閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

704 魅惑の柳葉魚

 この稿を書く前に調べたら、日本の固有種なのだといふ。分布は北海道の一部。川に生れて海で育ち、川に還る。語源は"シュシュ・ハム"…アイヌ語の"楊ノ葉"にあるらしい。楊が柳になつた経緯は判らないが(親戚の植物ではある)、ほぼ原意そのままを漢字で宛ててある。念の為に云へば訓みは"シシヤモ"…酒席で馴染み深いあの魚です。尤も我われに馴染んでゐるのは近縁の"カラフトシシヤモ"が殆どださうで、さてどこがどう異なるものか。

 辰巳浜子さんが教へてくれたところによると、麦酒には片手乃至指で摘める食べもの(たとへばポテト・フライ)が好もしい。もう片方の手には、常に麦酒のコップがあることを思へば、まことに尤もな教授である。その考へ方は、肴に当てはめても間違ひはなくて、串に刺した蒟蒻の田樂や、匙で掬ふ温豆腐なぞを嬉しく感じるのは、旨いからなのは勿論、さういふ事情も含まれてゐる。我らが柳葉魚が、その中に含まれるのは、念を押すまでもない。

 などと書いたら、我が礼儀正しい讀者諸嬢諸氏から、柳葉魚はお箸で毟つて食べるものです、と咜られさうである。お行儀の面から云ふと、確かにその通りではあらうが、醉ひがまはると、お箸を使ふのが面倒になるのも、一方の事實である。おまけにわたしには(自慢にはならない)、素面でもお箸の扱ひがまつたく下手な事情…所謂"鉛筆持ち"になつて仕舞ふのだ…がある。なので焼きあがつて直ぐなら兎も角、少々冷めてからは、ひよと指で摘む。うまい。

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 云ひ訳なのは判りつつ云ふと、小魚の類はお箸より指で摘む方が旨い気がする。お行儀を抜きにした原始的な快感を覚えるからだらうか。お行儀は本来、大事にしなくてはならないくらゐは知つてゐる。ここで云ふのが卓のどこに坐つて、何からどう食べて、途中で何を呑んで、こんな科白で褒めませうといつた形式の話でないのは勿論で、そんなのに気を取られると酒も肴もまづくなる。どこかの先生が勿体振つて云ふ話には耳を塞いで、お酒も肴も旨いものにする所作といふか、心掛け心構へといふかをお行儀と呼べばよい。そつちの方面から見て、柳葉魚を指で摘むのはどうだらう。厳密には柳葉魚を小魚に含めるかどうかの議論を経て…どうも怪しさうである…からにならうが、お箸で毟るよか、柳葉魚を喰つてゐる實感がある。すりやあ勘違ひさと笑ふのはかまはないとして、勘違ひでうまいと思へるなら寧ろ得と云へはしまいか。それにアイヌ人だつて、炙つた"楊ノ葉"を摘んだにちがひなく、きつとお箸だか何だかを使ふのももどかしく思ふくらゐ、魅惑的な美味だつたのだ…と想像したい。

703 クリーム・シチューを懐かしむ

 もう何年も、或は何十年も、クリーム・シチューを食べてゐない。ビーフ・シチューはざつと卅年余り、無沙汰をしてゐるから、それより長いのは間違ひない。

 先にビーフ・シチューの話をすると、初めて食べたのは平成元年、千葉県の市川市にあつた、[ヨシカミ]といふ洋食屋だつた。当時の値段で千数百円と記憶してゐるが、どうだつたらう。入つた理由は丸で覚えてゐない。ビーフ・シチューにしたのは、食べたことがなかつたからだと思ふ。牛肉の塊が幾つか転がつてゐて、後は玉葱と人参だつたか、兎に角うまいと思つた。ぱつと見て、そんなに量がある感じがしなかつたから、平らげて満腹を感じたのには少々驚いた。

