閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

714 令和四年が開いた話

 母方の祖父母が存命の内は、毎年正月二日に親族が集まるならはしがあつた。帰りに最寄り驛近くのレコード屋で、コンパクト・ディスクを買ふのも習慣だつたが、祖父母が西方浄土に行つて、そのならはしもお仕舞ひになり、箱根驛傳の見物が取つて代つた。勿論、テレ・ヴィジョン観戰。珈琲を飲みつつ、麺麭を囓りつつ、観る。さうしてゐたら旧い友人のエヌから電話があつた。師走に崩れた体調が戻つたから

 「急で済まんが、用件が無ければ、遊びに行かうず」

そこで考へたのは、たつた今観てゐる、箱根驛傳の中継は果して用件かといふ点で、我われ屡々、習慣を用件と勘違ひしないだらうか。わたしは無論冷静だから、"驛傳見物は習慣であつて、用件ではない"と解つてゐる。一時間後に会ふことにした。

 

 阪急電車で落ちあつてから、ひとつ問題があるのに気が附いた。例年ならふらふら歩いてから、天満の"てぃだ"に潜りこんで麦酒と焼酎を呑み、ソーセイジやポテト・サラドやザワー・クラウト、それからちやんぷるーに豚の角煮を摘む。併し正月二日に

 「"てぃだ"が開いてゐる期待は、持てンと思ふわ」

何年か前、エヌが師走にポリープの切除をした時に、年を跨いだことがあつてその際、"てぃだ"は閉つてゐた。ほら

 「ほんで、天満驛近くの何やらいふ(確か"肴屋"だつたか)、小さな呑み屋に入つたらう」

さう云つたらエヌも思ひ出したらしく、天満でも梅田でも何軒かは、正月客相手に店を開けてゐるだらうと呟いた。尤もな意見である。それで天神橋筋六丁目驛で降りた。商店街を天満驛方向に歩くと、まだ正午過ぎだからだらう、何となく閑散としてゐる。ただ開いてゐるラーメン屋や饂飩屋にはお客が入つてゐて、しよぼくれた感じはしない。

 そこから道を渡つて、中崎の商店街に入つた。薄暗い。呑み屋だのバーだの角打ちだのスナックだのが立ち並ぶ場所だから、当然の薄暗さと云つていい。どの扉にも謹賀新年の紙が貼つてある。旧年中は格別の御愛顧を賜り云々、新年は何日から営業します云々と書いてゐて(我らが"てぃだ"も五日が初営業とあつた)

 「流石にけふから開ける店はさうさう無いか」

 「まあ、場所が場所だけに、なあ」

少し道を逸れつつ、お初天神から東通りの商店街に入ると、随分と賑かである。要するに暇な大坂人が少からず、ゐるのだらう。我われだつて他人さまのことは云へない。

 大阪驛に隣接する地下街に、"八百富"といふ新品も中古品も扱つてゐるカメラ屋がある。冷かしたが、物慾の下顎を擽るやうな賣ものは見当らなかつた。"八百富"の名誉の為に云ひ添へれば、そもそもこちらに(中古も含めて)新しいボディやレンズを慾してゐない事情があつたので、さうではないひとが棚を見れば、またちがつて映るだらう。實はGRデジタルⅡに対応するワイド・コンヴァータがあればいいなと思つてゐたのだが、そこまで都合よくは進まなかつた。

 

 さて併し、この日の本題は呑むことにある。"てぃだ"が開かないのは確認済み。もう一箇所、目を附けてゐた"ケラー・ヤマト"も残念ながら休みで、頭を抱へたくなつた。

 「ちと、困つたかね」

 「待て確か」

さう云つたエヌと改めて、お初天神だつたか東通りだつたかの商店街に足を伸ばすと、"ニュー・ミュンヘン"の看板に灯が点つてゐたので、やれやれと安心した。サッポロ・ビール會社が運営してゐるビヤ・ホール(直接かどうかは知らない)だから、麦酒は美味いにちがひないし、摘みを期待してもよささうである。

