たまに双眼鏡乃至単眼鏡が慾しくなる。
何故だかは解らない。あの光學機器には、冒険家やフィールドワークの研究者のツール、といふ印象があるから、そのイコンへのあくがれでもあるのか知ら。
(出無精を自認する丸太が)
何を云ふのかと呆れないでもらひたい。自分が持たない、叉は持てない要素を恰好よく感じ、その要素を象徴する道具に惹かれるのだつて、不自然ぢやあないでせう。簡単に、無いものねだりと纏めてもいいんだけれど。
そんなら将來に渡つて、冒険の計劃もフィールドワークの予定も無い男であるところの私が、双眼鏡や単眼鏡を慾するのは、イコンへのあくがれだけか。と訊かれたら、現實的な理由も無くはない。美術館や博物館で使ひたい。視力に難がある身ので、かういふ場合、あつて損にならないと思ふ。
併し双眼鏡も単眼鏡も、私が知るところは殆どない。興味を持たなかつたから。司馬遼太郎の『坂の上の雲』作中、東郷平八郎が、ツァイスの双眼鏡で露帝國艦隊の動きを注視した描冩が、からうじて記憶にある程度なので、知らないのと変らない。日本海海戰は明治卅八年。ざつと百廿年前、ツァイスは既に最高峰の双眼鏡と、認知されてゐたことになる。後の元帥、アドミラル・トーゴーが使つた双眼鏡は、かれが坐乗した戰艦三笠の展示室で公開されてゐる。話が逸れた。
まあ詰りその程度しか浮ばないのだから、美術館博物館向けの双眼鏡、単眼鏡にどんな種類があり、どう撰べばよいのか、見当をつけるのも六つかしい。その手の光學機器を扱ふのは、ツァイスでなければ、ニコンかペンタックス(同じ光學機器の會社なのに、オリンパスにその印象は感じない)でいいのだらうか。第一、どの程度の出費を見込めばいいのやら、さつぱり判らない。などと云つたら
「目的と使ふ頻度、その他諸々に依りますなあ」
さう助言されるのは間違ひない。至極尤もである。但しその助言は、こちら側にある程度でも目星があつて、奏功しさうにも思ふ。予備知識…イメージもないのに、目的(美術館)や頻度(多くても年に数度)は兎も角、その他諸々が判るわけ、ないぢやあないか。双眼鏡単眼鏡に詳しい方には、その辺りを加味した御教示を求めたい。
さう考へた時、明治の提督は悩まずに済んだらうなと思へてくる。海戰で使ふといふ明確な目的があつたし、ツァイスは当時の日本に、三台とかそれくらゐしかなかつたもの。