閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

680 何とはなしの麻婆豆腐

 美味しいとは思ふのだが、何とはなし、食べる機会を持てない食べもののひとつに、麻婆豆腐がある。

 豆腐と挽き肉を炒め煮て、唐辛子と花椒、豆板醤などで味を調へた四川の料理。我が國での受容は、陳建民が日本風に味附けを工夫してからで、ざつと半世紀ほど前。尤も四川で誕生したのも十九世紀末頃といふから、誕生以來百年余。麻婆豆腐は随分と新しい料理と云つていい。

 麻婆豆腐の"麻"は"痘痕"の意。詰り"麻婆豆腐"は"痘痕小母さんの豆腐(料理)"なのです。とはよく云はれることで、間違ひではない。麻婆豆腐を考案した四川の陳劉氏には痘痕があつたさうだから。但し"麻"にはもうひとつ、"花椒の痺れるやうな味はひ"の意もあるらしく、どつちかが正しいのではなく、ダブル・ミーニングなのでせうな、きつと。

 伝説だと四川の陳劉氏は豆腐屋と羊肉屋に挟まれた長屋住ひで、両隣から仕入れた豆腐と羊肉を使つたのが、麻婆豆腐(の原型)だといふ。本当か知ら。かういふ創始説話は、お腹の底で疑念を感じても、成る程さうだつたのかと膝を叩くのが礼儀だから、煩くは云はないけれども。

 熱くて辛くてひりりとして、とろりとしたのが本來の麻婆豆腐である。ざつとしか確めたところ、四川の冬は東京に較べて寒冷だから、食べもので体を内から温める必要があつたのだらう。唐辛子や花椒、豆板醤はその為にたつぷり用ゐられ、それぢやあ気候の異なる日本では受け容れられないと陳建民が判断したのは、まことに優れた判断だつた。貴女やわたしの舌に馴染んだ麻婆豆腐の味は、遡ると陳さんの工夫に辿り着く。

 その陳建民がどんな工夫を凝らしたかと云へば、普通は日本人の好みにあはせ、麻辣…山椒系と唐辛子系の辛みを控へさした、と纏められる。簡潔で正しい。併しそれだけか知らとも思ふ。料理人が來日してから、日本人向けの麻婆豆腐を披露するまでに、十余年の間がある。その間にかれは日本で四川の料理が受け容れられる方法を考へたらう。試行錯誤を繰返しながら、この土地の気候風土を知り、食生活を知り、きつと日本人の食卓には必ず白米…ごはんがあることに驚いただらう。

 これは根拠の無い想像なのだけれど、四川流麻婆豆腐をごはんのおかずに仕立て直したのが、"陳さんの麻婆豆腐"ではなかつたか。本人がさう考へたかどうかは知らない。はつきりと意識しなかつたとは思ふ。一方で現在、我われの身近にある即席製品は勿論、中華料理屋の定食も、"陳さんの麻婆豆腐"が基になつてゐて、最初から潜んでゐた"ごはんのおかずとしての麻婆豆腐"といふ種が花開いた結果ではなからうか。四川料理人の思惑や矜持は兎も角、陳さんは日本人の食卓の特徴を綺麗に掴んでゐた。

 併しここまで褒めると冒頭、美味しいとは思ひつつ、何とはなしに食べる機会を持てない食べものが麻婆豆腐と書いたのと矛盾するんではないか、と指摘されさうで、確かにその通りである。正直なところ、"ごはんのおかず"に麻婆豆腐が出ても、わたしは(多少)困惑する。上手に仕上げた麻婆豆腐がうまいのは勿論だが、ごはんに適ふかと訊かれれば、首を傾げてしまふ。中華料理でごはんにあはすなら、回鍋肉や青椒肉絲の方が喜ばしいからで、こちらの嗜好ゆゑなのは無論の話。麻婆豆腐の責ではないのは念を押しておく。

