空気が暑く…暖かくなつたら、(甘)酸つぱいものが(何となく)恋しいと思ふ。
たとへば胡瓜と若布と蛸の酢のもの。
美味いですね。いつだつたか、東都大久保の某居酒屋では、註文を受けてから若布をさつとうがき、胡瓜を刻んだのを、小鉢で供してくれた。濁り酒とあはせたあれは、まつたく美味かつたなあ。
たとへば鯵の南蛮漬け。
これもいい。軟らかくなつた骨ごと囓みくだくと、野蛮人に戻つた気分になれる。鯵はどうしたつて美味いんだが、玉葱と一緒に、二杯だか三杯だかのお酢で漬けこんだのは、生温い夕刻によく似合ふ。
或は酢豚、或は厚揚げや揚げ鶏の甘酢あんかけ、或は〆鯖、マーケットで賣つてゐる春雨のサラド、もつと簡潔に梅干しと挙げれば切りがなく…待てよ何か、忘れてゐさうな気がする。さうだ。
ザワークラウト、それからピックルス。
脂つこい肉料理と麦酒を結ぶのに、これほど素晴しい小皿もない。かう書いて、何年も前、東都中野に[山ちゃん]といふ、小さな呑み屋があつたのを思ひだした。こつてりしたもつ煮と、焼き魚が素敵にうまかつたのに、いつの間に閉めてゐて、残念だつたなあ。
その[山ちゃん]で、暑い季節に出してゐたのが、苦瓜のピックルスだつた。薄めに切つた苦瓜に、パプリカ、ピーマン、胡瓜、玉葱。それが冷した硝子に盛られ、まことに涼やか。一切れ一切れ、酸みと苦みが手を組むのを味はひながら、泡盛([菊之露]だつたか)を呑めば、夏がちかいと感じられたのも、叉よかつた。
ところで。“酢に漬けこむ”技法じたいは、塩や味噌や油と同じく、食糧の保存が、本來の目的だつたらう。それも最初から意図したのではなく、偶然の結果…あれ、存外うまいぢやあないか…と想像する方が、事實に即してゐさうに思へる。叉これも塩味噌油漬けと同じく、時間の洗錬…千年?二千年?それよりもつと?…を経て、ただの保存手段から、味はひを増す技術にまで到つた。我われは御先祖の食慾に感謝しなくてはならない。
尊敬する檀一雄の『檀流クッキング』にも、簡便な酢漬けが載つてゐる。キヤベツ、胡瓜、茗荷をサラダボウルで混ぜて梅酢をかけ、青紫蘇を刻み入れるさうで、かういふのが食卓にあれば、きつと頬が綻びる。呑み屋の品書きにあれば、鶏の唐揚げやミンチカツと一緒に必ず註文する。ただこれは檀の云ふ“スガスガしい梅雨時のサラダ”だけでなく、酢漬けの類全般に云へるのだが、案外なくらゐ、目にする機會に恵まれない。
「すりやあ、貴君、自分で作らないからだな」
すすどく云はれたら、まつたくその通りと応じ…まあ我が身のことは横に措く。それより呑み屋で見掛けないのは、何故だらう。脂ののつた焼き魚とお酒の間に酢漬けが、こつてりした肉の煮込みと葡萄酒の間にピックルスがあれば、呑み喰ひの樂みが拡がるのを、呑み屋が判つてゐない筈はない。それで出さない…出せないのは、ひよつとして手間の割に、儲けがうすいのか知ら。だとしたら、何とも勿体無い気がされる。もちつと値つけをしていいから、呑み助の目と舌を喜ばしてもらへまいか。さう云へば[山ちゃん]の苦瓜ピックルスも、精々三百円とかそんな程度だつた。