尊敬する内田百閒は、冬の麦酒を好んだ。
“味が締つてゐる”といふ理由。
冷藏技術の要因はあつたとして、夏の麦酒は確かに、油断すると直ぐ、温まつてまづくなる。この場合、小さなコップに注いで、一口二口で呑みほし、椀子蕎麦のやうに干し續けるのが、もつとも好もしい呑み方かと思へて…落ちつかないなあ、これ。
とは云つても、夏の早い夕方、口開けの呑み屋で呑む麦酒は、實にうまい。渇きがひどくつて、温まる間もなく呑み干せる。百閒先生には申し訳ないが、“味が締つた冬麦酒”で、かういふ快感を得るのは、六つかしからう。冬麦酒には冬麦酒の樂みがあるのは、勿論として。
“味が締つた冬麦酒”の樂みは、寒くなつてきたら、考へませう。この稿を書いてゐる今、問題なのは、夏麦酒を樂むお摘みは何か、といふこと。暑さに胃の腑をやられて、食慾が落ちてくる頃であるが、お摘み無しに麦酒を呑むのはどうも、感心出來ない。
難問である。麦酒は一体、油つこくて、味の濃いものとの相性がいい。鶏の唐揚げ、ミンチカツ、鯵フライ。揚げもの計りぢやあないかと云はれたら、鯖の塩焼きだの回鍋肉だのを挙げませうか。兎にも角にも、その系統とよく適ふし、草臥れた胃袋には少々、重たくもある。
かう書くと、胃の腑のわかい讀者諸嬢諸氏は、何がどう、重たく感じるのか、見当がつかないと、首を傾げるかも知れない。羨ましい限り。併しこの稿の基準が、私の胃袋なのは云ふまでもない。そこは諦めて、お付きあひくださいな、そんなに長く、しませんから。
冷たいものを慾するのは、単純で感心しない。
たとへば蛸と胡瓜と若布の酢のもの。
たとへば茗荷をたつぷり乗せた冷奴。
或は、苦瓜とパプリカのピックルス。
いづれも好もしいお摘みであるけれど、冷や酒や泡盛とあはす方がうまいと思ふ。
もつ煮。
惡くない…けれど、冷めた途端、味が落ちる。
ポテトサラド。
中々よろしい…意外に当り外れがあるけれど。
ぢやあ何か、目星でもあるのかーと咤られる前に云ふと、ちやんとあつて、それがポーク玉子。ここでのポークは、ポーク・ランチョンミート…味つけ加工豚肉の罐詰である。薄くならない程度に切つて焼き、同じくらゐの厚さに仕立てた玉子焼きと共に供する。ケチャップ…ハインツに限る…で食べる。玉子はオムレツやスクランブルドエグスみたいに、やはらかく焼いてもいい。このお皿を卓の眞ん中に、左にポテトサラド、右にはピックルスを置けば、麦酒のお供の勢揃ひである。
或はハムエグス。ベーコンでもいい。玉子を複数形にするのは、二個以上使つてほしい願望の顕れ。ポーク玉子に似た組合せだが、こつちはハインツ…ケチャップでなくともよろしい。寧ろ辛子マヨネィーズの方が、似合ひさうでもある。黄身は是が非でも半熟。ハム乃至ベーコンは、薄いのを小さく切つてあるのが望ましい。両隣には薄切りのバタ附バゲットとザワークラウト。何しろバゲットは、黄身で汚れたお皿を拭ふのにも使へるからね。お皿は綺麗にしなくちやあ、いけません。
ところで率直に云つて、ポーク玉子にしても、ハム(叉はベーコン)エグスにしても併し、暑い季節だから食べるもの…いはゆる季節料理…ではないのは、まちがひない。幾ら私だつて、それくらゐは解る。とは云へ、ポーク玉子やハム(叉はベーコン)エグスを、“味が締つた冬麦酒”のお供に求めたくなるか知ら。さう考へた時、私の見立てに、無理があるとは云はれまい。さうさう。ポーク玉子でも、ハム(叉はベーコン)エグスでも、併せてうでたての枝豆は欠かせない。これ計りは、“味が締つた冬麦酒”を味はふ際でも同じである。我が敬愛する百閒先生なら、どう仰有るだらうか。