閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

121 populaireニッコール

 前々回の[119 木星の復活]で、キヤノンPといふカメラについて触れた。触れると気になるのはわたしの惡癖で、だから今回はキヤノンPの話をするのだが、そのPはpopulaireの頭文字だといふ。カタカナ表記だとポピュレールか。佛語である。國産カメラで佛語由來の名づけは珍しい。外には同じキヤノンのデミがあるくらゐではないか。わたしの知る限りだけれど。

 populaireは綴りからもカタカナ表記からも判るとほり、英語のpopularにほぼ相当する。大衆的とかそんな程度の意味。實際、それまでの機種に較べて可成り安価な価格だつたらしく、10万台近くを賣りあげたとか。近い時期(キヤノンPの發賣は1959年)のライカM2が9万台弱の製造で、こちらは世界に出荷されたことを思ふと、國内では大ヒットを飛ばしたと云つていい。キヤノンが大衆的なカメラを得意にしだしたのは、少し後に出たキャノネットか、1976年のAE‐1辺りからかと思つてゐたが、キヤノンPにその原型はあつたらしい。

 大衆的であれば、ある程度か思ひ切つてか、費用の削減は計られた筈で、キヤノンPの場合はファインダーがその対象であつた。技術的な説明は省くとして、手の掛かる変倍式を止めて、等倍のファインダー内に常時、35/50及び100ミリのフレイムを表示する方式を採用した。手を抜いた、或は簡略にしたのはここだけで、シャッター速度は高速緩速共、ちやんとしてゐるし(この辺をあからさまに削つたキヤノンLもあるのだが)、全体の造りを見ても、首を傾げる箇所は見当らず、これで賣れなければ寧ろ、その方が不思議だらう。

 ここでキヤノンPは文字通り大衆機だつた、と改めて強調する必要はあるだらう。1959年といへばライツ・ライカがぎりぎりのところで“寫眞機の王者”を誇つてゐた頃で、具体的に云へば、M3とM2とⅢgを造つてゐた。實のところ、この直前にカメラの機構は一眼レフへと大きな舵を切つてゐて、ライカ社がそれに気づいたのは1965年のライカフレックス(但し外観以外は文句をつけたくなるやうな出來だつた)になつてからなのだが、そこには口を噤みませう。昭和30年代半ばの日本で、(距離計連動式の)カメラと云へばライカであり、キヤノンだらうがニコンだらうが、残念ながら、第一流と云ひにくい雰囲気があつた…かどうかははつきりしないが、さういふ貧乏な中で小さな贅沢があるとすれば、冷蔵庫でも洗濯機でも自動車でもなく、寫眞機だつた我われのご先祖…訂正、父母乃至祖父母にとつて、“頑張れば、何とか買へる”機種があつたのは、幸せだつたにちがひない。

 そこでその時代の“大衆的な”キヤノンPに話を戻すと、實に微妙な時代でもあつたと思ふ。微妙といふのは距離計連動式だとか一眼レフだとか、小賢しい分類が確立する直前のカメラだからで、ひよつとすると、当時のキヤノンには、“初心者相手のそれなりに使へるそれなりの”カメラといふ發想は、なかつたのかも知れない。今となつては判らないが、さういつた條件が、このカメラを結果としては特異な機種にした気がする。えらく褒めてゐるなあと思はれるだらうが、手元にあるカメラなのだから、多少はあまくなるよ。それに使つてみると、過不足は共に感じないのも事實である。尤も完全無欠と褒める積りもなくて、ここからは少し文句…訂正、弱点に触れておかう。[閑文字手帖]は公正を旨としてゐるんである。

 先づ、ファインダー内の表示についてで、35/50及び100ミリのフレイムが常時、表示されてゐるのは前述のとほりである。中々賑やかなのだが、そこはいい。ただ35ミリのフレイムが広すぎて、ぐるんと目を廻さなくては、全体を見渡せないのはこまる。50ミリを使へば済む話だらうが、たつた今、その50ミリが無いのだから、素早い解決は六づかしい。併しそれは馴れと工夫と我慢でどうにでもなるとして、もうひとつは残念ながらさうはゆかない。ストラップをつけて首からぶら下げると、上部が胸に当る…詰り水平にならないのは、まつたくいただけない。片吊りにしたストラップを手首に巻きつける方法もなくはないが、それで持ち歩くには重すぎる。手持ちのレンズが軽いのだと云はれても、その軽いレンズを使ひたいのだもの。今のところ、首または肩からぶら下げつつ、手で支へるくらゐしか対処が見当らず、些か難儀してゐる。とは云ふものの、文句をつけたいのはそれくらゐでもあつて、複雑で凝つた構造をしてゐれば、もつと不満が出たかも知れない。ここでは大したものだと云つておきませう。