 暫く待たされた。詰り相応に混雑してゐたからで、自分のことはさて措き、新年早々から呑みに行かうなんて、不逞の連中が多いものだと思つた。卓に案内されつつ

 「すみません、今夜は二時間限りに願ひます」

と云はれたが、麦酒を二時間呑み續けるのは無理である。坐つて献立表を暫し睨み、ヴァイツェン…港町ヴァイツェンとかそんな名前から始めた。摘みは鶏の唐揚げ、生ハムとベーコンのサラド、フィッシュ・アンド・チップス。乾盃して周りを見やると、家族連れが多い。それも三世代くらゐの集りで、會食の人数云々といつた話はどこに行つたのか知ら。口にすると、こつちに跳ねかへりさうなので我慢して

 「"サッポロのニュー・ミュンヘン"て(地名重なりだから)、ドイツ人にしたら、"ベルリンのニュー・トーキヨー"みたいに響くンかね」

エヌに訊くと、いやその前に

 「ドイツ人にミュンヘン云ふても、通じンのよ。あれは英語の音やからな」

正しい(と思はれる)發音を聞かしてもらつたが、文字に移すのは六づかしい。それは措いてニュー・ミュンヘンは語法として誤りでないと納得は出來た。納得しつつ唐揚げをつまむとこれが旨い。衣に下味があつて、麦酒に適ふ。

 「"ニュー・ミュンヘン"の名物」

だからなと教へてもらひ、添へてあるスパイスをつければもつと旨いとも教はつた。試すと確かに宜しい。サラドもまた宜しい。ドレッシングにチーズを効かせてあつて、唐揚げと同じく、麦酒との相性が考へられてゐる。それは宜しいのだがヴァイツェンを干して仕舞つた。お替りを呑むべし。意見の一致を見て、下面醗酵だつたかに黑麦酒を少し混ぜたのを註文した。舌触りがヴァイツェンより太くなつて、呑む順番としてまことに正しい。

 フィッシュ・アンド・チップスを摘みながら、チーズの盛合せを追加。更にサッポロの中ジョッキ。莫迦話は莫迦話だから、あちこちに飛ぶ。

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 ニコン

 ブルボンのお菓子に味覚糖の純露。

 ガンダムバルキリー

 エヌの倅がエヌに似てきた話(序でながら、お嬢ちやんは中々のやんちや娘らしい)

 冩眞の縦横比率の好みについて。

 儂らのおかん(とは大坂方言でいふ母親の意)は、儂らと異なる世界を見てゐるのではないかといふ疑念。

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 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、何を喋つてゐたのだと呆れ玉ふな。人間にはくだらない話題が必要な夜もあるのだ。

 尤もそれで予想外に時間を取られたのは、認めざるを得ない。ラスト・オーダーですどうしますかと訊かれたので(そこで大きなジョッキを註文したら、長居出來るものかと思つたが、礼儀を心得た男として、腹の底に押し留めた)、それではこれでと"ニュー・ミュンヘン"を後にした。麦酒だけなので少々呑み足りない。エヌの同意を得て、もう一軒行かうといふことになつた。

 意見が一致したのはいいとして、肝腎の店がない。いや何軒か、または何軒も暖簾は出てゐるのだが、お酒…我われが云ふのは焼酎やヰスキィで、さういふのを呑ませる場所が見当らない。灯りを点けてゐる大半が居酒屋でなければ、バルの類だから、こちらの好みにあはず、あはないのであれば無いのと変らない。店の側に立てば、蒸溜酒を主に扱ふのは商ひになりにくいし、なつたとしても正月二日から開ける気にはならないだらう。

 暫し歩いた後、ホワイティうめだの一角に、焼酎も置いてゐさうな呑み屋があつたので、潜りこんだ。店の名前は記憶に無い。そこで湯豆腐、鯣の天麩羅、苦瓜のちやんぷるー、醤油の醪(だと思ふ)を乗せたクリーム・チーズを摘みに、エヌは予定通り焼酎、わたしは泡盛ソーダ割りを呑んだ。云つておくと、店が変つても、莫迦話に変りはない。醉つ払ひとはさういふ生きものである。

 馴れた店で呑めないといふ、落ち着きの無さは確かにあつた。何しろエヌもわたしも量より質(この"質"は、"嗜好に適ふ"に近い)を重視し、目新しさより安定を喜び望む年齢になつた事情が大きい。とは云ふものの、"呑んでは醉つて莫迦話"の一点は例年と変りない。

