閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

984 与太話、鶏の皮

水戸の御老公こと徳川光圀は、鮭が大好物だつた。就中、皮を殊の外このみ、一寸厚の鮭の皮があれば、何万石かと交換してもいいと云つた由。實際にあつたら、水戸はたいへん困窮しただらう。尤も『大日本史』の編纂といふ壮大な無駄遣ひに較べれば、ましだつ…

983 唐揚げがきた

ここ暫く、鶏の唐揚げと、無沙汰をしてゐた。 何故だつたのか、解らない。 久し振りに、鶏の唐揚げを、食べたくなつた。 その気分の自覚は、色濃い。 色濃い衣の、唐揚げがきた。

982 駄目な大人の夕方と明け方

ビジネスホテルに泊る樂みのひとつは、その近所や驛前の呑み屋に潜り込むことである。併しどうもチェックインをしてから、わざわざ出るのは面倒な場合もあつて、そんな時には、予め麦酒だのお摘みだのを買つておけばよい。 「家で呑むのと、大して変らんぢや…

981 喜ばしきは

早鮓に敢ての澤乃井普通酒。 おぼろ豆腐御膳には大辛口。 一番汲みも呑んだ。 何年か前に代替りしてから、礼儀作法を學んだのか、たいへん落ち着いた佇まい。 買つて直ぐ呑んだ時は、やや酸味が立つてゐたが、翌朝になると、それも佳い感じに収まつて、贅沢…

980 長寿への懸念

廿歳そこそこの頃、五十歳を過ぎて生きるとは思はなかつた。卅年後に生きてゐる自分の姿を、想像するのは六つかしかつた。その感覚は今も、からだの隅に残つてゐる。 (おれは本当に、半世紀余りも、生きてきたのだらうか) さう不思議に思ふ時もある。年齢に…

979 狐

黑おでん。 大根。 結び蒟蒻。 信太。 このおでんは、静岡風の筈だが、信太を品書きに用意したのは何故か知ら。参考までに信太は"シノダ"と訓む。大坂に信太山といふ地名があり、そこには狐がゐる。狐は鹿と並ぶ神使の獸。その狐…神聖な獸である…が好む油揚…

978 不意のまあいいか

その積りは無かつたけれど、まあいいかと思つて、呑み屋に入つた。勿論、(ある程度は)馴染んだ(筈の)呑み屋で、併し何がまあいいのか。坐り馴れたカウンターの端に席を取つて、壁にふと目をやつたら、"月山味噌胡瓜"とあつた。訊くと山形の月山から取り寄せ…

977 感想文~ウルトラマンブレーザーの前半を観て

先に云ふとこの稿は、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏も毎週、『ウルトラマンブレーザー』を樂みに観てゐる、といふ前提で書いてある。さうではないひとにとつては、とても詰らない筈なので、念を押しておきますよ。 ここで取り上げるのは前半の十二回。 各話のタ…

976 厚揚げはえらい

厚揚げはえらいものだと思ふ。 註文を受けてから揚げて出された厚揚げほど、落ち着いて呑める雰囲気を感じるお摘みは少い。唐揚げも確かに喜ばしいけれど、昂奮が先に立つてしまふ。 多すぎるくらゐの削り節、刻み葱、おろし生姜に、ぽん酢か醤油。そこに大…

975 安定の手帖

神無月に入ると気になりだすのが、來年の手帖に就てで、勿論これは紙の、手書きの手帖を指してゐる。令和も五年が過ぎ去さらうといふのに、未だペンと紙かと思はれる向きもあらうが、そちらの方が使ひ易いんだもの。 例年買ふのは高橋書店で、令和六年もさう…

974 手すさびレンズ

銀塩一眼レフが、カメラの中心になつたのは、昭和卅年代の半ば以降だと思ふ。当時の交換レンズは、五十ミリを基準に、広角側は卅五ミリか廿八ミリ、望遠側は百卅五ミリだつたといふ。但しカメラ本体と五十ミリまでは買へても、広角望遠レンズまで手を伸ばす…

973 気紛れとポテトフライ

偶に、或は屡々足を運ぶ呑み屋での問題は、摘みがおほむね決ることで、一例を挙げると、串焼きのお任せ(六本。最近は全部、塩で焼いてもらつてゐる)、塩キヤベツ、蛸の唐揚げ、ハムカツ、マカロニ・サラド、鶏皮のぽん酢和へ、焼賣。別の呑み屋ならハラミ(二…

972 ニューナンブの議論

お酒とお蕎麦と冩眞と冩眞機を偏愛するニューナンブといふ團体に私が属してゐるのは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にお馴染みだと思ふ。さうでなくても、お馴染みなのだと考へてもらひたい。 そのニューナンブの構成員にS鰰氏がゐる。穏やかな顔つきの大人…ここ…