閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

720 兎にも角にも

 何といふ銘柄だつたか、酸つぱい林檎か、八朔を混ぜるとポテト・サラドはたいへん旨くなる。殆どの場合、賛意を得られないのが、不思議でならない。

 かう云ふと、さては丸太め、酢豚にパイナップル派だなと思ふひとが出さうで、確かにその通りである。肉を軟らかくするなんて信じないけれど、あの酸味のどこかに、果物の甘みが潜んでゐると、奥行きが増す感じがする。もしかして非パイナップル派が食べる酢豚は、ケチャップ和へに近いのだらうか。さうならパイナップルは似合はない。

 ポテト・サラドに戻ると、何もあらゆるポテト・サラドに林檎乃至八朔が適ふとは云はない。馬鈴薯をマッシュ・ポテト並みに潰して、塩で揉んだ胡瓜と炒めた玉葱とハムの切れ端を入れる。味附けはマヨネィーズ。林檎や八朔はかういふのに似合ふ。何のことはない、わたしが幼い頃に馴染んだポテト・サラドで、なに、こんな時に他の基準があるものか。

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 林檎や八朔を使ふかどうかは別にしても、ポテト・サラドは旨い。マーケットで袋詰めになつてゐるのも、お惣菜も、また呑み屋で註文するのもいい。麦酒の摘みになり、サンドウィッチの種にもなり…残念ながら、ごはんのお供にはしにくい。いや定食だのお弁当だのの隅つこに、ポテト・サラドが慎ましく置かれてゐる様は惡くない。

 矢張り麦酒の友人だらうか。呑み屋のポテト・サラドなんざ、どこでも大して変らない、と思ふのは間違ひで、案外に異なつてゐる。ざつと分けるなら、一品として成り立つくらゐまで作つてあるか、そこまで手は掛けられないと云ひたげな作り方。念を押すと、後者だつて感心はしないけれど、まづいとは云ひにくい。調理場の腕もあらうが、ポテト・サラドそもそもの強みなのだと思ふ。

 呑みに行きますな。

 焼き魚や鶏の唐揚げを註文しますな。

 するとある程度、待つ時間が出來ますな。

 その待ち時間を、ポテト・サラドはうまい具合に埋める。似た役割を果す摘みにもつ煮を挙げてもいいが、冷めたらぐつと味が落ちるから、優位はポテト・サラドと云つていい。かういふ場合、わたしは林檎八朔と異なる邪道…食べる分に醤油やウスター・ソースを垂らし、七味唐辛子を振り、或は串もののたれをまぶすのを樂む。あはてて云ふと、前段でも触れた、感心しにくいポテト・サラドに限つた樂みですよ。さうかうすると、ほつけの塩焼きやげその天麩羅、韮の卵とぢが出てくる。さて本格的に麦酒を呑むか、お代りを焼酎にするか、兎にも角にも、ポテト・サラドから酒席は始まる。