閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

121 populaireニッコール

 前々回の[119 木星の復活]で、キヤノンPといふカメラについて触れた。触れると気になるのはわたしの惡癖で、だから今回はキヤノンPの話をするのだが、そのPはpopulaireの頭文字だといふ。カタカナ表記だとポピュレールか。佛語である。國産カメラで佛語由來の名づけは珍しい。外には同じキヤノンのデミがあるくらゐではないか。わたしの知る限りだけれど。

 populaireは綴りからもカタカナ表記からも判るとほり、英語のpopularにほぼ相当する。大衆的とかそんな程度の意味。實際、それまでの機種に較べて可成り安価な価格だつたらしく、10万台近くを賣りあげたとか。近い時期(キヤノンPの發賣は1959年)のライカM2が9万台弱の製造で、こちらは世界に出荷されたことを思ふと、國内では大ヒットを飛ばしたと云つていい。キヤノンが大衆的なカメラを得意にしだしたのは、少し後に出たキャノネットか、1976年のAE‐1辺りからかと思つてゐたが、キヤノンPにその原型はあつたらしい。

 大衆的であれば、ある程度か思ひ切つてか、費用の削減は計られた筈で、キヤノンPの場合はファインダーがその対象であつた。技術的な説明は省くとして、手の掛かる変倍式を止めて、等倍のファインダー内に常時、35/50及び100ミリのフレイムを表示する方式を採用した。手を抜いた、或は簡略にしたのはここだけで、シャッター速度は高速緩速共、ちやんとしてゐるし(この辺をあからさまに削つたキヤノンLもあるのだが)、全体の造りを見ても、首を傾げる箇所は見当らず、これで賣れなければ寧ろ、その方が不思議だらう。

 ここでキヤノンPは文字通り大衆機だつた、と改めて強調する必要はあるだらう。1959年といへばライツ・ライカがぎりぎりのところで“寫眞機の王者”を誇つてゐた頃で、具体的に云へば、M3とM2とⅢgを造つてゐた。實のところ、この直前にカメラの機構は一眼レフへと大きな舵を切つてゐて、ライカ社がそれに気づいたのは1965年のライカフレックス(但し外観以外は文句をつけたくなるやうな出來だつた)になつてからなのだが、そこには口を噤みませう。昭和30年代半ばの日本で、(距離計連動式の)カメラと云へばライカであり、キヤノンだらうがニコンだらうが、残念ながら、第一流と云ひにくい雰囲気があつた…かどうかははつきりしないが、さういふ貧乏な中で小さな贅沢があるとすれば、冷蔵庫でも洗濯機でも自動車でもなく、寫眞機だつた我われのご先祖…訂正、父母乃至祖父母にとつて、“頑張れば、何とか買へる”機種があつたのは、幸せだつたにちがひない。

 そこでその時代の“大衆的な”キヤノンPに話を戻すと、實に微妙な時代でもあつたと思ふ。微妙といふのは距離計連動式だとか一眼レフだとか、小賢しい分類が確立する直前のカメラだからで、ひよつとすると、当時のキヤノンには、“初心者相手のそれなりに使へるそれなりの”カメラといふ發想は、なかつたのかも知れない。今となつては判らないが、さういつた條件が、このカメラを結果としては特異な機種にした気がする。えらく褒めてゐるなあと思はれるだらうが、手元にあるカメラなのだから、多少はあまくなるよ。それに使つてみると、過不足は共に感じないのも事實である。尤も完全無欠と褒める積りもなくて、ここからは少し文句…訂正、弱点に触れておかう。[閑文字手帖]は公正を旨としてゐるんである。

 先づ、ファインダー内の表示についてで、35/50及び100ミリのフレイムが常時、表示されてゐるのは前述のとほりである。中々賑やかなのだが、そこはいい。ただ35ミリのフレイムが広すぎて、ぐるんと目を廻さなくては、全体を見渡せないのはこまる。50ミリを使へば済む話だらうが、たつた今、その50ミリが無いのだから、素早い解決は六づかしい。併しそれは馴れと工夫と我慢でどうにでもなるとして、もうひとつは残念ながらさうはゆかない。ストラップをつけて首からぶら下げると、上部が胸に当る…詰り水平にならないのは、まつたくいただけない。片吊りにしたストラップを手首に巻きつける方法もなくはないが、それで持ち歩くには重すぎる。手持ちのレンズが軽いのだと云はれても、その軽いレンズを使ひたいのだもの。今のところ、首または肩からぶら下げつつ、手で支へるくらゐしか対処が見当らず、些か難儀してゐる。とは云ふものの、文句をつけたいのはそれくらゐでもあつて、複雑で凝つた構造をしてゐれば、もつと不満が出たかも知れない。ここでは大したものだと云つておきませう。

