閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

119 木星の復活

 ジュピター12といふレンズが手元にある。ソ連製の35ミリ/F2.8で、ライカねぢマウント。シリアル番号が77で始まるから、多分1977年製造なのだらう。キヤノンPにつけてゐて、併し使へない。キヤノンPの巻き上げが滑るからである。詰りカメラとして使へない。外にライカねぢマウントのカメラは無く、レンズの後キャップも無いので、キヤノンPは今のところ、巨大で重いキャップ代りになつてゐる。ところでこのレンズは友人から譲つてもらつたもので、キヤノンが使へる時に何度か試したが、ソ連製レンズとしては当りに入る…多少なりともマニヤックなひとはご存知のとほり、ソ連のレンズは当り外れが激しい…寫りをする。なのでまた使ひたいと思つてもゐるのだが、大きな問題があつて、それはレンズの後ろが極端に飛び出してゐる点である。世の中にはアダプタと称する、マウントの縛りつけを飛び越す機器(と呼んでいいのかどうか)があるのだが、ジュピターのやうな形状は考慮されてをらず、事實上、取りつけは不可能と云つていい。不便である。さうなると中古でライカねぢマウントに対応する機種を探す必要が出てくる。対応すると念押しした書き方になるのは、ライカMマウントなら、ねぢマウントとの互換性が基本的に保たれてゐるからで、では何が使へるのか。

 デジタル・カメラは除外するとして、最初に浮ぶのはコシナフォクトレンダーか同ツァイス・イコンだが、最初に落ちもする。あすこは生眞面目な会社だから、光線洩れ対策の為、シャッター幕の前に遮光幕をつけてゐて、そこに当る可能性が高い。一ぺんベッサRにエルマー50ミリ/F3.5をつけ、沈胴させたことがある。その時は平気だつたから、大丈夫かも知れないが、現物あはせをしない限り不安は残る。序でにベッサには使ひ勝手のよい露光計が内蔵されてゐるのだが、仮に取りつけが出來たとして、露光計はまつたく使へないのは明らかだから、その点でも躊躇を感じざるを得ない。取りつけに支障は出ないと思はれるライカM6、M7も同様なので落とす。といふか、ソ連のレンズには勿体無い組合せではなからうか。そこで露光計はかまはないと思ひ切れば、気樂なライカ…ライカCLまたはライツ・ミノルタCLが浮んでくるのだが、これは確實に取りつけられない。測光用の腕木があるからで、そこにぶつかつて仕舞ふ。どうせ露光計は信用ならないから、その腕木を取り除いてもらへば、使へさうな気もするが、矢張りソ連製レンズにそこまで手間を掛けるのは勿体無く思はれる。

 ここは素直にソ連のカメラにするのはどうでせうかね、と云つてくるひとがゐることも考へられて、それは御免被る。冗談でフェド2やゾルキー4を買つた経験はあるが、当時のソヴェト人民に同情したくなるくらゐ、眞面目に使ひたいと思へる機械ではなかつた。そこでひとまづMバヨネット式のライカに戻つて、M3からM4、M5に到る本流は贅沢に過ぎる(M5は優れた機種だと思ふし、機会に恵まれれば慾しくもあるのだが、CL同様、測光用腕木の問題がある)から除く。それ以外なら、M1(距離計は内蔵せず、35ミリのブライト・フレイムが使へる)辺りにはちよいと、惹かれる感じもするのだが、わたし程度の技術では持て余しさうだ。M4-2やM4-Pだと、勿体無くはなくても、一応は50ミリのズミクロンが慾しくなりさうだからいけない。…どうやら、Mバヨネットのライカと同マウントを持つ機種(ミノルタCLE、コニカのヘキサーRF、ローライ35RF。デジタル・カメラになるがエプソンR‐D1)は軒並み対象から外すのが無難さうだ。そんならライカねぢマウントの機種なのかといふ話になつて、これがまた面倒になつてくる。

