閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

120 カレー饂飩はプロレスである

 プロレスはややこしい。格闘技と断定出來ないのは今さら云ふまでもないのだが、ではエンタテインメントなのかとも云ひにくく、どちらの要素も濃厚ではあつても、どちらかを撰択するわけにはゆかず、その混在が、混在こそがプロレスなのだと考へるのが、どうやら正解(に最も近い解釈)でありさうだ。なのでプロレスを空手や柔道、ボクシングと比較するのは意味のないことになる。何故かと云へば、空手も柔道もボクシングも、そのヒエラルキは勝てば強く、強ければえらいといふ単純さ(ボクシングのランキング制度が判り易い例)で、敗北や弱さの値うちは正確にゼロである。プロレスにはさういふ面はないか、あつても文字通り一面に過ぎず、さう考へるに、プロレスはプロレスとして孤立してゐると云へなくもない。

 いや断定は控へる方がいいかも知れず、それは相撲があるからで、わたしの見立てる限り、プロレスと相撲は可成り近い。プロレスのリング・ネイムと相撲の醜名。コスチュームとまはしの色。勝敗それ自体より、勝ちつぷり敗けつぷりが評価される(“横綱相撲”といふ言葉が浮んでくる)ところも重要で、屡々塩つぱい勝ちより、豪快な負けに拍手を贈るのには、さういふ理由がある。そこに関ることとして、“相手の攻めを受ける”のが重視されてゐるのもつけ加へておかう。併し何より供げものである点が共通して(だから“綺麗な”八百長は許容されるし、それに目を瞑つて、やんやと拍手を送るのは礼儀でもある)ゐて、プロレスは観客、相撲は神さまと対象は異なるが、勝負はプロレスラーや力士の…訂正、プロレスラーや力士だけのものではない。どうです、割りと説得力のある説だと思ひませんか。さうかなあと首を捻るなら、空手家や柔道家、ボクサーに、勝敗は供げものだよと伝へたと想像してみればいい。その中のかれ乃至彼女はそれを受け容れるだらうか。きつと大袈裟に、わざとらしく、肩をすくめるにちがひない。そいつはビッグ・バンな發想だね、くらゐは云つて呉れるか知ら。

 厭みはさて措いて、プロレスまたは相撲を、外の競技…格闘技と比較する(この場合の比較は、どつちが強いのかといふ単純な疑問とも呼べる)ことに大した意味はない。前述の繰返しになるが、それは技術的な意味合ひでなく、そもそもの在り方が異なるからで、たとへば餃子とタコスは、どちらも具をくるむ点で共通はしてゐても、比較するのに意味がないとの似てゐなくもない。餃子も獨立の気配がある食べもので、比較するなら焼き餃子と水餃子と蒸し餃子と揚げ餃子の間か、後は雲呑焼幕くらゐと思はれて、わたしは何を云つてゐるのだらうか。さう。カレー饂飩である。もしかしてここまで、カレー饂飩には一言半句も触れてゐなかつたかも知れないが、さういふ瑣末にとらはれてはならない。ここからはカレー饂飩の話である。どうやら明治の後半、二十世紀早々の東京は早稲田生れらしい。何となく、判る気がする。あの辺りは今も學生街だし、學生が新奇に飛びついて恰好をつけるのも変らない筈で、齊籐緑雨がコロッケ蕎麦の流行を冷笑したのも、早稲田の噂話だつた記憶がある。誕生に纏はる逸話も幾つかあるみたいだが、有り様は、近辺の蕎麦屋の親仁がハイカラ…若ものに媚びた結果だらうと思へる。