 ここで参考にはならないだらうが、わたしのキヤノンPがどんなのかを、簡単に紹介すると、レンズは前々回に触れた、ソ連製の35ミリジュピター12で、そこに40.5ミリのノーマル・フヰルタをねぢ込んである。レンズの前面が深いので、保護の必要はないが、これで絞りの変更がし易くなる。ファインダー内にもフレイムはあるが、前述の通り、少し計石見辛いので、無銘の35ミリ単獨ファインダーを乗せてある。これはプラスチック。ストラップはアルチザン・アンド・アーチストの黒い布製で型番は判らない。フォクトレンダーのロゴがついてゐるから、コシナと組んだ限定版だと思ふ。好みよりやや短めで、調節が出來ないのは残念だが、許容範囲で、かう書き出してみると、大体のところは、完結してゐるかなあと思へた。

 併しこのカメラが(一応は)ちやんと動く以上、もう少しレンズを何とかしたいかとも思へてきて、要するに物慾である。あの時代のキヤノンなら、面倒な考察…有り体に云へば、純正品かどうだかとか、同時代かどうかとか…を無視しても、苦情は寄せられないだらう。(直ぐ)買ふかどうかは別の話として、取敢ず記しておきませうか。

 先づ28ミリでズマロンとアベノンを挙げたい。リコーやミノルタからも出てゐたが、あれは限定生産だから、手を出しにくい。35ミリだとズマロン(F3.5の方)にコシナのカラー・スコパーか。稀少品趣味の持合せはないのだが、ズミクロンが微量あるのは知つてゐて、気になりはする。キヤノンにも何種類かあつた筈だから、その辺を探すのもいいだらうか。50ミリになると、値段を考へなければ好き放題撰び放題である。キヤノンのF1.8やF1.4は勿論、ニッコールにもF2とF1.4があるし、トプコールにシムラーにタナー。ロッコールやヘキサノン、或はソ連製のゾナー・コピー(ジュピター銘だつたか知ら)やインダスターもあつた。ライツ・レンズならば、エルマーにズマール、ズミタール、キセノンにズマリット。描寫の安定を優先さすなら、コシナのカラー・スコパーを挙げてもいい。限定生産ゆゑ入手は六づかしからうが、ヘキサノンも安心出來るにちがひない。序でに使ひこなせるかどうかは別に変り種かマイナー、またはそれに近いところを挙げると、ライツのスーパー・アングロンとアベノンの21ミリや、キヤノン25ミリ、それにペンタックスの47ミリ(同社いはく、画角の点から、これこそが“標準”レンズなのださうな)だらうか。

 まあ手元のキヤノンPは、ごく廉価に入手したのだし、調子に不安のある個体でもあるから、贅を凝らすのは、ちと趣旨が異なつてくる。なので先づ限定品やら特殊なレンズは除外。それから、何本も揃へるのはどうも野暮な感じもする。さういふ自在の可能性はあるよと思ふ(これはカメラを持つて使ふ上で、大事な点)に留め、ぐつと絞り込まう…と考へた時、最初に浮ぶのは50ミリである。スナップ派閥のひとからは、すりやあ画角が狭くつていけない、ここは35ミリか28ミリぢやあないかなと反論されさうだし、正しいなあと思ひもするのだが、形式を重視するわたしとしては、距離計連動式のカメラには矢張り50ミリを用意しないと、締まらない気がされる。そこで整理の為(我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、しつこいと呆れられさうだが、これが[閑文字手帖]の藝風である。諦めてもらひたい)に、無理のなささうな50ミリを改めて書き出すと

キヤノンまたはセレナー銘(何故キヤノンはこの銘を捨てたのだらうか)

