閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

711 丸太花道、西へ(後)

 ところで大坂に帰る以上、カメラは持たねばならない。年末の一日、友人とぶらぶら歩きをする時に使ふからで、何を持つて帰らう。確定してゐるGRデジタルⅡだけだと不安を感じなくもない。例年だと三台あるマイクロ・フォーサーズのどれかに、レンズを一本か二本。これで大体は事が足りるのは知つてゐる。だつたら

 「そのマイクロ・フォーサーズで良からう」

と思へもするが、こちらにはGRデジタルⅡを使ひたい気分がある。またそのGRデジタルⅡの、アクセサリで遊べる樂みも用心が要る。手元にある色々を持帰ると荷物が嵩張るから、マイクロ・フォーサーズの入る余地が、無くならなくても極端に減るのは間違ひない。その組合せが鞄の大きさをある程度決めるので、早めに結論を出さねばならず、詰り六づかしい。GRデジタルⅡとアクセサリ類を持ち出し、廉価なレンズ附きセットを買つてもいいかと思つた。

 仮に買ふとすれば、EOS MかNEXの旧型辺り。或はもちつと旧いペンタックスの一眼レフにする手もある。規格に留意すれば、手持ちの古いペンタックス・レンズに転用出來る。但し買つた後はどうするといふ問題はある(東下の荷物が増える)し、そもそも限られた時間しか使はないカメラにお金を遣ふのは、高い安いと関係無く勿体無い。なので今の段階では、GRデジタルⅡと必要なアクセサリ…周辺機器、広角レンズを附けたマイクロ・フォーサーズ(オリンパス)の組合せとした。寸前での逆転や変更はあるかも知れないけれども。

 一応附きでもカメラが決れば、どの鞄を使ふかも定まつてくる。例年は無銘のデイパックとトート・バッグだが、今回はトート・バッグの代りにドンケのカメラ・バッグを持ち出さうと思ふ。中仕切りを抜けば、割と自在に詰められるのがいい。カメラ・バッグとは何とも野暮つたいねえといふ指摘はまつたくその通り。とは云へ大坂で毎日持ち出すわけではない。また運搬の一点に限れば優秀ですよと反論する余地はある。手元のドンケを贖つたのはもう卅年以上前、確か限定色の触れ込みに釣られた。暫く経つてから普通の色に組み入れられたのを見て、がつかりしたのを覚えてゐる。併しさういふ事情を措くと、非常に頑丈なカメラ・バッグなのは確かであつて、昭和の終盤から平成を過ぎ、令和の今も現役で使ふのに問題は無い。大したものだと思ふ。

 

 それはさうとして、もうひとつの問題は饂飩である。大坂の家では大晦日、当り前に…と云つていいと思ふが…蕎麦、どこだつたかの枌蕎麦を冷たく〆たのを啜る。いいものですよ、暖かい部屋で啜る冷たい蕎麦。併し大坂と云へば饂飩、ことにふくふくとあまい油揚げを浮べ、刻み葱をたつぷり乗せたきつね饂飩で、なのにこの何年か、饂飩を啜つた記憶、正確には大坂の家の外で啜つた記憶が無い。千日前で肉饂飩を啜つた…そこは寧ろ肉饂飩の饂飩抜き、肉吸ひが名物だつたのだが…のはいつだつたらうか。わたしとしてはきつね饂飩は元より、先刻の肉饂飩も紅生姜の天麩羅饂飩も歓迎したい。寧ろ歓迎する。そこはさうとして、それより家で食べるのが旨い(西門慶の食卓のやうに豪奢ではないのは、念を押しておかう)から悩ましい。

 尤も饂飩喰ひを別に禁じられてゐるわけではなく、まして厭ふゆゑでもない。詰るところ饂飩を啜れるか否かは、こちらの時間の作り方次第といふことになる。たとへば新大阪驛を降りて梅田に出れば、饂飩屋なんて幾らでもある。もつと云へば驛構内にも立ち喰ひ饂飩があつたかあるかの筈で、この気がるさは蕎麦からあまり感じられない。蕎麦ツ喰ひと呼ぶのか、食通と云へばいいのか知らないが、饂飩にはそつち方面の人材が払底してゐるのだらう(饂飩通がゐないのは饂飩好きにとつて幸せである)、どこそこの何々饂飩を知らずに、饂飩を語るなんてねなどと、たれひとり云はない。

