閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1390 迷惑なビフテキ

 尊敬する檀一雄の『檀流クッキング』では、「ビーフ・ステーキ」の呼び名で紹介されてゐる。

 ヒレでもランプでもロースでも(以下、ホチキス型の括弧は引用箇所)

 [自分の体質と、嗜好と、フトコロ具合に合わせた]

肉を贖ひ、大切にくるむことから、始めるのだといふ。くるみこんだその肉は

 [タマネギ、ニンジン、セロリなどの刻んだ部分と一緒に、ブドウ酒とサラダ油を半分くらいにして、一日、二日、漬け込んでみたり]

して、馴らすのだともいふ。この間、冷藏庫を開け閉めする度、落ちつかないだらうなあ。

 

 その一日、二日を何とか我慢したら、肉を俎に乗せ、大蒜をこすりつけ、塩は淡くまぶし、更に半挽きの胡椒をすりこんで

 [二、三分…、心悸の鎮まるのを待つ…]

このくだり、いいですね。鞘から出した刀を前に、息を静かに調へるやうで、ニツポン男児の気合ひと、意気が感じられる。

 

 フライパンにバタとサラダ油(バタは“美しい焦目”の為に用ゐるのださうな)を敷いたら、強火にして、胡椒をすりこんだ面から焼いてゆく。

 [肉に見事な焦目がついたのを見届けるのと同時に、肉片を裏返し(中略)、火加減を中火に変え、好みの焼き加減に仕上げ]

れば出來上り。お皿にクレソンや、馬鈴薯と人参のサラドを添へ、肉を馴らすのに使つた葡萄酒の余り(残つてゐればの話)でも呑みながら、平らげれば、すりやあ満足も極まるにちがひないよ。

 

 ここで聲を大に云つておく必要があるのは、檀がこの[ビーフ・ステーキ]の作り方を指南するにあたつて、具体的な数字をちつとも挙げてゐないこと。ヒレ乃至ロースを何グラムとか、バタとサラダ油の量、強火で何分、中火にして何分、なーんにも、云つてゐない。そのくせこの稿を全部讀んだ我われの眼には、ほどよく馴染んだ肉が上々に焼きあがつて、旨さうな匂ひと湯気をたてるビフテキの姿が、はつきり見える。文學のちからと云へばそれまでだけれど、それで啖ひたくもなつてくる。詰り甚だ迷惑とも云はざるを得ない。

 「併しその辺の居酒屋に行けば、品書きにサイコロ・ステイクがある」

さう指摘する聲が出さうだけれど、あれはビフテキといふより、肉の欠片…焼肉に過ぎないし、何より多くの場合、鐵板で提供されるのが気に喰はない。焼き鯖やほつけを、鐵板で出すか知ら。そんな阿房なと思ふでせう。温めたお皿で供するのが本筋だし、我らのビフテキが、その例外になる道理は無い。さうなると、居酒屋でのサイコロ・ステイクの註文は、考へ難くなる。それで話は檀一雄へと戻つて、ビフテキを堪能するには結局、“体質と、嗜好と、フトコロ具合”に合つた牛肉を贖ひ、”好みの焼き加減に仕上げ”るのが、最良と思はされる。

 

 それは、いい。残るのは、私の胃袋が、ビフテキを平らげられる程度のタフネスを、保つてゐるかどうか。ここが六つかしい。うんと小さな赤身なら兎も角、あのひとが嬉々として指南してくれたビフテキは、がつしりした肉料理に相違あるまいから、きつと持て余す。牛肉を贖ふ前から、悩ましさを感じさせられるのも叉、文學の迷惑なちからと云つていい。