閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

240 ニューナンブ、某所にゆく

 撮影はしてもかまひませんが、SNSウェブログへの投稿は、お控へ頂きたいです。といふお願ひが最初にあつたから、画像は載せない。どこで何があつたのかも、少々ぼやかしておく。

 それで先づ福生に行つた。寧ろ米軍横田基地がある土地と云ふ方が通り易いかも知れない。訓みはフツサ。“生”の字を“サ”と訓ずる例は外にもあるのだらうか。フツサの訓みに無理やり字を宛てたと考へる方が實情にあふ気がする。驛は旧國鐵の総武中央線で立川(乗換への時に“お座敷列車”が停車してゐた。朝もまだ早いのにお客は上機嫌だつた。羨ましいなあ)から青梅線に入つたところにある。某所での予定は午后二時からなので、その前に少し計り歩きませうといふ算段である。我われが属する別のグループ(こちらはごく眞面目に寫眞を撮つてゐる、筈である)が同じ福生で、午前十一時に集まるといふ話があつて、ただわたしも頴娃君も、その半時間余り前に着いた。久しぶりの顔を見られないのは残念だが、止む事を得ない。そのまま散歩を始めることにした。ほんの少し歩くと[大多摩ハム]の看板が目に入つた。ソーセイジや麦酒を出すレストランがあるらしい。尤も通り掛つた時はまだ開店前で、多摩のハムの實力を確かめる機会は得られなかつた。残念に思ひながら(なので機会は改めねばならないとも思つた)歩を進めると十六号線に出た。通りに添つて雑貨屋やオートバイの店、ベーグル屋、何故だかラーメン屋も立ち並んでゐる。対面が基地。週末で業務も休みなのか、深閑としてゐる。通りから見えるのは隊員たちの宿舎と思しき建物。相応の築年数なのだらう、寂れたニュータウン団地のやうな感じがする。それを横目に何となく日本離れした(こちらの勘違ひである可能性も大きにある)お店の看板なんぞを撮る。

 撮りながら頴娃君が時折り、雑貨屋の店先を熱心に覗いてゐて、何をしてゐるのかと思つたら、今使つてゐる米軍式のバックパックだかに

「ワッペンを貼らうと考へてゐるのです」

とのことだつた。それも出來れば

「ちよいとエロチックなのが、いい」

らしいのだが、目に入つたワッペンはどれも健全で、かれの好みには適はなかつたらしい。その無念、推して知るべし。それはさうとして、腹が減りませんかね、貴君。訊ねると私もさう思つてゐたと合意が示された。ニューナンブのお晝は蕎麦を啜ることが多いのだが、基地の前で、わざわざ蕎麦屋に入る必要もないだらう。それに[大多摩ハム]の看板が目に残つてもゐる。[DEMODE DINER]といふお店に入ることにした。ハンバーガーの店である。席に着くと、ハインツのケチャップとマスタードがあつて、何となく嬉しい。メニュは色々とあつてそそられもしたが、午后二時からの某所でも食事は供される。その点を考慮して註文はスタンダード・ハンバーガーとハートランド。待つこと暫し、たつぷりのフレンチ・フライを盛つた大きなお皿でハンバーガーが登場した。

「仕舞つた、これは」

「予想以上の分量だねえ」

なかつたことにしてくださいと云ふわけにもゆかず、覚悟を決めて囓りつくと、旨い。肉を喰つてゐる感じがする。旨いとなると文句も出なくなるもので(いや併しピックルスがなかつたのは残念であつた)、ハインツを使つて綺麗に平らげた。頴娃君は後を慮つてか、フレンチ・フライを半分ほど残した。入つた時は閑散とした店が、出る頃には随分と賑やかになつてゐた。

 [DEMODE DINER]を出て、青梅線牛浜驛まで歩き、午后一時五分發の電車に乗つた。予定通りの移動なので安心する。車内には同じジャージを着た大柄な白人のグループがゐて、カラテの合宿か何からしい。体格の所為なのか、ジャージなのにえらく恰好いい。密かに羨みながら、半時間足らずで予定通りに某酒藏に到着。藏に併設された食事処が會場である。大広間には数奇者が六十人余り。ざはざはした気配が快いのは、同好の士が集つてゐる安心感からだらうか。きつとさうなのだらう。ここで冒頭の注意喚起がされた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に事情を説明すると、注意喚起のわけは、市販されないお酒を飲まして呉れるからで、詰り非公開の催しなのである。前社長(平成三十年末に退任して今は會長)がそのお酒の話をする。我われに供されるのは三種類。第一は今年最初の吟醸酒で、これは販賣されてゐる。第二には大吟醸を醸す時に出來た澱のところ。賣れるほどの量にはならない。會の面々に出せる量でもなくて、大吟醸を戻したといふ。贅沢だなあ。この澱は一説に“杜氏がこつそり呑む役得”とも云はれるさうだが、前社長いはく

