閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1430 ササヲタベル

 何の小説だつたか、主人公に“酒を呑みたい”ことを、“酒…ルビはササ…を食べたい”と云はせるくだりがあり、えらく感心した。感心した理由までは、よく判らない。その小説は豊臣政権の末期が舞台。どうやら当時の酒は“ササ”と呼ばれ、また呑むのではなく、“食べる”ものだつたらしいと知り、その古めかしさを、好もしく思つたのだらうか。

 そのササ…酒がどんな風に供されたか、小説で詳らかな描寫はされなかつた。本筋に関はらない箇所ではあつたし、著者は確か、呑み喰ひに無頓着だつたから

 ーまあ流してかまンやろ

と考へたのかも知れない。それはそれで、小説家の判断だから、文句を云ふ筋ではないが、(讀者ではなく)呑み助としては、どんな酒器で一ぱいを嗜んだものか、描いてほしかつた気が、しなくもない。

 

 ササ…お酒に限らず、呑む時の器は大事である。

 別にどこそこの焼物でとか何とか、八釜しいことを云ふ積りでない。たとへば安中華料理屋で壜麦酒を註文するなら、キリンとかアサヒのロゴマークが剥げかけた小さなコップで呑むのがうまいでせう。葡萄酒だつて、特別急行列車で、サンドウィッチを摘みに呑むなら、プラスチックのカップにざぶざぶ注ぐ方がいい。

 何とまあ、捻くれたことを云ふ。呆れられるかも知れないが、こつちだつて、野人を気取る積りではない。呑むならトラッドな方が好もしく、望ましいのは判つてゐる。叉さういふお店なら、置いてある壜に相応しい酒器の用意もあらう筈だし、それで呑むのが美味いのは、小聲でも十分につたはると思ふ。

 ところで過日、葡萄酒を呑ましてくれる小さなバーに足を運んだ。葡萄酒は勿論、素敵なお摘みが樂みであつて、その夜は新玉葱のステイク。それから

 「これに似合ふ一ぱいを、お願ひします」

と頼んだ。バーテンダー氏に任すのが賢明な場合もあるのです。さうしたら氏は考へを巡らす顔をして、四合壜を取り出し、洒落た酒器で供してくれた。ちよいと驚いた。まあ確かに、葡萄酒から撰んでくださいとは云つてゐない。叉このバーには、静岡に特化した一面を持ち、しらすだの櫻海老だのを使つたお摘みも用意してゐる。

 (その手が、あるのかあ)

感心半分、呆れ半分、ゆつくり含むと、無濾過の生原酒なのに…どちらかと云ふと、好みではない筈の仕立てだから…、これが美味いからこまつた。玉葱ステイクと似合ひなのは念を押すまでもなく、詰りバーテンダー氏の撰択が、妙を得たと云つていい。改めて(今度は)感心しながら、お摘みと一緒に平らげ、かういふのを“ササヲタベル”と云ふのだなと思つた。

 

 さうさう。ここまで書いてから云ふのも何だが、冒頭に挙げたのは、『梟の城』での葛籠重藏の科白だつた。かれが新玉葱のステイクに舌鼓を打つ場面はなかつたから、その機會には恵まれなかつたのだらう。

1429 理由ある物慾

 製造開始は1967年。

 初年の製造番號は1175001から1185000にかけて。

 ※内百台はライツ・カナダ製。

 ※但しこの番號帯は、“型と製造番號の予定表”に基づくから、事實と異る可能性は十分に考へられる。

 

 ライカM4である。

 現代のライカに續く源流…といふか、直接の御先祖になるのが、おそらくこの機種だと思ふ。M5といふ異色は例外になるが、M4-2とM4-Pを経て、M6/M7に到つた(Mバヨネットマウントの)ライカは、基本的にM4のスタイル…中折れの巻上げレヴァ、斜めになつた巻戻しクランク、“エプロン”が廃されたトップカヴァ…を踏襲してゐるし、ライカ愛好家が口八釜しく論じるファインダも叉、同じである。

 