 ライツ・ライカのカメラで一ばん好きなのはⅢcで、この話は随分と以前にした記憶がある。尤もわたしが云ふⅢcの範疇には、販賣されたかどうか定かではないⅢdと、ねぢマウントで最大の成功を収めたⅢfも含まれてゐるが、その辺りは曖昧でもかまはない。この(もしくはこれらの)カメラには致命的な欠点…即ちフヰルムの装填が厄介…がある。光線洩れ対策なのか、堅牢さの確保なのか、事情はさて措き、底蓋を外して、狭い狭いところにフヰルムを通すのは苦行以外の何ものでもない。オスカー・バルナックとその後継の技術者が何を考へてゐたのか、想像するのは六づかしいとして、今の目から云へば、おそろしく頑固な態度だつたと思はざるを得ない。それが獨逸のマイスター気質なのだと弁護するひとがゐるかも知れないが、少なくともM3に到るまでのライカは、常に変化を續けてきた。距離計の内蔵や造り方の見直し、セルフタイマーやフラッシュへの対応、それからマウントそれ自体の変更。これだけ色々やつてきたのに、フヰルム装填の方式だけは見直す素振りすら見せなかつたのだから、頑なな態度と看做したつて、文句を云はれる筋にはならない。それにこの稿の目的はジュピターを使ふ為のカメラであつて、面倒は極力避けたくもある。なのでここでは涙を呑んで、ねぢ式のライカを落とす。贈りものは例外とするけれども。

 多少冷静に考へれば、ライカのねぢマウントを採用した例は、先刻のソ連製カメラもさうだが、我が國でも数多くの模倣機種がある。レオタックスとかタナック、ニッカとか、そんな名前だつたか。その辺りは詳しくないから、何がどうだつたかは、國産カメラの愛好者に任せるとして、さう云へば、概して大手のメーカーには、この手の模倣ライカに不熱心な印象がある。ミノルタが辛うじてスカイだつたか35だつたか、そんなのを出した程度で、富士フヰルムからも小西六からも高千穂光學からも日本光學からも、出なかつたのではないか。出してゐないのがはつきりしてゐるのは後發の旭光學で、聞いた話だとカメラ事業に入るにあたつて、先發メーカーのお客を掠め取るわけにはゆかない(意地の惡い見方をすれば、それで新しいお客をかつ攫はうしたのだが)と、最初から一眼レフの開發に取り組んださうだ。その中で殆ど唯一の例外がキヤノンで、最後の7sを發表したのは1965年。遡つて1959年にはニコンFが登場してゐたし、ペンタックスSPは1964年の發賣だから、カメラの趨勢は完全に一眼レフであつた。それなのにキヤノンがライカねぢマウント式のカメラに膠泥したのは何故だらう。後年、EFマウントを採用した時に、FDマウントを躊躇無く切り捨てた様から云ふと、些か信じ難くも思はれる。

 尤も今となつてはそれが有り難い。長期間、製造が續いたといふことは、それだけ撰べる個体があることを示してもゐて、手元のキヤノンPもその恩恵で入手出來た。曖昧な記憶になるが、10,000円とかそんな値段で買つたのではなかつたか。ライカだつたら、中古のフヰルタが買へるかどうかも怪しい。だからキヤノンは駄目なのではなく、ことにⅤ型以降は、明らかに本家より使ひ勝手に優れてもゐる。ジュピターとの格もまあ釣合ふだらうと云ふと、だつたらそのキヤノンPを修理するのはどうだらうと提案がされさうで、それは一ぺん考へた。考へて調べてみたら、何万円だかの費用が掛かるらしく、果してそれだけのカメラかどうかと云へば疑念が残る。費用を掛けることで愛着が湧く可能性もあるけれど、そもそもさういふ思ひ入れがあつて入手したのではない。だつたら調子のいい別の個体を探す方が安直であり、確實でもありさうな気がされる。そんなことを考へながら、キヤノンPを巻き上げてみたら、当り前に動作して、当り前にシャッターが切れもしたからびつくりした。何かしたから直つたわけでなく、まつたく完璧でないのだつて念を押すまでもなく、ぐりんとか何とか、鳴いてゐる感じはされるが、使へないよりはぐんといい。騙しだましになるのは止む事を得ないとして、使へる目処が出てきたのは喜ばしい。この週末は、外してゐたストラップをつけ、フヰルムを詰めて、木星の復活を宣言するとしませうか。