閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

131 留意点

 小學生の土曜日は午前中に授業があつて、帰宅してから吉本新喜劇だつたかルパン三世の再放送だつたかを観ながらお午ごはんを食べた。平日の給食は食パンかコッペパンだつたから、お晝にお米を食べるのは週末に限られてゐて、かう云ふと時代だなあと思ふでせう。わたしも書きながら、時代だなあと思つてゐる。大体は饂飩やおにぎりで、稀に外食だつた記憶がある。外の家がどうだつたかは知らないし、興味も湧かなかつた。まだ世界が自宅と教室と、家の近所の遊び場だけだつたから仕方がない。

 さてその週末のお午の偶と稀の間を埋めたのが炒飯で、家では焼きめしと呼んでゐた。入るのは玉子に葱に、後はハムの切れ端程度で、味つけは塩胡椒。祖父母と同居してゐた為、ごはんの炊き方はやはらかめだつたから、炒めるといふより、火を通すくらゐではなかつたかと思ふ。塩胡椒も薄めだつた筈で、れんげからウスターソースを垂らしつつ食べた。焼きめしにウスターソースねえと呆れられる可能性は認めるが、それが少年のわたしにとつては焼きめしだつたし、あの焼きめしは確かに旨かつた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも少年少女の頃の、さういふ味がきつとあるにちがひない。

 ここで思ひ出すと不思議なのは、稀の外食で炒飯を食べることもあつて、それは焼きめしと呼ばなかつたし、ウスターソースを垂らしもしなかつた。してみると少年丸太は家の焼きめしと、外の炒飯を、異なる食べものと認識してゐた可能性がある。炒飯は焼きめしと違つて、ぱらぱらしてゐたからか、味つけが濃かつたからか、刻んだ煮豚が入つてゐたからか、ソップが添へられてゐたからか、単に家で食べるのが焼きめしで、外では炒飯だつたのか、今となつては曖昧である。寫眞の一枚も残つてゐれば、確かめられるのに、残念でならない。いや待てよ。十年余り前、その店はあつて

「ここで四十年、商ひをしてゐます」

といふ話をその時に聞いたから、幸運に恵まれれば、その機会を得ることが出來るかも知れない。

 ところで焼きめしを作るのはそれほど六づかしくはない…理窟の上では。

 ごはんを強い火で一ぺんに炒めあげる。煎じ詰るとこれだけなのだから、たれだつて出來る。ここで云ふ“たれだつて”はわたしも含んでゐて、何べんか、或は何べんも作つた。併し成功したためしがなくて、この場合の成功は週末の焼きめしだつたり、稀な外食の炒飯だつたりするのだが、正確に一度もうまくいつたことがない。温かいごはんで、冷めしで、ごはんを炒めたところに玉子を入れて、玉子を先に炒めて、予め溶き卵を混ぜて、どうやつても失敗する。食べられないほど不味くはならない(自炊をして食べられないくらゐの失敗をしなかつたわけではない)としても、これを食べたかつたと思へる仕上げにはならず、どんな事情が隠されてゐるのか。

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 勿論そこに記憶の補正があるのは認めませう。ただ少年少女の頃の味に、さういふ補正が掛からないのは寧ろ不自然でもある。なので何年か、難十年か振りに同じものを食べても、大体はこんな感じだつたけれど、何かしらちがふと感じるは当然で、その点から云へば焼きめしの再現が六づかしいのも筋が通る。通りはするが、それでも記憶と實際の乖離が大きすぎる。矢張り不思議であつて、ひよつとしてこれは、自分で作つてゐるからだらうか。思ひ返すと確かに焼きめし乃至炒飯はわたしにとつて

「たれかが用意してくれる」

うまい食べものであつた。外で食べる炒飯をまづいと思つた記憶がないのは、その間接的な證拠になるかも知れない。だから今は自分で焼きめしを作るのは諦めて、時々炒飯を食べるとしてゐる。

 併しその時々のさらに時々、焼きめしの習慣が顔を出しさうになるのはこまる。詰りれんげ経由でちよいと垂らしたくなる。流石にウスターソースは我慢出來るが、酢と醤油、(あれば)すりおろしの大蒜をれんげでブレンドして、端つこに少しづつ垂らすのが“辛抱堪らん”ことがある。お行儀の惡いのは承知しつつ、安ラーメン屋の炒飯でやらかすと、妙に旨い場合があるのでなほ困る。ここで我われはふたつ、注意を忘れてはならない。第一に垂らす時は必ず、れんげを経由させること。もつと大事なのは、その必要がない炒飯では、さういふ眞似をしないこと。さう考へると、格段の留意が要らない焼きめしは、中々大した食べものではないだらうかと云ひたくなつてくる。

130 とりとめのないカメラなどの話(その5 終)

 永井荷風の『断腸亭日乗』に、ローライの寫眞機を買つて、現像と焼付けを試したといふくだりがある。そこで荷風が手に入れたローライは何だつたのか。そこを改めて讀んでも、どの機種を手に入れたのかはまつたく判らない。この当時のローライは、オリジナル、スタンダードを経て、ローライコードのⅠ型及びⅡ型が現役だつた。さうさう、昭和11年は西暦になほすと1936年。寫眞機に寄せて云へば、リコーとコニカが設立された年。荷風に寄せれば阿部定事件の年でもある。併しそんなことはどうでもいいと云へば、どうでもいい興味であらう。寧ろあの爺さんのことだから、きつといかがはしい場所に潜り込んで、けしからぬ寫眞を撮つたに相違ない。その辺りのやりとりは気になる。それに下駄履き和装の荷風が、覚束無い手つきでローライを弄る様は、割りと容易に想像出來る。もてただらうな。併し荷風がどんな寫眞を撮つたのか、わたしはまつたく知らない。詰らなかつたのではないかと思へるし、さうだつたとしてもそれは、荷風の不名誉には当らない。かれは文學者だもの。寫眞家の文章が詰らなくても気にならないのと同じである…寫眞家がそれで口を糊してゐない限りは、だけれども。

 有り体に云つて、寫眞家の文章はおそろしく下手糞である。稀に巧いことを云ふなあと思ふこともなくはないが、稀なので例外と考へてよく、あれで原稿料といふのか、さういふ報酬が發生するのは羨ましいと思へなくもない。かう云ふと、寫眞家の文章の背後には、宣伝の要素があるのだから、そこはお平らにと云ふひとが出てくる可能性はあつても、宣伝の要素がない文章…たとへば所謂クラッシックなカメラやレンズの話…でも矢張りその文章は劣惡だから、その弁護は成り立たないと切返しておかう。とは云ふものの、別の方向からの弁護は不可能ではない。漠然とした云ひ方になるが、頭の中にあるイメージを、外にどう示すかのちがひで、大雑把に字型と画型に分けられ、更にそれらは