 慾しい…使ふかどうかはこの際、横に措く。

 同年製の50ミリ・ズミクロンと一緒がいい。

 同年製の寫眞機は勿論、他にもある。Rollei35、ハーフ判のPENの一部、Nikomatのどれかも、さうだつた。中でもRollei35は、製造開始じたいがこの年。M4と同じく、物慾の対象になつても、不思議ではないのに、さうまで下顎を擽られる感じがしない。すりやあ慾くないかと云はれたら、慾しくはある。ありはするが、縁があればと思ふくらゐで、何がなんでも探さうとはゆかない。ぜんたい何故だらう。

 RolleiとPENとNikomatは、私の知る限り、製造年と番號の一覧が公開されてゐない。詰りRollei35と縁が持てたとして、それが製造初年かどうか、さうなのだと思ひこむのは兎も角、判断までは残念ながら到らない。これがM4なら、ミッドランド・オンタリオに拘泥しなければ、冒頭に上げた一万台を探せばよく、ズミクロンの方も番號表から確かめられる。このちがひは、目を瞑れない程度に大きいよ。

 

 さてそのM4、令和八年の今だと、幾らくらゐするか知ら。雑に調べると、製造初年は、オンタリオM4がある程度。珍品…今ならレアもの呼びか…は見当らない。M3やM2で散々試行錯誤を重ねた…細かな差異は、産みの苦しみと見立てられる…経験を基に、設計も製造も、安定した證拠と云へる。まあ私は、レアな個体を珍重する趣味を持合せないから、気にしないけれども。

 ここで前段を繰返すと、手に入れて使ふかどうか…寫眞を撮るかどうかの意味…、そこは判らない。と云ふより、ほぼ間違ひなく、陋屋で一ぱい、やつつけながら、巻上げて、ファインダを覗きこんで、焦点合せをして、空シャッターを切るのが精々で、フヰルムを詰め、寫眞を撮りに持ち出しはしないと思ふ。何十万円かかるか知らないが、實に勿体無い…と云はれたら、確かにそのとほりなんだが、さういふ…撮影を目的として私は、M4を慾してはゐない。

 

 “1967年製”M4に同年の50ミリ・ズミクロン…なんとも限定的な物慾の事情は、それが私の生れ年だからで、我ながら単純きはまりない事情である。

1428 即刻ニ、去レ

 來る令和九年、十干十二支が巡る齢になる私だから、もう老人を称しても許されると思ふ。齢を経たことを自慢出來るの…加算は勝手に進むのに…は、腹の底のどこかに、儒教的な観念が潜んでゐる所為だらう。孔子さまには、恩も義理も無い筈なんだけれどなあ。

 まあ、あの(えらいのはこの際、確かとしても)面白みを感じないひとな話は、措きませう。

 馴染んだ呑み屋に足を運ぶと、その店の定聯さんと、顔をあはすことがある。大体は私より年少。干支がひとまはりくらゐ、下の若ものも珍しくない。さういつた彼女(ごく少数)乃至かれと話すと、世代のちがひが屡々感じられ、愉快な気分になれる。

 

 で。ここから少々、趣味の惡い樂みの話に移りたいんだが、その前に“老害”といふ言葉に触れておきたい。辞書的な定義だと

 [企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態]

なのださうで、更に

 [高齢者が過去の経験や権力に固執し、周囲の意見を聞かず、新しい変化に適応できなくなることで組織や社会に悪影響を及ぼす現象、またはその原因となる人物を指す言葉]

に繋がるらしい。政治や経済に関はる根つ子があつたとは、知らなかつた。

 それでもこの言葉は、率直なところ、令和八年の時点で、俗語の域に留まると思ふが、元は昭和五十年代の前半、頻りに云はれた“公害”からの転化に遡るともいふ。初出はどうやら、松本清張の『迷走地図』にある

 [老害よ、即刻に去れ、であります]

との科白らしい。『迷走地図』は未讀だから、どのようなコンテクストなのか…公害に絡んでゐるかどうか…は知らない。とは云へ負の意味、侮蔑的な語感に満ちた言葉と受けとつても、誤りにはならないとも思へる。