 それで通つた、と續ければ(残念ながら)嘘になる。[ヨシカミ]のビーフ・シチューは、当時の収入に対して、相応に割高だつた(念を押すが卅年以上前の千数百円ですよ。決して廉ではない)から、月に一ぺんかそこらの贅沢であつた。裏を返せば、さういふ贅沢に相応しい食べものと思つてゐたことになる。そのくせ、何かと理窟をつけて、シチューを食べることはしなかつた。[ヨシカミ]を知つた後のある時期、大坂にあつたロシヤ料理店でビーフ・ストロガノフを食べて、旨いものだと思つた。何度か同じ店に出掛けたが、そこには同行の女性が可愛らしい事情があつたので、旨いといふ感想が正確だつたのか、自信は無い。

 少年のわたしが食べてゐたのは、多分ハウス食品製のクリーム・シチューであつた。豚肉、玉葱、馬鈴薯、人参。具が小さめに切られ、軟らかく炊かれたのは、同居してゐた祖父母にも食べ易くする為だつたと思ふ。普段の夕食は必ず白いごはんだつたのが、クリーム・シチューの夜だけはバゲットで、それを焼いてから、シチューに浸して囓るのが樂みだつた。鶏の股肉を焙つたのも買つてあつたかも知れず、豪勢といふ言葉は知らなかつたが、さういふ気分は確かにあつた。年寄り向けとは云ひにくい"ハイカラな料理"だから、さう滅多に出なかつたのも、豪勢な気分の背景にあつたと思ふ。

 知る限り、思ひ出す限りで云へば、洋食屋でもどこでも、クリーム・シチューを出してゐた処は無い。そんな事はなくて、どこそこの何々ではクリーム・シチューが人気なのですと云はれても、知らないのだから、無いのと同じである。どうしてだらう。家庭料理の印象は確かにある。それならカレー・ライスも同じ範疇に入るのに、こちらは専門店が成り立つてゐる。ビーフ・シチューに較べて花やかさに欠けるからだらうか。薩摩の黒豚と淡路の玉葱と讃岐の小麦と北海道の牛乳で、いちから丹念に作つた自慢のクリーム・シチューを御召し上り下さい、と胸を張るお店があつてもよささうなものだが。ひよつとすると、ビーフ・シチュー派とクリーム・シチュー派で、おれは店、私は家と領土を分けあはうぜなどと、密約を交してあるのか知ら。

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 密約は兎も角、併し[ヨシカミ](を始めとする洋食屋)には申し訳ないが、偶に懐かしく食べたくなるのは矢張り、クリーム・シチューといふことになる。旨いまづいとは別に、記憶の調味料が配合されてゐるからと思はれて、[ヨシカミ]でも[たいめいけん]でも、これ計りは使つてゐない、といふより使へない。そのクリーム・シチューがどんなだつたか…は残念ながら画像の類がまつたく無いのでお見せ出來ない。代りに、クリーム・シチューとあはせたい麺麭を出しておく。かるくトーストして、潰した茹で玉子に刻んだたくわんをマヨネィーズで和へてある。案外なほど旨いのだな、これが。

702 本の話~購入と分解

田宮模型の仕事』

田宮俊作/文春文庫

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 ポルシェの模型を造りたい。

 さう考へてシュトゥットガルトまで飛んだ筆者は、組立て工程を見學して、綿密に取材を重ねたけれど(都合七回に渡つてドイツに行つたさうだ)、ボディ・シェルやエンジンの骨格が判らない。そこまで知りたくなつたのは、模型作りの工程に、實際の製造工程を重ねたいと考へたからで、骨格を知りたい一点の為、筆者はポルシェの購入を決断する。

 

 乗るためではなく資料として買うのです。で、これをどうするかというと、分解するのです。

 

 かう書いた筆者は更に續ける。

 