 「まあ、ゆうても、饂飩はどこで喰ても、饂飩やがナ」

キタでもミナミでも、その辺りを歩く大坂人なら、きつとさう云ふ。素つ気ない態度だなあと思ふのは誤りで、これは饂飩が"どこで食べても変らない"程度まで洗練され、味が均された結果なのだと考へたい。かう云ふと蕎麦にも江戸町民の洗練があつたらうと反論されさうだが、またそれは正しくもあるのだが、掛けられた時間の幅がちがふ。などと云つたら贔屓にも程があると笑はれるかも知れないが、舌に馴染んだ食べものだからね、贔屓が過ぎるくらゐは勘弁してもらひたい。と理窟も附いた。こだま號を降りたら饂飩を一ぱい、平らげることに決めた。ここは矢張り、基本に忠實なきつねが宜しからう。かういふことをあれこれと考へるのも、西に上る前の樂みなんである。

 

 廿四日は何故だか早朝に目が覚めた。二日前か三日前だつたかが冬至だつたので、窓外はまだ暗い。兎にも角にも起き出して、先づ即席珈琲にトーストを一枚。序でに少し計り溜つた洗ひものを片附けて煙草を一本。明るくなるのを待つてから洗濯機をまはしつつ荷物の取り纏め。昨日の内に大坂向けの土産は買つてある。カメラの逆転劇は無く済んだ。残るのはこだま號で何を食べるかで、新宿驛を経由して東京驛に出る間で決めればいいと思ふ。最寄驛の近くにもお弁当や惣菜を賣つてゐるお店はあるし、中々惡くないのだが、廿四日と云へばイエスさまの誕生日前日である。品揃へはそつち向けの前菜盛合せだの何だのが主になつてゐるだらう。

 さういふことを考へつつ、午前十一時に家を出る。午后一時前の新幹線には早い時間だが、途中の買物を含めればこんなところだらう。外はよく晴れてゐて風もなく、気分が宜しい(天気予報では夕方から翌日に掛けて、荒れるとか云つてゐた気がする)それはいいとして、新宿驛で降りる頃には既に空腹を感じた。一枚のトーストでは腹保ちがいけない。まづいなと思つた。こんな具合で食べものを見ると、何だつて旨さうに感じるだらう。胃袋の大きさを見計らつて、落ち着かねばならぬと自分に云ひ聞かせつつ、買物を済ませ、中央線快速に乗つて東京驛まで。切符の都合で一度、驛の外に出て、また入る。莫迦ばかしくはあつても、その莫迦ばかしさを儀式の一種だと思へば、大して気にはならない。

 それで丸の内口と八重洲口を必ず間違へて降りる。地下道で繋つてゐるから、そこを抜けつつ、営業中の店の案内に麦酒の文字を目にして、吉田健一を思ひ出した。どの随筆だつたか、東京驛から急行列車に乗る時は、發車の半時間とかそれくらゐ早く驛に行つて、どこやらの小さな店で麦酒を引つ掛けると書いてあつた。發車までの時間を惜しみつつ呑む麦酒が旨いのだといふ。そこから百閒先生は、最初の阿房列車を走らせた際に、東京驛でヰスキィの一盞を樂んだとあつたのを聯想して、仕舞つた折角の機会に眞似をしないとは失敗したと思つたがもう遅い。諦めておとなしくこだま號に乗り込んだ。發車は定刻。

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 車内は案外に混雑してゐる。親子連れが多い感じ。周りの席に坐つた人たちは卓にお弁当を置き、ひとによつては素早く罐麦酒の蓋を開けてもゐる。こちらも空腹だから速やかに始めたいと思つたが、隣が空席だつたので、品川驛を出るまでは…ここで乗つてきて、前の席に坐つた派手な身なりの母娘が、派手な身なりに似合はない礼儀正しい態度で、背凭れを倒していいかと訊いてきたから、こちらも礼儀正しくどうぞと返した…我慢する。

