閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1069 曖昧映画館~旗本退屈男

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 市川右太衛門の映画主演三百本目の記念。

 東映オールスターの大娯樂剣戟映画で、片岡千恵藏、大友柳太朗、月形龍之介大河内傳次郎から、若い萬屋錦之介(当時は中村錦之助だつた)、大川橋蔵東千代之介里見浩太朗北大路欣也と、時代劇に興味を持たない讀者諸嬢諸氏も、きつと御存知の名前がずらずら並んでゐるでせう。

 筋立てなんぞ、気にせずともよろしい。一応は仙台伊達六十一万石の世嗣相續を巡る陰謀が主軸。忠義一徹の派閥が世嗣ぎを護らうとする中、退屈男が颯爽とあらはれれば、もう心配は要らない。御膳立ては万全。惡事は潰へ、伊達の御家は安泰、まさに萬々歳である。

 

 何しろ安心感がすごい。美男美女は必ず善男善女、惡党輩 は如何にも惡党の面構へだもの。姫君はとらへられるが、ひどいことはされず、青年剣士が退屈男に刃を向けても、誤解でなければ惡党に騙されたからで、それは必ず氷解する。

 右太衛門の殺陣はあくまでかろやか。殺伐とした効果音がなければ、無闇に血が噴き出ることもない。リアリティからはほど遠く、その距離の分だけ美しい。それは様式の整つた舞台の美しさであつて、鐡砲を撃ちあふハリウッド映画のがさつと、鮮やかに対を成してゐると思ふ。

 さう云へば冒頭、花やかな灯りを背負つた右太衛門は、取り囲んだ忍者を、舞ふやうに斬り捨て、直参旗本早乙女主水介と大見得をきる。その所作はまつたく演劇的…思ひきつて云へば歌舞伎的で、我われの娯樂の基には、確かに今も、その要素が色濃く残つてゐる。