「そんな眞似をしたら、國税が黙つてゐない筈ですから、まあ伝説でせうな」

といふことは、國税が八釜しくも無粋な嘴を挟む以前、藏の主に内緒で、濃い澱を杜氏が愉しんでゐた可能性はある。最後に藏のフラグシップと云つてもいい銘柄。但し市販品ではなく、鑑評會向け。鑑評會は東京都と全國、それから東京國税管轄の三度、開かれるといふ。その為に一斗壜で三十本ほど醸り、會の時期に最良なのを出品するさうで、大広間に集まつた我われは詰り、審査員のおこぼれを預かることになる。とは云へ審査員を羨む必要は丸でなくて、何故かと云ふと、我われの目の前には肴が並んである。お酒は肴があつてこそなのは云ふまでもなく、さう考へれば寧ろ審査員がこちらを羨むのではなからうか。

 三種のお酒はいづれも穏やか(頴娃君いはく、澱酒は供された壜で微妙に異なつてゐたとのこと)極端でない味はひは時によつて、物足りなさにも繋がりかねないが、その辺りの調へ具合は流石に巧い。それにお酒の主張がきついと、肴を樂しみにくくもなつて、これくらゐの方が嬉しくもある。その肴は順を追つて出される。すべての論評は控へるとして、特に感心したのを挙げると、五勺位は入りさうな利き猪口に入つた豆腐。絹漉しなのに舌に残る粘つこさで大豆が濃密な感じ。お代りを頼みたかつたけれど、流石にお行儀が惡いので、何とか我慢した。褒めてもらひたいね。烏鰈の煮つけもよかつた。あしらひは木ノ芽。煮汁が下に置いた焼き豆腐も引き立てる工夫が宜しい。わたしは旨いうまいと云ひながら食べ(また呑みもし)てゐたが、隣席の頴娃君はお箸の進み具合が遅い。元々食事に時間がかかるたちであるし、飲みだすと食べなくもなる。それに周りのひとと賑やかなお喋りに花を咲かせてもゐたから、その所為かと思つたら

福生のバーガーがまだ、ね」

と苦笑を浮べた。どうやらフレンチ・フライの残し方が不十分だつたらしい。最後にはすつかり平らげはしたものの、些か駆け足になつたのは傍目にも気の毒に映つた。ここでひとつ、汁椀が茸の味噌仕立てなのは残念だつたと云つておかう。この藏は粕汁が得意で旨い。当り前の話で、藏の酒粕と仕込みにも使ふ水で作る粕汁がまづければ、その方が不思議である。更に云へば、同じ材料で作られるのだから、相性がいいのも決つてゐて、その粕汁を肴にしたかつた。きつと素晴らしい組合せとなつたにちがひないが、まあこれは別の機会に期待するとしませうか。食事処の料理人の名誉の為に念を押すと、その茸の味噌椀は(小聲でつけ加へると、茸が遠慮勝ちと云へさうな気はしたが)決して惡くなかつた。

 二時間の催しは恙無く閉会をむかへ、閉会にあたつては、最初に出されたお酒(四合壜)がお土産で配られた。金額は書かないが、参加の費用を考へると、儲けは無いに等しいのではないか。意地惡く、かうでもしなければ、商ひが六づかしいのかと勘繰れもするが、それは余りに冷笑的な態度だらう。矢張り愛好する者のひとりとしては、有り難いと思ふ。まつたく満足した我われは、お土産を大事に抱へて青梅線羽村驛で降りた。これから定宿にしてゐるホテルで、ニューナンブ恒例の二次会が始まるのである。

239 カレーに関はる問題

 ここで云ふカレーはカレーライスに限つてゐない。カレー饂飩やカレーラーメン、或はカレー(のルゥ)そのものも含めてゐる。厳密な定義は困難だが、カレーの味つけがされた食事だと(従つてカレー風味のお菓子は含まれない)、大まかに云つておきたい。そのカレーの問題をここで大きに論じてゆく…といふのは嘘、ではないとしても、正確ではなくて、ではどう云へば正確なのかといふと