 何故だと考へるに、麻婆豆腐が相手だと匙が要る。ごはんはお箸で、いちいち持ちなほすのが面倒なのだらうか。ごはんを匙で掬ふのが禁止されてゐるわけではないけれど、さうするとごはんに紅い染みがつく。ごはんに乗せて食べるのがいいと主張されても、麻婆豆腐や回鍋肉や青椒肉絲のお皿にごはんを打掛けて平らげる方がうまい。實は肉野菜炒めでやるのが一ばん旨いが、踏み込むと話が大幅に逸れる。

 それで麻婆豆腐に戻ると幾ら日本向けに仕立て直しても、花椒唐辛子豆板醤のからさは、ごはん相手だと尖り過ぎてゐる。かと云つて更にごはん向けの穏やかな味附けにすれば、それはもう(麻婆豆腐ではなく)肉豆腐で、いや肉豆腐は肉豆腐だから旨いので麻婆豆腐の代用にしてはならんのです。

 だつたらごはん抜きで麻婆豆腐を食べればいいと進みさうだが、ことはさう単純だらうか。目の前に湯気を立ちあげた麻婆豆腐があつて、紹興酒があつて、それで完結するのかと考へると、どうも六づかしい気がする。先に何かふはりとした揚げものや何やらの塩漬けで麦酒を呑み、後で杏仁豆腐で口を穏やかにしたくなる。落ち着かなくていけない。

 と話を進めた我われが、もしかすると原型と思はれる豆腐と羊肉の料理…麻婆豆腐と名附けられる前の…は、長屋の料理だつたといふから、小さなお椀ですつと食べてご馳走さんと立ち去る、云はば屋台のかけ蕎麦程度の食べものだつたかも知れない、と想像しても許される。簡便から始つた食べものが、豆腐や肉の吟味と調味の工夫、時代時代の人びとの舌で洗練され、完成に到つたと見立てる方が自然だし、食慾…喰ひ意地の点からも同じであり、また文明の面から見ても寧ろ当り前である。

 もうひとつ。併しお椀や小さな器に少し盛つたくらゐが、實は麻婆豆腐に似合ひの分量ではないかとも思ふ。中華料理の洗練と完成はおほむね、豪奢と絢爛に近い。それはそれで惡いと思ひはしないが、虚弱な消化器しか持合せない身には時にうんざり感じるのも(残念ながら)、また事實であつて、その鬩ぎ合ひがどうやらわたしを、麻婆豆腐から遠ざける理由らしい。裏を返せば小鉢のやうなあしらひなら、距離はぐつと縮まるとも思へて、さうさう、その時は饅頭(具の無いやつ)を添へてほしい。刺戟を抑へられるし、最後まで綺麗に掬ひ取れる。

679 点灯は順繰りに

 この稿を公にする今日は月の半ばも過ぎてゐる筈だが、書き出したのは令和三年の長月晦日で、翌神無月朔日に、半歳續いた緊急事態宣言が解除される運び、その辺りなので我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、頭の時間を半月ほど、戻しておいてもらひたい。

 緊急事態宣言から蔓延防止措置だつたかに移らないのは意外だつた。自治体が飲食店に出した要望を眺めるに、蔓延防止措置と大して変らないので、解除にすれば補助金だか協力金だかを払はなくていいと、さもしく考へたのかと意地の惡いことを云ひたくもなる。尤も裏側はどうあれ、好きな呑み屋が少しづつでも暖簾を出せるだらうことは喜ばしい。

 たれでもさうだと思ふのは、好きな呑み屋がある町には好感を抱く。好もしい呑み屋を成り立たせるのは、旨いつまみと、客あしらひの巧い大将または女将さん、それからたちのいいお客の組合せで、所謂歓樂街(たとへば新宿の歌舞伎町)でこれらの組合せは成り立ちにくい。ひとが多いからで、それなりのつまみと少量の蘊蓄があれば、一応の商ひが出來て仕舞ふ。若ものなら気にはなるまいが、わたしくらゐ年齢を重ねると、太刀魚の骨のやうにこつんと引つ掛かると、途端に我慢ならなくなる。年寄りの我が儘と云つてもらつてもいい。こちらとしては、呑む場所と呑む時間への嗜好がはつきりした結果だから、廉価や物量に価値を見出だす連中(同じ時期があつたのは認めるのに吝かではない)とはちがふのだと云ひ返してはおく。