ニッコール

・ジュピター3(F1.5)や同8(F2)などのソ連製。

・ライツのエルマー。

・同じくズミタール。

コシナのカラー・スコパー。

が浮んできて、眞つ当に撰ぶならコシナになる筈である。現代の設計だから、寫りが破綻する心配は丸でない。併しちやんと撮りたいと思ふなら、デジタル・カメラを使へばもつとちやんと寫る。それにわたしは形式を重視するので、歴史的な経緯を含め、ここはニッコールを撰びたい。

 そこでライカねぢマウントのニッコール50ミリは幾つあるのかと思つて確かめてみたら、F3.5(2種類)、F2(これも2種類)、F1.5、F1.4、F1.1にマイクロF3.5と多種多様だつたから驚いた。ここでやうやく話が戻つてきて、我が手元のキヤノンPに似合ひさうなニッコールはどれだと云ふと、どうやらF2の旧い型が相当するらしい。キヤノンが未だ新興の光學会社だつた頃に出した、“ハンザ”キヤノンに供給されたのがニッコールで、その設計を汲んだのが旧F2らしいんである。尤もその辺を厳密に考へだすと切りがない(そもそも“ハンザ”キヤノンとは時代がちがふ)ので、大まかに値ごろ…即ち populaire なニッコールであればいいとしておかう。この組合せだとカラーには向かないのは明らかだけれど、フヰルム寫眞が事實上、滅んでゐることを思へば、寧ろモノクロームに特化させるくらゐが丁度よい。

120 カレー饂飩はプロレスである

 プロレスはややこしい。格闘技と断定出來ないのは今さら云ふまでもないのだが、ではエンタテインメントなのかとも云ひにくく、どちらの要素も濃厚ではあつても、どちらかを撰択するわけにはゆかず、その混在が、混在こそがプロレスなのだと考へるのが、どうやら正解(に最も近い解釈)でありさうだ。なのでプロレスを空手や柔道、ボクシングと比較するのは意味のないことになる。何故かと云へば、空手も柔道もボクシングも、そのヒエラルキは勝てば強く、強ければえらいといふ単純さ(ボクシングのランキング制度が判り易い例)で、敗北や弱さの値うちは正確にゼロである。プロレスにはさういふ面はないか、あつても文字通り一面に過ぎず、さう考へるに、プロレスはプロレスとして孤立してゐると云へなくもない。

 いや断定は控へる方がいいかも知れず、それは相撲があるからで、わたしの見立てる限り、プロレスと相撲は可成り近い。プロレスのリング・ネイムと相撲の醜名。コスチュームとまはしの色。勝敗それ自体より、勝ちつぷり敗けつぷりが評価される(“横綱相撲”といふ言葉が浮んでくる)ところも重要で、屡々塩つぱい勝ちより、豪快な負けに拍手を贈るのには、さういふ理由がある。そこに関ることとして、“相手の攻めを受ける”のが重視されてゐるのもつけ加へておかう。併し何より供げものである点が共通して(だから“綺麗な”八百長は許容されるし、それに目を瞑つて、やんやと拍手を送るのは礼儀でもある)ゐて、プロレスは観客、相撲は神さまと対象は異なるが、勝負はプロレスラーや力士の…訂正、プロレスラーや力士だけのものではない。どうです、割りと説得力のある説だと思ひませんか。さうかなあと首を捻るなら、空手家や柔道家、ボクサーに、勝敗は供げものだよと伝へたと想像してみればいい。その中のかれ乃至彼女はそれを受け容れるだらうか。きつと大袈裟に、わざとらしく、肩をすくめるにちがひない。そいつはビッグ・バンな發想だね、くらゐは云つて呉れるか知ら。

 厭みはさて措いて、プロレスまたは相撲を、外の競技…格闘技と比較する(この場合の比較は、どつちが強いのかといふ単純な疑問とも呼べる)ことに大した意味はない。前述の繰返しになるが、それは技術的な意味合ひでなく、そもそもの在り方が異なるからで、たとへば餃子とタコスは、どちらも具をくるむ点で共通はしてゐても、比較するのに意味がないとの似てゐなくもない。餃子も獨立の気配がある食べもので、比較するなら焼き餃子と水餃子と蒸し餃子と揚げ餃子の間か、後は雲呑焼幕くらゐと思はれて、わたしは何を云つてゐるのだらうか。さう。カレー饂飩である。もしかしてここまで、カレー饂飩には一言半句も触れてゐなかつたかも知れないが、さういふ瑣末にとらはれてはならない。ここからはカレー饂飩の話である。どうやら明治の後半、二十世紀早々の東京は早稲田生れらしい。何となく、判る気がする。あの辺りは今も學生街だし、學生が新奇に飛びついて恰好をつけるのも変らない筈で、齊籐緑雨がコロッケ蕎麦の流行を冷笑したのも、早稲田の噂話だつた記憶がある。誕生に纏はる逸話も幾つかあるみたいだが、有り様は、近辺の蕎麦屋の親仁がハイカラ…若ものに媚びた結果だらうと思へる。