 「お互ひ大概、爺になつたけどナ」

 「すりやあ、半世紀余つて生きとンし」

しやあないわな、と云ひながら、どうもどこかに、中學生高校生だつた頃の気分が残つてゐるらしく(呑んでゐるのに)、半世紀と云つても實感が伴ひにくい。かういふ気分を味はへる相手がゐるのは、人附きあひの苦手なわたしにとつて、稀な幸運ではないのかと思つたが、そんなことを口に出すのは憚られる。どんな事情で憚られるのかは考へない。阪急電車に途中まで…降りる驛がちがふからだが…同乗し、次回を約しておやすみを云つた。歩き方が惡かつたのか、左膝の裏側が痛くなつてゐた。

712 令和三年を〆る筈だつた話

 知りあつたのが中學生二年生の頃だから、もう四十年になると気が附いて、少々驚いた。知人のエヌのことである。中學校を卒業してから、異なる進路を進み續け、わたしは東京に棲息し、あちらは加西に長く単身で赴任してゐる。それでも現在に到るまで年に一度は会ふ機会を作るから、もしかするとエヌは巷間でいふ親友に属してゐるのか知ら。今さら認めるのも何となく、口惜しい気がされる。かういふことは死ぬ間際にでも改めて考へるとして、師走の卅日に会はうとなつた。何をするわけでなく、どこを歩くのかは、その日にならなければ判らない。天候だの気温だの風の吹き具合で、キタかミナミか天王寺、或は京都でなければ神戸をぶらぶら歩く。時々冩眞を撮る。どうかすると美術館に潜りこみも(今回の予定は卅日だから、流石に無理だらうが)する。

 前年は梅田から堂島を抜け、大川に沿ひつつ、半日掛けて天神橋まで歩いた。後でエヌが云ふには、二万歩ほどになつたらしい。確かに三日くらゐ脹ら脛が痛くて堪らなかつたから、二万歩が大袈裟だつたとしても、普段の何日か何十日か分を歩いたのは間違ひない。念を押すと歩くのを拒まうとは思はない。思ひはしないが、せめて一万歩以内に収まるくらゐでないと、同じ過ちを酷いかたちで繰返すことになる。経路といふか何と云ふかはさて措き、夕方になつたら麦酒に焼酎かヰスキィを呑みに行く。お酒…ここは日本酒の意…は呑まない。双方の好みを突きあはした結果であつて、確固たる信念のゆゑではない。仮に信念があるとしても、酒精の好みとの比較なら、後者を優先するのが、呑み助のあらほましい態度といふものであらう。記憶を辿れる限り、この十年でエヌとお酒を呑んだのは一ぺん、別のたれかに教はつた立ち呑みがえらく旨かつたから、再訪したくなつて、すまんが一軒、つき合つてくれと云つた時だつた。

 カメラは二台、GRデジタルⅡにパナソニックの広角を附けたオリンパスのマイクロ・フォーサーズを持ち帰つてある。両方を使ふ積りでゐるが、正直なところ使へるのかどうか、自信が無い。どちらかがもつと大きなフォーマット(ペンタックスハッセルブラッド)なら役割の分担が明快だから、併用に問題も不安も感じない。リコーとオリンパスの組合せは、どつちも小さくかるい。どんな風に使ひ分けるものか、見当を附けかねる。鞄の大きさに関はる(然も半日、過ちが繰返されれば一万歩超は歩く)から、慎重にならざるを得ない。それに呑めば醉ふ。醉つてカメラを失くしたり壊したりした経験は無いけれど、次も平気といふ保證にはならない。さう云へば卅数年前、タキシから降りる時、醉つてもゐないのに、膝に置いてあつたニコンを落として壊した(よりにもよつて足元には水溜りがあつた)のを思ひ出した。ストラップを掛けてゐる積りだつたからで、勿体無いことをした。今からでも買ひ直さうか知ら。

 そのニコンはFEと記憶してゐる。絞り優先式の自動露光が使へるやつ。ほぼ同じ形状のFMが機械制禦で、どちらもややこしい、凝つた眞似をしなかつた所為だらう、纏まりのよい機種であつた。一体にニコンは中級機以下のカメラ作りが下手つぴいな…伝統藝かと云ひたくなるくらゐの…會社なのだが、EMとこのFE/FMの系統は、数少い例外といつていい。買ひ直さうかと(不意に)思つたのは、電気系が駄目でなければ、一本の地味な単焦点レンズで十分に實用になるからで、いや併しフヰルムをどうするか(入手だけでなく、現像やプリントも)といふ点に目を向ければ、FEでもFMでも手すさびの玩具以上にはならないと見立てても間違ひにはならない。裏を返せば、そこに見合ふ程度と値段なら、手すさびの玩具として贖ふのも撰択肢に入る。

