閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

049 帰宅

 日野といふ地名から『図書館戦争』を連想するひとは有川浩の愛讀者であらう。物語が始まる前に起きた“日野の惡夢”の舞台である。或は土方歳三沖田総司の故地でもある点から、『燃えよ剣』を思ひ出すひとがゐて、はたまたトラックやバスが浮ぶひともゐるかも知れない。旧國名で云ふと武藏國日野。江戸開府以前の関東はこの辺り…國府は今の府中市に置かれてゐた…が中心だつた。

 七年前、その日野にゐたのはただの偶然…有り体に云ふと仕事の都合で、残念ながら新撰組を偲んでゐたわけではない。いきなり建物が揺れたからびつくりした。がたつくやうでなく、土台が丸ごと撓んだのではないかと思はれる…擬音だと“ぐらぐら”ではなく“ゆうらり”…揺れ方だつた。

「おお、結構揺れたなあ」

「さうですね。震源が近いのか知ら」

暢気に驚いてゐたら、余震が何度か追ひかけてきた。それでこれはいかんのではないかと思へてきて、携帯電話(当時使つてゐたのはauの所謂ガラケー。カシオ製だつたと思ふ)でワンセグメント放送を見ると、何がなんだか判らない映像だつた。何がなんだか判らないのだから、これは可也りの規模なのだなと想像は出來た。尤も建物が崩れさうとか、近くで火が出たとか、そんな状況ではなくて、兎に角定時まで仕事を續けた。午後五時。

 現場から最寄りの驛は京王電鉄高幡不動。歩いて十五分くらゐだつたらうか。住宅地を抜け、驛前に着くと、ひとが溢れてゐた。電車が完全に止つてゐた。驛の周辺には[マクドナルド]や[ドトール]があつたけれど、既に店を閉めてゐて、やうやくこれは非常事態なのかと感じたのは、我ながら鈍いといふ外にない。驛の放送だと運転再開の目処は立つてをらず、こちらは新宿まで戻らなくてはならないから、歩ける距離ではない。それで近くのコンヴィニエンス・ストアで飲みもの食べものを買つておかうと思つたのだが、既に大半が賣り切れてゐた。目についたパンを幾つか買ひ、さてどうするかと考へた。考へたところで待つしかない。日野はまつたく不案内の土地だから、たとへばビジネス・ホテルがあるかどうかも判らない。仮にあつても、満室だつたらうけれど。そんなら下手に動くより、驛で運行再開を待つ方がましだと判断した。気がつくと日は暮れ落ちて、きつと普段ならあかあかと賑やかなのだらう驛前は、静かなままである。午後六時頃だつたか。敢て名前は挙げないが、某チェーン店の居酒屋が呼び込みを始めたのには驚かされた。“○○如何ですか”といふ聲がひどく不愉快に響いて、今後この店には絶対に行かないと思つた。何故そこまで強く感じたのか、今となつては思ひ出せない。それで驛舎に入つて、隅つこに坐つた。薄暗い驛舎内は混雑してゐたが、たれも喋るとそれだけ疲れて仕舞ふかのやうに口を噤んでゐた。わたしもそのひとりであつた。坐りこんだままだと、足腰が痺れるから、時々立上り躰を動かして、また坐つた。何か考へてゐた筈だが、まつたく記憶に残つてゐない。

 午後十時頃になつて、運転を再開するといふ放送があつた。各驛停車のみ。混乱するといけないから、プラット・ホームへの入場は制限する。その代り運賃は要らないといつた内容で、待つのにうんざりしてゐた我われはのろくさと立上り、改札口に並んだ。先を争ふ様子がなかつたのは、礼儀正しさではなく、単に疲労が溜つてゐたからだらう。高幡不動は始發驛で、幸ひ席を得ることが出來た。電車は徐行の速度、各驛でも停車時間を長く取つてゐた。新宿着が何時になるかは別に、帰れるのは有り難いと思ひながら眠つた。だからその間のことは判らない。深更零時過ぎだつたと記憶するが、新宿で降りると、たいへんな人ごみだつた。ここからどう帰らうかと考へた。JR東日本は運行を止めてゐる。地下鐵の大江戸線はどうだらうと思ひ、仮に運転してゐても、地下で余震にあふのは厭だと考へなほした。それで西武鉄道の西武新宿驛まで歩くことにした。もし運転してゐなければ、そのまま歩いて帰らう。さうしたら入場制限はあつたけれど、電車は動いてゐた。こつちは運賃がかかつたから、京王電鉄の判断は一社で決めたことらしい。帰宅して部屋の中を見ると、予想してゐたとほり滅茶滅茶だつたけれど、硝子は割れてゐなかつたから安心した。電気は通つてゐて、瓦斯は非常停止だつた。瓦斯栓を開け直してシャワーを浴び、時計を見たら午前一時を過ぎてゐた。

 あの凄惨な状況を知つたのは、翌日になつてからで、今に到るまでそれが續いてゐることに、異様の念を禁じ得ない。