閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

162 帰り道にでも

 突然に食べたくなつて、また食べなくては収まりがつかない…つきにくい食べものと云へば、焼き餃子にコロッケ、それから鶏の唐揚げではないかと思ふ。念を押すまでもなく、わたしの場合はさうなので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にはもしかすると、鱸の丸揚げだつたり、栗を詰めた山鳥のローストだつたり、羊肉の串焼きだつたり、鯖のサンドウィッチだつたりするかも知れないが、それは事情のちがひである。

 併し餃子もコロッケも、また鶏の唐揚げも、旨いのは勿論なのだが、もうひとつ、ごはんに似合はない。それも絶望的に適はないのではなく、定食で出されたら食べはするとしても、積極的に註文はしない程度の似合はなさで、食べたくなつた時にどう食べればいいのか、判断が六づかしい。いや六づかしいも何も、これらはごはんより麦酒に適ふのだから、さうすればよい筈で、ただそれだと平日のお晝に矢も盾もの気分になつた時、如何ともし難い。こつそり飲んだら後が怖い。我慢する外はなくて、どうも腹立たしいね。

 そこはまあ帰り道にでも唐揚げを買ふことにすればよく、ここから話は唐揚げ…正確には鶏の唐揚げに絞りますよ。何故かと云へば、唐揚げの唐は何を指してゐるのか、ふと気になつたからで、これは隋唐の唐なのだらうか。そこで日本唐揚協会といふ権威ありげなページを見ると

http://karaage.ne.jp/whats/2011/01/karaage-rekishi.html

『「からあげ」は「唐揚げ」または「空揚げ」と書きます。江戸時代初期に中国から伝来した普茶料理では「唐揚げ」と書いて「からあげ」または「とうあげ」と読みました。しかし、普茶料理でいう唐揚げは現在の唐揚げとは違うもので、「唐揚げ」とは、豆腐を小さく切り、油で揚げ、さらに醤油と酒で煮たものと紹介されています。現代の唐揚げに近い、魚介類や野菜類を素揚げにしたり、小麦粉をまぶして揚げたりする料理法を、「煎出」「衣かけ」と呼んでいました』

とある。江戸初期なら明末清初くらゐ。といふことは、呉服や漢字と同じく外ツ國渡り(の揚げもの)の意と解釈するのが正しからう。空揚げと書くのは衣がごく薄いのに因むらしい。どことなく、エロチックですなあ。併し上の文章をよく讀むと、唐揚げの原型は“豆腐を小さく切り、油で揚げ、さらに醤油と酒で煮たもの”らしいと解る。揚出し豆腐に近い食べものだつたのかも知れない。それはそれで旨さうである。

 鶏肉にあはい衣を纏はせた唐揚げは我が國の發祥ださうで、例によつて元祖がどこなのかははつきりしない。上記の別段によれば、昭和初期に外食の献立として成り立つたとあるから、調理法自体は、それ以前から存在してゐたと考へていい。天麩羅を応用してとんかつを生み出した我われのご先祖が、果して鶏肉に目をそむけたらうか。かれらは牛豚より鶏に馴染んでゐた筈(四ツ足ぢやあないもの。獸ではないんである)で、カットレットといふハイカラを知つて、試さなかつたと考へる方が不自然である。同じく鶏を用ゐる焼き鳥や軍鶏鍋が十七世紀から十八世紀頃にはあつたことも傍証に挙げておかうか。

 とは云へ、原型と共通するのは“揚げる”点だけで、どうも外れ過ぎてやしないかとも感じられる。念の為に日本唐揚協会に訊ねると、唐揚げは

http://karaage.ne.jp/whats/2011/01/karaage-teigi.html

『揚げ油を使用した調理方法、またその調理された料理を指す。 食材に小麦粉や片栗粉などを薄くまぶして油で揚げたもの』 

と定義されてゐる。鶏肉に限らず、野菜や魚介も唐揚げに成り得るといふのが協会の立場らしい。そこに異論を挟まうとは思はないが、“(酒や醤油で)煮る”部分に目を瞑つてゐるのは気になる。すりやあ君、豆腐相手とは話がちがふよといなされさうでもあるが、唐揚げの具材が定義されてゐない以上、豆腐の唐揚げも成り立つ筈で、さう考へれば、條件つきで“煮る”過程を含め(この愉快は餃子やコロッケには望めない)ても、よかつたのではなからうか。

 たとへばかつ煮のやうな卵とぢもよからうし、たつぷりの熱い大根おろしでさつと煮て、葱を存分に散らすのもいい。霙煮の変形だが、わたしはこの食べ方を頗る好む。これならごはんにもあはせ易いし、麦酒は勿論、お酒にも似合ふ。唯一の難点は、マーケットで買ふ気らくさが失せて仕舞ひ、唐揚げを食べたい、今すぐ食べたいといふ焦燥感には丸で無力なことで、さて我われ…訂正、わたしはどうすべきか。帰りに唐揚げを買ひ、よくよく考へてみなくちやあならない。