 ここでいきなり、“魔改造”といふスラングを思ひ出した。元々は確か、フィギュアをエロチックに仕立て直す技法を指してゐたかと思ふが、今では原型を留めない変更を、揶揄的に“魔改造”と呼ぶこともあるらしい。この辺りはまつたく詳しくないから、信憑性の保證はしないけれど、云ひたいことは判らなくもない。それでかういふスラングが何故浮んできたかと云ふと、カレー饂飩は“魔改造”ではないかと思つた所為で、これは誤つた掴み方ではないとも思ふが、どうだらうか。ただここで、カレー饂飩は一体、“カレー料理の魔改造”なのか、“饂飩料理の魔改造”なのか、といふ疑問…問題が出てくる。元からあるのは饂飩だから、饂飩の魔改造だらうと考へてみたけれど、どうも確信を持ちにくい。そこで念の為に確かめると、明治の初頭にはカレー・ライスがあつた。普及してゐたかどうかの疑念はあるとして、カレー饂飩より半世紀近く早い時期にあつたのは間違ひない。詰り洋食…カレー・ライスの魔改造として、カレー饂飩が出來たと見立てるのも不可能ではないと思へてもくる。どちらが正しいのか、或は異なる正解があるのかは別に(それはこの稿の目的ではない)、カレー饂飩を明快に饂飩の一派と呼びにくく、カレーの派閥に属するとも云ひにくいのは、出自の曖昧さゆゑではないかと見るのは、あながち見当外れではないと思ふ。

 それが幸か不幸かの判断は措く。重要なのはその曖昧が、カレー饂飩の性格をおそらく決定的にしたことで、これはプロレスに似てゐる。プロレスの原型にレスリングがあるのは云ふまでもないが、その一方でサーカスの見世物だつた一面もあつて、競技なのか興行なのか曖昧である。その曖昧具合は現代のプロレスにも濃厚に残り、我われを熱狂させる要因にもなつてゐる。どちらに属するか、明確であれば、そのどちらかに埋没してゐたかも知れず、同じ想像はカレー饂飩でも成り立ち得る。饂飩の一種とはつきりしてゐれば、ただの変り種であるし、カレーの一派と明快なら、ナポリタン・スパゲッティのやうな微妙な立ち位置で留まつただらう。カレー饂飩はおそらく、饂飩からは邪道として、カレーからは異端として扱はれたにちがひなく、併し饂飩に馴染み、カレーといふ西洋に親しんだ我われのご先祖は、その曖昧を曖昧のまま受け容れ(て仕舞つ)た。これもまた幸か不幸かの話ではなく、これが歴史であると理解しなくてはならない…書いたら、何だか格調が高くなつた感じがするなあ。

 ところで。プロレスには競技寄りとサーカス寄りがあつて(相撲では本割りと初つ切りに峻別されてゐる)、一時期のNOAHは前者(2003年のGHCヘヴィ戰、三沢光晴小橋建太日本プロレス史のベスト・バウトだとわたしは信じてゐる)、矢張り一時期の大阪プロレスは後者だつた。これと似た事情がカレー饂飩にもある。最も饂飩寄りと思へるのは、素饂飩にカレーのルーを乗せたスタイル。カレー寄りの極北は、それ用のカレーを出汁で作る方式で、但し出汁に近いさらさらしたのと、そのままライスに打掛けていいくらゐ、とろりとした仕上げがあつて、これはグラデイションであるが、そのどれが、または何が“本ものの”カレー饂飩なのかといふ議論は成り立たない。前述の三沢対小橋がプロレスなら、“お約束”がたつぷり詰つた伝統藝と呼びたい渕正信菊タロー(この伝統藝が成り立つのは、ふたりが共にプロレス巧者だからなのは、もう少し注目してもいいと思ふ)もプロレスで、どちらがオーソドックスなのかと議論するのが無意味なのと同じく、貴女やわたしが旨いなあと歓べれば、それが“本ものの”カレー饂飩なので、我われは“これこそが(これもまた)、カレー饂飩なのだ”と思ひながら啜りこめばよい。さういふことを或る日、勿論カレー饂飩をやつつけながら考へて結論に達した。即ちカレー饂飩はプロレスであると。

