閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

2019-01-01から1年間の記事一覧

410 年の瀬の御加護

伝承によると推古天皇元年…六世紀末頃の創建であるといふ。ウェブサイトによると 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利…

409 オチデント・ノ・エトセトラ

■始め 二十年ほど東京に住んでゐる。併し親は大坂にゐて、だから年末から年始にかけて、二週間余り西に上る。えらく長いねと云はれさうだが、年に一ぺん所謂長期休暇(と呼べるほど長いとも思へないのだが)を取つて、文句を附けられても肩をすくめる外にない…

408 巨視的な年末年始

師走の晦日には蕎麦を啜つて、正月の三ヶ日にはお雑煮を食べておせちをつまむのが我が國の伝統で、多分二百年とかそれくらゐの歴史があると思ふ。たかが二百年と笑つてはいけない。二百年前は元號だと文政の初期。判りにくければ明治維新のほぼ半世紀前と云…

407 焼酎の格

ブランデーが葡萄酒などの果実酒を蒸溜したもの、ウィスキーがビールを蒸溜したものであるのと同じく、日本の酒やその醪を蒸溜したもの 焼酎について、坂口謹一郎博士は『日本の酒』(岩波文庫)でかう書いてゐる。すつきり、頭に入つてきますな。いい焼酎のや…

406 折らず書かずの失敗

フェチといふ言葉がある。正確にはフェティッシュ。大掴みに物体や人間の躰の一部(たとへば髪の毛)に対する括弧附きの愛情と理解すればいい。括弧の中には性や偏や異常や変態を入れる事と、しつくりするのではないだらうか。赤瀬川原平は物質愛と訳してゐた…

405 曖昧な静岡

東海道新幹線に乗ると東京から神奈川静岡愛知岐阜滋賀京都を経て新大阪驛に着到する。この府県中一ばん馴染みを薄く感じるのが静岡県で、何故だらうと思つた。熱海と下田にあはせて五回か六回は足を運んでゐるから、古馴染みとまではいかなくても、親みを感…

404 焼き鳥を喰ふべし

我われが焼き鳥を喰ふべしと思ふ時、その鳥は鶏の筈で、鳥はbirdを、鶏はchickenを指す。以下その積りで書く。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもその積りでお願ひしますよ。この稿では、全国やきとり連絡協議会の[やきとりの歴史] https://www.zenyaren.jp/yakit…

403 牡蠣喰へば

冬といへば牡蠣であるらしい。何しろ手元の本をちよつと捲るだけでも この貝もただ漠然と貝の肉が我々に聯想させるものに止らなくて獨特の匂ひも味も舌触りもあり、広島のを食べてゐると何か海が口の中にある感じがする。 [広島の牡蠣/吉田健一] フライも牡…

402 引用鍋焼饂飩

獨居自炊の身で絶対に自分では用意しない食べものの筆頭格に鍋焼饂飩を挙げて、そんな事はない、おれは毎晩作つてゐるぞと反論するひとは少からうと思ふ。何となく面倒さうな…手間も時間も掛かる感じがする。そこで先づ鍋焼饂飩の辞書的な意味を調べると ■実…

401 イロハの目玉焼き

ある朝ふと、目玉焼きの定義を調べてみた。その"ふと"が一体どこからきたものか、別の問題になる筈なので、ここでは踏み込まない。 ■三省堂 大辞林 第三版 フライパンに二個または一個の卵を割り入れて焼いたもの。黄身を目玉にみたてていう。 ■実用日本語表…

400 新しい機種について

一ヶ月ほど前だつたか、スマートフォンを新しいの…シャープのAQUOS sense3(au版)にした。スマートフォンは通算で三台目。二台目に續いてのシャープ製端末。三台目に到つて初めて筐体の色が黒になつた。本当は赤がよかつたのだけれど(前二機種はどちらも赤だ…

399 目覚めなくてもかまはない

理想的な食事といふのを考へる。 栄養的にどうかうの意味ではなく、こんな飯を喰へれば後は死ぬだけでいいと思へる(のではないかと期待出來る)献立の事。それだけの目的だから、現實の問題…幾ら掛かるか、どうやつて準備するか、食べきれるか…は纏めて目を瞑…

398 遡り鮪

最近はお刺身をすつかり食べなくなつた。厭になつたとか飽きたとか、さういふのではなく、食慾をそそられなくなつたのが理由。どうぞと出してもらへたら食べるし、美味いと思ふけれども、それより鯖の味噌煮や鯵の開きや鰯の丸干しの方が喜ばしい。 「ははあ…

397 貴族と主婦のソース

ウスター・ソースはどうやつて生れたかといふのは曖昧である。[ウスターソースの起源と歴史とは-日本のソースは日本独自の調味料!?] https://plustrivia.com/originfoods/804/ を参照すると大きくふたつの説がある。 ●マーカス・サンディ(英國ウスターシャー…

396 数自慢

或日ふと気になつて、手元にある丸谷才一の文庫が何冊あるのか数へてみた。三十二冊あつた。内訳は以下の通り。 朝日文庫 一冊 講談社文庫 二冊 新潮文庫 四冊 ちくま文庫 三冊 中公文庫 三冊 徳間文庫 一冊 福武文庫 一冊 文春文庫 十七冊 『忠臣藏とは何か…

