閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

761 大坂の本棚に~ドリトル先生 アフリカゆき

 ヒュー・ロフティング/井伏鱒二 訳/岩波書店

 "ドリトル先生"ものの第一巻。"ドリトル先生物語全集"の第一回配本でもある。

 菊判。クロース装。上製函入り。製本が立派な上、ロフティングじしんが描いた挿絵も収めてある。

 これだけでも十分に贅沢なのに、井伏先生に翻訳を奨め、下訳をどうやら手伝つた石井桃子先生("プーさん"の令訳で名高い、あの石井先生である)が、裏話も混ぜつつ、丁寧な紹介を書いてらつしやる。想定してゐる讀者…小學校の中學年以上を考へてゐるらしい…向けのやさしい文章だが、惚れ込んだひとが書いてゐるから、その所為で老人になつた男(わたしのことだ)が讀んでも、気分が宜しくなる。

 奥附を見ると、初版は昭和卅六年。本棚にあつたのは昭和四十七年の第廿三刷。たつた十二年でこれだけ増刷を重ねたのは、井伏石井両先生の訳業が、どれほど偉大だつたのかを證明してゐると断じても、反論はされまい。

 さういふ本が、たつた四百五十円(半世紀前の四百五十円だから、"たつた"は適当でないだらうか)だつたから、一興を喫した。令和の今、同じ一冊を出すとして、幾らくらゐになるものだらう。

760 西上臨時列車

 五月の二日と六日は平日だが休みになつた。

 それで四月廿九日から五月八日まで、十日間の連休が出來ると気が附いた。

 成る程と思つた。

 何に納得したのか、我ながらよく解らないけれど、成る程と思つたのだから仕方がない。

 成る程と思ひながら確めると、この期間の東海道新幹線は繁忙期ださうで、腹立たしくなつた。繁忙…忙しいのはお客が沢山、東海道新幹線に乗るだらうからで、詰り稼ぎ時と云へる。別にその間だけ、電気代が割高になるわけでらない。お客が増えれば切符は取りにくくなるし、車内は混雑する上に、運が惡いと席に坐れても手洗すら使へない。そのくせ高い切符代を吹つ掛けるのは、阿漕な態度である。

 腹立たしければ乗らない判断もある。ありはするけれど、折角休みが十日間續くんだもの、西行きの臨時列車を走らさうかと思ひついたので、前後したが色々確めたのは、さういふ事情による。

 西上にあたつては例年末、こだま號の廉な切符、"ぷらっとこだま"を買ふ。"居酒屋 こだま號"と称し、東京驛を出て新横浜驛を過ぎた辺りから、米原驛辺りまで、幕の内弁当やチーズを摘みに、麦酒や葡萄酒をやつつける。居眠りもする。上の事情をもう少し詳しく書くと、その"居酒屋 こだま號"を臨時に開店さすのはどうか知らと思つたんである。

 "ぷらっとこだま"の切符代は、通常だと一万と八百円。

 これが繁忙期に入ると、千六百円高の一万二千四百円。

 のぞみ號やひかり號の繁忙期価格は更に高額だし、一万二千四百円でも、のぞみ號ひかり號の通常価格より割安なのは判るが、判るのと阿漕だなあといふ感想は矛盾しない。馴染んだ値段と千六百円の差額は、惡くない純米酒の四合壜を奢れるくらゐ(流石に葡萄酒ではやや厳しい)だし、幕の内弁当でも気張つたのを撰べる金額なんだと思へば、さうさう莫迦に出來たものではない。

 さて阿漕は何とか我慢して、"ぷらっとこだま"の切符を買ふと決めても、もうひとつ困つたことがある。これまでは新宿驛西口から少し歩いた場所のJTBで手配する習慣だつたのに、そこが閉店して仕舞つた。近辺に取扱店はあるけれど、習慣が崩されるのは、どうも困るし、気に入らない。

 何をまた言ひ掛りを。

 自分でもさう思ふ。併し自慢する積りではなく云ふと、わたしは方角莫迦なので、見知らぬ場所を目指すのがたいへんに苦手なんである。車を運転する友人は、地図をちらりと見るだけで、大体の経路が頭に浮ぶらしく、あれは特殊な才能なのではないかと思ふ。かれらに云はせると、路に迷ふ方が寧ろ、信じ難いさうだけれど。