119 木星の復活

 ジュピター12といふレンズが手元にある。ソ連製の35ミリ/F2.8で、ライカねぢマウント。シリアル番号が77で始まるから、多分1977年製造なのだらう。キヤノンPにつけてゐて、併し使へない。キヤノンPの巻き上げが滑るからである。詰りカメラとして使へない。外にライカねぢマウントのカメラは無く、レンズの後キャップも無いので、キヤノンPは今のところ、巨大で重いキャップ代りになつてゐる。ところでこのレンズは友人から譲つてもらつたもので、キヤノンが使へる時に何度か試したが、ソ連製レンズとしては当りに入る…多少なりともマニヤックなひとはご存知のとほり、ソ連のレンズは当り外れが激しい…寫りをする。なのでまた使ひたいと思つてもゐるのだが、大きな問題があつて、それはレンズの後ろが極端に飛び出してゐる点である。世の中にはアダプタと称する、マウントの縛りつけを飛び越す機器(と呼んでいいのかどうか)があるのだが、ジュピターのやうな形状は考慮されてをらず、事實上、取りつけは不可能と云つていい。不便である。さうなると中古でライカねぢマウントに対応する機種を探す必要が出てくる。対応すると念押しした書き方になるのは、ライカMマウントなら、ねぢマウントとの互換性が基本的に保たれてゐるからで、では何が使へるのか。

 デジタル・カメラは除外するとして、最初に浮ぶのはコシナフォクトレンダーか同ツァイス・イコンだが、最初に落ちもする。あすこは生眞面目な会社だから、光線洩れ対策の為、シャッター幕の前に遮光幕をつけてゐて、そこに当る可能性が高い。一ぺんベッサRにエルマー50ミリ/F3.5をつけ、沈胴させたことがある。その時は平気だつたから、大丈夫かも知れないが、現物あはせをしない限り不安は残る。序でにベッサには使ひ勝手のよい露光計が内蔵されてゐるのだが、仮に取りつけが出來たとして、露光計はまつたく使へないのは明らかだから、その点でも躊躇を感じざるを得ない。取りつけに支障は出ないと思はれるライカM6、M7も同様なので落とす。といふか、ソ連のレンズには勿体無い組合せではなからうか。そこで露光計はかまはないと思ひ切れば、気樂なライカ…ライカCLまたはライツ・ミノルタCLが浮んでくるのだが、これは確實に取りつけられない。測光用の腕木があるからで、そこにぶつかつて仕舞ふ。どうせ露光計は信用ならないから、その腕木を取り除いてもらへば、使へさうな気もするが、矢張りソ連製レンズにそこまで手間を掛けるのは勿体無く思はれる。

 ここは素直にソ連のカメラにするのはどうでせうかね、と云つてくるひとがゐることも考へられて、それは御免被る。冗談でフェド2やゾルキー4を買つた経験はあるが、当時のソヴェト人民に同情したくなるくらゐ、眞面目に使ひたいと思へる機械ではなかつた。そこでひとまづMバヨネット式のライカに戻つて、M3からM4、M5に到る本流は贅沢に過ぎる(M5は優れた機種だと思ふし、機会に恵まれれば慾しくもあるのだが、CL同様、測光用腕木の問題がある)から除く。それ以外なら、M1(距離計は内蔵せず、35ミリのブライト・フレイムが使へる)辺りにはちよいと、惹かれる感じもするのだが、わたし程度の技術では持て余しさうだ。M4-2やM4-Pだと、勿体無くはなくても、一応は50ミリのズミクロンが慾しくなりさうだからいけない。…どうやら、Mバヨネットのライカと同マウントを持つ機種(ミノルタCLE、コニカのヘキサーRF、ローライ35RF。デジタル・カメラになるがエプソンR‐D1)は軒並み対象から外すのが無難さうだ。そんならライカねぢマウントの機種なのかといふ話になつて、これがまた面倒になつてくる。

