閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

389 甘味噌の推理

 甘味噌豆腐。

 好みで云へば、もうちつと、山椒の利いた方がよかつたんだけれど、何しろお晝の定食である。麦酒に適ふ味つけは控へたのだらう。ごはんには大変よく似合つた。豆腐を炒めるのは中華料理の手法かと思へるが(實際この定食を食べたお店は、中華居酒屋を名乗つてゐる)、大した工夫である。

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 さて。そこでちよいと気になつたのは“甘味噌”であつて、これはどういふ食べもの、でなければ調味料なのか。『精選版 日本国語大辞典』(Web版)で確めると

 

 ◾️あま‐みそ【甘味噌】

〘名〙 塩けが薄く甘みのある、みそ。江戸味噌。⇔辛味噌

※東京風俗志(1899‐1902)〈平出鏗二郎〉中「味噌は白味噌赤味噌・甘味噌〈略〉等の類あり」

とある。更に“江戸味噌”を確めると

 ◾️えど‐みそ【江戸味噌】

〘名〙 近世後期以後江戸で製造された味噌。赤味噌のうちの甘味噌で、「中甘」ともいわれるもの。

滑稽本狂言田舎操(1811)下「ヲヲ鯰か、夫がよかんべい。江戸味噌で吸物にして呉さっせへ」

序でに『デジタル大辞泉』(Web版)を見ると

 ◾️えど‐みそ【江戸味×噌】

江戸時代以来、東京で製造される味噌。米こうじを使い、甘味噌に属する。

とあつて、甘味噌豆腐は日華合作かと思つたが、待てよ甜麺醤といふのがあつたなと頭に浮んだ。えいやと『大辞林 第三版』(Web版)に目を通すと

 ◾️テンメンジャン【甜麺醤・甜麵醬・甜麪醤・甜麪醬】

〔中国語〕

小麦粉から作る中国の甘味噌。

無愛想だねえ。甘味噌との関連がどうもはつきりしない。“江戸味噌”項にあつた“赤味噌”を見てみませうか。『精選版 日本国語大辞典』(Web版)には

 ◾️あか‐みそ【赤味噌

〘名〙 白豆に、麦こうじを混ぜてつくった赤茶色のみそ。仙台みそ、江戸みそ、いなかみその類。⇔しろみそ。

俳諧・炭俵(1694)上「赤みその口を明(あけ)けりむめの花〈游刀〉」

また『デジタル大辞泉』(Web版)では

 ◾️あか‐みそ【赤味×噌】

赤みがかった色の味噌。大豆に、米・大麦または大豆の麹と食塩とを混合して熟成させたもの。辛口が多い。仙台味噌・田舎味噌・江戸味噌など。あか。→白味噌

 

“辛口が多い”赤味噌の筈なのに、“塩けが薄く甘みのある”甘味噌がそこに含まれるのは、何とも判りにくい。“甘い”と“辛い”の使ひ分けが、ひどく乱雑な所為だからか。それに“味噌は白味噌赤味噌・甘味噌”を見れば、赤と甘は別扱ひらしいとも思へて(『精選版 日本国語大辞典』では両項に矛盾は無い)、辞書は六づかしい。ひとまづ日本の甘味噌と中華の甘味噌は別ものらしいぞと判つたから、よしとしておかうか。

 

 ではわたしに舌鼓を打たせた甘味噌豆腐の甘味噌はどちらを使つたのだらう。画像を見つつ、味を思ひ出すと、甜麺醤ではなかつたか。

 「中華居酒屋を名乗るんでせう。だつたら甜麺醤を使つたつて、不思議ぢやあないよ」

と苦笑するひとが出さうだが、そんなら品書きに、“甜麺醤豆腐炒め”と書けばすつきりするのにと思はれる。

 かういふ細かい事を気にするのは、厨房のひとに和食の系統を學んでゐた気配があるからで、味つけのどこかしら(特に汁もの)に、鰹節で引いたお出汁が感じられる。勿論あからさまではないにしても、そんな印象があると、この甘味噌も純然とした甜麺醤ではなく、甜麺醤に少量の江戸味噌を混ぜるとか、さういつた手間、工夫が隠されてゐるのか知らと勘繰りたくなつてくる。

