食パンかコッペパンだつた…ごはん給食が採用される前の話なのですよ…から、三食中二食が(食)パン。我ながらよく飽きなかつたなあ。

 では毎朝がクロワッサンやバゲットなら、どうだつたらう。どちらもそれ自体がうまい。それはまことに結構として、毎日では飽きてしまつた気がする。変な云ひ方をすると、単体で明確にうまいものは、常食には不向きなのではないか。實際どう感じるかは、クロワッサンやバゲットを、毎朝食べてみないと判らないけれど。

 

 こんな風に書いたら、全國各地の食パン愛好の讀者諸嬢諸氏から、ははあ丸太は

 「食パンは不味いと云ひたいのか」

すすどく詰問されさうな気がする。気持ちは解る。理解は示しつつ応じると、まづいとは云つてゐない。

 

 さてここで讀者諸嬢諸氏には、序盤に、“西洋料理の中のごはん”と書いたことを思ひだしてもらひたい。ごはんはうまく、その旨さは淡泊で、だから日々の三食がごはんでも、飽きない。ごはんから見ると、すべての食べものはおかずであり、すべてのおかずをごはんは引き立てる…かう断定しても、反論はされまい。

 食パンの位置附けは、その淡泊にちかい。それ自体が積極的にうまい、とは云ひかねても、バタやジャムやママレイド、目玉焼きやチーズやベーコンだけでなく、鯖の味噌味や鰯の生姜煮の切れ端。甘からく炊いた刻み揚げに小口切り葱、揚げ玉と組合せれば、山型でも角型でも、様々な匂ひや歯触り…要するに味を樂める。

 

 待てよ。だとするなら私は、ルーティーンと云ひながらも、朝の食パンを相応に好んでゐるのか知ら。でなければ私はきつと、レーズンパンにチョコパン、クリームパン、コロッケパン、ナポリタンパン、カレーパンにメロンパンで、ローテーションを組んでゐるだらう。

 待てよ。それで気がついたのだが、上のローテーションは、メロンパン以外はすべて、食パンで(不完全ではあつても)対応出來る。これは大したもので、クロワッサンでもバゲットでも及ばない。正式名称である“主食用”は、伊達ではないのだな。