395 常に家に

中華料理と云へば最初にたつぷりの油を使つて強い火で一ぺんに炒めあげる様が浮ぶ。事實は兎も角さういふ印象があるのだから仕方がない。たとへば烏賊。たとへば青梗菜。或は筍。確かにずわつと火を通すのがうまい。だけでなくかれらは我われが炒めないだら…

394 豊太閤も及ぶまい

お弁当と聞くとどうもわくわくする。特別な食事と感じられるからだらうと思ふ。特別な食事といふのは、家の中で食べないのとほぼ同じで、絢爛豪華とは意味がちがふ。とは云ふものの、絢爛豪華な食事より旨いかも知れない。いやそれは不正確な比較で、絢爛豪…

393 神無月の芽出度い週末

神無月某日。土曜日。前日までの雨が綺麗にあがつた気分の佳い朝に家を出た。東中野驛まで歩いて中央緩行線に乗り、中野驛で快速に乗換へて立川驛まで。きつね蕎麦(四百十円。残念な事に余りうまくなかつた)を啜つて青梅驛へ。ここまでは順調な乗継ぎであつ…

392 生きとし生けるものの財産

“日本詞華集”と“生きとし生けるものいづれか歌を”と題された書評がある。前者は昭和五十九年の『週刊朝日』、後者は平成八年の『毎日新聞』で發表された。いづれも樋口芳麻呂校注の王朝和歌の小詞華集(岩波文庫所収)が取上げられてゐる。筆者は丸谷才一。日…

391 文化的な本能

◾️壱 時々、“本の話”と題して讀んだ本について書く事がある。讀書感想文の一種とは呼んでいいが、断じて書評ではありません。謙虚や遠慮ではなく、丸々本気で云ふのである。ここでわたしが云ふ書評は、主として丸谷才一の筆になる。ちくま文庫に収められた『…

390 二十年前の入院

平成九年の末頃から翌十年初頭にかけて、腰椎椎間板ヘルニアで入院した。大小ふたつ、並んで出來てゐた内、大きな方だけ切り取つた。両方取ると、残つた箇所への負担が大きくなる恐れがあるからで、担当医曰く 「後になつて動けンくなつたら、その時に取りま…

389 甘味噌の推理

甘味噌豆腐。 好みで云へば、もうちつと、山椒の利いた方がよかつたんだけれど、何しろお晝の定食である。麦酒に適ふ味つけは控へたのだらう。ごはんには大変よく似合つた。豆腐を炒めるのは中華料理の手法かと思へるが(實際この定食を食べたお店は、中華居…

388 コシナが慾しいな

偶に…年に一ぺんか二へんくらゐ、ベッサが慾しくなる。ここで云ふベッサはオリジナルでなく、二十世紀末にコシナが出した方。今はどうなつてゐるのか。記憶にあるのはベッサL、同R、同T、それから同R2だから、この稿はそこで途切れる話になる。念を押すと、…

387 文學秋刀魚

秋と云へばさんまで、さんまと云へば目黒と応じたいところだが、お殿さまには申し訳ないと思ひつつも、矢張り佐藤春夫の『秋刀魚の歌』を筆頭に挙げたい。 あはれ 秋風よ 情あらば伝えてよ ー 男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思いにふける と…

386 立ち呑み考

暫く立ち呑み屋に足を運んでゐない。 好きな店は何軒かあつて、その気になればいつだつて行ける筈なのだが、どうもタイミングがあはないといふか、その気になつた時と財布の具合が宜しくないとか、そんなこんなで足が遠のいてゐる。 行く時はひとりである。 …

385 本の話~豊穣な世界の設計図

『横しぐれ』 丸谷才一/講談社文庫 丸谷才一はわたしにとつて(いやわたしひとりに限つた事でもなからうが)、先づ長篇小説家の印象があつて、批評家や随筆家の側面はその後に續いてゐる。かういふ見立ては本人にすると不本意だらうなとも思ふのだが、染み込ん…

384 眞面目に考へたこと

不意に、饂飩について眞面目に考へた事が無いなあと気がついた。家でうがくし、カップ饂飩も食べなくはないし、偶には外でも啜るのに、漠然とああ饂飩だねえと思ふきりである。不眞面目な態度ではなからうか。 四半世紀くらゐ前のわたしは、饂飩と云へば大坂…

383 お燗酒のこと

尊敬する内田百閒の『御馳走帖』(中公文庫に収められてゐる)に“我が酒歴”といふ一文がある。題名通りの随筆で、陸軍の士官學校で教官を勤めてゐた時期、地蔵横丁の[三勝]といふ高等縄暖簾で、お酒を覚えた頃の一節が記されてある。 お酒はいつも白鶴の一点張…

382 チーズから連想したこと

醍醐とか(乾)酪、蘇とかいふ食べものがある。あつたと云ふべきか。上代日本の乳製品。呼び名がちがふから、別の食べものだつたと思はれるが、どこがどうちがふのか、よく解らない。ミルクとバタとチーズとそれらの中間らしい。中間つて何だと訊かれても、元…

381 残る問題のこと

餃子が好きなのだと云ふと、したり顔で、どうせ焼き餃子でせう。本場では水餃子なのですよと知識を披露するひとが出てきさうである。確かに焼き餃子が好物なのは事實で、この稿はさういふ話をする積りでもあるのだが、幾らわたしが無知でも、水餃子が本來…元…