 ただその“老害”は現在、たちの惡い(程度はあるにしたつて)、厭みな、叉は厄介な親仁を指すくらゐ、かるくなつてゐる。きつい筈の言葉も、濫用されれば、毒が薄れ、使はれる範囲が拡がり、意味合ひまで変る實例と云つていい。ハラスメントもさうですね。“〇〇ハラ”と略されるに到り(實に気持ち惡い省略だよ、これは)、本來は深刻な嫌がらせなのに、ただの厭みや惡口雑言を含む程度にまで成りさがつた。話が逸れさうですね…えーとさう、“老害”だつた。

 

 ここからはその“老害”を、かるくなつた後の意味合ひで使ひますよ。今風ならマウントをとるとか、そんな云ひまはしになると思ふ。さうだなあ。わかい呑み仲間を相手に、かれらの生れる前や、物心つく前の事柄を話すとしませう。当然、知らない。ぽかんとするか、何ですそれと訊いてくるか。そこで私は云ふのだ。

 「最近の若い子オは、〇〇も知らンのかあ」

〇〇に入るのは何でもいい。レーザーディスクでも、ポケットベルでも、ピンク・レディーの人気でも、東村山音頭でも。音樂CDが一枚三千円前後だつたこと、PDAといふ奇妙な機械の流行…幾つでも挙げられる。同年輩の讀者諸嬢諸氏だつて、きつと同じに決つてゐる。ただこれは、昔を知つてゐる、といふ自慢話に過ぎず、従つて知らなくても、耻ぢにならない。

 尤も稀に、かういつた昔話に反応を示すひとも、ゐなくはない。(従)兄や(従)姉、或は(あくがれた)先輩の影響なのだらう。だつたら、上の科白は使へまいと心配されるかも知れない。大丈夫、その場合は

 「ほう。よオ知つてるモンやなあ」

大袈裟に感心して見せればいい。ね。まつたくもつて、たちと趣味の惡い態度でせう。私はこの樂みを密かに、“老害ごつこ”と呼んでゐる。我が若年の讀者諸嬢諸氏に念を押すと、簡単には眞似出來ませんよ、この游び。何せある程度、齢をくはないと、様にならない。もつと云へば、儒教的な価値観、上下関係が多少なりとも残つてゐる社會で(辛うじて)成り立つのが、“老害ごつこ”なんである…孔子さまの耳に入つたら

 「即刻ニ、去レ」

厳しく咤責されること、間違ひないけれども、二千五百年を経た令和の日本で、その心配はせずに済む。

1427 使ひ分け

 一年前から、日記を書いてゐる。

 書いてゐると云つたつて、その日の天気と、何を食べたかと、買ものに幾ら遣つたか、くらゐ。ちよつとした記録みたいなものだから、たれだつて出來る。

 卅年余前にも、書いてゐた。その時は日々の愚痴を記した筈だが、確かめる術はない。いつだつたか、突然思ひたつて、棄ててしまつた。今となつては、惜しい気もしなくはない。

 文房具好きの為に云へば、使つてゐる帖面は、コクヨ社製“ソフトリング”…型番はス-SV457S5-D、5ミリメートル方眼罫…で、三菱鉛筆社製 uni-ball の Signo 0.28ミリメートル(黑)との組合せが基本。コクヨの紙と、硬くて細いペン先が、私には使ひ易くつていい。

 併しこの半月余り、その Signo に代り、メカニカル・ペンシルを使つてゐる。ぺんてる社の GRAPH1000 FOR PRO(型番はPG1005)がそれ。芯は0.5ミリメートル。同じシリーズの PG1009(こつちは0.9ミリメートル芯)も、筆入れ…序でながらこれは、分裂する前の一澤帆布製…にあつたが、こちらは字を書くのに不向きである。

 ところで何故、メカニカル・ペンシル表記なのか。シャーペン乃至シャープ・ペンシルではいけないのか。

 “早川式繰出鉛筆”といふのがあつた。大正四年の話。發案者は、早川兄弟商會金属文具製作所…早川商會…の創業者である早川徳次。シャープ・ペンシルは徳次の命名であり、後にそれは會社名へと受け継がれる。即ち現在のシャープ社。あすこはそもそもから、“目のつけどころ”が、シャープだつたのだな。