「カレーに適ふ酒精は何か」

であつて、これをこの稿で考へたい。これを考へるのに、“カレーに適ふ酒精問題”としては、間延びするからいけない。“カレー(に適ふ酒精)に関する問題”とすればよかつたか。

 尊敬する丸谷才一は“小説作法”といふ短い随筆の中で、カレー(随筆中ではライスカレーと書かれてゐた)は、酒精に適はないから格のひくい食べものだと(冗談混りに)断じてゐて、この随筆自体からは色々と影響されてゐることは認めるのに吝かではないのだが、格がひくいといふくだりだけはどうにも納得し難かつた。今でも納得し難い。ただ全部を讀めばそれなりに説得されるのも、また認めなくてはならなくて、詰りカレー乃至ライスカレーを食べる時に、何を飲むかと考へると、氷水が一ばんうまい。後は辛くちのカレーを平らげてから飲む甘めのカフェ・オ・レが浮ぶくらゐで、併しそれは世界の眞實なのか。

 浅草田原町に[松樂]といもつ焼き屋があつた。そこの名物が“カレーのル”だつた。ルーでもルゥでもなくル。小さめの鉢で出される文字通りカレーのルゥ。当時の我われは腹がくちくなるまで呑みまた食べてから、〆に“カレーのル”を註文し、電氣ブランをあはせた。ストレート…ではハイカラに過ぎる。ここで生と書いて“キ”と讀みたい。理科で云ふ表面張力を實感出來る注ぎつぷりで、口で迎へるやうな呑み方をした。電氣ブランについて詳しく語る積りはないが、甘くちのブランディとヰスキィの合の子だと想像すればいい。ひどくきついのに、口当りだけはよくつて、これが“カレーのル”に似合つた。

 中野に[めいぷる]といふお店があつたのも思ひ出した。ここでカレーライスを註文して、これに適ふ一ぱいをと云つた時は林檎の發泡酒を出してきた。覚えてゐるくらゐだから、まづくはなかつたにちがひない。尤も[めいぷる]は酒精が微妙に感じられることも少なくなかつたから、多少の贔屓が含まれてゐるかも知れない。同じ中野には[navel]といふお店もあつて、そこでは葡萄酒をあはせた気がする。序でに云へば、[松樂]も[めいぷる]も[navel]今はもうない。なので我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、探す手間を省いてもらへる。

 さてここで一ぺん整理をしてみたい。

 カフェ・オ・レに電氣ブラン。

 それから林檎の發泡酒。

 といふことは、原則的に“甘めに仕立てられた飲みもの”がカレーに適ふのではなからうか。確か印度にはチャイだつたか、甘いお茶があるさうで、印度と云へばカレー…が不正確なら、スパイス料理だから、印度人が愛飲する飲みものの味つけがカレーに適ふ飲みものの方向性を(暗)示してゐる考へても、大まちがひにはならなささうな気がする。そこでチャイ(風のアルコール飲料)がいいと断定するのには、些かの疑念が残る。我が國のカレーは印度發英吉利経由でもたらされたといふのがその理由。詳しい経緯は幾らでも調べられるから、ここでは触れないが、日本でカレーが受け容れられたのには、英國渡りと理解されたのが大きかつたのではないかと、指摘はしておきたい。

 さうなると英吉利式にギネスやスコッチがいいのか知らと思へてきて…いやどうも怪しいね、これは。経験的に麦酒は適はなかつたし、スコッチはそもそも食事時に飲むものではないもの。それに英吉利のカレー料理は、印度人が作る印度式だつた可能性がきはめて高い。その辺りの感覚は世界に冠たる植民地帝國の遺風が残つて、外國料理はその國の料理人が作るのが当然(スパゲッティを茹でるのは伊太利人なら餃子を茹でるのは中國人)と考へてゐるにちがひない。それに紳士諸君がカレー饂飩を啜つて、うつかり跳ねを飛ばし、折角のシャツに染みをつけて仕舞ふだらうか。それで冷笑的な冗談を口にする姿なら、見てみたい気もされるけれど。