 ある程度の狭さで、それなりの歴史がある地域…町。そこが(序でに)自宅から近ければ文句は無く(ぶらつと歩けない町では困るのだ)、わたしの場合、中野がほぼそこにあたる。正確には旧國鐵総武中央緩行線中野驛の周辺。ことに昭和新道の辺りにある呑み屋が好みに適ふ。たとへば…と云ひたいところだが、ここではお店の名前を挙げない。どんな弾みで迷惑を掛けるか見当も附かないし、わたしの好みが我が讀者諸嬢諸氏の好みと一致する保證も無い。かういふのは自分の足とお財布を使つて實感するのが最良、といふより唯一の方法で、たれかが旨いと書いてゐても、あてにはならない。惡口雑言と酒肴の味は、文字にするのがまつたく六づかしい。いや文字にするだけならわたしでも出來るが、どこそこにある何々といふ呑み屋の何とかいふ肴がまことに結構と、正確に伝へるには余程に高度の技術が求められる。讀む側はその辺を差引きすると、参考程度くらゐにしかなるまい。

 とは云ふものの、これから足を運べる呑み屋を思ひ浮べるのは矢張り樂い。さういふ話をしたくなるのも人情の常でもある。なので中野驛の周辺にはかういつた呑み屋があるのだなといふくらゐに抑へながら、話を進めたい。

 最初に黑糖焼酎や泡盛を得意にするKを挙げたい。ここのつまみは奄美の料り方が基本になつてゐて、それだけでなく大将は当り前の呑み屋でも経験を積んだと覚しく、要するにうまい。つき出しがたつぷりあるのは用心せねばならず(胃袋が若ければ兎も角)、わたしくらゐだと外のつまみの註文が躊躇はれる。そのKの近くにはYといふごく狭い立ち呑みがある。Yの筋向ひには、矢張り小さな立ち呑みのPがあつて、どちらも勿論つまみが佳い。ではどちらでもいいかと云ふとさうではない。Pでは鶏の天麩羅だの餃子だのを出し、Yではつまみといふより肴を出す。尤もそれでどちらがいいと云ふ話にはならない。どこかで呑むのは、そこが最初なのか、空腹の具合、醉ひのまはり方、空の模様、時間帯、さういふあれこれの総体で決るのだから、比較はそもそも成り立たず、成り立つたとしても、比較を繰返した結果、自分にとつての呑み屋がひとつになつて仕舞ふ。何とも莫迦げた話であつて、YもPも暖簾を出してもらはなければと思ふ。

 YやPから少し離れたところの二階にAがある。沖縄の料理と泡盛。カウンタに泡盛の壷が並べてあつて、註文すると柄杓で掬つてくれるのが何となく嬉しい。最初に挙げたKと同じと思ふのは誤り。何かの本で目にした、"琉球奄美弧"といふ言葉でも解るとほり…實に綺麗で絵の浮ぶ云ひまはしだと思へる…、文化圏の重なる部分は大きいけれど、それが呑み屋に当て嵌るわけではないもの。その"琉球奄美弧"を拡げると臺灣の島蔭が見えてきて、詰りSがそれにあたる。臺北(の家庭)料理を謳つてゐるのだが、臺北料理は勿論、臺中も臺南も知らないわたしは、大掴みに臺灣料理だと考へてゐる。紹興酒を呑みながら、赤茄子と玉子の炒めものや家常豆腐を食べるのがいい。但しKと同じく一品がたつぷりあるから(わたしの胃袋で先の二皿を同時に平らげるのは無理である)、つまみを撰ぶ際は慎重にしなくてはならない。

 外にも鰻の寝床のやうなバー(お客様のあしらひが巧妙)、フィッシュ・アンド・チップスがうまいパブ(呑むのが黑麦酒なのは云ふまでもない)、葡萄酒やお酒、ヰスキィに特化した立ち呑み式のバーがあり、何といふこともないが、つまみが宜しい居酒屋もあり、さういふ店々に順次灯りが点くと考へるのは愉快である。

