閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1400 なぞのひと

 この手帖には、“親愛なる讀者諸嬢諸氏”が、屡々登場する。多くのー訂正、殆どの場合、私の見立てに辛辣な指摘や論評をするあの人びと。その讀者諸嬢諸氏とやらに就て、一部では果して實在するのか、との疑念が抱かれてゐるらしい。

 

 率直に云つて、その辺はどつちでも…實在してもしなくても、かまふまいと思つてゐる。實在するたれかとの會話ですら、正確さなぞ、一ぺんも意識したことがないもの。見方によつては、非實在に半分は、足を突つ込んでゐる。讀者諸嬢諸氏と大して変るまい…と云つたら、厭な顔をされるかな。

 

 序でだからもうひとつ、率直なところを云ふなら、讀者諸嬢諸氏には、わざわざ登場願はなくとも、地の文を使へば、手帖は成り立つ。併しそれだとー書くこと次第としてもー、無愛想と云ふか、恰好つけと云ふか、書きながら感じる時がある。

 (えらさうなことを、云つちやあ、いかんわな)

 まあこんな気分。かう感じたら、讀者諸嬢諸氏の力を拝借するのがいい。彼女乃至かれ…女性が先なのは、我らが日本文學の伝統と思ひ玉へ…は、遠慮なく躊躇せず忖度も知らぬ手厳しさで、批評をしてくれる。これが實在の間違ひないたれかから、面と向つて同じ言を吐かれたとしたら、幾ら穏やかが賣りの私だつて、とても我慢出來るものぢやあない。

 

 さて改めて念を押すと、讀者諸嬢諸氏が、純然たる架空の人物なのだとは云ひません。但し特定の個人による批評論評とも云ひかねる。要するに、なぞのひと…或はなぞの人びとが、讀者諸嬢諸氏。なのかどうか。我が實在する讀者諸嬢諸氏には、その辺も含めて、この手帖を樂んでもらへれば有難い。と云つたら矢つ張り、厭な顔をされるか知ら。