何の小説だつたか、主人公に“酒を呑みたい”ことを、“酒…ルビはササ…を食べたい”と云はせるくだりがあり、えらく感心した。感心した理由までは、よく判らない。その小説は豊臣政権の末期が舞台。どうやら当時の酒は“ササ”と呼ばれ、また呑むのではなく、“食べる”ものだつたらしいと知り、その古めかしさを、好もしく思つたのだらうか。
そのササ…酒がどんな風に供されたか、小説で詳らかな描寫はされなかつた。本筋に関はらない箇所ではあつたし、著者は確か、呑み喰ひに無頓着だつたから
ーまあ流してかまンやろ
と考へたのかも知れない。それはそれで、小説家の判断だから、文句を云ふ筋ではないが、(讀者ではなく)呑み助としては、どんな酒器で一ぱいを嗜んだものか、描いてほしかつた気が、しなくもない。
ササ…お酒に限らず、呑む時の器は大事である。
別にどこそこの焼物でとか何とか、八釜しいことを云ふ積りでない。たとへば安中華料理屋で壜麦酒を註文するなら、キリンとかアサヒのロゴマークが剥げかけた小さなコップで呑むのがうまいでせう。葡萄酒だつて、特別急行列車で、サンドウィッチを摘みに呑むなら、プラスチックのカップにざぶざぶ注ぐ方がいい。
何とまあ、捻くれたことを云ふ。呆れられるかも知れないが、こつちだつて、野人を気取る積りではない。呑むならトラッドな方が好もしく、望ましいのは判つてゐる。叉さういふお店なら、置いてある壜に相応しい酒器の用意もあらう筈だし、それで呑むのが美味いのは、小聲でも十分につたはると思ふ。

ところで過日、葡萄酒を呑ましてくれる小さなバーに足を運んだ。葡萄酒は勿論、素敵なお摘みが樂みであつて、その夜は新玉葱のステイク。それから
「これに似合ふ一ぱいを、お願ひします」
と頼んだ。バーテンダー氏に任すのが賢明な場合もあるのです。さうしたら氏は考へを巡らす顔をして、四合壜を取り出し、洒落た酒器で供してくれた。ちよいと驚いた。まあ確かに、葡萄酒から撰んでくださいとは云つてゐない。叉このバーには、静岡に特化した一面を持ち、しらすだの櫻海老だのを使つたお摘みも用意してゐる。
(その手が、あるのかあ)
感心半分、呆れ半分、ゆつくり含むと、無濾過の生原酒なのに…どちらかと云ふと、好みではない筈の仕立てだから…、これが美味いからこまつた。玉葱ステイクと似合ひなのは念を押すまでもなく、詰りバーテンダー氏の撰択が、妙を得たと云つていい。改めて(今度は)感心しながら、お摘みと一緒に平らげ、かういふのを“ササヲタベル”と云ふのだなと思つた。
さうさう。ここまで書いてから云ふのも何だが、冒頭に挙げたのは、『梟の城』での葛籠重藏の科白だつた。かれが新玉葱のステイクに舌鼓を打つ場面はなかつたから、その機會には恵まれなかつたのだらう。