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 上まで書いたところで、エヌから聯絡が入つた。曰く、風邪ツ引きで熱が出たといふ。わたしより体調の管理が厳密な男にしては珍しい。望んだ發熱でもあるまいし、止む事を得ない仕儀である。御身御大事にと返すに留めた。

 ひとりで何処かに出掛けてもいいと思つた。北攝に豊中といふ小都市がある。幼稚園から小學六年生の途中までの七年か八年、住んだ町で、驛の近くにラーメン屋か中華料理屋だつたか、兎に角さういふ店があつて、今もあるのかどうか。少年期のわたしにとつて、外食とその店は殆ど同義だつた。だから店の名前は記憶に残つてゐない。家族で食べたのはラーメンと餃子と炒飯。それから五目そば。八宝菜も食べただらうか。十年余り…ひよつとしてもつと以前はあつた。その当時で半世紀近く、営業してゐますとの話だつたが、だとすれば大将だか女将さんだか、店を彼岸に移してゐるかも知れない。勿論代代りの可能性だつてある。確めたいと思つたけれど、外は寒いし、そもそも卅日に営業してゐるとは考へにくい。大人しくしておかうと決めた。大坂の家のめしは、旨いまづいとは別に、口に適ふ。

711 丸太花道、西へ(後)

 ところで大坂に帰る以上、カメラは持たねばならない。年末の一日、友人とぶらぶら歩きをする時に使ふからで、何を持つて帰らう。確定してゐるGRデジタルⅡだけだと不安を感じなくもない。例年だと三台あるマイクロ・フォーサーズのどれかに、レンズを一本か二本。これで大体は事が足りるのは知つてゐる。だつたら

 「そのマイクロ・フォーサーズで良からう」

と思へもするが、こちらにはGRデジタルⅡを使ひたい気分がある。またそのGRデジタルⅡの、アクセサリで遊べる樂みも用心が要る。手元にある色々を持帰ると荷物が嵩張るから、マイクロ・フォーサーズの入る余地が、無くならなくても極端に減るのは間違ひない。その組合せが鞄の大きさをある程度決めるので、早めに結論を出さねばならず、詰り六づかしい。GRデジタルⅡとアクセサリ類を持ち出し、廉価なレンズ附きセットを買つてもいいかと思つた。

 仮に買ふとすれば、EOS MかNEXの旧型辺り。或はもちつと旧いペンタックスの一眼レフにする手もある。規格に留意すれば、手持ちの古いペンタックス・レンズに転用出來る。但し買つた後はどうするといふ問題はある(東下の荷物が増える)し、そもそも限られた時間しか使はないカメラにお金を遣ふのは、高い安いと関係無く勿体無い。なので今の段階では、GRデジタルⅡと必要なアクセサリ…周辺機器、広角レンズを附けたマイクロ・フォーサーズ(オリンパス)の組合せとした。寸前での逆転や変更はあるかも知れないけれども。

 一応附きでもカメラが決れば、どの鞄を使ふかも定まつてくる。例年は無銘のデイパックとトート・バッグだが、今回はトート・バッグの代りにドンケのカメラ・バッグを持ち出さうと思ふ。中仕切りを抜けば、割と自在に詰められるのがいい。カメラ・バッグとは何とも野暮つたいねえといふ指摘はまつたくその通り。とは云へ大坂で毎日持ち出すわけではない。また運搬の一点に限れば優秀ですよと反論する余地はある。手元のドンケを贖つたのはもう卅年以上前、確か限定色の触れ込みに釣られた。暫く経つてから普通の色に組み入れられたのを見て、がつかりしたのを覚えてゐる。併しさういふ事情を措くと、非常に頑丈なカメラ・バッグなのは確かであつて、昭和の終盤から平成を過ぎ、令和の今も現役で使ふのに問題は無い。大したものだと思ふ。

 

