閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1107 提督の双眼鏡

 たまに双眼鏡乃至単眼鏡が慾しくなる。

 何故だかは解らない。あの光學機器には、冒険家やフィールドワークの研究者のツール、といふ印象があるから、そのイコンへのあくがれでもあるのか知ら。

 (出無精を自認する丸太が)

何を云ふのかと呆れないでもらひたい。自分が持たない、叉は持てない要素を恰好よく感じ、その要素を象徴する道具に惹かれるのだつて、不自然ぢやあないでせう。簡単に、無いものねだりと纏めてもいいんだけれど。

 

 そんなら将來に渡つて、冒険の計劃もフィールドワークの予定も無い男であるところの私が、双眼鏡や単眼鏡を慾するのは、イコンへのあくがれだけか。と訊かれたら、現實的な理由も無くはない。美術館や博物館で使ひたい。視力に難がある身ので、かういふ場合、あつて損にならないと思ふ。

 

 併し双眼鏡も単眼鏡も、私が知るところは殆どない。興味を持たなかつたから。司馬遼太郎の『坂の上の雲』作中、東郷平八郎が、ツァイスの双眼鏡で露帝國艦隊の動きを注視した描冩が、からうじて記憶にある程度なので、知らないのと変らない。日本海海戰は明治卅八年。ざつと百廿年前、ツァイス既に最高峰の双眼鏡と、認知されてゐたことになる。後の元帥、アドミラル・トーゴーが使つた双眼鏡は、かれが坐乗した戰艦三笠の展示室で公開されてゐる。話が逸れた。

 

 まあ詰りその程度しか浮ばないのだから、美術館博物館向けの双眼鏡、単眼鏡にどんな種類があり、どう撰べばよいのか、見当をつけるのも六つかしい。その手の光學機器を扱ふのは、ツァイスでなければ、ニコンペンタックス(同じ光學機器の會社なのに、オリンパスにその印象は感じない)でいいのだらうか。第一、どの程度の出費を見込めばいいのやら、さつぱり判らない。などと云つたら

 「目的と使ふ頻度、その他諸々に依りますなあ」

さう助言されるのは間違ひない。至極尤もである。但しその助言は、こちら側にある程度でも目星があつて、奏功しさうにも思ふ。予備知識…イメージもないのに、目的(美術館)や頻度(多くても年に数度)は兎も角、その他諸々が判るわけ、ないぢやあないか。双眼鏡単眼鏡に詳しい方には、粗の辺りを加味した御教示を求めたい。

 

 さう考へた時、明治の提督は悩まずに済んだらうなと思へてくる。海戰で使ふといふ明確な目的があつたし、ツァイスは当時の日本に、三台とかそれくらゐしかなかつたもの。

1106 本の話~少年の教科書

『ヨーロッパ退屈日記』

伊丹十三/新潮文庫

 昭和四十年刊行だから、私よりわづかに年上の本。

 当時の伊丹は卅二歳。詰りこの本の中身は、かれが廿台の頃に書かれたことになる。たとへばマドリッドでは

 

 やがて十一時頃になって、あたりが暗くなり、そろそろ涼しくなる頃、われわれは黒っぽいスーツに絹のタイをしめて、冷たい蟹などを喰べに街へさまよいでるのです。

 

或はヴェニスのホテルで、三船敏郎ジョニー・ウォーカーの黑とタタミイワシ(三枚)を持つて訪ねてきて

 

 結局、三船さんが、ちり紙を老ねって火をつけ(中略)、煤けたタタミイワシを肴にジョニクロを飲む、グレイト・ミフネと数人の日本人たち。豪華なような、わびしいような、心の捩れるような思いをしながら、わたくしは遠くまで来てしまったな、とつくづく思ったのでした。

 

叉南佛で手に入れた"素敵なヒレ肉"の扱ひに就て

 

 きみは知っているだろうか。オリーヴの枯枝で焙ったヒレくらいうまい焼肉は存在しないのだよ。

 

卅歳になるやならずの若ものが書く文章だらうか。これを才能と呼ぶのは誤りでないとして、併しだとすると、そろそろかれの享年に近い年齢になつた私が書いてゐるこの手帖は、ぜんたい何なのかとなつてしまふ。僻目は置きませう。