 「それだつたら判りさうなものでせう」

と云ふのは誤りで、辰巳浜子さんが我われに教へて呉れるところを記憶で書くと、どこか纏まりに欠けるとか、締りが足りないとか、そんな時にほんの少し使ふのが隠し味で、何を入れたか判つては駄目なのだといふ。詰り“隠し味ありき”ではいけませんよと云つてゐて、中々手厳しい。我が甘味噌豆腐の實際はどうだつたか。訊いてみたい気持ちもあるけれど、かういふのは曖昧なまま、あれこれ調べ、推測する方が樂いかとも思へる。

 

 さうさう。

 最後に小聲で云ひ添へると、かういふ料理の場合、絹漉しより、木綿乃至島豆腐を用ゐる方が美味いと思ふ。

388 コシナが慾しいな

 偶に…年に一ぺんか二へんくらゐ、ベッサが慾しくなる。ここで云ふベッサはオリジナルでなく、二十世紀末にコシナが出した方。今はどうなつてゐるのか。記憶にあるのはベッサL、同R、同T、それから同R2だから、この稿はそこで途切れる話になる。念を押すと、例の如く資料的な価値は正確にゼロなので、その辺をまあ、ひとつ。

 何故ベッサを(稀に)慾しくなるのか。

 我ながら先づ、そこが不思議である。

 一体わたしは寄つて撮るのが好きで、速撮り…スナップはしない。歴代のベッサは基本的に速く撮るのが主眼になつてゐて、詰りこちらの好む撮り方にはまつたく不向きと云へる。そもそもベッサは派生機種(エプソンのRD‐1)を除くと、すべてフヰルム機なので、今から手に入れたとしても、どの程度使ふのか、甚だ疑はしい。さうなるとベッサに対する物慾は、寫眞を撮るといふ實用的な場所に立脚してゐるのではないなと推測が出來る。己の物慾を推測するのもをかしな話だが、気にせず續けますよ。

 ベッサの名を冠した最初はベッサLが出たのは平成十一年。西暦になほすと千九百九十九年。二十世紀末期であり、銀塩カメラの衰退期とほぼ重なつてもゐる。あからさまに云ふなら、銀塩カメラの先は無からうな(飯田鉄曰く“銀塩カメラの黄昏時”)といふ雰囲気が散らほら、感じられた頃でなかつたかと思ふ。そこにファインダを持たず、焦点合せも出來ない、辛うじて露光計だけを組込んだカメラが“新製品”として出て來たのは、何とも奇妙に感じられた。わたしの周辺ではおほむね不評。くちの惡いやつは

 「フォクトレンダーは晩節を汚した」

とまで云つてゐた。但しその頃のフォクトレンダーといふブランドは、棺桶の中に寝そべり、蓋もされて、後は墓地に埋められるのを待つだけの状態だつたから、この批判はをかしい。今にして思へば、コシナは無名、または二流のメーカーであつて

 「そんな会社が、栄光あるフォクトレンダー銘を使ふとは、まつたく怪しからん」

といふ気持ちの顕れだつたのかと思ふが、同情は出來ても共感は出來なかつた。コシナがどんな会社か、その時は知らなかつたけれども。

 ベッサLを入手したのは翌年だつたかと思ふ。反發心ゆゑではなかつた。ベッサLに距離計とファインダを組込んだベッサRが發賣になり、それにあはせるかのやうに、幾つもアクセサリを出してきたのに興味を惹かれたからで、實に巧妙な商ひだつたと思ふ。冷静に考へれば、大量のアクセサリが必要といふのは、そのカメラが不便である事を示してゐる。嘘だと思ふならライカを見ればいい。あの膨大なアクセサリ群…たとへばNOOKYと総称される近接撮影装置やVISOFLEXといふ一眼レフ装置…は、本体だけではどうにもならない事を、どうにかしたいといふ慾求から造られた。必要に迫られた面もあつたらうが、ライカ本体をそのままに精緻きはまりないアクセサリを用意したのは、ドイツ的な執念深さと思はれる。