 ライツ・ライカのカメラで一ばん好きなのはⅢcで、この話は随分と以前にした記憶がある。尤もわたしが云ふⅢcの範疇には、販賣されたかどうか定かではないⅢdと、ねぢマウントで最大の成功を収めたⅢfも含まれてゐるが、その辺りは曖昧でもかまはない。この(もしくはこれらの)カメラには致命的な欠点…即ちフヰルムの装填が厄介…がある。光線洩れ対策なのか、堅牢さの確保なのか、事情はさて措き、底蓋を外して、狭い狭いところにフヰルムを通すのは苦行以外の何ものでもない。オスカー・バルナックとその後継の技術者が何を考へてゐたのか、想像するのは六づかしいとして、今の目から云へば、おそろしく頑固な態度だつたと思はざるを得ない。それが獨逸のマイスター気質なのだと弁護するひとがゐるかも知れないが、少なくともM3に到るまでのライカは、常に変化を續けてきた。距離計の内蔵や造り方の見直し、セルフタイマーやフラッシュへの対応、それからマウントそれ自体の変更。これだけ色々やつてきたのに、フヰルム装填の方式だけは見直す素振りすら見せなかつたのだから、頑なな態度と看做したつて、文句を云はれる筋にはならない。それにこの稿の目的はジュピターを使ふ為のカメラであつて、面倒は極力避けたくもある。なのでここでは涙を呑んで、ねぢ式のライカを落とす。贈りものは例外とするけれども。

 多少冷静に考へれば、ライカのねぢマウントを採用した例は、先刻のソ連製カメラもさうだが、我が國でも数多くの模倣機種がある。レオタックスとかタナック、ニッカとか、そんな名前だつたか。その辺りは詳しくないから、何がどうだつたかは、國産カメラの愛好者に任せるとして、さう云へば、概して大手のメーカーには、この手の模倣ライカに不熱心な印象がある。ミノルタが辛うじてスカイだつたか35だつたか、そんなのを出した程度で、富士フヰルムからも小西六からも高千穂光學からも日本光學からも、出なかつたのではないか。出してゐないのがはつきりしてゐるのは後發の旭光學で、聞いた話だとカメラ事業に入るにあたつて、先發メーカーのお客を掠め取るわけにはゆかない(意地の惡い見方をすれば、それで新しいお客をかつ攫はうしたのだが)と、最初から一眼レフの開發に取り組んださうだ。その中で殆ど唯一の例外がキヤノンで、最後の7sを發表したのは1965年。遡つて1959年にはニコンFが登場してゐたし、ペンタックスSPは1964年の發賣だから、カメラの趨勢は完全に一眼レフであつた。それなのにキヤノンがライカねぢマウント式のカメラに膠泥したのは何故だらう。後年、EFマウントを採用した時に、FDマウントを躊躇無く切り捨てた様から云ふと、些か信じ難くも思はれる。

 尤も今となつてはそれが有り難い。長期間、製造が續いたといふことは、それだけ撰べる個体があることを示してもゐて、手元のキヤノンPもその恩恵で入手出來た。曖昧な記憶になるが、10,000円とかそんな値段で買つたのではなかつたか。ライカだつたら、中古のフヰルタが買へるかどうかも怪しい。だからキヤノンは駄目なのではなく、ことにⅤ型以降は、明らかに本家より使ひ勝手に優れてもゐる。ジュピターとの格もまあ釣合ふだらうと云ふと、だつたらそのキヤノンPを修理するのはどうだらうと提案がされさうで、それは一ぺん考へた。考へて調べてみたら、何万円だかの費用が掛かるらしく、果してそれだけのカメラかどうかと云へば疑念が残る。費用を掛けることで愛着が湧く可能性もあるけれど、そもそもさういふ思ひ入れがあつて入手したのではない。だつたら調子のいい別の個体を探す方が安直であり、確實でもありさうな気がされる。そんなことを考へながら、キヤノンPを巻き上げてみたら、当り前に動作して、当り前にシャッターが切れもしたからびつくりした。何かしたから直つたわけでなく、まつたく完璧でないのだつて念を押すまでもなく、ぐりんとか何とか、鳴いてゐる感じはされるが、使へないよりはぐんといい。騙しだましになるのは止む事を得ないとして、使へる目処が出てきたのは喜ばしい。この週末は、外してゐたストラップをつけ、フヰルムを詰めて、木星の復活を宣言するとしませうか。