 さてそこで経験に立ち戻ると、酒精をカレーにあはすなら、少し甘めが好もしいらしい。それで葡萄酒はどうだらうと考へた。デザート・ワインは極端としても、獨逸の白で銘柄は忘れたが、ほの甘いのがあつた。或はサングリアやミモザ。惡くないと思ふ。ただカレーは香りがつよいから、葡萄酒やシャンパンでは太刀打ちが六づかしいだらうか。そこで紹興酒を考へてみる。ソーダで割れば、葡萄酒より適ふ可能性はある。尤も日常的に紹興酒を使ふのかといふ問題が出てくるから、(電氣ブランと同じく)安易には撰びにくい。それなら寧ろ濁り酒の方がいいかとも思へる。新鮮な濁り酒なら、發泡も期待出來るとして、さういふのは時節が限られるから、少しのソーダで割れば、似合ひさうな気もされるがどうか知ら。

 とは云ふものの、ギネスやスコッチは勿論、電氣ブランにシードル、葡萄酒やシャンパン、ミモザもサングリアも紹興酒も濁り酒も、致命的に適はないわけではないとして、ことがカレーの相手役だと、ミルクをたつぷり入れたカフェ・オ・レや氷水を凌ぐとは思へない。この現状を印度やパキスタンスリランカの人びとは、また大英帝國のカレー愛好家たちはどう思つてゐるのか。すすどい口調で詰問したくなつてくる。このままではカレーの格はひくいままになつて仕舞ふ。もしかして諦めなくちやあならないのだらうかとも思はれるが、裏を返すと“カレーに適ふ酒精”を作り出せば、酒精の歴史にも、カレーの歴史にも、燦然たる足跡を残せるにちがひない。難問に挑む強者の登場に期待して、この問題は棚にあげる。

238 広がらない話 三題

◾️その一

 現物が手元に無いので、曖昧なままに書くのだが、伊丹十三が映画の撮影だかでヨーロッパに滞在中の話。宿泊してゐるホテルの伊丹の部屋に、三船敏郎がジョニ黒と畳鰯を手土産にふらつと遊びにきたのださうだ。これで一ぱい呑らうといふことで、それはいいのだが、さて畳鰯をどうするか。火を用意させるにも、ボイにどう命じればいいのか、さつぱり判らない。それでやむ事を得ず、備へつけのクリーネックス(と書いてあつたと思ふ)にマッチで火を点して畳鰯を焙り、ジョニ黒をやつつけたのだといふ。侘しく揺らめく火。ジョニ黒と畳鰯とグレイト・ミフネ(と書いてあつたと思ふ)画になる侘しさだなあ。

 ただ画にはなるかも知れないとして、クリーネックスは畳鰯を焙れるくらゐ、火を生めるのだらう。ひゆつと消えて仕舞ひさうにも思へる。伊丹の文章では火を点けるくだりをあつさりとしか書いてゐなかつたので、どんな風に用意したか、残念ながらはつきりしない。仕方がない。自分で確かめてみませうと思つた。灰皿に折り畳んだティシュー・ペイパー(クリーネックスではない)を置いて、水も隣に用意して、BICのライターで火を点けてみるだけのことだから、直ぐに試せる。さうしたら予想してゐたより大きな炎になつたから、少し計り驚いた。尤も煙草に火を移したら間もなく灰になりきる程度の燃焼時間だつたから、さうさう長いものではない。併しクリーネックス乃至ティシュー・ペイパーが十分にあれば、畳鰯を焙れるくらゐの火は用意出來さうに思はれる。


◾️その二

 現物が見当らないので、曖昧なままに書くのだが、司馬遼太郎は案外なほど直喩を好むひとだつたと思ふ。ヘミングウェイの文章を“生肉を指で掴み取る”やうだと喩へたのはその典型とも云へる。かういふ例は幾らでもあつて、ことに『街道をゆく』やその外のエセーでは、直喩の宝庫と云つてもいい。直喩といふと根拠もなく安易な印象に結びつくが、司馬はたとへばロシヤ帝國が西へと領土を拡げたのを“路傍の石を拾ふ”と喩へる。非常に判り易い上に、時のロシヤの伸長振りがくつきりと浮んでくる。凄い技術だと思ふのだが、司馬の譬喩の使ひ方を論じた文章は、目にしたことがない。書評家にとつていい題材になるだらうに、どうして取り上げないんだらう。