①頭の中 字>頭の外 字

②頭の中 字>頭の外 画

③頭の中 画>頭の外 字

④頭の中 画>頭の外 画

ざつと上の組合せで整理出來る。寫眞家は明らかに④ですな。荷風はおそらく③、序でにわたしは①だらうなと思ふ。かう考へれば、寫眞家の文章が下手糞であつても、何とか我慢してあげてもよささうな気分になれなくもない。

 それた話はこの辺りとして、カメラの具体的な機種が、カメラや寫眞と直接に関係しないところで示されたのは、どの程度あるのか知ら。直ぐに思ひ浮ぶのは、内田百閒の随筆と高村薫の小説でライカの名前がちらりと出たのと、クリント・イーストウッドメリル・ストリープのメロウ・ドラマにニコンがあしらはれた(アメリカのニコンが協力したさうだが)くらゐで、ローライもハッセルブラッドもリンホフもジナーとディアドルフもスピードグラフィックも記憶にない。いやもしかしてブライアン・デ・パルマ版の『アンタッチャブル』で、ケヴィン・コスナー演じるエリオット・ネスの失態を撮つたのがスピードグラフィックだつたかも知れない。念の為に云ふと、スピグラと略されもするこのカメラは、シート式のフヰルムを使ふ機種で、今の目で見るとその大きさは、威容と呼びたくなつてくる。これを手持ちで取材に用ゐたのだから、当時のカメラマンはタフだつたのだな。参考までに云ふと、スピグラ全盛期はローライの伸長期、ライカの勃興期とほぼ重なつてゐる。報道で使はれたカメラの変遷を俯瞰で見れば、一ばん面白い時期だつたのではなからうか。

 さてここで再び荷風に登場を願ふと、かれがローライを購入した当時、既にライカはあつた。詰り比較や撰択の対象にライカがあつても不思議ではなかつたと思はれるのに、何故ローライだつたのだらう。『断腸亭日乗』によるとその価格は400円。ここで佐貫亦男の『ドイツカメラの本』を参照すると、同時期のライカⅢaはエルマー50ミリ付で660円、年収の大体半分だつたとある。佐貫青年と老作家の収入を同一視するわけにはゆかないとして、またローライも決して廉価ではなかつたとして、260円の価格差は無視しにくかつたらう。因みに云ふ。今のサラリーマンの年収は平均で400万円強ださうで、単純に考へれば、昭和前期のローライやライカは150万円から200万円前後…今で云ふとライカM10にアポズミクロン50ミリか、ニコンD5に所謂“大三元”ズームをニコンダイレクトで購入するくらゐの値段だつた。年収との比率で推測すると、えらい高額に感じられるが、現行の機種に当て嵌めた途端、成る程その辺のところかと思へるのは、たちの惡い錯覚だらうね。

 そこで仮に篤志家から、200万円分のカメラとレンズを提供しませうと申し出があつたとする。フヰルムでもデジタルでもかまはない。但し自分が持つてゐる機材は一旦すべて処分する…詰りゼロからの再構築が條件として、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はその申し出を諾けるだらうか。わたしなら諾ける。先づフヰルム式はごく初期、製造番号が117万番台のライカM4に同時期のズミクロン50ミリで。これには“生れ年ライカ”以上の理由はない。同年發賣で云へばローライ35の初代機やニコマートFTn、オリンパスペンEED、ミノルタSR‐1sがあるけれど、これはまあ自分への参考程度。さてデジタルになると、こつちはかなり六づかしい。遊びの要素を重く見れば、ソニーのα7系だらうか。併し(多少は見馴れたが)あの不恰好な姿にいつまで我慢出來るのか、とても自信が持てない。ありふれたデジタル一眼(レフ)とコンパクトな機種を組合せる方が確實な気もする。フラグシップや大口径レンズには大して興味が(序でに使ひこなす自信も)ないから、折角の申し出も、随分と余らせて仕舞ひさうである。無慾といふより、貧が身に付きすぎた結果と云ひたくなるが、併しこれは勝手な妄想であつた。どうせとりとめのない話なら、コマーシャル・エクターとかオリジナルのノクトンとか、挙げればよかつたと思つたが、今となつてはもう遅い。

129 とりとめのないカメラなどの話(その4)

 食事の時に食べものや飲みものの寫眞を撮るのが習慣になつたのはデジタルカメラ…正確にはカメラ機能を搭載した携帯電話の常用に伴つてのことで、馴染んだ頃にそれをフードポルノと呼ぶのだといふ批判的な言を耳にした。今でも使はれてゐるのかどうかは知らないが、初めて聞いた時はその意味より、いちいちカタカナに変換したことへの莫迦ばかしさが先立つて、何とかハラスメントと同じ構図だなこれはと感じたのは忘れない。莫迦ばかしいのは兎も角、併しお行儀が惡いのは確かである。旨さうなお皿、お椀、お鉢が出されたら、やあ旨さうだとお箸でも匙でものばすのが、食べものと食べものを用意してくれたひとへの礼儀だと云はれたら、こちらに反論の余地はない。

 反論の余地がないなら止めにすればいいではないのといふ指摘もまた正しいのだが、それでも止めないのはポルノ愛好家だからではなく、いや別のポルノは愛好したいところとして、食べもの相手の場合、寫眞(デジタルカメラの場合だと画像と呼びたいのだが)は記憶の補助の役割がある。冒頭の習慣を補足すると、どこで何を食べたかを手帖に残すのが本來の目的で、そんなの覚えられるでせうと考へるのは脳味噌が若い証拠である。こちとら老人なのだから、外部に記憶装置を準備しなくちやあ、ぽろぽろ忘れるのよ。それにわたしのの場合、後でざつと判れば目的は達するので、露光も構図もピントもいい加減でかまはない。撮るのは精々1枚か2枚だし…おつと、少し昂奮しましたね。落ち着いて進めませう、落ち着いて。

 そこで話はフード・ポルノグラフ(アンダグラウンドの藝術つぽい響きですな。荒木某辺りが好みさうな予感がする)用途のカメラになる。スマートフォンや携帯電話はかういふ時に便利である。そこは認めるのに吝かではない。ただあれはあくまでもカメラの“機能”で、この“とりとめない話”では些か取り上げにくい。気分の問題と云へばその通りだが、その気分も含めて“とりとめない話”だから、そこはその漠然…気分を優先する。ささやかな経験で云ふと、単焦点で近接撮影に強いコンパクトなデジタルカメラが使ひ易い。素早い記録、訂正、記憶の補助が目的なので、迷ひの種になるズームは不要。フラッシュは使はず、シャッター音は消しておく。液晶画面がチルト式なら好都合。更に小さなテーブルポッドをつけておくと、便利の度合ひが高くなるし、これなら卓子の隅に置いても、そこまで不自然にはならないと思ふ。

