閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

703 クリーム・シチューを懐かしむ

 もう何年も、或は何十年も、クリーム・シチューを食べてゐない。ビーフ・シチューはざつと卅年余り、無沙汰をしてゐるから、それより長いのは間違ひない。

 先にビーフ・シチューの話をすると、初めて食べたのは平成元年、千葉県の市川市にあつた、[ヨシカミ]といふ洋食屋だつた。当時の値段で千数百円と記憶してゐるが、どうだつたらう。入つた理由は丸で覚えてゐない。ビーフ・シチューにしたのは、食べたことがなかつたからだと思ふ。牛肉の塊が幾つか転がつてゐて、後は玉葱と人参だつたか、兎に角うまいと思つた。ぱつと見て、そんなに量がある感じがしなかつたから、平らげて満腹を感じたのには少々驚いた。

 それで通つた、と續ければ(残念ながら)嘘になる。[ヨシカミ]のビーフ・シチューは、当時の収入に対して、相応に割高だつた(念を押すが卅年以上前の千数百円ですよ。決して廉ではない)から、月に一ぺんかそこらの贅沢であつた。裏を返せば、さういふ贅沢に相応しい食べものと思つてゐたことになる。そのくせ、何かと理窟をつけて、シチューを食べることはしなかつた。[ヨシカミ]を知つた後のある時期、大坂にあつたロシヤ料理店でビーフ・ストロガノフを食べて、旨いものだと思つた。何度か同じ店に出掛けたが、そこには同行の女性が可愛らしい事情があつたので、旨いといふ感想が正確だつたのか、自信は無い。

 少年のわたしが食べてゐたのは、多分ハウス食品製のクリーム・シチューであつた。豚肉、玉葱、馬鈴薯、人参。具が小さめに切られ、軟らかく炊かれたのは、同居してゐた祖父母にも食べ易くする為だつたと思ふ。普段の夕食は必ず白いごはんだつたのが、クリーム・シチューの夜だけはバゲットで、それを焼いてから、シチューに浸して囓るのが樂みだつた。鶏の股肉を焙つたのも買つてあつたかも知れず、豪勢といふ言葉は知らなかつたが、さういふ気分は確かにあつた。年寄り向けとは云ひにくい"ハイカラな料理"だから、さう滅多に出なかつたのも、豪勢な気分の背景にあつたと思ふ。

 知る限り、思ひ出す限りで云へば、洋食屋でもどこでも、クリーム・シチューを出してゐた処は無い。そんな事はなくて、どこそこの何々ではクリーム・シチューが人気なのですと云はれても、知らないのだから、無いのと同じである。どうしてだらう。家庭料理の印象は確かにある。それならカレー・ライスも同じ範疇に入るのに、こちらは専門店が成り立つてゐる。ビーフ・シチューに較べて花やかさに欠けるからだらうか。薩摩の黒豚と淡路の玉葱と讃岐の小麦と北海道の牛乳で、いちから丹念に作つた自慢のクリーム・シチューを御召し上り下さい、と胸を張るお店があつてもよささうなものだが。ひよつとすると、ビーフ・シチュー派とクリーム・シチュー派で、おれは店、私は家と領土を分けあはうぜなどと、密約を交してあるのか知ら。

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 密約は兎も角、併し[ヨシカミ](を始めとする洋食屋)には申し訳ないが、偶に懐かしく食べたくなるのは矢張り、クリーム・シチューといふことになる。旨いまづいとは別に、記憶の調味料が配合されてゐるからと思はれて、[ヨシカミ]でも[たいめいけん]でも、これ計りは使つてゐない、といふより使へない。そのクリーム・シチューがどんなだつたか…は残念ながら画像の類がまつたく無いのでお見せ出來ない。代りに、クリーム・シチューとあはせたい麺麭を出しておく。かるくトーストして、潰した茹で玉子に刻んだたくわんをマヨネィーズで和へてある。案外なほど旨いのだな、これが。