 一篇一篇はごく短い。その話題は多岐に渡つてゐる。但しそれらは時勢流行に背を向けつつも、隠遁的ではなく、大眞面目と諧謔と皮肉を巧みに混ぜあはし、時に"正装を強要する"社會に手を拍つ。或は男のお洒落に就て

 

 要するに、お洒落、なんて力んでみても、所詮、人の作ったものを組み合わせて身に着けているにすぎない。

 ならば、いっそまやかしの組み合わせはよしたがいい、正調を心懸けようではありませんか。

 

そして正調の反対にあるのは場違ひなのだと(手厳しく)教へてくれる。久し振りに讀みかへしてこの本には微かに、永井荷風の匂ひがすると思つた。あのひとは自分が生きた現代の東京を、欧米の紛ひものと見做し、厭惡の感情を隠さうとしなかつた。日本をきらつたのではなく、伊丹の言葉を使ふなら、江戸の正調を棄てた様を厭つたと云つていい。伊丹は伊丹で、ヨーロッパの秩序、文化的な聯續性(念を押すがかれの目に映つたヨーロッパは、ほぼ六十年前である)と、それを無秩序に受け容れた(当時の)日本に首を傾げてゐる。かれに文明批評の意図は無かつた筈だが…かれは後書きでこの本の意図を、婦人雑誌の広告で目にする"実用記事満載!"と記してゐる…、正調…トラディショナルであらうとし、それを文章で示さうとした時、どうしたつて批評的な一面が出るのだらう。そこでもうひとつ。この一冊は本來、中學生くらゐの年齢で手に取るべきだつた。後悔はあるが、もう遅い。

1105 夏が來た

 近畿人にとつては、祇園祭の鐘の音と鱧の湯引きが夏の訪れだけれど、東都では聞くのも口にするのも、中々に六つかしい。その代り、東都にはエイサーとオリオン・ビールと苦瓜がある。即ちチャンプルーフェスタ。

 

 開催は去る文月の十三日。

 場所は東京中野。

 

 昨(令和五)年も足を運んだ。だから今年も行かう。と考へたのは、我ながら軽薄と思ふ。ニューナンブの面々にさういふ話をしたら、クロスロードG君が

 「いいですねえ」

と反応を示し、頴娃君も似た反応で續いた。S鰰氏は所用があるのだらう、穏やかな態度を崩さなかつた。これが水無月の半ば頃の話。

 

 文月に入つて早々、頴娃君が、新宿でお晝を食べないかと云つてきた。かれの云ふお晝は、お蕎麦とお酒にちがひない。新宿にうまい蕎麦屋があるのかどうか。まあその辺り、頴娃君は信用出來る。だから、よ御坐んすと応じた。

 その話が出て暫く、お天道さまが何とも云ひにくい顔つきを續けたのはこまつた。聯日の湿り気は甚だしく、大雨が降つた日もあつた。私の腰は坐らない。よつて週末が荒天だつたら、出掛けるのは諦める積りでゐた。

 

 土曜日の朝は曇り、お日さまの姿も散らちらしてゐた。湿気は酷いけれど、雨に較べたら何層倍もましといふものだ。S鰰氏からはお酒は夏季休業中と、クロスロードG君は中野に直行すると聯絡があつた。さて新宿に出ませうか。

 髙島屋の十三階にある小松庵に入つた。席に着いたら、頴娃君がこちらに品書きを寄越した。親切だなあと思つたら

 「註文は決つてゐるから、見なくてもいいのです」

なんだ、嬉しがるまでもなかつたのかと思ひながら、渡しも註文を決めた。春霞を一合と蕎麦豆腐。頴娃君は五喬の一合に穴子の天麩羅、鴨の塩焼き。蒸篭は後に廻す。

 

 舌に乗せた春霞は、くつきりした輪郭が溶けるやうに胃の腑へと滑り降りて、好もしい味はひ。五喬をお裾分けしてもらふと、たいへん落ち着きのある舌触り。頴娃君は山廃生酛を歓ぶ筈だつたが、嗜好が変つたのか知ら。

