閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1382 身罷る

 午后四時半…呼吸、脈搏、瞳孔の反応。

 三点の確認を以て、永眠との判断となつた。

 

 父は卆寿が目の前の大老人であつたから、からだに何が起きても不思議ではない。

 年末年始を西で暢気に過した後、東下してから間もなく…睦月の中頃、母親から聯絡があつた。父が入院したといふ。いきなり暢気ではゐられなくなつた。診間質性肺炎。更に顕微鏡的多發血管炎が見られる(らしい)と聯絡が續いた。後者に就てざつと調べると、この血管炎は指定難病。間質性肺炎のトリガーにも成り得るといふ。これはいかんと思つた。大老人に負担の掛かる治療は無理がある。覚悟をしつつ、ひとまづ母と、病院には

 「からだの負担が大きくない療法」

をお願ひするのが吉と話を纏めた。不肖の倅じしんに関はるあれこれは、倅でどうにかせねばならない。

 一ヶ月足らずの入院を経た、如月の中旬、主治医のM岡医師から退院の許可…正しくは、“いつ退院してもいいですよ”くらゐの言だつたらしいが…が出た。退院する以上、ある程度でも、恢復はしてゐるだらうが、入院してゐたのだから、弱々しくなつてゐて当然でもある。休みを取つて様子見を兼ね、退院前日に西上した。

 

 病室に入つたら、倅の姿を認識した父が、來てくれたンかと云つた。自分に都合よく、喜んでくれてゐると思つた。思ひつつ、半身を起しかねてゐるのと、頬がこけてゐるのと、舌上に唾液だが痰だか、溜つてゐるのが気になつた。ベッド周りに置いてある私物をバッグに詰めこみ、途中で支払ひを済ませもした。

 本來ならその慌しい時間のどこかで、M岡医師との話があらう筈が、何も無いままだつた。母に確かめると、休みであるらしい。エエ加減なと思つたが、それはちらりと感じただけで、格別の留意も無いのだらう。父は待て暫しのにがてな男だから、あれこれ考へを巡らす前に

 「なにを、したら、エエねン」

催促された。車椅子に乗せ、正面玄関からタキシに移して帰宅した。タキシから降ろし、家に入れるのが、たいへんで、妙な気がした。尤も病院から家への大移動である。疲れてしまつたとしても、止む事は得まいと考へを改めた。あまかつた。

 來宅したケアマネージャーのW部さんが、驚いた聲をたてた。このひとには入院前からお世話になつてゐるから、父の姿が意外に映つたらしい。同日、訪問介護施設のF本さんも來宅し、契約に関はる手續きをした。当初は週に二階くらゐ、訪問しませうとの話だつたが、様子を見るに、どうもそれでは対応が六つかしさうだとなつて、見込みに入つてゐなかつた訪問診療の手筈も整へることにした。母も私も茫然としてゐる。

 飲まない。

 食べない。

 こちらで出來るのは、服藥に際して、栄養補助の飲みものや乳児用ゼリーを使ひ、ストローで水を含ませるのが手一杯だつた。飲みこんだ後、噎せてしまふから、ひどく厭がつた。

 「これで退院の許可を出したのは、どンな判断の基準があつてのことか」

 「遡つたところで、どンならン」

母と文句を云ひあつた。医學的な知識は持つてゐないから、愚痴と云ふ方が正確であつたけれど。

 

 文句乃至愚痴はさて措いて、訪問看護のひとには、上のF本さんは勿論、S上さん、I関さん、T中さん、S田くんに、様々の手間を掛けさせた。服藥に食事(と云つてもゼリー類だが)の介助、口内や身体、下半身の清拭、更に便通の世話までしてくれた。

 訪問医にも來てもらふことになつた。I田医師は小さなライヴハウスで、ベースを弾いてゐるのが似合ひさうな風貌をしてゐたが、まことに判りやすい口調で、低酸素と重度の脱水が起きてゐると説明してくれた。

 「ひとまづ、酸素の吸入は、常時にしませう」

 「脱水には、点滴をしたら、対処出來ますか」

 「水分の補給には、なります。但しそれだけなので、体調の回復に役立つかと訊かれたら、さうだと云ふのは六つかしいです」

 「からだの負担は、出來る限り減らしたいです」

 「さういふご希望なら、一度試しませうか」

 冷淡と受け取つてはならない。こちらは素人であり、時々刻々変化する様子に、混乱をきたしてもゐた。目の前の状態に対応出來る手段を、明示してもらへるくらゐが寧ろ、望ましかつた。それで生理食塩水(五百ミリリットル)の点滴を始めた。

 父にとつては、不快であつたらしい。当り前である。針といふ異物と、食塩水が入りこむ違和感を、好もしく思ふ筈がない。服藥も同じく、母も私もそれで、多少でも、からだが樂になつてくれればと思つただけが、さうさう都合よく進むなら、医療はよほど簡単になる。

 

 当初は週二回と云つてゐた訪問看護は、日に二回、午前と午后になつた。一回の対応が一時間半から二時間。繰返すが、實に有難い濃やかさに、速やかな手の動きが相俟つて、清拭に使ふお湯やタオル、石鹸やシャンプーの用意はしても、そこから先は邪魔をしないのが精一杯だつた。勿論それこそ

 「看護師の仕事ぢやあないか」

さう云へなくはない。併し“仕事だから”に全部を押しこむのは、少くとも私たちの立場から、口にしていい言葉ではないと思ふ。

 家に戻つて数日経ち、母方の妹夫妻が訪ねてくれた。姿を見た父は、ふたりの名前を呼びかけ

 「わざわざ、有難う」

と云つた。自分の側にゐるのがたれか、ちやんと認識出來たわけで、いはゆる痴呆までは到つてゐなかつたことになる。それはそれで安心したけれど、だとすれば、服藥…嚥下や点滴の不快といふか、厭惡といふか、それも明瞭に感じてゐるとも思へて、複雑な気分を感じたのも叉、事實であつた。