 では實際問題、そんなカメラがあるのかと考へるのは当然の疑問で、身も蓋もなく云ふと、現行機種には無い。わたしの知る範囲で単焦点を採用したコンパクトなデジタルカメラを出してゐるのは、リコーと富士フイルム、それからシグマくらゐ(但しシグマはコンパクトとはかけ離れたスタイルを採用してゐるから、省いてもいい。他にライカにもあつたかな)で、どれもAPSフォーマットなのが気に入らない。何が気に入らないのかと疑念を呈するひとが出るだらうか。旧來の機種に較べて、ぼけを樂しめるし、いい寫眞が撮り易いだらうにと。そこで

 ・先づフォーマットの大きさとカメラそれ自体の大きさは正確に比例する。町中でスナップでもするなら兎も角、食べものの並んだ卓子の端に置くなら、小さいのが必須の條件だと云へる。

 ・またこの場合、ぼけは要らない。わたしの好みでもあるのは認めるとして、寧ろ隅つこまできりきり寫つてもらひたい。その方が記憶の補助としても有用なんである。

 ・序でに、フォーマットの大きさと寫眞の良し惡しに関係はまつたくない。ミノックスでも優れた寫眞はあるし、4×5判だつて駄目寫眞はある。デジタルカメラだから、それは当て嵌らないと云ふのは莫迦げてゐる。

と、ささやかに異論を呈しておかう。そしてその意味…といふより、わたしの目的から云ふと、撮像素子が1インチ未満のデジタルカメラには残つてもらひたかつた。

 ここでやつと具体的な機種を挙げると、リコーのGRデジタル(のシリーズ)はかなり、理想に近かつた。レンズのバリアが内蔵式で、同社製GX200のやうな外付けEVFがないこと、序でに液晶画面がチルト式でないのが、まあ不満と云へば不満だつたが、小さく軽く、近接撮影に強く、いざとなれば乾電池も使へる。それに割りと細かく設定を弄れ、それを直ぐに使へる点も中々によかつた。このⅡ型はある期間、熱心に使つてゐたのだが、ある時突然に飽きて手放した。失敗だつたなあ。改めて買はうかどうか、迷つてゐるうちに、GRデジタルはデジタル抜きのGRになつて、然もそこでAPSフォーマットにもなつて仕舞つた。僅かに大きくはなつても、GRデジタルと同じ形状や操作箇所はほぼ同じで、ここから少しややこしくなるが、それは誤りだつたと思ふ。

 原則的に云へば、同じ銘のカメラは、形状や操作系を保持するのが好もしく、また望ましい。併しきはめて似てゐて、ほんの少し大きな筐体に、元の操作系をそのまま配置すると、大きくなつた分が間延びに感じられる。リコーがGRの設計で、インタフェイス(物理的なボタン類だけでなく、そこに割り振る機能やその名称も含めて)を出來る限り崩さないと判断したのは、その意味で正しかつた。但しそこで、視覚的なバランスの崩れに注意が向かなかつた(或は気がつきつつ、これでよいと考へた)のは、GRデジタルユーザの視覚の馴れに対して行き届きが不足してゐたし、その点をわたしは惜しむ。

 だつたら何を撰ぶのがいいのか。現行機種に無いのは既に述べた。撮像素子の大きさ、詰り本体の大きさに目を瞑れば、富士フイルムのX70は候補に挙げていいが、スマートさに欠けるので、フード・ポルノグラフには似合はない。散々批判した後でGRⅡ(これは現行機である)は撰びにくく、さうなると残る方法は、遡つてGRデジタルⅣを探すくらゐだらうか。本心を云へば、リコーにGRデジタルⅤを出してもらひたいのだが、それは無理がありすぎる。さうだ、ペンタックス銘なら近年にQといふ實績があるから、そちらに期待するのはどうだらう。作り込んだ玩具の位置づけだつたら、案外うけさうに思はれる。

128 とりとめのないカメラなどの話(その3)

 ハッセルブラッドスウェーデンのカメラで、ツァイスはドイツのレンズで、スウェーデンとドイツが仲良しなのかどうかはよく知らないが、この組合せは凄い。ことに503SWといふボディにビオゴン38ミリレンズの組合せは凄い。ハッセルブラッドはブローニー判の6×6センチ・フォーマットを採用してゐて、このフォーマットでの38ミリはライカ判…詰り35ミリ・フォーマットで大体21ミリ相当の画角になるらしい。いはゆる“超広角”レンズ。ライカ判で同じ画角の有名なレンズ銘を挙げると、スーパーアングロンやエルマリートだらうか。外の銘が直ぐに出てこないのは、これくらゐの画角になると、今もどこか、特殊レンズの趣きが残つてゐるからではないかと思ふ。…ああさうだつた。とりとめないと云つても、503SWとビオゴン38ミリの組合せの何が凄いのかは、触れておかなくてはならないですな。簡単に云へば描寫がけたはづれに凄い。以前、あるひとに、これで撮つた現代建築(だと思ふ)の寫眞を見せてもらつたことがある。寫眞自体は詰らない出來だつたが、(超)広角レンズが避けて通れない筈の周辺の歪曲や、光量不足が微塵もなくて、世の中には化物レンズがあるものだと呆れたのは忘れ難い。

 それでレンズの描寫にそれほど興味を感じないわたしを驚かせたのだから、ツァイスは凄いといふことになつた。

 慌てて云ふと、本当のところ、かういふ感想はをかしいんです。寫眞はレンズで決まると断じたツァイスや、何故ならレンズがとてもいいからと胸を張つたフォクトレンダーには申し訳ないが、寫眞はレンズでどうかうなるものではない。わたしが使ふノクチルックスと、植田正治が使ふタムロンの安ズームレンズのどちらが、寫眞に近いだらうか。想像力を働かす時間も勿体無いでせう。ただそれにも関はらず、素人目にも兎に角凄いと感じられるレンズがあるのもまた事實で、これも見せてもらつた寫眞の記憶を云ふと、11×14インチの密着プリントにも度胆を抜かれた。大判カメラにフヰルムパックひとつ(撮れるのは2枚)で撮つたもので、その2枚の為に1年くらゐ費やした…同じ場所を何度も訪れ、時節と時間をずらして何枚も撮り、最良のタイミングを確かめたのだとか…さうだ。相当に絞りこんだのだらう、隅々までシャープな寫りで、呆れて仕舞つたのを覚えてゐる。ただまあ大聲では云ひにくいが、寫眞としての印象は残つてゐないから、大した出來ではなかつたのだらうな。もしかして大判の密着に圧倒されただけなのかも知れない。