 莫迦ばかしい話をしてからお蕎麦。藥味は葱と山葵、昆布塩に鰹節の粉末、更にオリーヴ油まで添へ、店員さん曰く

 「お好みでお蕎麦に乗せてください」

私は素直なたちだから、少しづつ試してみた。蕎麦つゆが東京風のしつかりした仕立てだからか、劇的なちがひは感じなかつた。ややこしい手間を掛けるくらゐなら、本山葵を摺つてくれればいいのに。お店の名誉の為、お蕎麦も蕎麦つゆもまことに結構だつたと申し添へておく。

 

 新宿から中野は快速でひと驛。

 昨年までの主な會場だつた中野サンプラザと区役所前は、どちらも閉つてゐる。そこからもう少し足を延ばした四季の森公園が今年の會場で、クロスロードG君とは、そこで落ち合つた。G君は紙コップのオリオン・ビール、頴娃君はどこかのクラフト・ビール、私はオリオンの罐。

 「さあて。始めませう」

一年ぶりの乾盃である。實にうまい。軟らかな塊のやうな湿気も、この際は気にならない。手に持つた罐をよくよく眺めると、名護工場謹製と判つて、味がぐつと佳くなつた。

 「S鰰氏が來られれば、全員集合だつたのに」

さう惜しみ、叉みなで集まる切つ掛けを、作らにやあなりませんなあと話し合つた。叉このフェスタを夏の入り口にしたいねえと意見の一致も見た。

 麦酒が空になつた。これ即ちお代りを意味してゐる。我われの坐るベンチの直ぐ傍に、泡盛を何銘柄か扱ふ屋台が出てゐた。運がいい。両君はカリー春雨をオンザロックで。私は龍の水割り。龍を呑むのは何年振りになるだらう。含むと頭のどこかに埋もれた場所から、かういふ味はひだつたと思ひだされたから、飲み助の記憶もたまには役に立つ。

 泡盛を干してからサンモールに入つた。そこで頴娃君が寿司屋に目をつけ、あすこでちよいと摘みませんかと云つた。クロスロードG君曰く、有名であるらしい。サンモールは何度も通つてゐるのに、そこに寿司屋があることすら、気がついてゐなかつた。そこからブロードウェイを抜け、昭和新道に到つた辺りで、G君が時間切れになつた。かれは家庭を大事にする男なんである。お疲れさま。

 

 「矢張り先刻の寿司屋、行きませうぞ」

と頴娃君が云ひだした。我慢ならなかつたらしい。改めて店先に立つと、待たずに入れた。店内は立ち喰ひと椅子席があつた。我われが椅子席を撰んだのは、念を押すまでもない。品書きを見るに、立ち喰ひだと、酒精の一部が廉になるらしい。私は麦酒(黒ラベル)のジョッキ、頴娃君は獺祭。

 註文は紙に書いて中のひとに渡す形式。受け取つたひとが握つてくれて、衛生的にどんなものかねえと思つた。ひと先づは炙りの三貫盛り。惡くない。

 かう書いたら如何にもえらさうだが、正直に云つて、早鮓の旨いまづいはよく判らない。まづいと思はなかつたのは確かだから、ここはよしとしておかう。流石に三貫では少々物足りない。頴娃君は獺祭のお代りに鰹、更にはお刺身まで註文してゐた。こちらの追加は鮪の赤身と烏賊。一人前はそれぞれ二貫。東京の早鮓と云へば、この二種の印象がある。当時の漁に就ては無知なんだが、昔日の江戸湾で獲れたのか知ら。疑念は兎も角、お寿司をすつかり平らげた我われは、お勘定を済まして店を出た。外はぽつりと雨が落ちてゐた。

 

 頴娃君を見送つてから、瑞穂を呑んだ。古酒の水割り。久しい味はひで、嬉しくなつた。陽が暮れきつてから、エイサー聯に手を拍つて〆にした。醉ひを感じながら、夏が來たと思つた。

1104 使ひわけ

 お摘みと肴を漠然と使ひわける癖がある。

 前者の方が広く感じられる。肴は酒菜とも書くでせう。なのでお酒…日本酒の意味ですよ…にあはす時以外には使ひにくい、気がする。

 獸肉でなく、バタの類を用ゐず、炒めない。

 さういふ食べものが、肴ぢやあないか知ら。

 根拠はないから、信用されては困るけれど。

 話は肴に絞りませう。詰りお酒の供、或は友。わかい…とは年齢ではなく、呑む経験値的な意味合ひで云ふのだが…ひとは、お刺身…鮪、鰤、サモン辺りを挙げさうに思へる。判る。私もきらひではない。併し一ばんかと訊かれたら、さうではないでせうと応じる。