 上に挙げた呑み屋の大半はひとりで足を運んでゐた。友人知人を連れて行くのが厭なのではなく、友人知人と呑むとそこがどこでもいつものあの店のやうな気分になるからで、それはそれでいいとしても、さうではない心持ちで呑みたい日もある。中野驛周辺から昭和新道辺にあるのはその為の呑み屋なので、但しそれはわたしの嗜好に適つてゐるに過ぎず、友人知人と呑むなら、友人知人と呑むのに相応しい呑み屋といふ別の嗜好が顔を出す。その嗜好に適ふ呑み屋もあるのだらうなとは思ふが、知る範囲には見当らない。目に入らないだけだとしても、目に入らなければ無いのと同じだし…それで特に困りもしない。それはあの町がこちらにすれば、ひとりでふらふらする場所だからで、少しづつ、そのふらふらを再開出來さうだと思ふのは、順番に点るだらう灯りと共に愉快なことである。

678 未ダ定マラズ

 この稿を書いてゐる時点では何も決つてゐないけれど、ちよつとした遊びの話が出てきた。出不精なわたしですら浮足立つた気分になつて、自覚の無いストレスのやうなものが溜つてゐたのか知らと思ふ。具体的なことは"未ダ定マラズ"だから触れない。但し触れておきたい点もあつて、それが朝めし。ちよつとした遊びが實現すると、泊りが一応の前提となつて、すると朝めしは避けて通れない。

 以前の話を繰返すと、わたしの普段の朝は朝珈琲とトースト程度なので、これを朝めし…食事とは称するのは六づかしい。尊敬する内田百閒は朝にアルファベット型のビスケットをつまんだが、それを朝食とは考へなかつた。ビスケットがトーストになつたわたしも、眞似をして普段は朝めしを食べないと云ひたい。このくらゐの眞似だつたら、咜られる心配もせずに済まう。

 

 併しどこかに泊るなら事情はちがふ。大体は前夜、旨いお酒を呑むから、かるく宿醉つてゐる筈なのに、妙な空腹を感じることがある。空腹の度合ひが宿醉ひの具合と関はるのは云ふまでもなく、何を食べるかは事前に決めにくい。

 尊敬する吉田健一は酒田で韮と生卵を混ぜたのや、蕎麦の實を茹でて鶏のたたきで味附けたの、東北の茶屋で琥珀いろになつた筋子の味噌漬けやとろろ、金沢では河豚の粕漬けの薄切り、鰯の糠漬け(こんか漬と呼ぶらしい)、鰻の蒲焼と蕪おろしを蒸したのをやつつけてゐて、吉田だから麦酒やお酒をあはすのは勿論である。ここまでくると羨望も出にくい。

 吉田が大宰相の倅に生れたのは偶々で、本人はその事實を煙たがつたさうだが、外交官だつた父に従ひ、英國や中國で幼少期を過したのは、将來の批評家と随筆家と小説家と呑み助とその讀者の為に幸運であつた。でなければわたしが、鰻の蒲焼と蕪おろしを蒸した食べもの…見た目の想像は出來ないが、旨いだらうとは疑念の余地が無い…なんて、今も知らないままだつた。残つた短い人生の中で、食べられるかどうかは兎も角、知らなければ掴む機会も持てなくなる。

 

 こんか鰯や琥珀の味噌漬けは先の話としてさて措き。繰返すと泊る以上は朝めしに目を瞑るわけにもゆかない。ビジネス・ホテルだから朝食はある。尤もビジネス・ホテルの朝食だから期待は出來ない。そもそも宿醉ひの頭で、階下のレストランだか何だかに足を運ぶのは面倒だし、仮に降りたとして、その場で朝の麦酒を呑めないのは業腹でもある。なので予め買つておかうと思ふ。