 翻つてベッサのアクセサリ群には、さういふ(ライカ的な)執念が感じられない。余裕たつぷりに

 「ね。かういふのがあつたら、愉しいでせう」

と囁いてゐる気がされた。あの感覚は今でも間違ひでなかつたと思ふ。その辺りをごく簡単に云へば、ライカとは背景が異なるからで、便利に撮りたければ、さういふ目的にかなふ機種は好きに撰べた。詰り不便が不便といふ理由で、マイナスの評価に繋がる心配をしなくても済んだ…といふより積極的にその不便を打出せる背景があつた。もう少し突き進んで云ふなら、ベッサは遊戯性を重く視てゐた。そんな風に考へると、焦点合せに露光合せ、巻上げも巻戻しも全手動、即ちユーザに任せて、外に幾つかの補助具を用意してきたのは、寧ろ理に適つてゐたと云つていい。然もその気になれば寫眞の一枚も撮れもするのだから

 「こりやあ大した發明だ」

と褒めると、コシナの偉いひと(ことに社長は寫眞愛好家でもあるから)は、厭な顔をしさうである。

 「先づは、撮りませうよ」

云はんとするところは解る。解るとして、撮れるカメラはどこにでもあつても、弄る事自体を目的に出來るカメラはさうさう見つからない。異論は承知で云ふと、ベッサ以前にはライカⅢcとニコンF4があつたくらゐで、但し両機に遊戯性が丸で欠けてゐた事は(当然だけれど)、改めて指摘しておきたい。

 あからさまに…些か露惡趣味な云ひ方をすれば、秋の夜長、ヰスキィの水割り(葡萄酒でも純米酒でも焼酎でもかまはないが)を舐めながら、アクセサリを附けては外し、空シャッターを切る樂みがベッサには最初からあつた。Lの造りには、元になつた一眼レフめいた安つぽさが残つてゐたが、値段を考へれば驚異的なファインダを搭載したRと、おそらく歴代ベッサで一ばんコシナらしい…この場合のコシナは社長に対する印象とある程度の(いやかなりの?)部分が重なるのだが…Tに到つて、ほぼ解消された。赤瀬川原平はベッサLについて

 「この何でもイージー・オートに向う世の中に、ほとんどテロにも近い(中略)ほとんど表現として飛んできてしまった」

 と書いたが、この評は寧ろTにこそ(いちいち個別の説明は省くとして)似合ふ。この異様な機種は本気で使つたら現代のデジタル・カメラより速く撮れる…念の為に云ふと、スナップといふ範疇に限れば、これは掛け値無しですよ…が、その為には多少の習熟や知識を求めてくる。併し未熟で知識が足りなくても、前述の樂みは存分に味はへるし、もしかして全自動のデジタル・カメラしか知らない若ものが、焦点を合す事、露光を調へる事、構図を考へる事は獨立しながらも関係してゐると學ぶのに適してゐるやも知れない。かう云ふとニコンNewFM2がある、あつたと指摘されるだらうが、一眼レフは本來的にさういふ要素が一体化してゐるから、ベッサTには僅かに及ばない。…まあそこまで眞面目な位置附けをしなくても、夜の肴に似合ふのだけれども。

 但しベッサTは、ベッサの“もうひとつの機能”である撮影に、ややもすると敷居が高く感じられるのも事實で、その辺りを含めると、オーソドックスなRかR2が宜しいのではないか。両者のちがひは主に、ライカねぢマウントか同Mバヨネット互換か。パーツの細かい見直しや素材の変更もあるけれど、そこまで踏み込まなくてもいいでせう。自分の撮り方に適ふかどうかはさて措くとして、使ふ上での不安はTより少いし、不便さは残るとしても、そこには“失敗する(かも知れない)といふ樂み”が担保されてもゐる。この樂みはプロフェッショナルには絶対に許されない、素人の特権なんである。と云つても

 「そんな特権は要らないよ」

さう反論するのは至極当然の感情で、併しその特権を使はない、使はずに済ませる為に、リコーのGRⅢやソニーのRX100辺りがあるのだと指摘しておかうか。改めて云ふと、初代が登場したのが二十年前、遊戯に片足…軸足を置く、つまみにも實用にもなるカメラは、LからR2に到る一連のベッサ以外に姿を見せてゐない。稀にベッサを慾しいと思ふ裏には、さういふややこしさがある。明確にではないが(詰り、カメラをつまみにするなんて怪しからん、といふ表向きの事情)、どこかに潜んでゐさうな気がする。