 現在のシャープ社が、繰出鉛筆を造つてゐないのは勿論である。ではあるが、そこは矢張り、書く行為自体が趣味の立場としては、敬意を表するのが矢張り、望ましからう。そんな理由で、一般的な英語…シャー(プ・)ペン(シル)は所謂和製英語…のメカニカル・ペンシル表記を採つてゐる。

 さてメカニカル・ペンシルを、實際に使つてどうか。

 元々が私は、字を小さく書く癖がつよいのだが、意図的に大きめに書けば存外に使へると判つた。それに書き損じたり、乱雑で見苦しい字面と思へたら、消し護謨で素早く、“なかつたこと”に出來る。小さくて乱雑な字を書く身に、これが中々有難い。

 そんならメカニカル・ペンシルへ、全面的に移る積りはありますかと訊かれたら、さうでもなささうですなと応じたい。予定表代りの手帖…高橋書店製のリベルプラス(型番771)…では、Signo を変りなく使つてゐるもの。こつちはメモ書きにちかい扱ひだから、字面が少々見苦しくたつて、かまふまいさと思へるのだらう、多分。

 ここで併し、大事なのは、移行云々ではない。筆記具と手帖の目的には、密接な関係がある…いやあると気がつけたことで、これは私にとつて、發見と呼びたくなる点であつた。字を書く上で使ふのは一種類の流儀で、何十年も過してきたのだ。しつこく云ふが、これは發見と呼ぶに値する…まあこれもしつこく、私にとつては、だけれど、たれにとつて、などは小さなことではないか。

 こんな風に書いたら、今さら何をと、呆れられるか知ら。とは云へメカニカル・ペンシルを使ふのは、多分以前の日記以來だもの。あれこれを忘れてゐたり、新しく気がつくことがあつたつて、仕方ありますまい。そもそも我がわかい讀者諸嬢諸氏だつたら、手書きには縁がないやも知れない。詰り筆記具の使ひ分けは既に、クラッシックな樂みとも思へてくる。当面は、GRAPH1000 と Signo を併用して、若ものを煙に巻いてゆきませうか。

1426 百人隊の隊長に

 前回はどうも、ふはふはしたまま、終つてしまつた。苦手を書かうとするのは、無理が大きいらしい。このままでは落ちつかないし、尻の坐りも惡い。なので今回は好意を抱ける人物を取りあげる。即ちガイウス・ユリウス・カエサル。

 英語讀みならシーザー。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の通りと云へばよからうが、これは“ユリウス・カエサル”の意。ガイウスは何処に行つたと、首を傾げたくもなる。

 中世のイタリーでは、男子の名前…チェーザレ…になつた。さうですね、チェーザレ・ボルジアを挙げませうか。塩野七生が、かれを主役に据ゑた、魅力的な小説を書いてゐる。

 ロシヤに渡ると、歴史的な経緯を以て、皇帝を意味するツァーリといふ単語になつた。あの立場は寧ろ、インペラトル…全権指揮官くらゐの意味…の語感の方が、ちかいと思ふが、ややこしいことは云ふまい。

 参考までに云ふと、ローマ人の名前は、個人名+一門名+家門名の構成だつた。この人物の場合、ユリウス一門に属するカエサル家のガイウス君。尤もガイウスは、ローマだとありふれた名前だつたらしい。直前の時代、スッラと爭つた…政治的にも、軍事的にも…マリウスも叉、ガイウスだつたが…その直前の、血腥い時代に就ては、諄々しく触れまい。私は平和的な男なんである。

 前述の塩野七生が、『ローマ人の物語』を書いてゐる時、イタリーの知人に、カエサル関聯の史料を貸したといふ。その知人が返却に訪れた際

 「どんなひとだと思つた?」

訊ねたところ、言下に

 「ケントゥリアの隊長辺りで、随ひたい男だね」

そんな會話があつたさうだ。塩野がどんな史料を貸したのかは知らないが、二千年を隔てた男にも余程、魅力的と感じられたらしい。

 

 放蕩児。

 女誑し。

 借金王。

 禿げ頭。

 

