閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

488 胡椒を削つて

 先日、近所の定食屋で"鶏肉と茸の黑胡椒炒め定食"といふのを食べた。實に判り易い名附けだから、その辺の説明は省略して、鶏肉よりその脂を吸つた茸の方がぐつと旨かつたことは特筆しておく。

 ところで普段なら品書きに"胡椒"とあつたら敬シテ遠ザクのが習性である。どうもわたの味覚は一部が少年のままらしく、あの香辛料のからみを喜ばしく感じにくい。…積極的に旨いと思ふこともある。随分と前にある店で生ハムを食べた時、オリーヴ油に黑胡椒を挽きこんだのを添へてきて、あれはたいへんによかつた。ハムの脂やオリーヴ油のくどいところを、黑胡椒が巧みに受けて、葡萄酒にもいい塩梅になる。中世以前のヨーロッパ人が胡椒を貴んだのも無理はないと思へてくる。

 その胡椒はインド亞大陸の突端、西部…アラビア海に面する地方が原産だといふ。紀元前から重要な交易品であり、ヨーロッパ…漠然とローマ帝國の範囲くらゐの印象で云ふのだが、そのヨーロッパからはいかにも遠い。現代から想像するのは六づかしいが、ある時期までのインドとアラビアの商人はおそろしく冒険的で活發な連中だつたらしい。さういふ時期を経て、ヨーロッパ人がインド航路をものにした時の歓喜は想像に難くない。あの貴重な香辛料(一説には同じ重さの金と等価だつたともいふ)を我がものに出來るのだ。

 視線を逆に向けると、隋唐の時代にはユーラシアの東端まで運ばれてゐたかと思へる。唐は同時代で云へば世界最大の大帝國であつて、その名に相応しく、胡人が多く在住してゐた。胡は西域…ペルシアの総称。イラクとかシリアとか呼ぶより情緒がある。椒は山椒蕃椒から、からみのある果實乃至調味料が聯想出來る。詰り西域…胡カラ來タ椒なのだらう。尤も唐の美食家が胡椒を珍重し、夢中になつたといふ気配は感じられない。嗜好のちがひなのか、士大夫には珍しい味ではなかつたのか、よく判らない。わたしの知る範囲なんてたかが知れてゐるから、えらさうには云へないが、中華料理やその影響を色濃く受けた我が國の料理で、胡椒を積極的に用ゐる例は少いのではなからうか。

 何故か知ら…当り前に食事のちがひと云ふ外になからうと考へていいが、では何がどう異なつて、さうなつたのだらうと疑問は續く。西洋人は獸肉を啖ふからねと思つても、中華料理だつて獸肉を扱ふし、第一地中海人ローマ人は魚介をたいへんに好んだ人びとでもあるから、さういふ対比が意味を持つとは云ひにくい。結局のところ、気候や風土のちがひが嗜好のちがひを生んだと考へざるを得ず、そこに支配層の影響がつよく影を落としたのだらう。我ながら詰らない推測だし、ぜんぜん具体的でもないけれども。

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 曖昧な想像には目を瞑るとして、さうなると"鶏肉と茸の黑胡椒炒め"は、中華が得手とする強い炎と、西洋が使ひ續けた香辛料が、日本の醤油を介して合体した、奇跡的なひと皿ではないかと思へてくる。尤も麦酒をあはせなかつたのは大失敗りだつた。おほむねここの味附けはおつとりしてゐるから、ごはんにもよからうと思つてゐたのに。