 

※以下の三冊を参考にした。

 『使うベッサ』

  赤城耕一(双葉社)

 『BESSA WORLD』

  (日本カメラ社)

 『フォクトレンダー ベッサ読本』

  田中長徳(アルファベータ)

387 文學秋刀魚

 秋と云へばさんまで、さんまと云へば目黒と応じたいところだが、お殿さまには申し訳ないと思ひつつも、矢張り佐藤春夫の『秋刀魚の歌』を筆頭に挙げたい。

 

 あはれ

 秋風よ

 情あらば伝えてよ

 ー 男ありて

 今日の夕餉に ひとり

 さんまを食ひて

 思いにふける と。

 

 さんま、さんま、

 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて

 さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

 そのならひをあやしみなつかしみて女は

 いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。

 あはれ、人に捨てられんとする人妻と

 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

 愛うすき父を持ちし女の児は

 小さき箸をあやつりなやみつつ

 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 

 あはれ

 秋風よ

 汝そは見つらめ

 世のつねならぬかの団欒を。

 いかに

 秋風よ

 いとせめて

 証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 

 あはれ

 秋風よ

 情あらば伝えてよ、

 夫を失はざりし妻と

 父を失はざりし幼児とに伝えてよ

 ー 男ありて

 今日の夕餉に ひとり

 さんまを食ひて、

 涙をながす、と。

 

 さんま、さんま、

 さんま苦いか塩っぱいか。

 そが上に熱き涙をしたたらせて

 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

 あはれ

 げにそは問はまほしくをかし。

 

 一讀、異様な詩だと思ふのはその通りで、大谷崎との“妻譲り状”が、この直後の時期だつた。永井荷風が断腸亭に冷やかな筆致で(昭和五年八月廿日附)記してもある。荷風爺さん…といつてもこの時五十二歳だつたが…は妙な倫理観の持ち主で、玄人と遊ぶのには何の躊躇ひもなかつたが、その一方で“処女を犯したる事もなし”と自慢気に書いてもゐる。さういふひとにすれば、他人の妻を譲られた挙げ句、それを書面で(それも谷崎との連名)報されても、“可笑しければ”と記すしかなかつたらう。ただこれだけだと佐藤春夫は自虐的に一詩を詠んだとんでもない野郎だといふ事になるのだが、弟子筋にわたしが尊敬する檀一雄がゐて、檀の描く佐藤は冗談のうまい人物でもあつて、そちらに立てば『秋刀魚の詩』には悲痛の響きが感じられてくる。文學はややこしい。

 

 なので文學からは距離を置くと、“愛うすき父を持ちし女の児”でなくとも秋刀魚はうまい。尤も食べる習慣は、日本でなければ、ロシヤのカムチヤツカやサハリン周辺に限られるといふ。どうも収獲出來るのがその沿岸辺りだからださうで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、ご存知でしたか。ホメロスの英雄や三國志の豪傑が秋刀魚を骨ごと咬み砕かなかつた理由はここにある。気の毒だなあ。

 と同情を示すのは、云ふまでもなく、わたしが秋刀魚好きだからで、不漁のニューズを聞くと、胸苦しい気分になる。

 ごく当り前に塩焼きがいい。お刺身も惡くないが、余程新しくないと旨くないから、扱ひが些か面倒なのか。それとも食べ方が限られるのか。そこで困つた時の『私の食物誌』で目次を見ると、秋刀魚が出てゐない。驚いた。

 

瀬戸内海のままかり

瀬戸内海のめばる

関東の鮪

東京のこはだ

金沢のごり

関西の鱧

九十九里の鰯

五月の鰹

 

“味噌漬け”や“蒲焼き”や“昆布巻き”などと附いてゐないのはこんなところ。吉田健一英國が長かつたし、その前は支那料理に馴染んでゐたらしいからなと思つたが、さういふひとが、新潟から送られた筋子の味噌漬けを

 