 だつたら化物レンズは503SWのビオゴンだけなのかといふ話になるが、もうひとつ、京セラコンタックス用の50ミリ・プラナーがあつたのを覚えてゐる。これは自分で使つた。コンタックスRXと一緒に買つたもので、使ひはしたが、使ひこなせないまま手放した。但し嵌つた時の寫りは、おれも上達したのかと勘違ひ出來るほどで、眞夏の晝間に祇園で撮つた。コダック富士フイルムか曖昧だけれど、使つたフヰルムはモノクローム。炎天下の白壁と日除けの蔭が、プリントで滑らかなグラデイションになつてゐたのには本当にびつくりした。云つておくがそれは、L判くらゐのサイズであつて、普通はその程度の大きさで、レンズの特徴といふか、さういつたところは判らない。スマートフォンやパーソナル・コンピュータのディスプレイと同じである。それが記憶に残るほどはつきり判つた(その記憶に補正が掛つてゐる可能性は否定しない)のだから、矢張りツァイスは凄いのだと云ひたくなつてくる。かういふのも矛盾と呼んでいいのか知ら。

 併しレンズにまつはる思ひ出なら、どこでたれと撮つたか、と混ざつてゐるのが本道と思へて、その意味では、ここで再びタムロンに登場願ふと28‐200ミリがそれに相応しい。改良を重ねた何世代かがある中、ここで云ふのは初代である。その前にキヤノンが出した35‐350ミリといふ高倍率のズームレンズはあつたが、そちらは特殊レンズの趣きが濃厚だつたのに対し、タムロンは我われが買へる程度の値段だつたのは大したもので、技術の見せびらかしに留まらなかつた證と云へる。これはきつと便利だと思つて買つた。何に便利だと云へば、デートに便利…レンズ交換の手間を省けると思つたので、レンズでもカメラでもかういふ“正しい動機”で買つた例は、ひよつとするとこの1本だけかも知れない。ただ率直なところ、感心は出來なかつた。寫りが並みなのはいいとして、ズームの全域で2.1メートルまでしか寄れないのは、使ひ道が随分限られたと思ふ。

 とは云へ何で目にしたか記憶は曖昧だが、タムロンもその難点は最初から把握してゐた。解消は不可能ではないとして、当時の技術で対応するとレンズが大きくなる。持ち歩きに不便のないサイズ(セブンスターの箱を円筒形にしたくらゐ、を考へてゐたといふ)と最短撮影距離を天秤で秤り、後者を撰んだタムロンは賢明だつたし、えらくもあつた。かういふレンズだつて、あるのだぞ。といふ点で、美事なブレイクスルーだつたと思ふ。寄れないのは困つた…この問題は後發のシグマが先に手をつけ、そこから小型化と共に競争が始つた。何事にもライバルは必要といふ好例であらう…と云つても、寄る必要のない場合には實に便利でもあつた。その場合、たつたひとつの不満は、フードが浅い上にしよぼくれ(当時のタムロンにはその傾向が強かつた)た出來で、その頃も今も、如何なものだつたかと思ふ。

 さういふ不満を感じながら、それでもこのレンズをデートで活躍させたのもまた事實。ひよつとすると、京セラのSAMURAIに固定されたズームレンズと並んで(こちらは数を撮れる利点の方が大きかつたけれど)、便利に使つたかも知れない。撮つた寫眞は次のデートでプリントを見せ、何枚かをプレゼントするのが約束事だつた。単純で無邪気と云へばそれまでだけれど、惡い意味の理窟が身につかない時の撮影でもあつて、その感覚はもう残つてゐない。あの頃の膨大な寫眞はどこにいつたのか。

127 とりとめのないカメラなどの話(その2)

 稀に綺麗だなと思へるカメラがある。恰好いいのとはちがつてゐて、たとへばオリンパスのOM‐1は綺麗だと思ふが、恰好いいとは云ひにくい。その逆がニコンのF3で、何がどうちがふのか。両者を較べると、必要な部品が、必要な場所に、使ひ易く配置されてゐるのは共通してゐる。当り前と云ふのはいけない。どこの何と名指しするまでもなく、現代のデジタルカメラは残らず、ここが致命的に駄目だから、綺麗でなければ恰好よくもない。そんなことを云つても、デジタルカメラには多くの機能が載せられてゐるのだから、OM‐1やF3のやうに纏めるのは無理だと反論するひとがゐれば、そこを纏めるのがデザイナーの仕事だし、それらの機能を載せなくてはならないのかと考へるのは設計の仕事だと反論しておかう。

 そこで綺麗なOM‐1と恰好いいF3に戻ると、決定的に異なるのは大きさだと気がつく。有り体に云へば前者には後者…正確には先代のF2への批判が濃厚にあつた。わたしの勝手な妄想ではないよ。米谷美久(おそらく日本のカメラ史上最も高名なオリンパスの技術者)が、OM‐1の企画時に、“大きく重く煩い”ことを“一眼レフの三惡”と断じたのは有明でせう。凄い断定ですね。先行の一眼レフを丸ごと否定してゐるし、米谷の頭の中ではF2がその先行カメラ群の代表だつたのではないか。ライカⅢfと近いサイズ(後年かれは“成るべくして成つ”たと云つてゐる)に、大振りな操作部位とマウント(たれだつたか、本体に対して不釣合ひなその大きさを、“口の大きな美人が笑つた”やうなと譬へてゐた。カメラ絡みの文章でも、偶には気の利いた一節があるものだ)を配置すると、内部の構造も含めて、それらは合理的で必然的にならざるを得ず、その総体が綺麗といふ印象に繋がるのは、得心のゆくところである。

 ではF3にその印象が薄いのは、合理性と必然性の問題なのかと云へば、必ずしもさうとは云ひにくい。但しニコンの場合、自他を問はず、外のカメラ群への疑念や批判はなかつた。正確にはその必要がなかつた。これはF3の責任ではなく、そこに求められてゐたものが、OM‐1とちがつてゐた…先行のFとF2が確立した、“本邦カメラの最高峰”の後継機…からに過ぎず、米谷の云ふ三惡にかまつてはゐられなかつた。報道の現場であれ、極地行であれ、宇宙であれ、安定して動作し、故障をしないこと。F3に求められた要件は先づこれで、もうひとつは、それまでのレンズを活かせることであつた。設計者個人の“カメラはかうあるべし”ではなく、内外の要求…それも相当に高度な…が實際の姿になつた時、それが綺麗より強く、恰好よさを感じさせたとして、何の不思議があるだらうか。これは良し惡しではなく、ちがひの話。

 さう。その違ひでもうひとつ、思ひ出した。OM‐1はゼロから考へたのが幸ひだつた。詰りレンズや諸々のアクセサリも含めたスタイリングが出來てゐて、OMのどの世代のボディに、どの世代のレンズをつけても不自然でないのは特筆に値する。かういふ一体感のあるカメラは、意外なほどに少なくて、詰り米谷を中心にしたOM‐1とそのシステムの設計…敢てきらひな言葉を使へばコンセプト…が正しかつたことが、間接的に證明されてゐる。ここでライカを持ち出すと、ボディとレンズとアクセサリを全体としてとらへることに気がついたのは、早くてⅢcからⅢf、もしかするとM3に到つてやつとではないかと思へる。尤もこれはライカがやうやく完成したのがその辺りだつたからで、別に不名誉ではないと念押しは必要だらう。後は辛うじて京セラコンタックスが近いかも知れない。ただあれには、レンズのもの凄い描寫と兎に角高額な印象の方が先に立つて、正直なところ、評価はしにくい。