 といつた評判…事實をほしいままにした男は、併し優れた将軍であり、土木家であり、政治家であり、更に名文家まで…『ガリア戰記』を見よ…、兼ねてもゐた。ローマの兵隊なら、ことに前二者は生命と給料の為、不可欠の條件だつたに相違ない。尤もここで大事なのは、カエサルには、その兵たちに、“おらが大将(に従へば大丈夫)”と信じさせるだけの、人格の照りがあつたらしいといふ点。ガリア遠征で散々、ヴェルチンジェトリクスに苦杯を舐めさせられても、兵がかれを決定的に見捨てなかつたのは、そのささやかな證になると思ふ。

 公の場…じしんの権威を示さねばならない場を外れれば、冗談の通じる男でもあつたらしい。ローマ軍人の栄誉に、凱旋式といふのがあつた。栄光ある勝利を得た将軍とその軍団を讚へる式典。大将に随つた兵隊には、その大将を大聲で揶揄ふ特権があつたさうで、兵たちはローマの町を練り歩きながら

 「市民たちよ、妻を隠せ!」

 「禿の女誑しがやつてきたぞ!」

一斉に囃し立て、市民の爆笑を誘つたといふ。凱旋の英雄は苦笑ひで応じ(何しろ丸きりの嘘ではないもの)、そこで授けられた、“月桂冠を日乗、被つていい”権利を、さみしいおつむりを誤魔化すのに有難いと喜んださうだから、巧まざるユモアの持ち主…冠に関しては、現實的な効能もあつた筈だけれど…だつたと云つていい。塩野の知人が、その辺りに惚れこんだとしても(考へ難くはあるが)、無理はなささうである。

 ルビコンを渡つたカエサルが、何をしたかつたのか、それはよく判らない。我われが皆、知つてゐるとほり、かれは殺されてしまつたから。

 「あの男は、王にならうとしてゐる」

さういふ恐怖感はあつたらしい。確かにこの頃のローマ人は、王政に極端な厭惡を感じてゐた。終身の執政官に就いた…通常は一年任期…ことが、その恐怖や厭惡を煽つたらうとは、容易な想像でもある。

 元老院が主導する、ローマ共和制の屋臺骨が当時、がたがただつたのは、間違ひない。カエサルがそのがたがたを、どうにかしたがつてゐたのも、間違ひない。更に云ふなら、前代のスッラが、任期半年の獨裁官として、元老院体制に内から手を入れ、失敗したことも、かれが理解してゐなかつた筈もなく、詰り

 「このままだと、ローマの命脈は尽きる」

さう考へてゐたと想像しない方が、寧ろ六つかしい。とは云へ、登極する自分、臣下が跪く様、市民が萬歳を叫ぶ聲を、カエサルが考へてゐたかといふと、その気配は感じられない。個人的には友人でありながら、政治的には徹頭徹尾、アンチ・カエサルを貫いたキケロですら、勝利を得た後、平然と(!)我が友と呼んだ男である。

 我が意に添はぬ男を友と呼べる勝者が、果して王の坐を狙ふものか知ら。さう考へる時、かれが“王位を目論む惡人”として誅されなければ、ローマはどんな方向に進んだらうと、空想を巡らせたくなつてくる。正直に云つて、クレメンティア…寛容を旨としつつも

 「ひとは見たいものだけを見る」

ことも知りぬいた冷徹な人物だものーさういふ期待と、カエサルの偉大さは結局、カエサル個人のもので、たれかが受け継げる性質ではなかつたーさういふ諦念が混ざる。詰りカエサル体制が出來てゐたとしても、その死後には早晩、崩壊しただらうといふ予感、悲劇性。

 にも関はらず、カエサルの生涯と人格は、底抜けとでも云ひたくなる陽気さ、晴れた海のやうな明るさで、照らされてゐる。魅了されるのに十分な男と云つてよく、こんな人物は、世界史を俯瞰しても、きつと稀であると私は信じてゐる。

 

 元老院体制は、カエサルの死後、跡を継いだアウグスティヌス…アウグストゥスといふ詰らない、實務一辺倒の若ものが、裏側から無力化した。帝政ローマはこの先にある。