閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

710 丸太花道、西へ(前)

 師走の廿四日金曜日に、西へと上る。その前に、中野で呑んだ話。

 「そろそろ、大丈夫ではないか知ら」

 と意見の一致を見たからで、二年半か三年ぶりくらゐに、ある女性と酒席を共にすることになつた。我われの定席は都立家政なのだが、丸ちやん(とその女性からは呼ばれてゐる)の気に入りに行つてみたいと云はれたので、それでは御案内仕りませうとなつたのである。

 安請合ひであつた。といふのも、中野に気に入りが何軒かあるのは事實として、あすこはわたしにとつて、ひとりで呑む場所である。それに一軒で長ツ尻はせず、三軒くらゐは梯を掛ける。仕舞つたなあ。併し今さら無かつたことにしてもらふわけにもゆかない。梯にはなるよと伝へて、候補になりさうな呑み屋を思ひ浮べた。

 坐つて呑めるのは"ジ"と"カ"、それから"ヒ"の三軒。"ア"は休業してゐる。立呑みなら"パ"と"ヨ"がある。わたしが呑んだ範囲での話なのは念を押すまでもない。気になる呑み屋小料理屋もあるのは確かだが、案内仕ると云つて、行つてみたかつた店に連れてゆくのはあんまりな態度であらう。おほむねの流れを考へつつ、彼女の空腹の具合と好み…知る限り猫舌で、炭酸と秋刀魚の膓が苦手…にあはさうと決めた。どうです、紳士的な配慮でせう。

 

 朝から雨が降つて厭だなあと思ふ。天気予報だと翌日は晴れると云ふから余計にうんざりしたが、晝頃に空が明るくなつてきたから安心した。午后早め、西上で乗るこだま號の切符を買ふ為、新宿に出る。外は叉曇り。毎年一ぺん訪ねるJTBで、無事に購入出來た。來年如月に店舗を閉めると聞いて、面倒になると思つた。

 小腹が空いたので、地下街に潜つてもり蕎麦を一枚。券賣機で食券を買ふのはいいとしても、踏む段階が多すぎであつた。店の責任なのか、設計が惡いものか。両方だらうな。蕎麦も茹で方の宜しきを得てゐないらしく、感心しなかつた。十割蕎麦を謳つて三百八十円。空腹は収めて地上に出ると、小雨がぱらついてゐて、危ふくフォー・レター・ワードを口走るところだつた。

 待合せまでの時間、久し振りにカメラ屋を冷かすと、なんとしてもこれが慾しいと思はなくなつたのに、多少の驚きを感じた。何年か前からその傾向の自覚はあつたけれど、現實を突きつけられた感じがする。籤に当りでもしたら、変るのだらうか。呑み喰ひに贅沢はしても、カメラやレンズを買ひ漁る眞似は出來なささうである。取り留めのないことを考へてゐたら、彼女がやつてきたので、頭を切り替へる。

 「お腹、減つてますかね」

と訊いたら、さうでもないと返つてきたから、ちよいと困つたなあと思つた。それで"ジ"を飛ばして"パ"に案内した。わたしは金魚、彼女は緑茶ハイ。つき出しにはクラッカーを添へたチリー・ビーンズ、それから明太子入りのポテト・サラドと揚げ茄子の葱ソースを食べた。"パ"の摘みが旨いのに、えらく感心した気配があつたから、胸を張りたくなつた。だらだら呑む…といふより、長ツ尻を決めるのは恰好がつかないからするつと出て、"カ"に移つた。歩いて直ぐだつたから驚いたみたいだつた。