 ここまで書くと、OM‐1以外に“システムとして整つ”た、“綺麗な”カメラはないのだらうかと疑問が湧いてきて、わたしの知る限りひとつある。さう云つてから、ニコンEMの名前を出すと、さてたれが怒りだすか知ら。併しわたしは本気なので、これはF3同様、ジウジアーロ・デザイン。但しスタイリングとしてはF3を凌ぐのではないかと思つてゐる。これはペンタックスMEに端を發する、小振りな絞り優先自動露光専用機の流行に乗つた機種ではあるが、専用のフラッシュ(SB‐E)とモータードライヴ(MD‐E)、そしてFマウントを採用しつつ、ボディにあはせたシリーズEレンズを用意した点は、他社との違ひを強調しただけでなく、ニコン史上を見渡しても異色であつた。かう云ふとニコノスはどうだと訊かれるかも知れないが、水中用途といふ特殊な目的に特化したニコノスと、普通…といふよりニコンには珍しい大衆カメラであるEMを同列に論じるのは無理がある。

 そのEMがF3を凌ぐスタイリングではと考へるのは、フラッシュとモータードライヴ、シリーズEレンズをつけた姿がコンパクトな纏まりを見せるからである。特にアクセサリ・シューをペンタプリズム部に収めた点はまつたく巧妙で、インダストリアル・デザインの気配りはこれだといふ見本(同時期のペンタックスMEはこの点が及ばない)と云つてもいい。因みに云ふ。OM‐1でもF3でもアクセサリ・シューは無いのが基本で、必要に応じて取りつける。その考へはいいのだが、いざ取りつけると、見た目が惡い方向に激変する。一眼レフにアクセサリ・シューは必要かといふ疑問はまあ、認めるとして、それを求められた時の優れた解だともまた、認めていいでせう。ただ残念なことにこのEM、今から手に入れようとしても、調子のいい個体に巡りあへる可能性が絶望的に低い。なのでこの数年、機会があればニコンに関係のある某氏に、このままデジタル一眼レフで出し玉へと云つてゐるのだが、今のところ、實現する見込みはない。

126 とりとめのないカメラなどの話(その1)

 最初からとりとめないと決めてゐて、さうだから頭も尻尾もない。かう云ふと、[閑文字手帖]にこれまでとりとめがあつたのかと冷静に指摘されさうだが、結果的にとりとめなくなつたのと、そこを考へないのはちがふのですよと、ここでは居直つておく。確實なのは、眞面目な寫眞論は出てこないだらうことで、それはわたしの手に余る。それで先づこれまで持つたことのあるカメラ(これは自分で買つたといふ意味)を思ひ出した順に挙げてゆく。

 キヤノンではEOS1000、同100、同RTに同5、同kiss、AV‐1、それからP、L1も買つたかも知れず、記憶にある限り、この会社のデジタルカメラは買つてゐない。

 ニコンはF3、F4にF2、それからF‐601にF‐301、EM、FE、FM10、ニコンミニことAF600QD、28Tiがフヰルム。デジタルカメラCOOLPIX銘で型番を忘れたスイバル式の機種に同P60、同P3000、同S640か。

 オリンパスはμにペンS(F2.8の方)とペンFがフヰルム、E‐410とペンミニE-PM1がデジタル。

 コニカは型番を忘れた一眼レフとヘキサー。

 ミノルタはα7700iと同SweetⅡの2機種。

 富士フイルムはTIARAのみだつたと思ふ。

 京セラはSAMURAI Z2とコンタックスの167MTにRX、ariaで全部フヰルム式。

 ペンタックスはK2DMDとSP、Z70は最初から具合が惡くて直ぐ返品した。

 リコーだとXR‐8、同7MKⅡ、同10M、同500オート、GR1v、R‐1がフヰルム。CX5とGRデジタルⅡ、GX200をデジタルで使つた。

 コシナはフヰルム式のみで、ベッサL、同R、同Tの3機種。

 ソニーサイバーショットのU20と、型番を忘れた板みたいな形の2機種。コニカミノルタのカメラ部門を吸収してからは手を出してゐない。

 パナソニックはGF1のみで、何故だかカシオは買つてゐない。

 外に何があつたらう。ドイツ・コダックのレチナⅢc(小窓)、ライカⅢa、同Ⅲc(シャークスキン)、同M3、同M6、ライカR4も買つた記憶がある。ライカフレックスSLはどうだつたか曖昧だが、ライツ・ミノルタCLには間違ひなく手を出した。ソ連のフェド2やゾルキー4も買つてみた筈だ。

 かう書き出して、我が眞面目なる讀者諸嬢諸氏から、何て無節操なと呆れられ、或は叱られるかも知れないと不安になつた。併し不安になりはしたが、實のところ、必ずしも無節操ではない。

 先づ買つたカメラは新品でなければ、すべて動く個体であつた。

 また中古品に手を出す場合は、自分で扱へる機種に限つた。

 だから手に負へないのが明らかなブローニー判(ハッセルブラッドやローライ)や大判(リンホフやジナー、遡つてディアドルフやスピードグラフィック)、或はミノックスや110判、APS判には一切手を出してゐない。わたしはこれでも志操堅固なのである。…と胸を張つてから小聲でつけ加へるのだが、上に挙げたカメラで眞面目に使つたのが何台あるのかと云ふと、頭を掻いて誤魔化さざるを得ない。見た目がいいからといふ理由ならまだしも、兎に角何か慾しい気分だけで買つた機種も幾つかあつて、今となつては惡いことをしたなあと反省してゐます。

 ただ不思議なことに、ちやんと使はなかつた(従つてさつさと手放した)カメラでも何となく、印象が残つてゐる機種もある。後悔といふか、失敗の気分ゆゑなのかどうか、はつきりしない。その連想なのか、上の中でたつた1台、ニコンFEだけは自分の不注意で壊したことを思ひ出した。首から下げてゐる積りで立つたら、そのまま水溜りに落ちたのだ。弁解の余地のない失敗で、悔しかつたなあ。それ以來カメラはしつかり下げるか、鞄に入れるかの習慣が身についた。わたしだつて偶には過去から學ぶのだが、胸を張れる話でもない。