118 おろす

 さてここで問題をひとつ。

 天麩羅。

 鶏の唐揚げ。

 蕎麦。

 焼き魚。

 厚焼き玉子。

 水炊き。

 ハンバーグ。

 以上に共通するところを挙げよ。


 …。


 考へましたか。


 …。


 よ御坐んすか。


 よ御坐んすね。


 正解は“いづれ大根おろしが似合ふ”である。

 疑念や異論、反論は認め難い。

 外にもとんかつや縮緬雑魚、お味噌汁の種にもよく適ふし、葱と茗荷をたつぷりあしらつた冷や奴にもいいし、霙煮といふ食べ方もあつて、いやそれ以前に醤油のひと垂らしがあれば、大根おろしだけでも十分に旨い。

 とここまで書けば、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には賢察頂けると思ふが、わたしは大根おろしが大好物なのです。

 大根自体も好物である。

 豚肉や鶏肉と焚合せてよく、千六本に刻んだのを大葉でくるむのもよく、お漬物でまた宜しく、おでんの種は勿論、大根抜きのもつの煮込みは考へられないし、ふろ吹き大根に鰤大根ときたら、飛びつきたくなるくらゐでもあつて、その中で一ばん好きなのは何かと訊かれれば、大根おろしと応じるのに躊躇ひは感じない。

 何故か知ら。

 實際のところ、大根そのものが旨いのかと云ふと、かるく首を傾げたくなつてきて、出汁や調味料、その他の具のいいところを、ぐつと受け止める懐が大根の本領ではないかと思はれる。話が広がり過ぎるといけないので、以降のこの稿では大根おろしに話を絞るとするが、矢張りそれ自体が積極的に旨いとは云ひにくい。

 だつたら大根おろしはあつてもなくても、かまはないんぢやあないか

 といふ見方が出るのは容易な想像なのは認めるが、では大根おろしのない天麩羅や焼き魚が考へられるかと云ふとそれは困る、断然こまる。熱さを抑へ、濃い味をやはらげる、さういつた目的があるのも事實の一面ではあるが、矢張り大根おろしがある方が旨いので、詰り大根おろしは無理無臭でないことになる。当り前の話で、おろしたての大根おろしを口に含めば、甘さも辛みも、ごく微かな苦みも感じられ、どれがさうなのでなく、その纏りが大根おろしの仄かな味となつて、我われ、でなければわたしの舌を悦ばせる。

 さうなると“大根おろしを一ばん美味く食べる”方法は何だらうと疑問が浮んできて、矢張り天麩羅になるか知ら。天つゆに大根おろしをたつぷり入れてやつつける海老、鱚、穴子、烏賊(蛸はどうだらう)、かしは、大葉、牛蒡に筍、諸々の山菜やかき揚げ。いいですねえ。ちよいといいお酒を、奢りたくなつてくる。

 と熱く喋つてから云ふのも何だが、天麩羅が本当に最良なのかと云ふと、些かの疑念が残つて、水炊きを忘れてはならないと思はれる。豆腐、春菊、菠薐草、椎茸に榎茸、豚肉に鶏肉、春雨、鮭、鰤、餃子。頭の中でハテナ印を浮べるひとがゐさうだから、念の為に云ふと、生煮えくらゐの鰤に大根おろし(ささやかな経験で云へば、赤身のお刺身に大根おろしは似合ふ。牛肉のたたきだつたら、どうか知ら)の旨さときたら、たまらんものだし、うがいた餃子に大根おろしも適ふ。

 いやいや、それは認めてもいいとして、水炊きは季節が、限られてゐるでせう。大根おろしを愉しむのが季節限定なのは、どうだらうねえ。

 流石である。我が賢明なる讀者諸嬢諸氏の指摘はすすどい。では暑い季節に水炊き方式で、大根おろしを愉快しめないかと云へば、近い方法がある…正確にはないわけでない。なに、豆腐を温めるだけのことで、但し湯豆腐ではない。だから出汁を引かなくてもいい。中まで火が通らない程度に温かくしたのを、少し深めのお皿に用意して、茗荷に胡瓜、穎割れ大根、葱、天かすと、たつぷりの大根おろしを乗せ、蕎麦つゆを垂らしかければ出來上り。堅いのか柔らかなのか、熱いのだか冷たいのだか、あつさりしてゐるのだか油つこいのだか、よく判らないのが全部、大根おろしの味になつて、かういふ場合は匙で食べるのが旨い。