 宿醉ひの度合ひを予測するのは確かに困難だが、ここで経験がものを云ふ。前夜のお酒の気分、もしかするとお酒自体も残つてゐるから、サンドウィッチの類は避けるのが無難であらう。一晩置くことになるのだから、揚げ物の系統も避けておく。空腹を感じたとしても、實際に食べられるかどうかを考へれば、幕の内弁当なんぞも退けたい。サンドウィッチや揚げ物や幕の内弁当がまづいのではなく、ビジネス・ホテルで呑んだ翌朝には不向きといふことである。

 

 そんなら何がいいのかと話が進むのは当然であつて、この場合はお寿司が好もしい。早鮓でもいいが、種を漬けにしたり、酢〆にしたり、或は焙つたりして…要するにあつさりしたのと、しつつこいのが混ざるのが嬉しいからだが、さういふのを買ふと高くつく。値段は気にしなくても、それだけの早鮓だつたらその場で直ぐに食べたい。

 なので散らし寿司にするのが安心と思へる。百閒先生ご自慢の魚島寿司…十幾つも種を用ゐたお祭りのやうな散らし寿司…ではなく、ごく当り前のやつ。筍や椎茸や隠元豆、そぼろに錦糸玉子。海老だの穴子だのがあればもつといい。まあ併しよく出來た散らし寿司も矢張り、直ぐに食べたくなるから、どこでも買へるくらゐのでいいとする。

 どこでも買へる散らし寿司が有難いのは、どこでも買へるのを別にすると、酢飯のお蔭で食慾が削がれない。多くの場合、砂糖の入れ過ぎに感じられるのは残念で、梅干しを上手に使へばいいのになあ。種が刻んであるのは具合が宜しい。そのまま肴になる。後はお味噌汁とチーズがあれば文句は無く、かう書くと何故ここでチーズと首を傾げるひともゐさうだが、チーズはお酒と適ふし、味噌(汁)とも相性がよい。

 

 書くだけ書いたけれど、その"ちよつとした遊び"が實現するかの保證は無い。だとしたら中止になつたら書いただけで損になる。と考へるのは気に喰はない。従つて遊びに行くとしても行かないとしても、予定の日の朝は散らし寿司を喰はうと思ふ。案外と揚げ巻き、即ち助六になつてゐるかも知れないけれど、そこは"未ダ定マラズ"だから、かまふことはないでせう。

677 ワクチン記(余話)

 小便の話で終らすのも何だし、折角でもあるから、もう少し續けませう。

 廿三日廿四日はすつかり平熱。体の芯に熱が残る感じはしたが、勘違ひの可能性も少からずある。

 副反応は予想してゐた通りに起き、覚悟してゐたほど酷くも長くもなかつた。個人差が大きく出るところだらうから、たれでも同じとは限らない。

 あつてよかつたのは解熱剤の他、スポーツ・ドリンクに飲むゼリー、やはらかい菓子パン。予想外に有難かつたのは果物の罐詰。冷藏庫に入れてあつた所為もあつて、シロップが實にうまかつた。小學生の頃に食べたパインアップルだの黄桃だのの罐詰を思ひ出したなあ。

 

 この"ワクチン記"を書かうと考へたのは、ただの面白がりで、それ以上の切つ掛けは無い。世間では感染やワクチン、治療について眞面目に書いてゐるひとがゐる(らしい)から、それはまあさういふひとに任せればいいでせう。

 但し。面白がるのは自分相手のことに限り、他人さまには触れまいとも思ひはした。その程度の配慮なら、幾らわたしでも出來る。

 普段から手帖…実物のですよ、これは…に飲食やその他の備忘を附ける習慣があつたのは、この際、具合がよかつた。何それを後で纏めれば、多少なりとも記録めいた書き方になると思つて、そこから"ワクチン記"の題名が聯想された。余話だから云ふと、この題を附ける時、頭のどこかにカエサルの『ガリア戰記』があつたかも知れず、我ながら図々しいにもほどがある。反省してゐます。

 