 思ひ出し序でにもうひとつ書いて、今回は終りにすると、レチナⅢcを挙げておきたい。どんなカメラだつたか、詳しいことを知りたければ、詳しいひとが書いてゐるだらうから、そちらを見てもらひたい。初めて買つた所謂クラシックカメラがこれだつた。大坂の某カメラ屋で、何となく手に入れた。この場合の何となくは重要で、何故かと云へばその頃のわたしは、今よりもカメラの知識の持合せがなかつたからで、無知のままで買つたのは、そのスタイリングに惹かれたからである。前蓋を横に開けると、蛇腹のレンズが飛び出てきて、併しその蛇腹が金属(確かアルミニウムだつたと思ふ)で覆はれてゐるのがよかつた。レンズを無限遠にしておかないと蓋が閉ぢないとか、フヰルムのカウンタをいい加減にしておくと巻き上げが出來なくなるとか、その巻き上げは“女の子の肌に触れるやうに(これは買つた店の店員が教へて呉れた)”扱はないといけないとか、操作は色々と面倒だつたが、古いカメラを弄る樂しみには、さういふ面倒も込みなのだと思へた。だから今も時折り、程度のいいレチナがあれば、慾しいなと考へることがある。

125 ポテトフライの謎の部分

 タランティーノの『パルプ・フィクション』の冒頭で、オランダ帰りのキザなヴィンセントが、マヌケ・アフロのジュールスに

アムステルダムぢやあ、フレンチ・フライに何を添へるか、知つてるか」

と訊く場面がある。ジュールスはアムステルダムでフレンチ・フライを食べたことがない。それでヴィンセントはキザな顔つきのまま

「マヨネィーズなんだぜ」

と續ける。聞かされたジュールスはうんざりだと、表情で応じる。それだけの場面。そこから何か始まるわけでなく、伏線でもなく、本当にただそれだけで、腹を立ててはいけない。『パルプ・フィクション』の科白は残らずかうであつて、我われはさういふ意味のない会話だけで映画を作つ(て仕舞つ)たタランティーノを、莫迦だねえと褒めてもいいし、莫迦だねえと呆れてもいい。

 さて。ここからタランティーノや映画や脚本を論じてもいいが、わたしの柄ではないし、どう論じたところで、関係無関係各所から猛烈な反論が出るのもまた明らかである。さういふ議論から逃げたいとは思はないが、さういふ議論は顔を突き合はし、飲みながらたたかはすのが最良の樂しみ方だとも思ふから、この稿では避ける。避ける代りにフレンチ・フライ…いやここからは馴染んだポテトフライと書く…を話題にする。これなら冒頭から話が逸れるわけでもなからうから、許してもらへるだらう。そこで先づ、馬鈴薯といふ言葉は何なのかと確かめてみた。湖池屋の解説

 

https://koikeya.co.jp/contact/faq/detail/00070.html

 

によると、見た目が馬につける鈴に似てゐたからだと説明されてゐる。参考までに薯はイモまたはヤマノイモの意。甘薯や仏掌薯(これはツクネイモと讀む)でも使はれてゐますな。上の解説を讀むと小野蘭山(十八世紀から十九世紀にかけての本草學者)が著した『耋筵小牘』で、“じやがいもは馬鈴薯のことである”と書いてから、さうなつたらしい。『耋筵小牘』は國会図書館のデジタルアーカイヴ

 

 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536033

 

でも見ることが出來るが、正直なところ、どこがどうなのか、よく判らなかつた。かういふ時に無知が曝け出されるのだな。原産はペルー。インカ人の主食でもあつて、どうやらスペイン人がヨーロッパに持ち込んだらしい。これが五百年から六百年くらゐ前。いつ頃から食用として重視されだしたかは判然としないが、十七世紀の中頃には、大々的な栽培がされてゐたさうだから、それ以前に栽培法は成り立つてゐたと考へていい。我が國への渡來は十六世紀末。尤も本格的に育てられだしたのは十八世紀以降のことで、米の穫れない土地の開拓が主眼だつたといふ。裏を返すと馬鈴薯は冷涼の荒地でも比較的育て易く、主食への転用もし易い利点があつて、ドイツやアイルランドで熱心に栽培されたのも頷ける。

 そこでポテトフライに目を向けると、發祥が曖昧なのは料理の常なので、全面的な信頼は置けないとしても、どうやら十七世紀後半のベルギーで生れたフリッツらしい。少なくともベルギー人はさう考へてゐるみたいで、ポテトフライの博物館

 

http://www.frietmuseum.be/en/index.htm

 

まであるから(URLから察するに“フリッツ・ミュージアム”と讀むのだらう)、眉唾ものとは呼びにくい。それにオランダ政府観光局とベルギー・フランダース政府観光局まで共同で“元祖フライドポテト、ベルギー・フリッツの楽しみ方”

 

https://www.hollandflanders.jp/markt/12889/

 

を紹介してゐるのを見ると、説得されてもいいかと思へてくる。そのフリッツは“ビーンチュというフライドポテトになるために生まれてきた最高のジャガイモ”を揚げ、少々の塩かマヨネィーズで食べるのださうだ。おや。といふことはキザなヴィンセントは、この正統的な歴史を知らなかつたらしいぞ。尤もわたしだつて、調べてみるまではヴィンセント同様、マヨネィーズがオーソドックスとは思はなかつた。塩でなければ、ケチャップが精々で、この辺りに限れば、わたしの舌の出來はアメリカ人とさして変らない。思ひ出すと、初めて食べたポテトフライは、ベルギーに関係のないマクドナルドのそれだつたからなあと、ここでは云ひわけしておかう。

 併しポテトフライをいつ、どう食べればいいのか。ベルギー人がフリッツを食べだした切つ掛けは不漁だつたさうだから、そもそもは明らかに主食扱ひだつたと思へる。だからと云つて我われがポテトフライを主食に出來るかと云へばそれは無理な相談で、どう考へたつて米には及ばない。さう断定出來るくらゐ、米に馴染みきつてゐるのだもの、当然の結論である。ではおかずになるかと云ふと、それも微妙であつて、お味噌汁の種だつたり、肉じやがだつたり、玉子焼きに混ぜ込んだりすれば旨いけれど、おかずの主役を張れるかどうかには疑問が残る。ましてフライだと、ベルギー人には申し訳ないが、最初に浮ぶのはハンバーガーやステイクの添へもので、玉葱のフライだつたとしても困惑はないだらうと思ふ。

 では仮にポテトフライをさあどうぞと差し出されたら、どうすればいいかといふ方向から考へると、先づコーラか麦酒が慾しくなる。どこでちがつてくるかと云へば、馬鈴薯の切り方で、細い棒状ならコーラ…マヌケ・アフロのジュールスに倣つて、スプライトでもいいか…で、櫛に切られてゐれば麦酒である。櫛切りポテトフライとあはせる麦酒はオリオンくらゐのかるさが好もしいが、この場合に限れば、バドワイザーでも許容範囲に入れていい。但しこれだと添へるのはアメリカ風の塩かケチャップになつて仕舞ふ。ビーンチュのフリッツにベルギー・ビアを組合せたら、マヨネィーズを添へて旨いのか知ら。何しろビーンチュ馬鈴薯は食べたことがないし、ベルギー・ビアには膨大な種類があるから、さつぱり判らない。口髭自慢のヘラクレスに因んだ名前を持つ名探偵が、この謎の部分について、調査の依頼を受けてゐるかどうか、確めてみなくちやあ。