 譬喩の別方向を考へると、擬音…オノマトペと呼ぶ方が恰好いいだらうか…があつて、この扱ひはまつたく六づかしい。尊敬する丸谷才一が『文章読本』の中で、これまた尊敬する内田百閒を絶讚してゐる。尤も丸谷は慎重な教師だから、百閒のオノマトペはサーカス藝のやうなものだからと、眞似は厳に戒めてもゐる。譬喩…直喩でも暗喩でも…やオノマトペを使ふのは、文章を書くに当つて、大切な要素だと思はれるが、それらを苦手とするわたしは、そもそもの部分でこの手帖を續ける前に、學ぶべき事柄が多いのだらう。


◾️その三

 現物を手放したので、曖昧な印象で書くと、小説が上手いのと随筆が巧いのは別ものであらうと思へる。何故こんなことを思ふかと云へば、随分と以前に讀んだ高村薫の“雑文(これは本の帯に書いてあつた)”がたいへんに詰らなかつた記憶があるからで、小説の面白さ…デヴューの『黄金を抱いて翔べ』は、今讀むと粗も目立つが、それも含めて讀書の愉快を満喫出來る一冊であつた…に競べて、一驚を喫したのは忘れ難い。尤もこれを高村ひとりに押しつけるのは不公平な態度で、小説と随筆の双方を面白く讀ませる作家は、砂漠の中の砂金ひと粒のやうに少ない。

 池波正太郎の随筆には通人の厭みが微かに、塩野七生のエセーだと“知的な女性の大上段”が感じられる。吉田健一や内田百閒だと、小説と随筆の境目がぼやけてゐる。晩年の司馬遼太郎もここに含めていいだらう。丸谷才一は稀有の例外かと云ひたくなるが、さんま坂の先生は小説があまりにも寡作だつたからなあ。さうなると、小説と随筆の両方で樂しめる…樂しみ續けられる作家は、田辺聖子ひとりかも知れない。わたしは文章で方言を前面に出すのを、表記の面倒と伝達の面から好まないのだが、あのひとの場合、それが自然だと納得出來る。小説や戯曲、エセーと健筆をふるつた井上ひさしでも、かういふ(詰り東北方言を押し出す書き方)特権は得られなかつた。『吉里吉里人』にはもしかすると、その鬱憤が込められてゐるのだらうか。

237 月呑み

 先日、ラヂオを聴いてゐて、某リスナーからのメールだつたか

「妻と月見饂飩の食べ方がちがふ」

といふ話題があつた。リスナー氏は最初に卵を溶き、饂飩に絡めながら啜り、奥方は卵を最後まで残して、おつゆと一緒に食べるのだといふ。

 ほほう。

 成る程。

 色々な食べ方があるものだなあと思つた。さう思つてから我が身を振り返ると、そのリスナー夫妻とまたちがふ食べ方で月見饂飩を啜つてゐたことに気がついた。

 最初の二口三口までは玉子に手をつけない。

 それから黄身を少し、崩す。

 但し、混ぜない。

 かうすると、饂飩の部分、玉子が絡んだ部分、おつゆに混つた部分と、混りきつて仕舞ふまで、味のちがひと変化が樂しめる。“正調 月見饂飩の正しい啜り方”なのかどうかは知らないが、一体に生卵を乗せる食べものは、卵を崩しきらず、混ぜきらない方がうまい。

 卵かけごはん然り。

 カレーライス然り。

 例外にしていいのは、鋤焼きに添へる生卵くらゐではないだらうか。卵は念入りに崩し、丹念に混ぜる方がうまいのだといふ主張だつて、あつていいとは思ふけれど。

 話を戻して、月見は饂飩に似合ふか知ら。わたしは蕎麦の方が似合ふし、旨いとも思ふ。東京風の濃いつゆと蕎麦の黒々しさに、卵の鮮やかな黄いろが映へてこそ、月見だなあと感じられる。本当は少し、白身は固まりかけが望ましいし、ひと刷けのとろろ昆布があればもつと好もしい。

 かういふ気分は卵かけごはんでもカレーライスでも(残念ながら)感じられない。優劣や旨いまづいでなく、気分の話なのは念の為。ぢやあその気分は何なのだと訊かれさうだが、そこは簡潔に

「月に叢雲」

と応じたい。我われは丼に浮ぶ月を食べる。それはまつたき満月であるより、あはい雲に覆はれてゐる方が、伝統に則した姿ではあるまいか…と考へると、冒頭のご夫婦の場合、最後まで卵を残す奥方が、より好ましい姿なのかと思へてくる。ただそれだと、月を呑み込むことになつて、風情も何もなくなつて仕舞ふ。

