閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

300 曖昧三百

“数の性質”は[数の帝国]といふサイトのコンテンツのひとつ。 https://ja.numberempire.com/300 そこを見ると、フィボナッチ数/ベル数/カタラン数/規則的数(ハミング数)/完全数/多角数なんて項目があつて、何の意味か、さつぱり判らない。数學的な素養がゼロ…

299 擬きだつて何だつて

冷や汁といふ食べものがある。日向國…今で云ふ宮崎県の料理。宮崎市観光協会のサイトによると http://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/gourmet/01.html ◾️焼いたあじ、イワシなどの近海魚をほぐし、焼き味噌をのばした汁に、豆腐、きゅうり、青じそなどの薬…

298 記号になる

健康診断といふのを診けたのです。ええ、先日の話。身長体重腹囲視力聴力血圧の測定に採血心電図胸部X線採尿。一時間半くらゐ掛つた。目に入つた数字はざつと、(不養生な生活の割りに)正常と呼べる範囲でした。腹回りは些か増えてゐたけれど、まあその辺は咳…

297 はんぶん

昔々、ハーフサイズ・カメラといふのがありましてね。ライカ判のフヰルムを半分づつ使ふ、一種のコンパクト・カメラ。昭和四十年代の初頭、爆發的に流行して、直ぐに消えた。我が若い讀者諸嬢諸氏はご存知ないでせう、えへん。 その代表にオリンパスのペンを…

296 好もしい文字

この手帖では漢字を好んで用ゐる。 “そば”でなく“蕎麦”、“うどん”でなく“饂飩”、或は“ビール”を“麦酒”とするのが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもお馴染みか。序でにカタカナ表記も少ない(“トンカツ”ではなく“とんかつ”)とも思ふのだが、こちらは本筋から外れ…

295 カハ

徳川光圀といふひとはどうも好きになれない。儒學…朱子學の徒なのが大きな理由だと思ふ。前者は礼儀を口喧しく云ふ態度だし、後者は正邪に膠泥する態度だから、どちらも碌なものではない。何につけ(政治的な)イデオロギーが碌でもないのは世の常とは云へ、ど…

294 調理場からの忠告

気温を高く感じる時節になると豆腐を、食べる機会が増える。青葱、生姜、削り節、揚げ玉。ぽん酢か麺つゆか。まあ大体はそんな感じ。その辺のマーケットで賣られてゐるやつ(充填豆腐と呼ばれるらしい)だから、厳密には豆腐と云へるかどうか、些か怪しい。尤…

293 鬩ぎ合ふ

相も変らずパナソニックのGF1と同3を使つてゐる。カメラの話。GF3はほぼオリンパスのボディキャップ・レンズ(型番BCL-0980)の専用で、元々その積りの入手だつたから別に問題はない。序でに云ふとGF3には出來るだけお金を掛けないのを方針にしてゐる。ただ偶…

292 レバとニラ

『檀流クッキング』(檀一雄/中公文庫ビブリオ)の二十五ページに、かういふ一節がある。 豚のレバー二百グラムばかりを食べよい大きさにザクザク切って(中略)、中華鍋の中にラードを強く熱し(中略)、煙をあげる中華鍋の中に放り込む。レバーの表面が焼けて、…

291 葱を喰ふ

池波正太郎の“剣客商売”の冒頭、主役のひとりである秋山大治郎が、貧乏道場で賄ひの婆さんが用意した(だつたか知ら)、麦飯と根深汁だけの質素な食事を摂る場面がある。鼻をひくつかせながら食べる様が、如何にも健康な若ものの食事らしかつたのは忘れ難い。…

290 厚揚げマンマ・ミーヤ

画像は[285 ソノママ離レ]で使つたのを再利用してゐる。この手帖は所謂“寫眞ブログ”でないのは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にご承知だらうから、苦情を云はれる心配は無いだらうけれども。 わざわざ画像を使ひ廻したのはわたしの好物だからで、ははあ丸太は揚出…

289 我慢するべき理由

ちよいと腹が減つたかなと思ひながら歩いてゐる時に何が危険かと云つて、立ち喰ひ蕎麦屋のつゆの匂ひほど危ないものはない。カレーのスパイス香、大蒜の葷香と並ぶ、日本三大“突然食慾を刺戟する”香りと云つても過言ではありますまい。中でも立ち喰ひ蕎麦(こ…

288 型録一讀

今回の閑文字は我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にまつたく関はらない。外題の示すとほりである。また何らかの結論があるわけでもない。この稿を用意してゐる現在、わたしは色々と迷つてゐて、その色々な迷ひを書きつけておかうといふ、ただそれだけの算段である。 …

287 それではこちらが困るので

丸谷才一の随筆で讀んだ話。ドナルド・キーンとの対談だか雑談で、日本の近代文學でたれが讀み易いでせうと訊ねたところ、言下に谷崎潤一郎の名前が返つてきたといふ。キーン曰く 「文章の構造が論理的で解り易い」 さうで、このゴシップを初めて目にした時…

286 言祝ぐ

光格帝…十八世紀末から十九世紀初頭の御門。 幼名は祐宮(さちのみや)、諱は初め師仁(もろひと)、後に兼仁(ともひと) 在位は安永八年十一月二十五日から文化十四年三月二十二日。 崩御は天保十一年十一月十八日。 三十八年に及ぶ在位中の元号は安永、天明、寛…