124 決めかねる

 父方の祖母はわたしが生れた時から一緒で、亡くなるまでの間の四半世紀余り、いつもわたしを甘やかした。特別な贅沢をさせたのでなく、いつだつてわたしの味方だつたので、ただの一ぺんも叱られたことがない。父親の話を聞いても、しかられた記憶は一度(それも原因は小さな誤解)だといふから、たいへんなひとだつたのだと思ふ。愛情と云ふと、何か大袈裟で、勿体振つて、特別な印象に繋がりかねないけれど、さういふ大袈裟も勿体振りもないまま、幼いわたしは祖母の愛情を全身で受けたと断じるのに躊躇ひはない。

 たとへば俵型の小さなおにぎり。たいていは海苔巻きか、胡麻塩で、あんなに美味しいおにぎりは長く食べてゐない。

 或はおびいこ。縮緬山椒の一種だが、祖母は山椒をあく抜きせず、縮緬雑魚と一緒に醤油だけで焚きしめた。焚きたてのは口にひびく辛さで、あれに馴染んだわたしは、市販のそれを、甘つたるくて食べられない。困つたと云へば困つた話。

 中でも忘れ難いのはある眞夏の日に用意して呉れたお味噌汁で、そこには實がなにひとつなかつた。そのお鍋が冷蔵庫に入つてゐて、詰り冷たいお味噌汁。旨かつたのかどうか、残念ながら覚えてゐない。今のやうにお酒を飲まなかつたから、そこまで喜ばしくなかつたのだらうか。出來るなら、あのおにぎりとおびいこに、このお味噌汁を添へたのを、夏のお晝に食べたいものだ。

 どうもわたしはお味噌汁が好物らしい。云ふまでもないが、わたしの舌なんて大した出來ではないから、何で出汁を引き、何処の味噌で、實はこれでなくちやあなんて、ややこしいことは判らない。近年は即席の味噌汁がそこそこ旨いし、便利でもある(わたしは味噌煮擬きにも使ふ)から、自分で用意することもないが、別に六づかしい手順が要るわけではない。朝、鋏を入れた昆布か煮干しを鍋にはふり込んでおけば、夕方には出汁が取れる、後はそれを温めながら味噌を溶き、葱でも豆腐でも入れれば、一応は完成する。それでまづくもない。勿論これはわたしの技術ではなく、味噌それ自体が旨いから成り立つた結果なので、先人の偉大さに敬意を表さねばならぬ。

 さう云へば何年か前、上諏訪の味噌藏か、味噌藏を改装しためし屋で食べたお味噌汁は滅法うまかつた。その場の雰囲気といふか、味噌屋だものといふ思ひ込みがあつたかも知れないが、旨かつたのだから、そこは気にしない。確實なのは味噌も味噌汁も、水が佳くなければ話にならず、雰囲気や思ひ込みだけで、滅法旨いとは云へず、上諏訪人はたいへんに恵まれてゐるのに、疑念の余地は少なからう。但しだから祖母のお味噌汁が駄目だと断じて云へないのは当然で、たとへばこの藏の味噌で、祖母のお味噌汁を食べたいなとは思ふ。上諏訪で食べたそれより、断然旨いに決つてゐて、それ(こそ)がお味噌汁なんである。

 では祖母にお味噌汁を作つてもらふとして、實は何が嬉しいか。わたしは躊躇なく、卵と玉葱を撰ぶ。正確に云へば、溶き卵と玉葱の薄切り。これが旨い。思ひ切つて云へば、世界一うまい。卵の溶き方はざつくり…黄身と白身の区別が出來る程度。玉葱は歯触りが残るくらゐでいい。その玉葱の分、お味噌汁には微かな甘みが加はるのだが、それもまた旨い。一ばんうまいのは固まりきらない白身の部分で、これをくつたりした玉葱と一緒に、ごはんに乗せるのがいい。勿論最後はごはんに打掛ける。外に鰈の煮つけでもあれば、わたしにとつては大御馳走で、この組合せの場合、酒精は邪魔になる。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には不思議がられるかも知れないが、少年だつたわたしに馴染んだ献立てである以上、飲まないのが寧ろ当り前と云つていい。

 お味噌汁には外の實だつて似合ふのは知つてゐる。豆腐に若布、油揚げ、長葱。眉をひそめられるかも知れないが、レタスも食べる直前にさつと火を通す程度にすれば中々いけるし、素麺を入れるのも旨い。もつと幅を取れば豚汁やある種のお雑煮も味噌汁の一派と見立てることも…いや、わたしはそちらに与しない。豚汁やある種のお雑煮は味噌炊きに近く、それが旨いのは云ふまでもないとしても、おつゆを食べるお味噌汁とは、趣が異なる。豚汁に玉子と玉葱を入れるとして、断然茹で玉子と大きな櫛切りの玉葱となるだらう。

 その豪快または奔放が豚汁の魅力なのは確かとして、伊豫人に嫁いだ明治の大坂娘が、その豪放を理解出來なかつたとしても不思議ではない。祖母はあくまでも大坂…広く考へても、瀬戸内の文化圏に属してゐて、骨付きの豚肉やぶつ切りの鶏肉とは無縁のひとだつた。仮に豚汁式の味噌仕立てを知つたとして、そんなのも、あるのやね、と呟くくらゐだつたらう。でなければ溶き卵と玉葱のお味噌汁をのやうにおつとりしたお椀や、實のないお味噌汁を冷蔵庫で冷さうなんてきつと考へない。甘やかされた孫の勝手な思ひ入れだねえと微苦笑を浮べるなら、浮べれば宜しい。今はどちらも食べられないのは残念だが、何年か先には存分に味はへる樂しみはある。ひとつそこで気になるのは、早々その時が來たとすれば、祖母には初めて叱られるかも知れないことで、ではどうすればいいのか、決めかねてゐる。

123 外れ(續ビアもつ)

 前回、もつ煮(と壜麦酒)は完全食ではないかと勘違ひしたことに少し触れた。その時には頭の働くひとに、その辺りを考へてもらひたいと書いたけれど、もしかすると勘違ひではないかも知れないと思へてきた。なので自分で書くことにした。