 品川驛を出て神奈川に入つたのを確めてから、アサヒ生ビール"マルエフ"と"季節のおべんとう ふゆ"で始めた…と思ふ間もなく新横浜驛に着いた。隣席に可愛らしいお嬢さんが坐つたので、腹の底で喜びながら、改めてアサヒとお弁当に取り掛かる。麦酒の染み具合が凄い。お弁当も惡くない。煮物だけなのは些か気に喰はないところだが(一応つくねの串と玉子焼きはあつた)、味附けが下品にならない程度に濃いのは好もしく、焼き魚の一片でもあれば、もちつと高い評価が出來る気がする。併し幸運だつたのは今回(わたしにしては珍しく)、罐入りの出羽櫻(吟醸酒)を買つてゐたことで、煮〆や煮豆に、丁度いいなあと思ひつつ、三島驛辺りから切り替へる。少しあまいか知ら。その三島驛での停車時間が長い所為か、ここに一ぺん泊つてみたかつたのを思ひ出した。理由を明快に云ふのは六づかしくて、鬼平もので盗賊の隠れ家がこの辺だつたとか、そんな印象のゆゑだらう。こだま號で一時間くらゐ掛かる距離に、江戸を荒らす盗賊の根城があつたのかと云ひたくもなるが、盗賊と我われでは、脚力が丸でちがふ筈だから、八釜しいことは云ふまい。改めて徒歩ではない三島行を検討するかと思ふ。いつになるのかいつにするのかは、別に考へれば済む。

 ぼんやりしてゐたら、我がこだま號は掛川驛を發車してゐた。慌てる必要もないのに、あはてて成城石井謹製の罐入り葡萄酒(カベルネ・ソーヴィニヨン。チリー産で甲斐國のモンデ酒造が"加工所"として記されてゐる)に取り掛かる。味は可もなく不可でもなし…詰り値段相応といつたところ。それより隣席のお嬢さんに、呆れられてはゐないだらうか。"季節のおべんとう"は平らげたから、事前に用心の為、買つておいた裂き烏賊(袋には"世界の珍味 味への挑戰"といふ挑發的な惹句がある)を摘んだが、その裂き烏賊が妙に濃い味だつたので、並みのカベルネ・ソーヴィニヨンでは相手にするのが困難だつたのかも知れない。とここまで書いてから、半時間余り、記憶が飛んだ。眠つたのではなく、隣の可愛らしいお嬢さんと(残念ながら)話が盛り上つたのでもない。要するにぽんやりしてゐたので、生眞面目なひとなら、時間の無駄だと嘆くだらうが、普段の生活で、意味も無くぼんやり出來る時間がどれくらゐあるかと考へれば、寧ろ贅沢ではないかと云ひたくなる。時間を厳密に管理するひとからすれば、阿房な話なのだらうけれど、それは時間を厳密に管理するひとの勝手である。ははあとぼんやりしてゐたのは名古屋驛を過ぎ、三河安城驛辺りまでだつたと思ふ。後は京都新大阪の両驛だから、降りる用意をしなくてはならない。

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 予定だと新大阪驛で降りて直ぐ、きつね饂飩を啜る積りだつた。普段より早く起き出したのがいけなかつたのか、外に事情があつたのかは判らないが、饂飩を啜りたいほどの空腹ではなかつたので、新大阪驛の地下街で葡萄酒を二杯(どちらも赤)とピックルス、それから玉葱のロースト(肉味噌ソース)で〆ることにした。神経質…失礼、葡萄酒好きの讀者諸嬢諸氏の為に云へば、呑んだのはタヴェルネッロ(イタリー)のサン・ジョヴェーゼと、セニョーリオ(イスパニヤ)のオルガス。壜は見なかつたのでヴィンテージは判らない。率直なところ、どちらも"新大阪驛地下街で出せる程度に穏やかな味はひ"と云つておかう。但し玉葱のロースト(肉味噌ソース)は中々だつた。肉味噌だもの、何をどうしたつて、まづくはならないよと云ふのは、野暮だと云つておかう。さらりと引上げた後は、地下鐵御堂筋線から阪急に乗継ぎ、やうやつと帰りついた。ただいまを云つて、土産を渡した。