閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1422 按配

 この手帖の更新は(多少の例外は含みつつ)、毎週の月水金曜日、正午としてゐる。我が聡明な讀者諸嬢諸氏には既にお察しのとほり、その更新は“はてなブログ”の予約投稿機能を使つてゐる。實際この稿も、書き始めたのは水無月の中頃。さうでもしなくちやあ、週に三日の更新なんか、出來るものか。

 いやこれは失礼。

 落ち着きませう。

 實のところ、私のやうな淺學菲才の身に、週に三度の更新は厳しい。話の種がさうさうあるわけでなし、無理やり進めてゐる感覚も、無くはない。そもそも文章の質と量は、必ずしも比例しないから、数をこなして、この手帖の質が高まる期待は持ちにくい。我がことながら、何だかさみしくなつてきた。

 では仮に、この手帖の更新を、不定期(叉は週一度くらゐ)にしたら、どうだらう。話の種をひとつ、じつくり考へたら、少しはましな一本を書けさうな気がする。それは勿論、勘違ひかも知れないけれど、期待するだけなら、かまひはしないでせう。但し定期的な更新が、ある程度でも、質を担保出來る可能性も、一方にはある。丸太程度の文章力で、質も何も…と苦笑ひされたら、身も蓋も無い。これでも向上心は持合せてゐるのですよ。

 要するにその辺の按配を、どう調へるか。これが中々六つかしい。何故かと云ふに私は、質はどうあれ、書くことそれ自体を好んでゐるから。ある小説家が、書く理由を訊かれて、自分の頭の中にどうかすると、人物や物語の欠片がふはふは浮んできて、纏めないと落ちつかないからなんだ、と応じてゐたのを思ひだす。名を成した小説家と、素人に過ぎない自分を較べるのは、如何なものか…などと思ひつつ、その気分は何となく、解る気もする。莫迦ばかしい疑問や興味が、脈絡もなくふはりと浮んできて、書かないと落ちつかなくてこまる気分。まことに厄介な趣味だなあ。糠漬けを摘み、壜麦酒を平らげつつ、そんな風に考へた。按配をどうするかは、まだ決めてゐない。