閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

372 定食のこと

 ごはんとお味噌汁。小鉢。お漬物。それから主役になるおかずで纏められたものを、この稿では定食と考へる。従つてきつね饂飩にかやくごはんや、醤油ラーメンと焼き餃子三個と小炒飯、カレーとナンと少々の生野菜とラッシーは、そこから外れる。きつね饂飩と醤油ラーメンとナンの愛好家には申し訳ないが、さうとでもしておかなければ、収まりがつかなくなる。

 定食で一ばん目につくのは矢張り、主役となるおかずで、思ひつくままに挙げても

 

とんかつ

チキンカツ

海老フライ

鯵フライ

ハンバーグ

ミンチカツ

コロッケ

鶏の唐揚げ

豚肉の生姜焼き

焼き肉

(肉)野菜炒め

鯖の塩焼き

鯖の味噌煮

天麩羅

お刺身

酢豚

回鍋肉

青椒肉絲

 

それだけではなく、鰤や鶏の照焼き、秋刀魚やほつけの塩焼き、ニラレバー炒め、茄子の肉味噌炒め、麻婆豆腐、牡蠣フライやミックス・フライも思ひ浮ぶし、とんかつなら、ソースで食べさすのと、大根おろしを添へるの、卵とぢにするの、味噌煮込みにするのが考へられもする。ハンバーグだつてチーズの有無や目玉焼きを乗せるかどうかで区別出來る。わたしはさう似合ふとは思はないが、肉じやがやおでんやもつ煮、或はビーフ・シチューだつて歓ぶひとはゐるだらう。冒頭で決めた範囲を少しはみ出るが、ポーク玉子やちやんぷるー(沖縄式の場合、ごはんはじゆーしーと呼ばれる鹿尾菜入の炊き込みごはんが望ましく、汁椀はお味噌汁でなく沖縄そばでなくてはならない)の定食も考へられて、要するに切りがない。

 

 切りがない理由ははつきりしてゐる。ごはんの懐深さであつて、鰯や蛸のオリーヴ油漬けでもザワー・ブラーデンでも、定食にするのは不可能ではない(適ふかどうかは別に論じるべきとする)たとへばトルコ流の焼き鯖も定食に仕立てるのは可能で、これはオリーヴ油に漬けた鯖を焼き、玉葱とレタースとトマトを添へる。本来はバゲットに挟み、檸檬を搾つて食べるのだが、ごはんの登場を願つても、イェニチェリの軍樂隊とお琴の奏者が共演するよりは自然だらう。もう一度云ふと、かういふ組合せは、ごはんの懐深さがあつてこそ成り立つ。

 さうなると定食の旨いまづいは、そのおかずがごはんにどれだけ適ふかどうかで(ほぼ)決ると考へていい。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、定食屋の看板や品書きを見て、おかずが旨さうだからと撰んではゐなかつたらうか。わたしはさうだつた。それでまづくはないけれど、今ひとつだなあと思ふこともあつて、それはごはんとの距離を見誤つてゐたからである。たとへばミックス・フライは定食にするより、そのひと皿で壜麦酒のお供にする方がうまい。天麩羅だつたら、纏めて出されるより、鱚や大葉や烏賊や穴子を順に揚げてもらふ方が嬉しいし、お銚子を一本(もしかすると二本)つけてもらへれば、もつと嬉しくなる。

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 だつたら定食の主役を張る最良のおかずは何なのだと、聲を荒立てるひとが出さうなものだが、それは軽挙にして妄動でもある。ベスト・ワンを決められるなら、それ以外の定食は無くてもかまはないことになりかねない。とんかつだらうが青椒肉絲だらうが、世の中にベスト・ワン定食しか見当らなくなれば、煮魚で定食をしたためたいと思つても、うちはナンバー・ワン定食しか出しませんからと云はれるのは不愉快である。さうなればチキン南蛮やハムカツを恋しがる連中が、きつと出てくるにちがひない。それが当然の人情なので、安易な“人気の定食ベスト・テン”を信用出來ない根拠はここにある。

 江戸の町には何々番附といふのがあつた。名所番附とか剣豪番附(因みに云ふ。江戸の剣豪番附では荒木又右衛門が大人気で、宮本武藏や佐々木小次郎の名前は見られない)とか、さういふやつ。あれなら惡くない。東西に分かれてゐるからぎすぎすしないし、番附なのだもの、次で入替る可能性もあつて、まことにおつとりしてゐる。文字通りのナンバー・ワンを決めない…避ける辺りが如何にも日本的だなあと思はれる。ここから日本(人)論に話を広げることも出來なくはない筈だが、この稿ではどうでもいい。そつちは機会を見つければ、改めて考へるとして、大事なのは、番附式の曖昧なランキングが定食に似合ふことではないか。

 

 さうなると我が定食番附はどうなるのか知らといふ興味が湧いてくる。何しろ考へたこともないから、どんな風になるものやら、自分でも想像がつかない。たとへば肉野菜炒め定食。わたしは大の好物なのだが、前頭辺りが妥当でせうね。鯖の味噌煮定食なら大関は確實。ミンチカツとコロッケと烏賊フライの盛合せ定食も、大関を張れるくらゐの貫禄がありさうだ。とんかつ定食はかなり六づかしい。ウスター・ソースや味噌、卵とぢ、或は大根おろしで、ヒレやロースで、随分と格附けが異つてくなる。とんかつ定食番附を分けて作るべきか。と考へを續けると、横綱は相応しいのは、豚肉の生姜焼き定食と回鍋肉定食になりさうな気がされる。どちらもごはんに適ふし、麦酒を求めない…いや回鍋肉は少し危険だが、麦酒が無くては収まらない程ではないから安心である。尤もこれはこの稿だけの番附で、別の稿ではチキン南蛮こそ定食の王さまだと書くかも知れない。さういつた融通が利くのも、番附方式の便利なところである。