閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1419 雨と酒

 雨の日は、好きになれない。

 

 かうかき出すと、出來損つたニュー・ミュージックの歌詞のやうだと笑はれさうだが、好ききらひの話だからね、仕方がない。雨の日を喜ぶひとは、寧ろゐるのか知らと居直りたくもなつてくる。

 

 但し。家(叉はホテル)に籠つてゐる時は、例外。

 正確には、籠つてゐて、お酒にこまらなければ。

 たとへば臺風(大雪の予報でもいいよ)がちかい日の午后、麦酒や葡萄酒と、お摘みを買ひこむ。戸締りをがつちりしたら、こつちのもの。陽が落ち、徐々に烈しさを増す雨粒と風切りの音、ラヂオの気象情報を聞きつつ、悠々然々と呑みだせばよい。などと云ふと、眞面目な讀者諸嬢諸氏は

 「災害を嘗めてゐるとは、怪しからん」

 「まつたく、不謹慎な態度ではないか」

眉を顰めるかも知れない。さう云はれたら、御免なさいと身を縮めるしかなく…反省します。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏も、ご安全に。

 

 ここで併し掌を返すと、荒天の夜に呑むのは矢張り、實に愉しいのですよ。電線がひようと唸り、窓は花やかに次々と叩かれる中、仄暗い場にゐるのが自分だけとなれば、お酒と向きあふほか、ありますまい。それは、お酒と過ごせる純然とした時間であつて、さういふ時間は狙つて得られるものではない。

 以前にも引用したから、この稿では避けるけれど、尊敬する吉田健一が、羽越を旅した際、誂へ向きの曇天に恵まれ、ルーヴルが巡回してゐても、足を運ぶまいと喜びながら、呑み續けるくだりがあつた。もしかすると雨の日を好まない私が、雨と酒の組合せは好もしく思ふ切つ掛けは、この一文にあつたかも知れず、だとすると、文學のちからは、甚だ迷惑と云つていい。