画像はある晩、ある気に入りの串焼き屋で出してくれた最初の一本。實にうまかつた。うまかつたけれど、いつもよりほんの少し、塩がきつい気がした。お店の名誉の為に念を押すと、まづいと云ふのではない。それに私の舌である、信憑性に疑義が生じても、当然であらう。

尊敬する吉田健一の、確か『甘酸つぱい味』だつたかに、自然は完全に受け身だから、同じ人間が同じ料理を作つても、その同じ人間の在り方で、味はちがつてくるとか、そんなくだりがあつた。残念なことに、肝腎の本が手元で見つからず、實際の一文を確かめる術がない。そこは差引きしてもらひますよ。
まあ併し、仕入れる鶏肉の質は、日々異るものだし、火の加減や塩の振り具合だつて、それによつてちがひが出ても、不思議とは云へまい。極端な話、今の一本と次の一本で味がぶれる…変ることも有り得る。その振れ幅を、(えらさうな口調になるが)許容範囲に収めるのが、焼き手の技倆といふもの。
ただここで、食べ手の舌…空模様、風や湿気の具合、お腹の調子も含めて…にも目を向けねば、不公平の謗りは免れまい。詰りこちらの舌の振れ幅…ぶれ。塩がきつい気がしたとは云つたが、他に食べた数本は、いづれも塩梅の宜しきを得てゐた。要は焼き手食べ手それぞれの振れ幅が合致して、“いつもの味”になるのだらう。

〆に白茄子を焼いてもらつた。
ぶれが一致するのは、有難い。