焼き鳥屋でまあ間違ひのない註文と云つたら、ネギマのたれだと思ふ。ゲンミツ好みのひとなら
「ネギマはね、葱とまぐろをあはせ炊いた鍋料理」
と教示くださるだらう。焼き鳥のネギマ名は實際、そこからの転用と見てよささうにも感じられるが、この稿では踏み込まない。
仄聞したところ、ネギマ鍋は本來、葱料理なのだといふ。まぐろは葱に脂を吸はすのが役割で、これは誕生の当時、未成就だつた保存技術の問題も含め、とろの部分がひくく見られてゐた傍証か。更に云ふと江戸人は、葱と脂の相性がいいと、解つてゐたとも考へられる。
話を焼き鳥…鍋ではない方のネギマに戻す前に、もう少しムダ話をする。葱の串焼きは案外と六つかしいらしく、上手ではないひとが焼くと、妙に水つぽかつたり、逆に焦げつかせたりする。葱の調子にあはして焼き上げるには、何かしらのコツが求められるのだと思ふ。
ーなんとか、うまい具合に、焼けねエものか。
本所辺りの焼き鳥屋の親仁が、頭を悩ましてゐたとして、不思議ではないし、ネギマ鍋といふ、“葱に脂を吸はす”手法が、本所の親仁に閃く切つ掛けを与へた、と想像出來なくもない。
ここで大事なのは、まぐろの脂が、獸肉の脂に似通つてゐる点。詰り鶏肉の脂との相性も、最初から十二分に期待出來てゐたと云へる。本所の親仁だつて、試し焼きを摘み喰ひし(もしかして一ぱい呑みながら)
ーこれなら、いけるンぢやあねエか。
きつと、にんまりしたらう。改めるまでもなく、これは想像だから、信用されてはこまるけれど。
話がやつとネギマ串に戻つてきて…さて味つけはどうだつただらう。塩か蕃椒か。ただそれだと、少しやれた鶏肉や葱を使つたら、たちまちばれる。サヴァラン教授いはく、“焼き肉師(の才能)は天性”だから、簡素な技法は、本所親仁の手に余つたにちがひない。
要は廉に仕入れられる葱鶏肉を、旨く喰はせる手立てが求められたと云つていい。ここで再び根拠の無いことを云へば、その手立て…焼き鳥にたれを使ふ…の背景、参考に、鰻の蒲焼きがあつたのではないか。期待する役割は異るけれど、種を串に刺し、焼きあげる手順は酷似してゐる。本所辺りだつて、鰻の店くらゐはあつた筈だし、親仁がぬす…見習つても、不思議ではない。
かういつた流れが事實だつたかはさて措いて、鶏肉と脂とたれの組合せが人気を得たのは、間違ひない。令和にもネギマ串が生き残つてゐるのは、当初の方向性が正しかつた證である。また本所以來、それを洗練さし續けたてもゐて、不安の少い撰択になつたのは、当り前だらう。その結果が私の舌を悦ばせてくれてゐる。さ。今宵は気のおけない呑み屋で、ネギマ串を摘みに一ぱい、樂みませうかね。