 さてここで我われは先づ、もつ煮は(厳密ではないにしても)(大体のところ)かういふ食べものだといふ、共通の認識を持つのが望ましいと思ふ。そこでわたしはもつ煮を

・豚または牛或は鶏の臓物を

・大根、牛蒡、人参、蒟蒻、豆腐、厚揚げ、長葱や玉葱と一緒に

・味噌または醤油或は塩で

・時間を掛けて煮込み

・器に盛つてから刻んだ白葱をあしらつて

・七味唐辛子を振りつつ

食べる“簡便な”料理であると考へたい。これが“簡便”なのかと疑念を抱くひとは、もつ煮を自分で作つた経験がないのだらうと思ふ。實際にやつてみると、六づかしくも何ともない。時間は掛かりますがね、ただそれだけの話で、これが簡便でないなら、即席麺をうがくのだつて、複雑な作業といふことになる。…といふ厭みはさて措き、おほむねのところ、かういふのをもつ煮と呼んで、同意してもらへるにちがひない。

 さて改めて材料を見ると、意外に思へるほど、よく整つてゐる。ここに玉子のひとつもあれば(實際、鶏卵や鶉卵を用ゐる場合もある)、ほぼ文句は出ないのではないか。栄養価がどうかといふ具体的な数値は知らないけれど、これだけ色々焚きこむのだから、心配の必要はないだらう。ではこれを完全食と呼んでいいのかと云ふと、非常に近い位置にまでは到達してゐるが、断定するのは躊躇はれる。

 麦酒(または酎ハイ)のつまみだから、と云つてもつまみで旨ければごはんに適ふのも当然だから、理由にはならない。

 冷えるとまづいとは正しい指摘だけれど、ちよつとづつ盛れば済むのだから、これも理由とするには無理がある。

 食べ進んだ時の器の汚れがと云ふ指摘だつて、途中で白葱を追加すれば、多少なりとも目立たなくなるから、理由にはなりにくい。

 詰り完全食と呼び難いのは、何か決定的な事情乃至理由があつてといふより、もつと漠然とした気分、雰囲気がさう思はせてゐるのではないか。と書けば、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は、ご先祖は肉食の習慣がなかつたからなあと呟くかも知れず、ただそれは半分しか正しくないと思ふ。たとへば彦根井伊家には毎年の正月、将軍家に牛肉の味噌漬けを奉る慣例があつたし、江戸の下屋敷跡からは獸骨が見つかつてゐるさうだし、ももんじ屋が猪を賣つてもゐたといふから、こつそり肉を食べる樂しみはあつたらしい。

 併し臓物まで食べたかどうか。

 食べはしたと思ふ。思ひはするが、獸肉以上にこそこそした樂しみだつたらう。厳密な意味からは外れるが、“マツロハヌ者ども”…賎民階級の食べものだつたとも思へて、町民や三下奴も知らない味だつたらうと睨んでゐる。大きな鍋だか寸胴だかに何もかもをはふり込んで、ごとごと焚いたものは、禁忌を感じる以前に食べものと思はれもしなかつたのではないか。良し惡しではなく、それが歴史といふもので、我われは未だ、臓物を喰らふのに馴染みきつてゐないのだらう。もつ煮を完全食とは呼びにくい気分や雰囲気は、その辺りに淵源があつて、身も蓋もなく云へば、そこに土俗的な躊躇を感じるからではならからうか。

 自分で云ふのも何だが、割りといい線を衝いた推測だと思ふ。我われの遠いご先祖は血を穢レと忌んでゐた(神事が源流の儀式や催事が女性に開かれないのはその名残り)から、臓物の扱ひが血を扱ふのと同義、近似と受け取られても不思議ではない。さういふ土俗的な感情…禁忌は拭はうとして拭ひ切れはしないもの。併し食べてみると臓物…もつ煮は旨い。その旨いと禁忌の残滓がせめぎあひ、まだ折合ひをつけかねてゐるのが、我われともつ煮の関係と見るのがおそらく正しい。血のソーセイジに平然と舌鼓を打てるヨーロッパ人には、きつと想像も六づかしからうが、それが歴史なのだから、どうにもならない。またそれだから、今のところもつ煮を完全食と呼ぶのも、困難であることが判つた。狙ひは外れたけれども、これはもう如何ともし難い。

122 ビアもつ

 暑い時期は食慾がすつかり落ちる。さうでもないよと云ふひともゐるだらうね、凄いなあ。まあそれでも、食が細くなるのは、かまはない。例年の如くである。ただ自分でもまづいと思ふのは、それでも何かしらは食べなくてはならず、その用意をするのが面倒になることで、かうなると空腹なのに食慾を感じないといふ妙な状態に陥る。辣韮をつまんで、罐麦酒を呑めば一応は解決しなくもなく、但しそれが眞つ当かと云へば、断じてさうとは呼べず、寧ろひととして如何なものかと云はれても、反論は六づかしい。そんなら外食で何とかなるぢやあないかと叱られさうな予感がされて、そこでいちいち外に出るのも億劫なのだと応じたら、もつと叱られる。かういふのを八方塞がりと呼ぶのだな、きつと。文句をつける相手もゐないのは困りものだが、元々がわたしの無精が原因なのだから、やむ事を得ないか。

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 それで平日、偶さかの早い夕方、翌日に余裕があつて、それもまたよいかと思へる気分といふ條件が重なつたら、寄り道をして一ぱい呑む。ひとりで呑むのだから、気は樂なもので、ぶらつと入つて直ぐ、麦酒を註文する。かういふ場合はどうもジョッキより壜麦酒の方がよささうに思ふ。勿論それは統計學的にどうかうの話でなく、こちらの経験値が導いた結論で、通人の忠告より信用を置いていい。

 麦酒の冷たいところが塊になつて胃袋に落ちるのを確かめてから、もつ煮をあはせる。本当なら木匙で掬ひたい。煮込みの系統は概して匙の方が旨いからだが、そこまで我が儘は押しますまい。その程度の遠慮は心得てゐて、おれは謙虚だなあと自讚しながらもつ煮を食べるとうまい。麦酒を呑む。矢張りうまくて、目の前にあるのは完全食かと思へてくる。云ふまでもなく、勘違ひだが、理窟を捏ねられなくもない。

 いや併し理窟を捏ねるのは頭の役割で、それは確かに首の上に乗りはしてゐるけれど、かういふ場合にそれがちやんと働くものかどうか。働く筈だし働かせるのがひとり前の大人だと云ふひとがゐるだらうか。だとしたら働かせるのはそのひとに任せるので(頼みますよ)、麦酒ともつ煮に集中するのが、(少なくとも)(呑み助として)望まれる態度であらう。ただ望ましい呑み助の態度を取れたとして、後が續かない。何しろ食慾が丸で無いのだから、中壜一本ともつ煮で八割方は満腹の気分になつて仕舞ふ。ここからすつかり立て直してこそ、本式の呑み助なのだが、無理なものは無理である。ここはひとつ、ビアもつでひと通り満足するといたしませう。