 空間を把握する能力が欠如してゐるのだな、わたしは。

 乳母日傘の坊ちやん育ちは、道筋を覚える必要に迫られないから、空間把握が下手になる、といふ説を耳にした記憶はある。然もありなんと思ひはするし、わたしが祖母に甘やかされたのは事實でも、所謂お坊ちやんと云へる少年でなかつたのも事實であり…詰るところ、よく解らない。今さら直るものでないのは、確實である。

 能力の欠如はさて措き。"ぷらっとこだま"に乗るかどうかを考へつつ、ふと調べてみたら

 [伝教大師 1200年 大遠忌記念 特別展 最澄天台宗のすべて]

といふ長たらしい、併し気になる展示(代金は千八百円)が、京都の國立博物館で開かれてゐることがわかつた。天台…叡山に対してわたしは、鎌倉期を経て現代に到る佛教思想群の淵源であり、ある時期までのローマ・カトリックのやうな、俗で生臭な宗教勢力でもあつたといふ両極端な印象を持つてゐる。足を運ぶかどうかは兎も角、その気になれば行き易いのは東京より大坂なのは改めるまでもない。"ぷらっとこだま"の切符を買ふ動機としては十分だと思ふ。具合のいい時間帯を買へればよしと決めて…繁忙期分の価格差が、ほぼ観覧代と気附いてまた腹立たしくなつた。

 併しさう都合よく話は進まない。"ぷらっとこだま"の混み具合を見ると、丁度いい…"居酒屋 こだま號"を開き易い…時間帯は、グリーン車の一部を除いて満席であつた。

 舐めてゐたなあ。

 反省したがもう遅い。グリーン車を奢れなくはないにしても、繁忙期の価格なら、当り前にひかり號やのぞみ號に乗る方が賢明とも思へてきた。第一、これは臨時列車である、何がなんでも運行しなくてはならない性質ではない。散々考へた挙げ句、ひかり號かのぞみ號で、丁度いい時間帯の指定席が取れれば乗らうと決めて、券賣機に行つた。

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には御承知と思ふが、新幹線の切符は自動券賣機でも買へる。指定席も撰べて、さうしたら四月廿九日は十三時過ぎののぞみ號に、二人席通路側の空きがあつた。喫煙室と手洗ひを使ふ都合で、その方がいい。自由席でもいいかと考へ、他の時間帯に満席が多いのを鑑みて指定席の方が安心かと判断した。指定の代金も含めて一万四千九百廿円。廉に馴れた我が身に目を瞑り、矢つ張り阿漕だなあと思ひつつ帰宅した。

 のぞみ號は速い。切符を確めると、新大阪驛着到は十五時四十分頃の予定だから、少々驚いた。こだま號の気分で"居酒屋 のぞみ號"を開くには短すぎる。東下の新幹線で経験をしてゐるのに、と自分に云ひ聞かせても、下リは仕事…日常に戻るのが目的だから、速くないとこまる。併し西上は西へ行くこと…移動自体が目的なので、速さはさして重要ではなく…さうださうだ、と手を拍つてもらへさうにはない。

 さうなると何を呑み、また食べるかが問題になる。幕の内弁当を買つて、おかずを暢気にだらりと摘みながら、罐麦酒から葡萄酒へ移つてゐたら、京都驛を過ぎ、降りる準備をしなくてはならなくなる。食事は先にかるく済ませ、車内ではサンドウィッチ、後はナッツなんぞで罐麦酒を呑む程度で収めるのが、のぞみ號には似合ひであらう。さう云へば東下に際しては、新大阪驛でビーフ・カツのサンドウィッチと罐麦酒を買つて、丁度いい具合だつたのを思ひ出した。

 その廿九日の東京は朝から肌寒く、暑いのと湿るのはきらひだから、それはいいとして、天気予報を聞くに、どうやら雨が降りさうな気配がする。雨までは望んでゐない。珈琲を啜りながら、さつさと家を出て損はすまいと考へた。一体わたしは時間に臆病なたちで、早々動くのに苦は感じない。