 嚥下の際に噎せるのが續く中、咳きこむ時、痰がからむやうな音が気掛りにもなつてきた。喉の筋肉が衰へてゐるのかと思つたが、言語療法士…口や喉のうごきも診てくれる…によると、喉佛はしつかり動いてをり、發語も明晰なので、正確な見立てではないと前置きして

 「喉の内側に別途の原因…たとへば何か、出來てゐる可能性は、考へられますね」

との話だつた。では今後の対応をどうすべきか。その判断は療法士の職掌ではない。退院後の検診が予定されてゐるから、順当に考へるなら、その検査結果を待つことになる。とはいへ、我が力で半身を起すことも困難になつた大老人を、どうやつて病院まで聯れてゆくか。そもそも父は、(再)入院をひどく厭がつてもゐる。

 「からだの負担が大きくない療法」

その方針は外さないとして、病院への移動は元より、採血その他の検査の負担は、体力的にも心理的にも、目を瞑れまい。更に云ふなら

 「再入院になつて、そのまま帰れンことも」

 「十分にあり得る話やなア」

聯れて行くのを躊躇せざるを得ない。第一、(再)入院となつたら、訪問看護のやうな、丁寧で手厚い対応の期待は、まつたく望むべくもない。かと云つて、身体の内側の現状が判らなければ、対処の方法は曖昧なままだし、曖昧なままなら、何がどう、いつまで續くか、見当もつかない。ひと先づ“聯れて行く場合”に備へ、介護タキシの予約だけは済ませた。

 

 検診の前日、I田医師の診察があつた。検査を受け、場合によつては再入院になるとして

 「果してそれは、父の病状にとつて、ベターな判断と云へるでせうか」

医師…或はほかのたれに問ひかけることではないと、解つてはゐた。併し問ひかけざるを得なくもあつた。I田医師は、“何を以てベターかまでは判らないけれど、このまま自宅に居られるとしたら”と云ひ

 点滴は、外しませう。

 服藥も、止めませう。

 本人が望まなければ、無理に口から、水分や食べものを入れる必要もありません。

 「あとは本人しだいですが、一週間から二週間で、壽命を迎へることが多いです」

 「それはある程度の時間を掛け、ゆつくり衰弱さすといふことですか」

 「さういふことになります。仮に入院となつても、同じ対処が撰ばれる可能性は、非常に高いです」

 「そんなら家で看ます」

と決めたのは母で、躊躇の無い、思ひきつて云ふならそれは、鮮やかであつた。退院してからこつち、何をするべきかを迷ひ續け、惑ひ續けた母が、“半世紀余りを共にすごした聯れあひに、しンどい思ひをさせたアない”一点で、腹を括つたのだ。私が為すべきは、その決断を無條件で尊重することだけではないか。

 さうされますかと得心したI田医師の指示で、点滴の針が抜かれた。夜に服む筈の藥も、翌日…それから先に服む藥も、要らないはこびとなつた。

 

 翌日の午前、訪問看護のF本さんとI関さんが來宅し、身体の清拭をしてくれた。スポンジブラシで口内も綺麗にしてくれた。便が多少詰り気味ですね、とのことで、そちらの処置もしてくれた。何度も云ふが、有難い限りだと思つた。F本さんは先に、I関さんは午后四時とか、それくらゐに叉、お邪魔しますねと云つて帰つた。

 午后の早い時間帯に、母の弟夫妻が、様子を見に訪ねてきてくれた。うつらうつらしてゐた父は目をあけ、先日の妹夫妻の時と同様、はつきり名前を呼び、礼を述べもした。母と私とで話をしてゐる最中、口の中が気持ち惡いと云ひだした。母が拭つてみたが、どうも上手くゆかない。さうしたら

 「水で湿したら、ええンとちがふか」

意思表示は、はつきりしてゐた。水を飲みこますのは無理があるから、スポンジブラシで口内を少々潤すと、不快感は取れたらしい。

 叔父夫妻が帰宅の前、父を見て、呼吸の具合が妙ではないかと云つた。酸素吸入のマスクがずれてゐたから直した。直しつつ呼びかけたが、返事が無い。半睡の筈だから、聲をかければ、目をあけるのに、をかしい。何度か、いや何度も呼びかけた。矢張り瞼は開かない。をかしい。何がどうなつたのか。精々一時間前は、意識が明瞭だつたのに。母も私も、パニックと云つてよかつた。

 母が脈を取つた。ごくゆつくり、打つてゐるといふ。

 マスクをずらし、鼻先と口元に掌をあててみた。呼吸が無い。どうなつてゐるのか。兎も角も予定されたI関さんの訪問は待つ。併せてI田医師に聯絡をした。最終的な…さう。この時点で覚悟は出來てゐた…判断は医師に任すべきであつた。

 I関さんとI田医師が來た。

 午后四時半。

 呼吸と脈搏、それから瞳孔の反応。

 I田医師による三点の確認を以て、父は永眠したとの判断に到つた。無理を押して検診に聯れてゆかないといふ母の決断は、まつたく正しかつた。とは云へ折角、不快な点滴も、服藥で噎せることもせずによくなつたのだから、もう少しゆつくりして、手間を掛けさすくらゐしても、かまはなかつたのに。会へる身内にの顔を見て、身体の内も外も、綺麗にしてもらひもして、得心したのだらうか、足早に西へと行つてしまつた。父は待て暫しのにがてな男だつた。