 尤も『ガリア戰記』を微かにでも思ひ浮べたのは、わたしにとつて惡くなかつた。ご存知の讀者諸嬢諸氏も多からうが簡単に説明すると、カエサルがローマの元老院に宛てた、八年に渡るガリア(ざつと現代のフランスと考へていい)遠征の記録と報告。地名と人名と当時の風習に馴染みの無い分、讀みにくさはあるが、たいへんに面白い。

 この中でカエサルは自分の判断や言動を、"カエサルはかう考へた"とか"かれはどこそこへの移動を命じた"と記してゐる。自分を第三者的に書くのは中々に客観的…といふより狡猾な技法と云つていい。實のところ、この頃のカエサルの政治的な立場はかなり微妙だつた。一方この男はローマ市民から妙な人気があつたから(派手な借金、花々しい女性遍歴、何より巨大な軍事の功績)、元老院も評価に苦心したらう。

 かれはおそらく腹の底で、このおれが見事にガリアを征したのだ、と思つてゐただらう。ただそれを示すのに、演説でなければ前時代のスッラのやうな軍隊の圧力でもなく、"元老院への報告"といふ形式を用ゐたのは、自慢話の厭みを消し去れる点で、巧妙な戰略と呼べはしまいか。

 

 カエサルの報告書の話ではなかつた。その気になれば進められるけれど、長くなるからここでは控へますよ。"ワクチン記"にあたつてわたしが、記録的な要素を優先し、批評めいた文言を出來るだけ使はないことにしたのは、二千年余り前に禿の女たらしが書いた文章の影響があつたらしい。

 書かなかつたことも一杯ある。ことに感染者の数はまつたく触れなかつた。あれは何だか他人事のやうで、二千人が二百人でも変らない。それより自分の体温の遷り具合や、食慾の感じ方、何をどれくらゐ食べ、それらが平時とどの程度異なつてくるかを気にするのは、人情として当然かと思ふ。

 それでメモを取りつつ、"ワクチン記"に纏め直すのは、普段のこの手帖ではしない手順だつた。新鮮と云へば新鮮で、ワクチンに関はる事共とあはせて面白がれた。まあ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏が同じやうに面白がれるかどうか、保證の限りではないし、この書き方がよかつたといふ自信も持てない。一方で成功失敗は問はず、ひとつの手法ではあつたとは云つてよささうな気もする。以上、少し長い余話。

676 カレー・ライスの肉を論ず

 カレー・ライスには獸肉が欠かせない。

 魚介のカレー・ライスも旨いよといふ聲も聞こえなくはないし、一概にまづいと云ひもしないが、シー・フードの穏やかと繊細はカレー・ライスの力強さ、圧力には些か物足りなさを感じざるを得ない。

 牛肉。豚肉。鶏肉。羊肉。

 とんかつやチキンカツやハンバーグ、ミンチカツの類は措いて、ルーで煮込む條件なら、躊躇せずに牛肉を撰ぶ。ははあビーフ・カレーが好きなのだなと思はれるだらうし、間違ひとも云はないが、わたしとしては

 「カレー・ライスの獸肉と云へば牛が当然、当然でなければ基本ですよ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏もさうお思ひになりませんか」

詰りカレー・ライスとビーフ・カレーは同じいのだと主張したい。ポークやチキン、マトンのカレー・ライス愛好家から激烈な反論が出るだらうか、出るだらうな。

 「インド…ヒンドゥーの広い範囲で牛は神聖動物なのだから、ビーフは罷りならん」

併しビーフ・カレーの愛好者だつて、猛烈な勢ひでやり返すにちがひなく

 「我が國のカレーはイギリス経由の西洋料理である。ロースト・ビーフの故郷からやつてきたカレーに、ビーフを用ゐない道理があらうか」

…いけませんね、かういふのは。ビーフのうまさは譲らないにせよ、ポークもチキンもマトンも旨い。さう考へて平和的にいきませう。

 

 わたしの"五大バイブル"の一冊に『檀流クッキング』があるのは、以前に触れたかも知れない。踏み込んで話すと時間が無くなるから、説明は省略する。世の中には書評なぞで確めなくても、買ふに値する本が何冊かはあるものだ。この本の中で檀一雄は、カレー・ライスの作り方を二度に渡り(西欧流とインド風)紹介してゐる。