 "カ"のつき出しはたつぷりある。なので大将に我が儘を云つて彼女の分は少なめにしてもらつた。わたしは黑糖焼酎、彼女は麦の焼酎を水割りで。豚肉、白菜、棊子麺を炊いたのが出てきて、すつかり感心した。大して空腹ぢやあないと云つた筈の彼女もそのつき出しをたいへん歓んで、旨いうまいと云つたから、鼻が高くなつた。別に自分が作つたわけでもないのに。ただそこで、いつもならわたしより余裕のある呑み方をする彼女が、珍しく深醉ひした(聲が高くなつて、抑へがきかなくなつたから、さうだと察せられた)のは予想の外だつた。"ヨ"か"ヒ"で〆る積りを取り止め、早い時間だつたがお開きとした。珍しいこともあつたもので、わたしも記憶を飛ばさず帰宅した。紳士的な配慮のお蔭だつたと思ふ。

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 買つたのは午后一時前に東京驛を發車して、午后五時頃新大阪驛に着到するこだま號の切符である。お弁当を用意すると蓋を開けるのは、新横浜驛から小田原驛の間になるので、お晝の時間は午后二時近くになる。遅い。だつたらもつと早くに始めればいいと思ふひともゐるだらうが、それだと東海道新幹線に乗つてゐる気分にならない。

 乗る前に蕎麦でも牛丼でも定食でも、食事を済ましておく方法はある。併しその時間を乗車前に取れるものか怪しい。そこを何とかしても、さつさと食べられる程度のお店は、味もまあその程度の筈だから、わざわざ時間を取るのも面倒である。朝を遅めにするか、少し多めにするかで、空腹の度合ひを調整する方が宜しからう、と考へを改めた。

 ではお弁当をどこで買はう。例年は東京驛の地下街か賣店で撰ぶのだが、数年無沙汰をしてゐる霜月の山梨行(葡萄酒とヰスキィが目的)を思ひ出した。その時には新宿驛から特別急行列車のあずさを使ふ。酒肴を誂へて乗るのは勿論で、新宿驛内のお弁当賣場に立ち寄る方法もあると考へた。ちよつとしたマーケットも入つてゐるから、お酒や葡萄酒やチーズを買へもする。一ぺん降りる面倒はあつても、東京驛までは中央線快速一本。便利である。家を出る時間帯次第、といふ條件附きで候補にしておかう。

 東京驛でも新宿驛でも、買ふのは幕の内弁当がいい。牛たんや金目鯛の一点豪華も駄目とは云はないにせよ、特別急行列車…新幹線の卓に似合ふのは、矢張り幕の内弁当の賑々しさではなからうか。

 俵型のごはんに胡麻塩。

 小さくて堅い梅干し。

 鶏のそぼろ、昆布や貝の佃煮。

 半切れのコロッケと玉子焼き。

 下敷きのスパゲッティ。

 焼賣や竹輪の天麩羅。

 鰤の照焼きか鯖の塩焼き。

 たくわんや柴漬けの欠片。

 どうかすると牛肉と覚しき肉、それから玉葱と糸蒟蒻を炊いたのが(ほんの少し)、入つてゐることもあつて、歌舞伎役者とプリマ・ドンナと京劇役者が同じ舞台に立つてゐるやうなと云へば…豪勢なのか貧相なのか。とは云ふものの、渾沌の樂み、カルナバル的な愉快が感じられるのは事實だし、それは幕の内弁当の特典と考へていい。わたしの知る限り、お弁当を食事の一形態にまで仕立てたのは、我われのご先祖であつた。誇つていいものかどうか、議論の余地があるのは認めるけれども、敬意を払つて咜られはすまい。これもまた、紳士的な配慮と云つておく。

 

 尤も實際、幕の内弁当を買ふかまでは判らない。ハンバーグのお弁当を旨さうに思つたり、鱒や鯵のお寿司に心を奪はれる可能性だつてある。呑み喰ひで、せねばならぬと決めるくらゐ、詰らない態度は無いのだから、幕の内弁当がいいなと思ひはしても、当日の天候、気分やお腹の具合で撰択が変つても、不思議ではない。案外とミンチカツのサンドウィッチを嬉しさうに頬張つて…もしかするとミンチカツを一ばん旨く食べる方法ではなからうか…ゐたりして、果してどうなるものやら、自分でも樂みにしてゐるんである。