 作業は企画開発部のスタッフが担当しました(中略)ピカピカのポルシェがジャッキアップされ、車輪もバンパーも、どんどんはずされていく。なんともいえぬ光景でしたが、おかげで納得のゆくデータを収集することができました。

 

 感心しながら呆れて笑ふ、といふ経験はさう滅多に出來るものではない。この話にはちやんとおちまであつて、素人分解だから元に戻せない。ポルシェの整備員(目の当りにした整備員は目を点にして、あんたたち、何てことをやらかしたんだと文句を云つたらしい)を呼び、三日掛りで再組立てをしてもらつたさうだ。

 

 忘れないうちに云ふ。田宮俊作はプラスチック・モデルのタミヤの二代目社長。細々と木工模型を作つてゐた會社を、世界的な企業に育て上げたひとと云つていい。

 率直なところ、文章は巧くない。上に引いたとほり、口調は訥々としてゐるし、丁寧に書かうとしてゐるのは解るが、そこまでしなくてもいいですよと、押し留めたくもなる。併しと念を押さねばならないのは、詰らないのではまつたくない。寧ろ冒頭から最後まで、時間を掛けて讀み込めるくらゐに面白い。不思議だなあ。

 一讀して判るのは、どうも田宮俊作といふひとは、不器用な数寄者だつたらしいことである。模型を作る樂みを届け広げる為に、かれが出來たのは、實物のある現場に足を運び、見て撮つて測つて触ることだけだつた。生眞面目とも愚直實直とも誠實とも、好きに呼んでいいとは思ふが、本人がそれを、ただの一度も感じなかつたらうことは確實である。

 田宮は個人史と大きく重なるタミヤ史を書くにあたつて、文章の技巧には目を瞑つたにちがひない。そんな眞似をしても上ツ面になつて仕舞ふ。記憶と記録を元に、丹念且つ確實に、ひとつづつ書く。さうするしかなかつたとも云へるが、まつたく正しい態度であつた。要するに實物を見て撮つて測つて触つて、模型へと昇華させた手法の転用である。勿論本人がそんな風に考へた筈はなく、模型造りの習性が、骨の髄まで染み込んで血肉にまで変じて、筆を走らせたにちがひない。尤も實際がどうなのか、分解して中身を確めるわけにもゆかず、その意味ではポルシェより厄介と云つていい。

701 同盟

 メロンパンの何が、或はどこがメロンパンなのだらう。メロンのやうな見た目だから、メロンパンなのですよと、我が親切な讀者諸嬢諸氏は教へてくれる筈で、おそらく正しいのだらう。併しそのメロンは、我われが頭に浮べるムスク・メロンではなく、眞桑瓜だよといふ説もある。ムスク・メロンの別名が麝香瓜(この麝香をmusk…ムスクといふ)なのでも判る通り、どちらも胡瓜属の植物。どちらもメロンパンから逆引き出來るほど、似てゐるとは思ひにくい。

 形状は大きく半球形と紡錘形の二種。わたしは前者をメロンパンと呼ぶが、後者をメロンパンと呼び、前者はサンライズとする地域もあるさうだ。半球形の模様を太陽に見立てた名附けらしい。英語が敵性言語扱ひされた時代なら、旭日とでも呼ばれたのだらうか。さうなるとメロンパンは麝香瓜麺麭とかそんな名になつた可能性も出てきて、英語漬けの名附けには多少、批判的な気分を持つわたしでも、すりやあないよと云ひたくなる。

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 ここからは半球形のをメロンパンと呼びますよ。どこのマーケットでも、コンビニエンス・ストアでも、麺麭の賣場で必ず見掛ける。見掛ける度に買ふ。となつたら、メロンパン會社は手を拍つだらうが、そんなことはない。ああメロンパンが置いてあるなあと思ひ、そのまま通り過ぎるのが殆どである。と云ふよりそもそも