 何年もたつて琥珀色に変色し、口に入れるとそのまま溶けてしまふやうなのはこの世の味とも思へない。

 

と歓んだりするか知ら。さう思つて外の本をざつと捲つたが、秋刀魚の美味を讚へる一文は見られなかつた。僅かに“旅と食べもの”の中で

 

 いい料理も旅先で食べれば一層よくなることを指摘したいのである。だから「目黒のさんま」には一面、殿様自身は気が附かなかつた眞實が隠されてゐると言つて差し支へないのである。

 

間接的にではあるが、秋刀魚の旨さには触れてゐるから、秋刀魚はうまい…少くとも美味い秋刀魚があると考へてゐたのは間違ひない。念の為もう一冊、困つた時の『檀流クッキング』の目次を見ても矢張り秋刀魚の文字は無い。“サバ、イワシの煮付け”と“小魚の姿寿司”、或は“魚のみそ漬”くらゐなもので、鮭に熱狂する姿と較べれば、随分と素つ気ないものですねと云ひたくなる。とは云へ、繰返しを気にせず書くと、塩焼きかお刺身、後は精々ごはんに炊き込むのが秋刀魚の食べ方で(もしかするとオリーヴ油に漬けたりすると旨いのかも知れないが)、この手帖のやうな駄文なら兎も角、吉田や檀には取上げにくかつたとも考へられる。だとすると気の毒な話で、叙事詩の英傑どころではない。

 

 ロシヤ人はどんな風に秋刀魚を料るのか、どうもよく判らない。焼きはしただらう。もしかして塩漬けの保存食にしたかと思ひつつ(鮒鮨のやうになりさうだ)、断定は躊躇はれる。近所にロシヤ料理を食べさせる場所はあつたらうか。

 さう考へれば秋刀魚の塩焼きは馴染み深い分もあるだからうが、ごくシンプルに感じられる。

 皮ではぜる艶やかな脂。

 たつぷりの大根おろし

 酢橘に醤油をちよいと。

 “青き蜜柑をもぎ”きて“そが上に熱き涙をしたたらせ”るまでもない。そこにお燗徳利の一本もあれば満足も極まるといふもので、ここでロシヤ・サンマにウォトカは適ふのだらうかと疑問が浮ぶ。燻製があるなら、それは適ひさうだが、塩焼きには及ばない。このくらゐの愛國心は許してもらへるでせう。

 

 肉や焼けた皮、また骨の周りが旨いのは云ふまでもないとして、秋刀魚で喜ばしいのは何といつても膓であらう。秋の酒肴としては絶好の美味と云へて…併し知人のとある女性は苦手だと云つて、わたしに秋刀魚を毟らせた挙げ句、その膓を押し附ける。そこまではかまはないのだが、その分の肉と皮を(愉しさうに)掻つ払つて仕舞ふ…、肉と皮と骨の周りとは別に、お銚子を用意してもらひたいくらゐである。内田百閒がお酒を覚えた“高等縄暖簾”のお燗酒なら文句は無からうと思へて、佐藤春夫の鬱屈は察せなくもないけれど、秋刀魚は矢つ張り、目黒の殿さまのやうに、顔を綻ばせながら頬張るのが望ましい。かういふ魚は文學に向かないのだらうな。

386 立ち呑み考

 暫く立ち呑み屋に足を運んでゐない。

 好きな店は何軒かあつて、その気になればいつだつて行ける筈なのだが、どうもタイミングがあはないといふか、その気になつた時と財布の具合が宜しくないとか、そんなこんなで足が遠のいてゐる。

 行く時はひとりである。

 立ち呑み屋は狭いのが基本なので、多人数で押し掛けてはいけないといふのがひとつ。わたしの周囲に、立ち呑みを好むひとがゐないのがもうひとつの理由。立ち呑みを好まない事情は

