焼き鳥には色々な部位…種があつて、その殆どを私は喜んで食べる。殆どと云ふのは、例外があるからで、實はつくねがそれになる。不味いとは思はないが、自分から註文したいとも思はない。だから口にする機會は、所謂おまかせで出された時くらゐ。かう云へば、全國のつくね愛好家から
「丸太つてエやつは、焼き鳥を解つてゐない」
「つくねの様々に微妙で繊細な味はひは、あの野郎の舌に、勿体無いといふものだ」
きつと罵倒されるだらう。頭を抱へたくなる。併し頭は抱へながら
「相性と云ふか何と云ふか、もも、ねぎま、せせりやぼんじりやレバーのやうに、けらけら喜べないのです」
とも云ふのは間違ひなく、嗜好にはそんな面がある。つくね愛好家の諸賢には、ご理解をお願ひしたい。
ここでいきなり、掌を返す。それはどうかすると、ひどく美味いつくねを口に出來る機會があるからで、今は無い東都大久保の[かぶら屋]を思ひだす。あのチェーン店では、契約にもよるのだらうが、基本以外のメニュもある程度、勝手差配が認められてゐた気配がある。当時の店長は、かなり気儘が許されてゐたらしく、それなりに顔を覚えてもらったある晩、呑んでゐると不意に
「つくねに少し、工夫を考へてゐるんです」
「新しいメニュですか」
「まだ試作なんですが、味見しませんか」
さう云はれて、試さない手はない。その試作つくねは、鶏軟骨を砕いたのを混ぜてあり、更に軟骨は意図的に粗く砕いたらしい。味つけは塩。私の好みとは異つてゐたけれど、決して惡くない。それに試作だもの、改善と洗錬の余地は、あるのが当然ではないか。などと考へてゐたら、店長が續けて
「來週くらゐに、もうひとつ、試作が出來さうかなと思つてゐます」
巧い商ひだなあ。それで翌週、(まんまと)足を運んだ。今度のつくねは軟骨の代りに、刻んだ蓮根を使つてあつた。こちらも塩。しがみながらやつと、歯触りを工夫したいのだと気がついた。その蓮根の歯触りは、つくね本体を邪魔せず…軟骨はその主張がきつかつたか…、顎に快くもあつて、私好みだつた。
それから暫くして、店長は[かぶら屋]を去つた。仄聞するところだと彼女は、埼玉で自分の城を持つたさうだから、そこで軟骨乃至蓮根入りつくねの完成形を焼いてゐるかも知れない。思ひ出話ではなかつた。
試作品とはいへ、二種のつくねは、掌を引つくり返せるくらゐには旨かつた。詰りこちらから註文してもいい場合があると云つてよく、ただ註文したいと思へる旨さの幅が私の場合、どうもひどく狭いらしい。
そこで気になるのが、自分好みの幅に入る條件。あれこれ思ひだしたが、結局は歯触りや下拵へ、焼き具合の調子、お客の雰囲気、お店の客あしらひ、腹の縁具合や空模様…さういつた事どもの総体としか云へない。敢て挙げるとしたら、下拵への部分が大きからうが、ではどうすれば私好みになるのか。そもそも下拵への手順が判らないもの。これは機會を作つて一ぺん、埼玉のつくねを試してみなくちやあなるまい。