 ここで参考にはならないだらうが、わたしのキヤノンPがどんなのかを、簡単に紹介すると、レンズは前々回に触れた、ソ連製の35ミリジュピター12で、そこに40.5ミリのノーマル・フヰルタをねぢ込んである。レンズの前面が深いので、保護の必要はないが、これで絞りの変更がし易くなる。ファインダー内にもフレイムはあるが、前述の通り、少し計石見辛いので、無銘の35ミリ単獨ファインダーを乗せてある。これはプラスチック。ストラップはアルチザン・アンド・アーチストの黒い布製で型番は判らない。フォクトレンダーのロゴがついてゐるから、コシナと組んだ限定版だと思ふ。好みよりやや短めで、調節が出來ないのは残念だが、許容範囲で、かう書き出してみると、大体のところは、完結してゐるかなあと思へた。

 併しこのカメラが(一応は)ちやんと動く以上、もう少しレンズを何とかしたいかとも思へてきて、要するに物慾である。あの時代のキヤノンなら、面倒な考察…有り体に云へば、純正品かどうだかとか、同時代かどうかとか…を無視しても、苦情は寄せられないだらう。(直ぐ)買ふかどうかは別の話として、取敢ず記しておきませうか。

 先づ28ミリでズマロンとアベノンを挙げたい。リコーやミノルタからも出てゐたが、あれは限定生産だから、手を出しにくい。35ミリだとズマロン(F3.5の方)にコシナのカラー・スコパーか。稀少品趣味の持合せはないのだが、ズミクロンが微量あるのは知つてゐて、気になりはする。キヤノンにも何種類かあつた筈だから、その辺を探すのもいいだらうか。50ミリになると、値段を考へなければ好き放題撰び放題である。キヤノンのF1.8やF1.4は勿論、ニッコールにもF2とF1.4があるし、トプコールにシムラーにタナー。ロッコールやヘキサノン、或はソ連製のゾナー・コピー(ジュピター銘だつたか知ら)やインダスターもあつた。ライツ・レンズならば、エルマーにズマール、ズミタール、キセノンにズマリット。描寫の安定を優先さすなら、コシナのカラー・スコパーを挙げてもいい。限定生産ゆゑ入手は六づかしからうが、ヘキサノンも安心出來るにちがひない。序でに使ひこなせるかどうかは別に変り種かマイナー、またはそれに近いところを挙げると、ライツのスーパー・アングロンとアベノンの21ミリや、キヤノン25ミリ、それにペンタックスの47ミリ(同社いはく、画角の点から、これこそが“標準”レンズなのださうな)だらうか。

 まあ手元のキヤノンPは、ごく廉価に入手したのだし、調子に不安のある個体でもあるから、贅を凝らすのは、ちと趣旨が異なつてくる。なので先づ限定品やら特殊なレンズは除外。それから、何本も揃へるのはどうも野暮な感じもする。さういふ自在の可能性はあるよと思ふ(これはカメラを持つて使ふ上で、大事な点)に留め、ぐつと絞り込まう…と考へた時、最初に浮ぶのは50ミリである。スナップ派閥のひとからは、すりやあ画角が狭くつていけない、ここは35ミリか28ミリぢやあないかなと反論されさうだし、正しいなあと思ひもするのだが、形式を重視するわたしとしては、距離計連動式のカメラには矢張り50ミリを用意しないと、締まらない気がされる。そこで整理の為(我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、しつこいと呆れられさうだが、これが[閑文字手帖]の藝風である。諦めてもらひたい)に、無理のなささうな50ミリを改めて書き出すと

キヤノンまたはセレナー銘(何故キヤノンはこの銘を捨てたのだらうか)

ニッコール

・ジュピター3(F1.5)や同8(F2)などのソ連製。

・ライツのエルマー。

・同じくズミタール。

コシナのカラー・スコパー。

が浮んできて、眞つ当に撰ぶならコシナになる筈である。現代の設計だから、寫りが破綻する心配は丸でない。併しちやんと撮りたいと思ふなら、デジタル・カメラを使へばもつとちやんと寫る。それにわたしは形式を重視するので、歴史的な経緯を含め、ここはニッコールを撰びたい。

 そこでライカねぢマウントのニッコール50ミリは幾つあるのかと思つて確かめてみたら、F3.5(2種類)、F2(これも2種類)、F1.5、F1.4、F1.1にマイクロF3.5と多種多様だつたから驚いた。ここでやうやく話が戻つてきて、我が手元のキヤノンPに似合ひさうなニッコールはどれだと云ふと、どうやらF2の旧い型が相当するらしい。キヤノンが未だ新興の光學会社だつた頃に出した、“ハンザ”キヤノンに供給されたのがニッコールで、その設計を汲んだのが旧F2らしいんである。尤もその辺を厳密に考へだすと切りがない(そもそも“ハンザ”キヤノンとは時代がちがふ)ので、大まかに値ごろ…即ち populaire なニッコールであればいいとしておかう。この組合せだとカラーには向かないのは明らかだけれど、フヰルム寫眞が事實上、滅んでゐることを思へば、寧ろモノクロームに特化させるくらゐが丁度よい。