 それはさうとして、もうひとつの問題は饂飩である。大坂の家では大晦日、当り前に…と云つていいと思ふが…蕎麦、どこだつたかの枌蕎麦を冷たく〆たのを啜る。いいものですよ、暖かい部屋で啜る冷たい蕎麦。併し大坂と云へば饂飩、ことにふくふくとあまい油揚げを浮べ、刻み葱をたつぷり乗せたきつね饂飩で、なのにこの何年か、饂飩を啜つた記憶、正確には大坂の家の外で啜つた記憶が無い。千日前で肉饂飩を啜つた…そこは寧ろ肉饂飩の饂飩抜き、肉吸ひが名物だつたのだが…のはいつだつたらうか。わたしとしてはきつね饂飩は元より、先刻の肉饂飩も紅生姜の天麩羅饂飩も歓迎したい。寧ろ歓迎する。そこはさうとして、それより家で食べるのが旨い(西門慶の食卓のやうに豪奢ではないのは、念を押しておかう)から悩ましい。

 尤も饂飩喰ひを別に禁じられてゐるわけではなく、まして厭ふゆゑでもない。詰るところ饂飩を啜れるか否かは、こちらの時間の作り方次第といふことになる。たとへば新大阪驛を降りて梅田に出れば、饂飩屋なんて幾らでもある。もつと云へば驛構内にも立ち喰ひ饂飩があつたかあるかの筈で、この気がるさは蕎麦からあまり感じられない。蕎麦ツ喰ひと呼ぶのか、食通と云へばいいのか知らないが、饂飩にはそつち方面の人材が払底してゐるのだらう(饂飩通がゐないのは饂飩好きにとつて幸せである)、どこそこの何々饂飩を知らずに、饂飩を語るなんてねなどと、たれひとり云はない。

 「まあ、ゆうても、饂飩はどこで喰ても、饂飩やがナ」

キタでもミナミでも、その辺りを歩く大坂人なら、きつとさう云ふ。素つ気ない態度だなあと思ふのは誤りで、これは饂飩が"どこで食べても変らない"程度まで洗練され、味が均された結果なのだと考へたい。かう云ふと蕎麦にも江戸町民の洗練があつたらうと反論されさうだが、またそれは正しくもあるのだが、掛けられた時間の幅がちがふ。などと云つたら贔屓にも程があると笑はれるかも知れないが、舌に馴染んだ食べものだからね、贔屓が過ぎるくらゐは勘弁してもらひたい。と理窟も附いた。こだま號を降りたら饂飩を一ぱい、平らげることに決めた。ここは矢張り、基本に忠實なきつねが宜しからう。かういふことをあれこれと考へるのも、西に上る前の樂みなんである。

 

 廿四日は何故だか早朝に目が覚めた。二日前か三日前だつたかが冬至だつたので、窓外はまだ暗い。兎にも角にも起き出して、先づ即席珈琲にトーストを一枚。序でに少し計り溜つた洗ひものを片附けて煙草を一本。明るくなるのを待つてから洗濯機をまはしつつ荷物の取り纏め。昨日の内に大坂向けの土産は買つてある。カメラの逆転劇は無く済んだ。残るのはこだま號で何を食べるかで、新宿驛を経由して東京驛に出る間で決めればいいと思ふ。最寄驛の近くにもお弁当や惣菜を賣つてゐるお店はあるし、中々惡くないのだが、廿四日と云へばイエスさまの誕生日前日である。品揃へはそつち向けの前菜盛合せだの何だのが主になつてゐるだらう。

 さういふことを考へつつ、午前十一時に家を出る。午后一時前の新幹線には早い時間だが、途中の買物を含めればこんなところだらう。外はよく晴れてゐて風もなく、気分が宜しい(天気予報では夕方から翌日に掛けて、荒れるとか云つてゐた気がする)それはいいとして、新宿驛で降りる頃には既に空腹を感じた。一枚のトーストでは腹保ちがいけない。まづいなと思つた。こんな具合で食べものを見ると、何だつて旨さうに感じるだらう。胃袋の大きさを見計らつて、落ち着かねばならぬと自分に云ひ聞かせつつ、買物を済ませ、中央線快速に乗つて東京驛まで。切符の都合で一度、驛の外に出て、また入る。莫迦ばかしくはあつても、その莫迦ばかしさを儀式の一種だと思へば、大して気にはならない。