 「落ち着かなくつていけない」

 「呑み喰ひに期待が持てない」

であるらしい。さう聞くと、無理強ひはしたくないから

 「まあまあ。そんな事は云はずに」

と誘はうとも思はない。腹の底で、そんな事もないんだがなあと呟きはする。説得するのが面倒なのかも知れない。

 立ち呑み屋は大きく二種類に分けられる。

 先づ居酒屋の縮小コピーのやうな店構へ。

 もうひとつは呑ます事に集中した店作り。

 後者から触れると、わたしの知る範囲ではヰスキィ、葡萄酒、それから麦酒が主で、お酒も見掛けなくはない。出す種類を絞つてゐるから、相応に品揃へがあるのがいい。つまみは限られてゐるから(ちよつとした煮込みやハム、塩辛の類くらゐが精々)、食事を兼ねて入るのは無理がある。但しその限られたつまみは、扱ふ酒精に準じて用意されるから、決してまづくないとは云つておく。それにカウンタの向ふ側にゐるひとは、ヰスキィや葡萄酒の知識をちやんと持つてゐる。判らなければ正直に

 「辛くちで、あつさりした、癖の少いやつがいいのだけれど」

何かお薦めはありますかなどと相談すればよい。あしらひが適はないなと思つたら、その一ぱいを干して出れば済むのだし、さういふ気がるさもまた、立ち呑み屋の利点である。

 併し立ち呑み屋の樂みは矢張り前者にあつて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ

 「すりやあ丸太は貧しいからな。廉価は有難いにちがひないさ」

と笑はないでもらひたいね。さういふ立ち呑み屋は確かにあるし、その廉価が有難くないわけもないけれど、ここで云ふ前者の立ち呑み屋には含めない。

 ぢやあ外にあるのか。と疑念が呈されるのは予想の範囲内で、小ささ狭さを逆手に取つたやうなお店がある。焼き餃子や鶏の天麩羅、或は酢のもの。さういつたメニュがあり、註文を受けてから用意を始めるので、少し計り待たされはする(外のお客の註文もあるし、この手のお店で調理をするのは、大抵がひとりだからでもある)が、所謂普通の居酒屋より旨い事も珍しくない。大坂は京橋の狭苦しい立ち呑み屋に連れて行つてもらつた事がある。地元の小父さん小母さんが千円札を二枚かそこら、ポケットにねぢこんで潜り込むやうなお店だつたが、實にうまかつた。確か鮪のぶつ切りなんぞも出してゐて

(油断も隙も、あつたものぢやあない)

と呆れた記憶がある。魚市場と宜しくやつてゐたのか知ら。

 ここで一応云ふと、かういふ立ち呑み屋で、通が歓ぶやうな酒精…どこの藏とかシャトーとか…を期待するのは誤つた態度といつていい。ありふれた酒精を旨く呑めてこそ立ち呑み屋だし、その工夫を凝らすのが、よい立ち呑み屋の條件だともいへる。

 生麦酒よし。焼酎ハイもよし。葡萄酒だつていいし、気の利くお店なら泡盛や濁り酒を用意してゐるかも知れない。何から呑んだつてかまはないが、品書きの黒板に、“オススメ”とか“名物”とかあつたらしめたものだ。小さな厨房を持つ立ち呑み屋の“オススメ”乃至“名物”は言葉通りである。旨さうなのを撰んで、そつちから何を呑むかを決める手もある。

 「それだと」と不安を感じるひとが出るだらうか。たとへば「呑む順がをかしくなつて、惡醉ひしさうだ」

その不安は判らなくもないが、惡醉ひするのは呑み方が間違つてゐるんですと云つておかう。

 小鉢(でなければお通し)、“オススメ”と焚きものをつまみに、三杯も呑めば十分なのが、立ち呑み屋の基本。つまみが期待以上に旨いとか、女将さんや大将のあしらひが巧妙とか、偶々隣あつたお客との話が愉快とか、さういふ例外はあるとしても、食べて呑んで、空になつたら、すつぱり

 「それでは、お勘定を」

と云ふのが望ましい。三杯くらゐで惡醉ひするとは思へない…ウォトカを生でなら話はちがふだらうが…し、惡醉ひするとしたら、そもそも立ち呑み屋で引つ掛けるのに不向きなので、行くのは諦める方が宜しからう。ほろつと醉つた感じ(微醺低吟といふるい言葉がありますな)で勘定を済ませたら、腰を据ゑて呑みに行く。そのまま帰宅したつてかまはないけれど、一軒三杯の立ち呑みで満足出來るひとは呑み助の上級者であつて、わたしは未だその域に達してゐない。

