閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1406 動く裸体

 わかい頃は、エロに触れる機會が、實に少かつた。ここで云ふ“(私の)わかい頃”は、昭和の末期から平成の初期にかけて。大半…訂正、殆どの讀者諸嬢諸氏は、生れてゐないか、精々物心のつく前だつたにちがひない。古老の気分は、快いなあ。

 DVDは勿論、インターネット環境なぞ、皆無…正確には、想像以前の技術…の時代。“動く女性の裸体”を見たければ、ポルノ映画館に行くか、ビデオデッキを贖ふほかになかつた。前者は世の中の目が、(何となく)気になり、後者はイニシャルコスト…デッキの価格も、ランニングコスト…ビデオの値段も、莫迦にならなかつた。

 ひと夏のアルバイトで稼いだお金で、ビデオデッキを手に入れた時ー今となつては信じ難いが、VHSの録画/再生機で、十万円超の値段だつたのだーは、併し嬉しかつた。テレビジョンで放送された、『ターミネーター』の録画が最初の利用。参考までに云ふと、シュワルツネッガーの聲をあてたのは、大友龍三郎さん。

 尤も主な目的が、動く裸体にあつたのは、云ふまでもなく、これが叉たいへんだつた。ソフトを買ふわけにはゆかなかつた(實家住みだつたのと、一本あたりの値段と、両方の事情ゆゑ)から、レンタルビデオ店を頼りにせねはならない。とは云へレンタル料金だつて確か、一泊二日で五百円くらゐした。念を押すと、昭和末の五百円だからね、令和とは重みがちがふ。

 更に云へば、ビデオの情報じたい、入手が困難な事情があつた。何せネットの検索なんぞ、出來ない時代ですからね。エロビデオの紹介雑誌…『オレンジ通信』だつたと思ふ…に目を通した記憶がある。あとはレンタルビデオ店で、パッケージを丁寧に見るくらゐしか方法は無く、もしかすると、寫眞と文字の組合せを、あれだけ丹念に見たのは、初めての経験だつたかも知れない。

 助兵衛だねえ。

 さう呆れられたら、まつたくその通りと認めるほかにないんだが、十臺の終りから、廿臺にかけての男が、それ以外に情熱を滾らせられるものだらうか。まあ最初にたれのビデオを借りたか、まつたく忘れてゐるから、恩知らずな男でもあるけれど。とは云へ。“動く裸体”に昂奮したのは間違ひない。構成は實に単純。

 

 プールサイドや海辺での、水着のイメージシーン。

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 (ちよつとエッチな)インタヴュー。

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 うんざりした辺りで、(お待たせしました)あの場面。

 

なのが殆どで、ポルノ映画のやうな(一応附きでも)ストーリーは、皆無に等しかつた。脱いで、アレをして見せたら、満足でせう。そんな感じ。思ふに“動く裸体”のメディアが、映画館から家庭内への過渡期だつた所為ではなかつたか。ポルノ女優(記憶にある中では、清里めぐみや城源寺くるみ)がビデオに出ても、居心地が惡さうだつた印象がある。實際、ポルノ映画がビデオに転身して、成功した例を私は知らない。

 考察は横に措いて、当時の私は兎に角にも、レンタルビデオ店でパッケージを睨み、あつちの慾を満たせるだらう一本を撰ぶのに、精一杯だつた。平成が進み、インターネットが当り前になり、そつちの情報も充實して、観るのだつて樂になつた。令和に到つた今になつて、あの執着心を、別の方向で活かしてゐたらと、思なくもない。併し“動く裸体”に不自由だつた分、数少い触れる機會…ビデオをレンタルしても…を、存分に味はひ尽さうとも出來たとも云へる。安直にエロに触れ、消費するのに馴染みきつた青少年に、この感覚は理解し難からう。いやまつたく、古老の気分は、快いなあ。