 それで丸の内口と八重洲口を必ず間違へて降りる。地下道で繋つてゐるから、そこを抜けつつ、営業中の店の案内に麦酒の文字を目にして、吉田健一を思ひ出した。どの随筆だつたか、東京驛から急行列車に乗る時は、發車の半時間とかそれくらゐ早く驛に行つて、どこやらの小さな店で麦酒を引つ掛けると書いてあつた。發車までの時間を惜しみつつ呑む麦酒が旨いのだといふ。そこから百閒先生は、最初の阿房列車を走らせた際に、東京驛でヰスキィの一盞を樂んだとあつたのを聯想して、仕舞つた折角の機会に眞似をしないとは失敗したと思つたがもう遅い。諦めておとなしくこだま號に乗り込んだ。發車は定刻。

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 車内は案外に混雑してゐる。親子連れが多い感じ。周りの席に坐つた人たちは卓にお弁当を置き、ひとによつては素早く罐麦酒の蓋を開けてもゐる。こちらも空腹だから速やかに始めたいと思つたが、隣が空席だつたので、品川驛を出るまでは…ここで乗つてきて、前の席に坐つた派手な身なりの母娘が、派手な身なりに似合はない礼儀正しい態度で、背凭れを倒していいかと訊いてきたから、こちらも礼儀正しくどうぞと返した…我慢する。

 品川驛を出て神奈川に入つたのを確めてから、アサヒ生ビール"マルエフ"と"季節のおべんとう ふゆ"で始めた…と思ふ間もなく新横浜驛に着いた。隣席に可愛らしいお嬢さんが坐つたので、腹の底で喜びながら、改めてアサヒとお弁当に取り掛かる。麦酒の染み具合が凄い。お弁当も惡くない。煮物だけなのは些か気に喰はないところだが(一応つくねの串と玉子焼きはあつた)、味附けが下品にならない程度に濃いのは好もしく、焼き魚の一片でもあれば、もちつと高い評価が出來る気がする。併し幸運だつたのは今回(わたしにしては珍しく)、罐入りの出羽櫻(吟醸酒)を買つてゐたことで、煮〆や煮豆に、丁度いいなあと思ひつつ、三島驛辺りから切り替へる。少しあまいか知ら。その三島驛での停車時間が長い所為か、ここに一ぺん泊つてみたかつたのを思ひ出した。理由を明快に云ふのは六づかしくて、鬼平もので盗賊の隠れ家がこの辺だつたとか、そんな印象のゆゑだらう。こだま號で一時間くらゐ掛かる距離に、江戸を荒らす盗賊の根城があつたのかと云ひたくもなるが、盗賊と我われでは、脚力が丸でちがふ筈だから、八釜しいことは云ふまい。改めて徒歩ではない三島行を検討するかと思ふ。いつになるのかいつにするのかは、別に考へれば済む。

 ぼんやりしてゐたら、我がこだま號は掛川驛を發車してゐた。慌てる必要もないのに、あはてて成城石井謹製の罐入り葡萄酒(カベルネ・ソーヴィニヨン。チリー産で甲斐國のモンデ酒造が"加工所"として記されてゐる)に取り掛かる。味は可もなく不可でもなし…詰り値段相応といつたところ。それより隣席のお嬢さんに、呆れられてはゐないだらうか。"季節のおべんとう"は平らげたから、事前に用心の為、買つておいた裂き烏賊(袋には"世界の珍味 味への挑戰"といふ挑發的な惹句がある)を摘んだが、その裂き烏賊が妙に濃い味だつたので、並みのカベルネ・ソーヴィニヨンでは相手にするのが困難だつたのかも知れない。とここまで書いてから、半時間余り、記憶が飛んだ。眠つたのではなく、隣の可愛らしいお嬢さんと(残念ながら)話が盛り上つたのでもない。要するにぽんやりしてゐたので、生眞面目なひとなら、時間の無駄だと嘆くだらうが、普段の生活で、意味も無くぼんやり出來る時間がどれくらゐあるかと考へれば、寧ろ贅沢ではないかと云ひたくなる。時間を厳密に管理するひとからすれば、阿房な話なのだらうけれど、それは時間を厳密に管理するひとの勝手である。ははあとぼんやりしてゐたのは名古屋驛を過ぎ、三河安城驛辺りまでだつたと思ふ。後は京都新大阪の両驛だから、降りる用意をしなくてはならない。