 漬けや酢〆、煮たり焼いたり焙つたりした方が、お酒には似合ふのではありますまいか…など云つたら、年寄りじみた舌と胃袋と笑はれさうだね。そこは認めるとして、お刺身しか喜べないより樂めるのだ。これは寧ろ年寄りじみた舌と胃袋の特権と云つていいでせう。

 さ。そこで画像に就て触れると、左に焼いた、右には焚いたお魚と、湯剥きしたプチトマトをかろく炊いたの。いづれも中々に結構な出來。サッポロの赤星を平らげてから(喉が渇いてゐたのだ)、木曾の[中乗]を呑んだ。この銘をためすのは初めて。冷藏庫から出した直後は、やや癖を感じる香りと舌触りだつたが、少し間を空けると、さういふのが纏まり穏やかにもなつた。この[中乗]にあはした二種のお魚とトマトを呼ぶには、お摘みより肴の方が似つかはしい。使ひわけの一例であらう。

1103 自衛叉は用心の為の串盛

 暑い季節に入ると、空腹は感じても食慾は感じなくなる。冷し中華や南蛮漬けの類があれば、大体はどうにかなり、甚だ不健全である。だから食事はしつかり摂りませうと話が進めば樂でよく、叉その方向は正しくもあるのだが、私の胃袋はそちらを向いてゐない。こまる。まあ時には空腹と食慾を纏めて感じることもある。念の為に云ふとこれは、"冷し中華でも啜るか"が、"冷し中華を喰はう"に変じた程度のちがひである。健康的とは呼びにくい。

 但し麦酒でも葡萄酒でもお酒でも焼酎ハイでも泡盛でも、呑むにあたつて食べるものは欠かさない。呑むのは好きだけれど、決してつよいわけではないから、摘みながらでなくちやあ、きつとへんな具合に醉つてしまふ。こつちは麦酒やお酒そのほかを旨いうまいと悦びたいのだから、惡醉ひは断じて避けたいところである。それで都合のいいのが串もので、近ごろは串焼きの塩を好む。無論自分では焼かない。ほら焼き肉師には天賦の才能が求められるのだとサヴァラン教授も云つてゐたでせう。

 ハラミ、鶏皮、信用出來るお店ならレヴァやタンもいい。野菜が慾ければ大蒜や葱や獅子唐が望ましく、なに一ぺんに註文するわけではない。たとへばハラミを二本に葱獅子唐といつた調子。串焼きは焼ケタ出テキタ喰ツタが一ばん旨い。だからぽつぽつ追加するのが本來と思つてゐる。併し串焼きを註文するのは私ひとりではない。四人組あたりにハツとシロとネギマ、それからガツとテツポウを各四本、半分づつタレとシホでなどと註文されたら、こつちの追加が遅れるし、お代りだつて増える。迷惑である。

 ゆゑに。混雑次第では自衛…用心の為、何本かの盛合せを註文することがある。おまかせといふやつだが、大体は決つてゐる。変り種を好まない私にとつて具合がいい。それに何本かの串はこちらの草臥れた胃袋を、そこそこ満たしてくれもする。あとは豆腐でもあれば十分なお摘みである。尤もそれはこつちの都合であつて、大将が店の奥で顔を顰めてゐるかも知れないが、その顔つきは判らなければ顰めてゐないのと同じであらう。

 それより問題は串が纏めて出ると冷めてしまふ点にある。さつさと食べれば済むと云ふのは短慮の謗りを免れない。啖ふのは禽獸の仕業だとサヴァラン教授も云つたとほり、味はふのが飲み助にあらほましい態度であらう。さうすると焼ケタ出テキタ喰ツタが出來にくい盛合せに、些かの物足りなさを感じる。感じつつ思ふに串の盛合せは

 「つくねは譲るから、ささみは寄越し玉へ」

 「ネギマは半分こしませう」

などやり取りするのも味の一部であつた。やり取りの相手がお酒を心得た(妙齢の)女性…貴女のことです…であれば云ふことはなく、焼ケタ出テキタを直ぐ喰へるし、暑さにだら助となる心配も失せる。