閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1076 おにぎりは保守好み

 正しい使ひ方かどうか、知らないけれど、私は呑み喰ひに関しては、保守的な男だと思ふ。新奇珍奇に手を出さないといふ意味だから、冒険心に欠けた臆病な態度と云ひかへる方が、實態に即してゐさうにも思はれるんだが、ここは恰好をつけ、保守的と称したい。

 饂飩はきつね。蕎麦ならかけ。カレーライスにはビーフ。ラーメンは醤油。串焼きだつたらハラミとカハとレヴァ。おでんにするなら大根と玉子と厚揚げ。

 詰りはさういふことで、面白みがないやつだと、呆れられるだらうか。おぼろ饂飩に掻き揚げ蕎麦、ポークやマトンのカレーライス、味噌ラーメンが旨いのは、勿論知つてゐる。但し面白いのと旨いのなら、うまいのを撰ぶのが、人情の正しい發露である。変り種や新しい珍しいの樂みは、そこに立つてから味はふのが望ましからう。

 

 とは云へ。どうしても視野が狭くなる食べものもあつて、私の場合だと、おにぎりがそこにあてはまる。

 梅干し。

 昆布の佃煮。

 焼き鮭。

 種は入れず、焼き海苔(味つけが好もしい)を巻いたの。

 まあこんなところ。おかかや鶏のそぼろ、若布や胡麻、刻んだ野沢菜は(一段落ちるとは云へ)兎も角、ツナ・マヨネィーズやら、明太子やらはどうも、気に入らない。おにぎりは簡便な保存食なのだから、種に凝る必要はなく…我ながら古い好みと思ふ。思ひはするが、古いのは年月に磨かれた結果であつて、その見立てなら(自称)クラッシック好みに相応しい。後はお味噌汁とお漬物、贅沢を云へば玉子焼き(薑と大根おろしも)があれば、古典的で立派な食事が出來上る。変り種のおにぎりでは、きつと無理にちがひない。尤もたつたひとつ、麦酒に似合はないのは無念だけれど、これはおにぎりの責任ではない。