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 予定だと新大阪驛で降りて直ぐ、きつね饂飩を啜る積りだつた。普段より早く起き出したのがいけなかつたのか、外に事情があつたのかは判らないが、饂飩を啜りたいほどの空腹ではなかつたので、新大阪驛の地下街で葡萄酒を二杯(どちらも赤)とピックルス、それから玉葱のロースト(肉味噌ソース)で〆ることにした。神経質…失礼、葡萄酒好きの讀者諸嬢諸氏の為に云へば、呑んだのはタヴェルネッロ(イタリー)のサン・ジョヴェーゼと、セニョーリオ(イスパニヤ)のオルガス。壜は見なかつたのでヴィンテージは判らない。率直なところ、どちらも"新大阪驛地下街で出せる程度に穏やかな味はひ"と云つておかう。但し玉葱のロースト(肉味噌ソース)は中々だつた。肉味噌だもの、何をどうしたつて、まづくはならないよと云ふのは、野暮だと云つておかう。さらりと引上げた後は、地下鐵御堂筋線から阪急に乗継ぎ、やうやつと帰りついた。ただいまを云つて、土産を渡した。

710 丸太花道、西へ(前)

 師走の廿四日金曜日に、西へと上る。その前に、中野で呑んだ話。

 「そろそろ、大丈夫ではないか知ら」

 と意見の一致を見たからで、二年半か三年ぶりくらゐに、ある女性と酒席を共にすることになつた。我われの定席は都立家政なのだが、丸ちやん(とその女性からは呼ばれてゐる)の気に入りに行つてみたいと云はれたので、それでは御案内仕りませうとなつたのである。

 安請合ひであつた。といふのも、中野に気に入りが何軒かあるのは事實として、あすこはわたしにとつて、ひとりで呑む場所である。それに一軒で長ツ尻はせず、三軒くらゐは梯を掛ける。仕舞つたなあ。併し今さら無かつたことにしてもらふわけにもゆかない。梯にはなるよと伝へて、候補になりさうな呑み屋を思ひ浮べた。

 坐つて呑めるのは"ジ"と"カ"、それから"ヒ"の三軒。"ア"は休業してゐる。立呑みなら"パ"と"ヨ"がある。わたしが呑んだ範囲での話なのは念を押すまでもない。気になる呑み屋小料理屋もあるのは確かだが、案内仕ると云つて、行つてみたかつた店に連れてゆくのはあんまりな態度であらう。おほむねの流れを考へつつ、彼女の空腹の具合と好み…知る限り猫舌で、炭酸と秋刀魚の膓が苦手…にあはさうと決めた。どうです、紳士的な配慮でせう。

 

 朝から雨が降つて厭だなあと思ふ。天気予報だと翌日は晴れると云ふから余計にうんざりしたが、晝頃に空が明るくなつてきたから安心した。午后早め、西上で乗るこだま號の切符を買ふ為、新宿に出る。外は叉曇り。毎年一ぺん訪ねるJTBで、無事に購入出來た。來年如月に店舗を閉めると聞いて、面倒になると思つた。

 小腹が空いたので、地下街に潜つてもり蕎麦を一枚。券賣機で食券を買ふのはいいとしても、踏む段階が多すぎであつた。店の責任なのか、設計が惡いものか。両方だらうな。蕎麦も茹で方の宜しきを得てゐないらしく、感心しなかつた。十割蕎麦を謳つて三百八十円。空腹は収めて地上に出ると、小雨がぱらついてゐて、危ふくフォー・レター・ワードを口走るところだつた。

 待合せまでの時間、久し振りにカメラ屋を冷かすと、なんとしてもこれが慾しいと思はなくなつたのに、多少の驚きを感じた。何年か前からその傾向の自覚はあつたけれど、現實を突きつけられた感じがする。籤に当りでもしたら、変るのだらうか。呑み喰ひに贅沢はしても、カメラやレンズを買ひ漁る眞似は出來なささうである。取り留めのないことを考へてゐたら、彼女がやつてきたので、頭を切り替へる。

 「お腹、減つてますかね」

と訊いたら、さうでもないと返つてきたから、ちよいと困つたなあと思つた。それで"ジ"を飛ばして"パ"に案内した。わたしは金魚、彼女は緑茶ハイ。つき出しにはクラッカーを添へたチリー・ビーンズ、それから明太子入りのポテト・サラドと揚げ茄子の葱ソースを食べた。"パ"の摘みが旨いのに、えらく感心した気配があつたから、胸を張りたくなつた。だらだら呑む…といふより、長ツ尻を決めるのは恰好がつかないからするつと出て、"カ"に移つた。歩いて直ぐだつたから驚いたみたいだつた。