 東京驛で在來線から新幹線に乗継ぎが、恐ろしく混雑してゐたからびつくりした。券賣所には列が出來て、JR東海か東日本の社員が、けふの指定席は賣りきれですと聲を張り上げてゐた。してみると指定券を買へたわたしは、運がよかつたらしい。阿漕云々を横に置いて安心したのだから、自分でも調子がいい態度だと思ふ。

 そこでひどく空腹を感じたのは、予定外であつた。新幹線には代謝を高める効能でもあるのだらうか。尊敬する内田百閒は、腹が減つたを好んださうで、わたしは未だその域に達してゐない。私淑してゐる身としては情けないけれど、止む事を得ず、鶏照焼き重(八百九十円)を買つて、のぞみ號に乗り込んだ。隣の三人席には國際結婚とおぼしき夫婦と、をさな子ふたり(お姉ちやんと坊や)、來日しただらうご主人の祖母(發音から察するにフランスのひと)が坐つた。微笑ましいなあと思ひながら、品川驛を出たら、先刻の鶏照焼き重を食べることにした。罐麦酒を忘れず買つてあつたのは、改めるまでもないでせう。

759 時と場合の半熟卵

 うで卵は堅茹でをもつて佳とす。

 と思つてゐる。

 原則としては。

 念を押した理由は、画像から易々と推察出來るでせう。

 経験的に云ふと、にうめんやカレー・ライス、それから丼ものにあはす場合、生卵より半熟卵の方がうまい。

 いや私は断然、生卵派ですと反論が出るとは予想してゐるし、饂飩や蕎麦の月見を思ひ浮べたら、その反論はまことに尤もだと云ひたくなる。

 まあ、さういふ好みは、ひとそれぞれですからねえ。

 併しそんな風に頷かれるのは気に入らない。

 好みがひとそれぞれで別々なくらゐ、こちらだつて承知してゐて、そのちがひが面白いと思つてもゐて、そこを如何にも寛容な顔つきで頷かれたところで、寧ろ樂みを潰されたやうな気分になる、なつてしまふ。

 ちがひを論じるのは多様性に関はることで、そこを好みといふ曖昧で便利な言葉に押し込めかねないのだが、さういふ話をしたいのではない。

 

 半熟卵の何が嬉しいかと云へば、黄身が蕩けかかつてゐるのがいい。

 安直に茹でた即席麺に割り入れるだけで、何となく贅沢をしてゐる感じがされる。

 すりやあちよと貧しげだなあと思ふなら、大振りのお碗に盛られた豚汁の具…豚肉の塊、玉葱や馬鈴薯、牛蒡や大根や葱や蒟蒻に、その蕩けかかつた黄身が絡んでゐる様を想像してみ玉へ。

 …多くは語るまい。

 それでもつぺん、気がるな方向に戻ると、豚丼牛丼にも半熟卵は適ふ。

 溶いた生卵を埋めるのが、わたしの基本なのだが、丼の中心にころりと半熟卵が置いてあるのもいい。

 この場合、黄身は意図的に崩さないのが肝要で、食べるに任せれば勝手に崩れ混ざり、半熟卵の濃い箇所とさうでない箇所が出來、味が不均衡…が妙なら、変化を樂めると云ひかへませう…になつて具合がいい。

 但し半熟卵は油断すると直ぐ固まつてしまふから、のんびりとはかまへにくい上、それに崩れ方次第で、丼が穢くなりかねず、他人さまに見られると、耻づかしい。

 ゆゑに我われは、時と場合を撰んでこそ、半熟卵の美味は際立つことを忘れてはなるまい。

 まあ、豚丼牛丼なら、残しておいた肉の欠片で最後に拭へば、綺麗に片が附くんだけれども。

758 メモ帖

 ミドリカンパニーのDiamond memoといふのを買つた。二重リング式のメモ帖で、百五十円くらゐ。何の為かと云ふと、メモの為であつて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は

 「だから何をメモするのだ」

きつと呆れると思ふ。後でちやんと話はしますから、少し辛抱してください。

 その前に。この手帖では以前から、何度も名前を挙げた、永井荷風の『断腸亭日乗』をまた、挙げなくてはならない。改めて云ふと日乗は日記の意。日記が文學になるのかどうかには、疑念と議論の余地がたつぷりあるとして(多くの、或は殆どの場合、結果的に"さうなつた"のではないか)、荷風がそのことを十分に意図してゐたのは間違ひない。