 「メロンパンを食べたくて、我慢ならんのぢや」

と思つた記憶がない。何かの拍子で買ふのだが、その時も偶にはメロンパンでも食べるかと思ふからで、メロンパン會社で開發を担当するひとには申し訳ない気がする。

 併しぜんたい、メロンパンをいつ、どんな風に食べればいいのか知ら。朝食やおやつの代りくらゐしか思ひつかない。朝食の麺麭だつたら当り前にトーストの方がいいし、わたしはおやつの習慣を持たず、詰りメロンパンを食べる時間と場所の見当が附かなくなる。さういふひとは外にも少からず、ゐるだらうと思ふのだが、事はどうもさう単純ではないらしい。チョコレイトの粒を埋め、何やらのクリームを入れ、或はムスク・メロンつぽい匂ひをつけたメロンパンがあるのがその證拠で、メロンパン愛好家がゐなければ、わざわざ新しいのを作りはすまい。

 さういふ人びとは一体、どんな気分でメロンパンを味はふのだらう。愛好の諸嬢諸氏は、メロンパンを菓子パン(或はお菓子の一種)ではなく、獨立した"メロンパンといふ食べもの"と理解してゐるのだらうか。日本のどこかにメロンパン愛好同盟などといふ秘密結社があつて、日々新しいメロンパンの可能性について、侃々諤々の議論を戰はせてゐると想像すると、世界もまだまだ捨てたものではないと思へる。さうさう。同盟が實在するなら是非とも、メロンパンに適ふ飲みものについても、議題にあげてもらひたい。ミルク・ティくらゐしか、思ひ浮ばないのである。

700 昭島どんたく

 

 

序~当然の如く

 東京都の西側、旧國で云ふと武藏國多摩郡に昭島といふ市がある。周りには八王子立川福生日野の各市があつて、そこに較べれば、市民と市長には申し訳ないが、地味ですな。ただ地名と昭島驛の名前は、以前から知つてゐた。先に行けば羽村青梅沢井の各驛があるからで、詰り通り過ぎる場所だつた。そこへ足を運ぶことになつたので、事情を書く。

 いやその前に"どんたく"について少し触れておきたい。和蘭語のzontagに起源がある。休日乃至日曜日、要は休息日の意。わたしが属するニューナンブ…カメラと冩眞とお酒を偏愛する不逞の輩たち…では、転じて酒席を指し、特に泊りが加はる場合を"スーパーどんたく"と称する。その"スーパーどんたく"が昭島に行く目的であつた。

 

壹~先づは背景

 東横インといふビジネス・ホテルがある。何と云ふこともない、チェーンのホテル。どんな経営なのかよく知らないのだが、ぽつりぽつりと新規開業を重ねてゐるから、それなりに順調なのだと思ふ。

 そのぽつりぽつりがニューナンブにとつて(時に)重要になる。新規開業に際して、シングル・ルームが三千九百五十円で泊れる"サンキュー・ゴメンネ"キャンペーンを實施するからで、"新しいスタッフが運営に不馴れだらうから、その分を値引きします"と名目が附けてある。冷静になつたら、スタッフ全員が新規採用でもあるまいし、ノウ・ハウだつてあるのだから、スムースかどうかは措いても、酷い運用になるとは思へない。仮にさうだとしても、ビジネス・ホテルに求めるのは、滞りのないチェック・イン、チェック・アウトと清潔な部屋くらゐなもので、こちらに影響は及ぶまい。なのでキャンペーンは、新しく営業を始めますよといふお知らせと宣伝以上にはならない。勿論廉に泊れるなら有難い。そこに目を附けたのがニューナンブの頴娃君で、貴君泊り行かうぢやあないかと云つてきた。