 共通するのは薄く切つた大量の玉葱を炒めることと、ソップ乃至出汁に重きを置かないことで、別にこれは檀に限つた技法ではなささうである。固形のカレー・ルーを製造する會社が紹介する作り方でも、水を使ふですよと云つてゐる。日本料理一筋に何十年も庖丁を持ち續けたひとがカレー・ライスを作るとして、落ち着かないだらうな、きつと。うつかり出汁を引くところから始めるかも知れない。

 さうだ、もうひとつ、檀はどちらの調理法でも肉を指定してゐない共通点があつた。

 「さて、別のフライパンで、好みの肉をいためよう。豚の小間切れでも、三枚肉でも、牛肉のブツ切りでも、鶏でも、何でもよろしい」

のださうである。いいですな、鷹揚をこんな時に使はず、いつ使へばいいのか。檀の名誉の為に云ひ添へれば、マトンやラムについては同じ本の、"羊の肉のシャブシャブ"と"ジンギスカン鍋"で丹念に触れてゐる。あの放浪癖の料理好き兼小説家が羊肉に目を瞑る筈はなかつた。

 

 カレー・ライス…ではなかつた、カレー・ライスの肉の話に戻りませうか。冒頭で触れまた措いたが、カレー・ライスの種ものに肉料理を使ふ方法がある。

 正直に云ふと、とんかつの圧勝だと思ふ。チキンやビーフのカツレツがまづいわけではないし、ミンチカツやハンバーグだつて、出てくれば嬉しいのは勿論。或はステイクや牛丼の頭が乗つてゐるのも宜しい。とは云へ相手がカレー・ライスであれば

 「とんかつ以外の撰択肢があらうか」

と反語的に考へるひとが大半…いやきつと過半数に決つてゐる。とわたしは確信してゐる。英國渡りのカレー・ライスが日本獨自の大完成に到つたのが、とんかつを乗せたカレー・ライスことカツカレーだと思ふのだが、カツカレーは機会を改め、暑苦しく論じたいので、ここでは踏み込まない。

 さうなると鶏肉の分が些か惡くなる。と思つたのだが、確かにルーで煮込んだり、カツレツを乗せたりだと、鶏肉の味がカレー・ライスに押し込まれる。だつたら押し込まれなければいいことになりますな。最も簡便な…家のカレー・ライスで直ぐ實行するなら、焼き鳥のたれが宜しい。なーに、マーケットの惣菜賣場で買へば済む。串から抜いて、好み次第でたれを加へ、甘辛さを調へてもいい。焼き鳥の肉は小さいなあと思ふひとには照焼きがある。鶏肉は全般、淡泊な傾向があるので、多少の濃厚を入れれば、カレー・ライスに押し込まれなくなる。

 

 詰り使ひ方次第でカレー・ライスの獸肉は何を撰んでもうまいといふことになる。いやあ、芽出度い。芽出度いが矢張りカレー・ライス党ビーフ派の立場として、最後にもう一度檀の好著に登場願はう。牛すね肉をゆつくり煮込む方法が紹介してあつて、六づかしくも何ともない。すね肉の塊を大きなソップ鍋に入れ

 「水をタップリと張って、ニンニクの塊を五、六粒、ショウガを一、二個、あとはネギの青いところでも五、六本投げ込むだけ」

で、後はあくを丹念に取り、日がな一日、気長に煮る。このソップをカレーに転用し、よく煮えた肉塊は掬つてルーの種にも出來るといふ。勿論カレーだけでなく、シチューやラーメンに使ひ、ソップの上澄みで賽の目に切つた馬鈴薯や人参や大根を煮て"申し分なくおいしい"とあるから、要するに万能ソップ兼おかずの素なのだが、これを使へばビーフ・カレーは更に旨く豪華となるに相違無いし、ビーフ・イーター即ち英國人もきつと満足する。ビーフを旗印にした日英同盟なら、他國から睨まれる心配もない。