385 本の話~豊穣な世界の設計図

『横しぐれ』

丸谷才一/講談社文庫

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 丸谷才一はわたしにとつて(いやわたしひとりに限つた事でもなからうが)、先づ長篇小説家の印象があつて、批評家や随筆家の側面はその後に續いてゐる。かういふ見立ては本人にすると不本意だらうなとも思ふのだが、染み込んだ印象は今さら如何ともし難い。

 

 その印象のまま讀むと、何とも不思議な感覚にとらはれる。この文庫版(昭和五十三年發行)には四篇が収められてゐて、表題にもなつた“横しぐれ”は中篇小説と呼べるくらゐの長さでしかない。

 亡父の思ひ出話にあらはれた乞食坊主が、もしかすると種田山頭火だつたかも知れない。本当にさうだつたのか。さういふ疑問を抱いた中年の國文學者(専門は中世和歌)の獨白で話は進む。

 

 巧妙な仕掛けである。

 

 國文學者である以上、日本の短詩について、一定の鑑賞眼を持つてゐると考へられるし、中世が専門なのだから、近代の山頭火の事をよく知らなくても無理はない。その上文學の筋から興味を抱いても不自然にはならず、詰り思ひ出話の考證に到る流れに説得力がある。

 更に専門外の事を調べこんでゆく態度も精緻且つ實證的に感じられて、時々見落しがあるのも含め、學者とはかういふ生きものかと、無邪気に納得がゆく。この辺りは丸谷じしんの体験が大きく関つてゐるのだらう。かれは大學で教鞭を取つた事がある。専門は英文學だつたが、資料に当り、推測を立て、修正を重ね、結論に到らうとする過程は同じ骨組みだつた筈だし、王朝和歌を偏愛してもゐたから、書くのに苦痛は(少)なかつたらう。

 

 疑問…謎を立てて、それを解く、解かうとする筋立ては一体に丸谷が得意とする手法である。『女ざかり』では新聞社の女論説委員が突然に巻き込まれた左遷騒ぎが、『輝く日の宮』では源氏物語の幻の帖がそこに据ゑられてゐる。探偵小説のやうに。尤も丸谷は解を重視しない。いや重視しないのではなく、解の提示が小説の終り…クライマックスとは限らないと云ふ方が正確か。この中篇小説でも、國文學者の父は本当に山頭火と出会つたのかどうかより、その鍵になる“横しぐれ”といふ言葉が持つ

 

 (宮廷和歌の)正統思想、古典趣味、保守主義と決定的に対立する何か直接的なもの、露骨なもの、粗野なもの

 

またそれは

 

 確かに比類なく美しい言葉だし、一見それだけで一篇の詩を(沈黙の詩を)形づくりさうに見えるけれども、それだけではつひに詩ではなく、詩の破片にすぎなかつた

 

事に我われは驚かされ(その過程は時に躓き、混乱もする。それは語り手の躓きや混乱でもあるのだが、我われの思考もまたそんなものではないか)、山頭火も亡父もその友人である黒川先生も、暫し頭の隅に追ひやられる。丸谷が仕組んだ謎は、父の過去だけでなく、文學的な疑念でもあつて、両者は絡みあひ、讀者を戸惑はせ…詰り讀書の愉しみといふ時間を提供する。

 尤も後年の長篇小説を再讀三讀した後だから云へるのでもあるが、構成は力強さが足りないし、生硬な書き方(ことに山頭火の分析に熱中する場面は、改行や言葉遣ひが、寧ろ評論に近しい)も散見される。率直なところ、面白いけれども未完成と云はざるを得ない。急いで念を押すと、その未完成は、強靭な構成と豊かな謎、数々の冗談とゴシップで花やかに彩られた長篇に繋がつてゆく。本人の意識にあつたかどうかは別として、この中々讀ませる小説は、來るべき世界の設計図の役割も果してゐた。

 

 余談ひとつ。

 巻末の年譜によると丸谷は大正十五年生れ。昭和と年齢が一致するひとであつた。發表は昭和四十九年の『群像』誌七月號だから、当時四十九歳といふ事になる。今のわたしより年少だつたのには一驚を喫した。