 旨いかも知れないが、それだと食事と呼ぶには物足りない。ここは矢つ張り、鶏の唐揚げもハンバーグも用意して、大根おろし尽しにしなくちやあいけないよ。

 と嘆くひとは健全な胃袋の持ち主である。羨ましい。わたしくらゐになると、その辺りは品書きに書かれてゐれば十分で、これは老人の證と云ふべきか。併し大根おろしには消化を助ける働きがあるといふ…『吾輩は猫である』にもさう書いてある。漱石先生が嘘を書く筈はない…から、最初に食べれば、食慾も湧いてくる可能性はある。そこに牡蠣の天麩羅(サヴァラン教授に曰く、牡蠣には消化剤の効能があるのださうな)があれば完璧で、勿論牡蠣の天麩羅にも大根おろしはよく似合ふ。

117 呑み助封じ

 大抵の定食はごはんに適ふ。野菜炒め、茄子の肉味噌炒め、鶏の唐揚げ、鯵フライ、とんかつ、鯖の味噌煮、回鍋肉や青椒肉絲。定食と云ふくらゐだから当り前だが、今挙げた定食の難点は麦酒にも似合ふことで、さうなるとごはんやお味噌汁を、どう扱ふのかといふ問題に直面する。ごはんとお味噌汁を先に平らげるのは、正統派でなささうな感じがされて気に入らないし、麦酒を飲み会干してからとなると、ごはんもお味噌汁も冷めて仕舞ふ。勿体無い。わたしの場合、定食を先に註文する。三分ノ一くらゐ食べてから、麦酒を追加し、最後はごはんで締める流れにしてゐるが、麦酒が壜だと、何だか中途半端になりかねず、實に悩ましい。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、かういふ心理的な葛藤を感じた経験がないだらうか。勿論そこで麦酒を呑まない撰択はある。たとへば仕事中の晝めしならさうなるもので、併しそれは積極的に呑まないのではなく、呑まないことを積極的に撰ばざるを得ないだけの話ではないか。呑み助は隙と口實があれば、いつだつて呑まうとするから、定食が例外になるとは考へない。そんなのは呑み助の勝手と云はれれば、まつたくその通りとして、晝の定食くらゐ、麦酒を控へたつていいんではないかと時に思ふ。尤もそれは自分の躰を案じた結果でなく、近所の目を憚らうとする見栄なので、たちが惡い。

f:id:blackzampa:20180729114417j:plain

 併し最近になつて、どうもこれが解決策になるのではないかと、気がついたことがある。非常に簡単な解決策で、麦酒よりごはんが慾しくなる定食を食べればいい。かう云ふと、そんなのがあるのかと訊かれるにちがひなく、わざわざ一文を草するのだから目星はつけてあつて、豚肉の生姜焼きがそれである。ポーク・ジンジャーではいけない。カタカナ表記だと寧ろ定食ではないひと皿になるから、葡萄酒の一ぱいも呑みたくなる。呑まざるを得ない。とんかつなら我慢が出來ても、ポーク・カットレットだつたら無理なのと心理的な事情は同じで、かう考へると、文字からの連想は大切だと解る。と書き出すと、話が逸れて収拾がつかなくなりさうだからそこは控へて、豚肉の生姜焼きに戻すと、麦酒に適はないのではない。といふより適ふのであるが、あの濃い味は麦酒よりごはんに似合ふ。回鍋肉や青椒肉絲はひと皿の料理で出されて、不思議に感じることはないが、生姜焼きがひと皿、ぽつんと出されたら、不思議…物足りなさ…いやもつとはつきり、不満を感じるのではないか。何がさう感じせるのか、味覚だけでなく嗅覚や視覚も含めて、研究が必要と思はれて、ここで確實なのは、豚肉の生姜焼きはごはんとお味噌汁、お漬物とちよつとした小鉢を揃へ、始めて完成すると断言しても誤りではないだらう。もつと云へば、それ以上を必要としないのが豚肉の生姜焼きであつて、麦酒一ぱいも余分になる。なつて仕舞ふ。食事として完結し、呑む必要を感じない点で、この定食ほど美事な呑み助封じをわたしは知らなかつた。