 ここでニューナンブの事情について、筆を滑らすと、令和二年から三年に掛けての感染症の流行が、我われの行動に大きく影響したのは云ふまでもない。酒席を共にし、或は藏開きに足を運ぶなど無理な相談であつた。それでZoomだとかGoogle Meetだとか、オンラインを試行している。ただわたしは、その方向がどうも気に入らない。心理的な事情と物理的な環境の双方に事情があるとだけ云つておく。そこに頴娃君の誘惑、訂正提案があつたので、非常に心が動かされた。と書くのは些か正確さを欠いて、その前に別件で似た計劃があつた。神無月に立川での實施を目論んだけれど、どうしても感染症流行…といふより再拡大…の不安が拭ひきれず、見送つた経緯がある。見送りを決めたのは間違つてゐなかつたとは思ひつつ、無念が残つたのもまた事實であつて、わたしが大きに心動かされたのは、詰りさういふ伏線のやうな背景があつた。よし頴娃君、泊りに行くとしませう。

 

弐~打合せのこと

 ところでニューナンブは伝統的に打合せを重視する。打合せを名目に呑むのだらうと推測した我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は、まことに正しい。呑んでゐると、莫迦ばかしい話だけでなく、素面では浮ばなかつた思ひつきが飛び出ることもあるので、中々具合がいいのです。その思ひつきが使へるかどうかは勿論、別の話としても。併し残念ながら今回は膝をつきあはして打合せるわけにはゆかず、メールでのやり取りになつた。主な課題はふたつ。

 第一に当日の合流と動線をどうするか。

 第二にホテルでの酒席はどう進めるか。

 先づ第一の点から考へると、昭島驛は青梅線である。沢井驛まで足を延ばせば小澤酒造があり、一驛だけ動いた拝島驛からは石川酒造に行ける。三驛進んだ福生驛には大多摩ハムもある。いづれも誘惑の度合ひが高い。ただこれらには青梅線の本数の少さで時間が掛かるといふ難点がある。宜しくない。昭島に泊ると決めた段階で合意に達したのは、篭つて呑むといふ一点で、沢井福生拝島各驛は(残念なことに)その合意から少々外れて仕舞ふ。但し立川には髙島屋と伊勢丹がある。どちらの食糧品賣場、デパ地下と呼ぶほか、そこでは多摩の産品を扱つてゐるのが判つた。時節柄の限定品だつてあるかも知れない。なので頴娃君、立川で合流するのは如何か知らと云つたら、ちよいと贅沢な肴も買へるよねと賛意を示してもらへた。流石深讀みの頴娃君である。

 とは云ふものの、その"ちよいと贅沢な肴"は第二の点の問題にも繋がる。従來のスーパーどんたくでは、わたしの部屋に頴娃君を招いて(これはわたしが喫煙者といふ事情)、乾盃をして、肴を摘むのが通例である。併し今回もそれで押し通せるのかどうか。換気を十分に取つて、お膳の置き方と距離の作り方を工夫すれば、直呑みでもどうにかなりさうだが、そこは用心を優先して遠隔…オンラインに舵を切るのが安全だとも思へる。悩ましいのは、それで肴の撰び方が異なつてくるからで、たとへば頴娃君好みのお刺身の盛合せを、ひとりで呑む部屋には置けない。それにどの銘柄のお酒(これをニューナンブでは"漢の一本"と呼ぶ)を撰ぶかも丸でちがつてくる。この点は打合せても合意には到らず、ひとまづは直呑みを見据ゑつつ、事前の準備が整はなければ、オンラインにしませうと、詰り玉虫色に留つた。

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参~如何なる次第の当日か

 合流は午后一時頃に立川驛。相応に余裕を持つて動けるのは有難い…と考へてゐたのに、六時には目が覚めた。普段なら眠くつて堪らないのに、かういふ時はすつきり起き出せるのは、我ながら不思議に思ふ。珈琲を喫してゐた八時五十七分、地震があつたから驚いた。あはてて確めると、震源は廿三区、震度は三。先に動いてゐる頴娃君に連絡を取つたら、気附きもしなかつたさうで拍子抜けした。