 "カ"のつき出しはたつぷりある。なので大将に我が儘を云つて彼女の分は少なめにしてもらつた。わたしは黑糖焼酎、彼女は麦の焼酎を水割りで。豚肉、白菜、棊子麺を炊いたのが出てきて、すつかり感心した。大して空腹ぢやあないと云つた筈の彼女もそのつき出しをたいへん歓んで、旨いうまいと云つたから、鼻が高くなつた。別に自分が作つたわけでもないのに。ただそこで、いつもならわたしより余裕のある呑み方をする彼女が、珍しく深醉ひした(聲が高くなつて、抑へがきかなくなつたから、さうだと察せられた)のは予想の外だつた。"ヨ"か"ヒ"で〆る積りを取り止め、早い時間だつたがお開きとした。珍しいこともあつたもので、わたしも記憶を飛ばさず帰宅した。紳士的な配慮のお蔭だつたと思ふ。

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 買つたのは午后一時前に東京驛を發車して、午后五時頃新大阪驛に着到するこだま號の切符である。お弁当を用意すると蓋を開けるのは、新横浜驛から小田原驛の間になるので、お晝の時間は午后二時近くになる。遅い。だつたらもつと早くに始めればいいと思ふひともゐるだらうが、それだと東海道新幹線に乗つてゐる気分にならない。

 乗る前に蕎麦でも牛丼でも定食でも、食事を済ましておく方法はある。併しその時間を乗車前に取れるものか怪しい。そこを何とかしても、さつさと食べられる程度のお店は、味もまあその程度の筈だから、わざわざ時間を取るのも面倒である。朝を遅めにするか、少し多めにするかで、空腹の度合ひを調整する方が宜しからう、と考へを改めた。

 ではお弁当をどこで買はう。例年は東京驛の地下街か賣店で撰ぶのだが、数年無沙汰をしてゐる霜月の山梨行(葡萄酒とヰスキィが目的)を思ひ出した。その時には新宿驛から特別急行列車のあずさを使ふ。酒肴を誂へて乗るのは勿論で、新宿驛内のお弁当賣場に立ち寄る方法もあると考へた。ちよつとしたマーケットも入つてゐるから、お酒や葡萄酒やチーズを買へもする。一ぺん降りる面倒はあつても、東京驛までは中央線快速一本。便利である。家を出る時間帯次第、といふ條件附きで候補にしておかう。

 東京驛でも新宿驛でも、買ふのは幕の内弁当がいい。牛たんや金目鯛の一点豪華も駄目とは云はないにせよ、特別急行列車…新幹線の卓に似合ふのは、矢張り幕の内弁当の賑々しさではなからうか。

 俵型のごはんに胡麻塩。

 小さくて堅い梅干し。

 鶏のそぼろ、昆布や貝の佃煮。

 半切れのコロッケと玉子焼き。

 下敷きのスパゲッティ。

 焼賣や竹輪の天麩羅。

 鰤の照焼きか鯖の塩焼き。

 たくわんや柴漬けの欠片。

 どうかすると牛肉と覚しき肉、それから玉葱と糸蒟蒻を炊いたのが(ほんの少し)、入つてゐることもあつて、歌舞伎役者とプリマ・ドンナと京劇役者が同じ舞台に立つてゐるやうなと云へば…豪勢なのか貧相なのか。とは云ふものの、渾沌の樂み、カルナバル的な愉快が感じられるのは事實だし、それは幕の内弁当の特典と考へていい。わたしの知る限り、お弁当を食事の一形態にまで仕立てたのは、我われのご先祖であつた。誇つていいものかどうか、議論の余地があるのは認めるけれども、敬意を払つて咜られはすまい。これもまた、紳士的な配慮と云つておく。

 

 尤も實際、幕の内弁当を買ふかまでは判らない。ハンバーグのお弁当を旨さうに思つたり、鱒や鯵のお寿司に心を奪はれる可能性だつてある。呑み喰ひで、せねばならぬと決めるくらゐ、詰らない態度は無いのだから、幕の内弁当がいいなと思ひはしても、当日の天候、気分やお腹の具合で撰択が変つても、不思議ではない。案外とミンチカツのサンドウィッチを嬉しさうに頬張つて…もしかするとミンチカツを一ばん旨く食べる方法ではなからうか…ゐたりして、果してどうなるものやら、自分でも樂みにしてゐるんである。