尊敬する内田百閒の随筆に、「おからでシャムパン」と題された一篇がある。それによると、おからの味つけは淡泊。具は控へ目。お皿に盛つたら、(贅沢にも)檸檬をたつぷり搾るさうで、美味いのかなあ。見た目は爽やかさうだが、酸つぱいだけな気もする。それとも檸檬の酸みが、シャムパンに適ふのか知ら。
百閒流の味つけは兎も角、おからは美味い。
近衛十四郎が演じた素浪人は、このおからが大の好物で、一ぱい呑りながら頰張る場面があつた。
シャムパンにあはしたことは、無いけれど。
尤も素浪人は、お燗酒を引つかけ樂んだ、我われもこの点に限るなら、剣戟俳優と同じと云へる。
第一おからの具は多い方が嬉しい。そこでもう一人、尊敬する檀一雄の『檀流クッキング』から引きますよ。この食ひしん坊兼料理好きの放浪家はおからの具に
[シイタケ、ニンジン、タケノコ、アゲなどを使うことが多い。ほかに青味として、ミツバか、インゲンか、ネギなどを加えると、色どりも歯ざわりもよく、おいしくなる。キクラゲやシラタキを、加えるならば、ゼイタクなお惣菜になるだろう]
を用ゐた。その味つけは、“なるべく淡口醤油で、できるだけ色のつかないように”するさうで、云つては何だが、檸檬を搾るだけより美味さうである。更に鶏肉の細切れなぞを入れれば、他は要らないくらゐ、立派な御馳走になりさうである…とは云へ百閒流は勿論、檀の作り方でも、おからをおかずとは呼びにくい。食卓の佳き脇役、寧ろ酒席のしぶい主役の坐が最も似合ふ。念を押すとそれは、おからの不名誉とは云へません。百閒先生や放浪家、素浪人が證明してゐるぢやあ、ありませんか。
…といふことを考へたので、けふの晩酌は、檀式のおからで一ぱい呑らう。麦酒もいいがここは、大先達にあやかつてシャムパンを試さうか。名優に敬意を評して貧乏徳利にするのも惡くない。かういふ呑み方なら、呑み屋より陋屋に似合ふ。ラヂオを聴きながら、木匙で掬ふおからはきつと、美味いにちがひない。正直なところ、檸檬は遠慮したいけれども。