 中央線快速豊田行きに乗車。そろそろ立川といふ辺で頴娃君から、お腹が空いて我慢ならないから、お蕎麦屋に並んでゐると報せがあつた。お晝をどうするか考へてゐたところだから、便乗することにした。伊勢丹の八階にある[更科堀井]で合流。蕎麦屋でお晝のニューナンブ・スタイル。かうなると呑まないわけにもゆかず、一合の"名倉山"を常温で。摘みにはおでん。蕎麦は後で頼むことにした。頴娃君は茸の天麩羅だかを摘みに冷酒を都合二はい。おでんは大根と玉子、厚揚げ、蒟蒻、麸に青ものが少し。穏やかな仕立てで中々宜しい。顔を附きあはすのが久しぶりだから、その分味が佳く感じられた可能性はあつて、だとすればそれは喜ばしい。蕎麦は散々迷つた挙げ句、もりを一枚。玉子とぢ、月見、鴨蒸篭に鳥蒸篭なぞにも惹かれたが、久方ぶりでもあるし、基本を大切にしなくてはなるまい。ざつと二千四百円。伊勢丹の地下に降りてちよつと摘みを買ひ、立川驛から昭島驛まで動いた。驛のすぐ近くにモリタウンだつたか、大きな商業施設がある。"漢の一本"を買つて、"サンキュー・ゴメンネ"の東横インに入つた。

 ワイド・デスクとかそんな名前の部屋は、テイブルに余裕がある。そのテイブルで半日我慢をした煙草を一本。我慢の分も含めて實にうまい。午后五時前に頴娃君、S鰰氏の三人でZoomを始めた。もうひとりのクロスロード・G君は都合がつかなかつた。オンライン式のミーティングといふか酒席は初めてで、自分の顔が画面に映ると禿が目立つから腹立たしくなつた。性に合はんなあと思つたが、まあひとつの撰択肢ではある。"漢の一本"に撰んだ佐賀の"鍋島"が好もしい穏やかな味はひだつたので嬉しくなつた。Zoomは三人以上だと四十分で切れる。大相撲九州場所をB.G.M.に二セットでお開きにして、オリックス・バファローズ東京ヤクルト・スワローズの日本シリーズ初戰に移つた。途中で頴娃君から、シャトー・メルシャンの"勝沼メルロー"を少し頒けてもらつた。メルシャンが勝沼メルローを栽培してゐたのは知らなかつた。記憶にある限り、あすこの赤は塩尻や毬子が殆どの筈である。呑むと留袖姿の女性のやうな落ち着きがあつて、和洋中のどれでも適ひさうな感じがされた。

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余~その後の話

 "勝沼メルロー"を呑んでからの記憶は曖昧である。頴娃君も同じであつたらしい。翌朝のテイブルが存外、散らかつてゐなかつたから、礼儀正しくおやすみを云つたのだと思ふ。前夜のお酒の残り具合も酷くなく、要は惡さするほど、体力の余裕が無かつたのだらう。置いてあつた麦酒を呑み、散らし寿司をつまんだ。本來なら助六寿司にするのだが(これなら手で摘めて具合がいい)、伊勢丹モリタウンで賣つてゐたのは、朝めしにはちつと多くて見送つたのだつた。

 もうひとつ。従來のスーパーどんたくなら、チェック・アウト後、好ましい展示があれば八王子の夢美術館に行き、帰途に[和来]で一ぱい引つかける(摘みが中々宜しく、客あしらひも巧い)ところを、今回は見送らざるを得なかつた。まことに残念であつたが、今の時期にそこまで求めるのは幾ら何でも無理があるし、わたしにもそのくらゐの分別はある。時節柄さういふ不完全さはあつたものの、昭島どんたくは満足に値する一泊であつた。残る課題は、次をいつ、どんな形にするかといふ点で、これには議論の余地がたつぷりある。その課題や議論も、スーパーどんたくの樂みだと云つていい。