閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1378 木片が出た

 過日の夜、母親から電話があつた。ちよつとした事情で、御佛壇の中を整理してゐたら、先づ何年も前、西方へ行つた祖父が買ひ溜めてゐた大量の蠟燭が見つかつたさうだ。苦笑ひが浮んだが、朝夕の讀経が日課の祖父だつたから、さもありなんと思つた。

 それから祖父に贈られた署名入りの何やら…卒都婆を縮めたやうな形の木片らしい…が見つかつたといふ。祖父の名も君附けで書いてあり、書名の主は母いはく

 「イタガキタイスケ?」

いや待て。あの土佐人の板垣退助か。祖父は伊豫人だから、四國の大きな括りで見るなら、地縁が無いとは云へない。併し天保八年生れの板垣と、明治末年近くに生れた祖父に、接点があらうとは思へない。頭の中で疑問符が飛び交つてゐたら、母から訂正が入つた。

 「タイスケやなくて、セイシラウて書いたアる」

征服の征に、数字の四、太郎の郎で、征四郎。退助とは別人ぢやあないかと大笑ひした。大笑ひしてから、記憶の隅に残つてゐる名前だと気がついた。電話を切つてから、確かめてみた。

 

 板垣征四郎。

 陸軍大将。

 明治十八年、岩手生。昭和廿三年、極東軍事裁判の判決を受け、死刑を執行された。

 岩手人かあ。さう思ひつつ、事歴をざつと(で済ませたのは、正直に云つて、陸軍軍人には、好感を持てないからである)眺めたところ、退助よりは接点がありさうなことが二つ、見つかつた。

 第一に征四郎の方は、満洲國に大きく関はつてゐた。祖父は人生の一時期を朝鮮半島で過したから、本國外で活動する人間として、出會つたかも知れない。ただこれだと、軍人が市井の一木工職人に対し、君附けで呼びかける理由とするには弱い。因みに云ふ。祖父は平壌にゐたといふ。詰り私は下手をすると、偉大な総書記さまに忠誠を誓ふ男だつたかも知れない。敗戰を機に帰國してくれてよかつたなあ。

 そこでもう一つの可能性が浮ぶ。征四郎は日蓮信仰の家に生れた。祖父も叉、日蓮信仰のひとだつた。軍人と職人ではなく、同じ宗門の先輩後輩…と呼んで正しいのかどうか…であれば、(形式としては)俗世間とは別の関係性が成り立つたとしても、不思議ではなささうに思はれ、それは朝鮮半島と満洲國より、有り得さうな気もされる。尤も孫である私は、宗門内の事情をまつたく知らない。確かめる術を持たず、更に興味も持てないから、實際がどうだつたかは判らない。

 

 もつと云ふなら、祖父が征四郎と本当に會つたのか、會つたとして、名を親しく呼ばれる仲だつたのか。御木片に書かれた呼びかけが、征四郎じしんの手なのか(祖父の過去帳に、その名は記されてゐるさうだから、無縁ではなかつたらう)、疑念と疑惑は盡きないよ。但しそもそも(家系のひとには失礼ながら)、退助の筆の可能性なら、まだ確かめたくなりはするが、たかが昭和の陸軍人ではないか。

 まあ惡くちは叩いたけれど、自分の尊属に、(一応附きにせよ)日本史に名前の乗る人物が、関はつてゐる可能性がある、といふ報せは、私をちよいと昂奮させたのは間違ひない。無邪気といへば無邪気である。

 「棄てンと置いとくから、次に帰ツてきた時、見せたげるわ」

タイスケとセイシラウを混ぜた母の暢気な聲が、耳に浮んできて、また可笑しくなつた。これも叉、無邪気と云つていいだらうか。