 妖怪ぢやああるまいし。

236 ハレでもケでも

 お餅は年に一ぺんくらゐしか食べない。云ふまでもなく正月元日がその時で、焼いたお餅を浮べた澄し汁である。だからお雑煮と呼ぶのは六づかしい。手抜きと思はれるやも知れないが、丸太の實家は元々、御節にはさう熱心でなかつた結果だから仕方がない。わたしじしん、喜んで食べたのは蒲鉾と昆布巻きにお煮〆、後は棒鱈(母方の祖母が焚いてくれたのは世界一うまい棒鱈だつた。何とかもう一ぺん食べたいが、祖母は西方浄土に行つたから、再会出來るのはもう何年か後になる)くらゐのもので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも似たやうな気分を感じるひとがゐるのではないか。

 併しこの何年か、そのお雑煮…訂正、お餅入り澄し汁はわたしの樂しみで、樂しみにするのはちやんと理由がある。母親の友人が新潟に住んでをられ、毎年お餅を送つて下さるのだ。歯応へがあつて粘つこく、微かな甘みが感じられて、實にうまい。丸太家の元日は大体午前八時くらゐに起き、佛壇にお供へをしてから卓につき、お芽出度うを云ひ、お酒を一ぱい飲んで始まる。不肖の倅は起き抜けに丸で食慾を感じないのだが、この日計りは別で、お餅の澄し汁が待ち遠しい。父親も似たやうな気分になるらしく、胃の三分ノ一を切つてゐるのに、澄し汁でひとつ、焼いたのを砂糖醤油でひとつ、喉に詰めやしないかといふ倅の心配を他所に平らげる。新潟のお餅、恐るべし。

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 ではそれから毎日、お餅を食べることになるかといふと、何故だかさうはならない。習慣の問題なのかとも思ふが、簡単に断定していいものか、どうか。自信が持てない。

 落ち着くと、お餅は作るのにたいへんな手間がかかる。(糯)米を蒸して撞かなくてはならず、詰り蒸す装置と撞く道具が不可欠である。どちらもかなり高度な技術であらう。また食べる時にも、黄粉や餡、醤油の類や、大根おろし、海苔が必要にもなる。とすると、お餅はとんでもなく豪華な食べものと云つていい。然もうまいのだから、ハレの日の食卓に相応しい。…といふ歴史、伝統が我われの心の奥底に仄暗くあつて、平日(ケの日)には食べない、食べたいと思ひにくいのではないか。根拠のない想像だから、信用されても困るけれど。

 その贅沢な食べものを汁ものに仕立てれば美味いんぢやあないか、と考へたのはたれだらう。もしかすると最初は、冷めて堅くなつたお餅を柔らかくする工夫だつたか。お湯で温めるたれかを見た別のたれかが、そんなら

「汁椀に入れる方がいいぞ」

とか何とか云ひ出して、お吸物の余りにはふり込んだのがそもそもだつた…気がされなくもない。食べてみるとうまい。それで菜葉や根菜を追加し、澄し汁だけでなく味噌も参加させ、鶏肉やら鮭やらも一緒になつて、全國の様々な(時に豪奢、時に簡素な)お雑煮になつていつた。といふのは勿論わたしの想像だが、由來が判然としない食べものは大体、手抜きや間に合せか、さうせざるを得なかつた地域の事情か、何にも意図のない偶然か、そんなところが始りと相場が決つてゐる。

 かう書きながら、贅沢で豪華な食べものとは云へ、現代のお餅は手に入れるのにさほどの苦心も要らないと思つた。厳密なひとは、マーケットで賣られてゐる眞空パックをお餅と呼ぶのは誤りだよと渋い顔をするだらうが、さう云ふ厳密なひとは厳密なお餅を召し上がればよい。マーケットで賣られてゐる以上、ハレの日でなくても買つてはならない理由はないし、買ふのならケの日に食べたつてかまふまい。小さいのを焙つたのに、大根おろしと青葱と醤油を用意すれば、同じお米出身なのだから、お酒にもきつと似合ふ。幾らなんでもそれは(贅沢に過ぎて)ご先祖に申し開きが出來ないといふなら、水炊きに薄く切つたお餅を入れる手もある。白菜や葱や榎茸やしめじや豆腐と一緒に食べると實に旨い。これならハレでもケでも、お酒にあはせて平気にちがひない。