 ここでいきなり、“魔改造”といふスラングを思ひ出した。元々は確か、フィギュアをエロチックに仕立て直す技法を指してゐたかと思ふが、今では原型を留めない変更を、揶揄的に“魔改造”と呼ぶこともあるらしい。この辺りはまつたく詳しくないから、信憑性の保證はしないけれど、云ひたいことは判らなくもない。それでかういふスラングが何故浮んできたかと云ふと、カレー饂飩は“魔改造”ではないかと思つた所為で、これは誤つた掴み方ではないとも思ふが、どうだらうか。ただここで、カレー饂飩は一体、“カレー料理の魔改造”なのか、“饂飩料理の魔改造”なのか、といふ疑問…問題が出てくる。元からあるのは饂飩だから、饂飩の魔改造だらうと考へてみたけれど、どうも確信を持ちにくい。そこで念の為に確かめると、明治の初頭にはカレー・ライスがあつた。普及してゐたかどうかの疑念はあるとして、カレー饂飩より半世紀近く早い時期にあつたのは間違ひない。詰り洋食…カレー・ライスの魔改造として、カレー饂飩が出來たと見立てるのも不可能ではないと思へてもくる。どちらが正しいのか、或は異なる正解があるのかは別に(それはこの稿の目的ではない)、カレー饂飩を明快に饂飩の一派と呼びにくく、カレーの派閥に属するとも云ひにくいのは、出自の曖昧さゆゑではないかと見るのは、あながち見当外れではないと思ふ。

 それが幸か不幸かの判断は措く。重要なのはその曖昧が、カレー饂飩の性格をおそらく決定的にしたことで、これはプロレスに似てゐる。プロレスの原型にレスリングがあるのは云ふまでもないが、その一方でサーカスの見世物だつた一面もあつて、競技なのか興行なのか曖昧である。その曖昧具合は現代のプロレスにも濃厚に残り、我われを熱狂させる要因にもなつてゐる。どちらに属するか、明確であれば、そのどちらかに埋没してゐたかも知れず、同じ想像はカレー饂飩でも成り立ち得る。饂飩の一種とはつきりしてゐれば、ただの変り種であるし、カレーの一派と明快なら、ナポリタン・スパゲッティのやうな微妙な立ち位置で留まつただらう。カレー饂飩はおそらく、饂飩からは邪道として、カレーからは異端として扱はれたにちがひなく、併し饂飩に馴染み、カレーといふ西洋に親しんだ我われのご先祖は、その曖昧を曖昧のまま受け容れ(て仕舞つ)た。これもまた幸か不幸かの話ではなく、これが歴史であると理解しなくてはならない…書いたら、何だか格調が高くなつた感じがするなあ。

 ところで。プロレスには競技寄りとサーカス寄りがあつて(相撲では本割りと初つ切りに峻別されてゐる)、一時期のNOAHは前者(2003年のGHCヘヴィ戰、三沢光晴小橋建太日本プロレス史のベスト・バウトだとわたしは信じてゐる)、矢張り一時期の大阪プロレスは後者だつた。これと似た事情がカレー饂飩にもある。最も饂飩寄りと思へるのは、素饂飩にカレーのルーを乗せたスタイル。カレー寄りの極北は、それ用のカレーを出汁で作る方式で、但し出汁に近いさらさらしたのと、そのままライスに打掛けていいくらゐ、とろりとした仕上げがあつて、これはグラデイションであるが、そのどれが、または何が“本ものの”カレー饂飩なのかといふ議論は成り立たない。前述の三沢対小橋がプロレスなら、“お約束”がたつぷり詰つた伝統藝と呼びたい渕正信菊タロー(この伝統藝が成り立つのは、ふたりが共にプロレス巧者だからなのは、もう少し注目してもいいと思ふ)もプロレスで、どちらがオーソドックスなのかと議論するのが無意味なのと同じく、貴女やわたしが旨いなあと歓べれば、それが“本ものの”カレー饂飩なので、我われは“これこそが(これもまた)、カレー饂飩なのだ”と思ひながら啜りこめばよい。さういふことを或る日、勿論カレー饂飩をやつつけながら考へて結論に達した。即ちカレー饂飩はプロレスであると。