 「えらく、断定的な口調をする」

当然である。荷風じしんが所々に、"日記を浄書す"と記してゐるのだもの。推測も分析も省略出來る。

 手帖にメモを取り、日記帖に書き移す。

 といふのが、どうやら断腸亭の基本だつた。取つたメモがそのまま書き移された筈はなく、具合の宜しからざる箇所は省くか修正を施すか、しただらう。ここで云ふ"具合の宜しからざる"は、官権の目を憚るだけでなく、罵倒や情交のあれこれも含めてゐて、さうなると寧ろ、焼き捨てられたか、空襲で燃え尽きた手帖の中身が気になつてくる。我ながら趣味が惡いなあ。

 ところでわたしが今、主に使つてゐるのは、高橋書店の手帖(フェルテのシリーズ)なのです。ラパーの不恰好は気に入らないが、中は不満を感じにくい程度に、よく出來てある。細かい文句は幾つもあるのは勿論として、ただそれを云ひだすと、我が手で作らねば収まらなくなる。荷風は自らの手で和紙をつづりあはせ、日記帖にしたさうだけれど、流石に眞似はし辛い。

 その高橋書店の手帖は、気取つていふと、(文學的な価値はさて措き)丸太の公式な記録なので、出來れば穢い使ひ方はしたくない。とは云ふものの、普段のちよつとした、残す必要のないメモ(たとへばその日の買物)は、案外にある。乱雑な字も、その日限りの内容も

 「残しておけば、"公式の"記録が充實するんではないか」

といふ指摘は、確かに一理ある。一理は認めつつ併し、わたしの云ふ"公式な記録"は、正確や綿密とは意味が異なるのです、と居直る必要はある。

 『古事記』や『日本書紀』を思つてもらひたい。大きく出たと云はないで、まあ。

 両書の位置附けは日本…もちつと狭く、倭政権下で、と云はうか…の公式な歴史書、正史である。ではあるが、内容に信憑性があるかと云ふと甚だ疑はしい。歴史への考へ方が現代と丸でちがつてゐたからで、有り体に云へば

 「オホキミを中心にした政体が、支配の正統性を持つてゐるのだぞ」

といふことを示す為の道具であつた。支配の正統性は時間…過去にさういふ"事實"があつたと示すことで担保される。國譲りを例に挙げればいいでせう。

 要するに恣意的で改竄も(きつと平気な顔で)行われた。両書の編輯者は元の"事實"を前に、何を神話に押し込め、どんな風に血筋の流れを作るか、苦心しただらう。また政治的な勢力へ配慮する必要もあつた筈で、編輯會議では、侃々諤々の激論(それを編輯者たちが愉んだとは考へられる)が飛びかつたに相違ない。正史になる前の事實(正確かどうかは別として)が残されてゐないのは、勿体無い。

 おや。

 同じことをわたしは、断腸亭のくだりでも述べてあるぞ。

 手法に目を向けると、記紀と日乗の成り立ちは、構図…材料を掻き集め、取捨撰択と修正を施して完成させる…が似てゐる。片方は國家の支配に関はり、もう一方がまつたく文學的と、目的が異なつてゐるだけのことである。

 あの狷介な老人が記紀に學んだとは思へない。かれは少年の頃ら漢文を教はつたといふから、歴世中華王朝の史書編纂の手口(記紀にはその摸倣の面が色濃いと思ふ)を、漠然と知つたのだらうか。まあここは、小説家の技法を転じたと考へる方が、素直でありませうな。

 尤もその小説的な技法だつて、取材から巨細を組み上げる点では変らない。史書記紀の筆者編者を、小説家の一種または遠いご先祖と見立てれば…と云つて腹を立てるのは、歴史家と小説家のどちらだらうな…、荷風の態度はまことに伝統的だと云へなくもない。

 さういふ背景がある。

 と云つてミドリカンパニーに話を戻せば、恰好がつかうものだが、そこまで都合宜しくは進まない。歴史家でも小説家でもない男の無念、お察し願ひたい。

 一体にわたしは、小ぢんまりしてゐる物を好む。豊富な機能がコンパクトに収まつてゐると、気分がよくなるし、単機能に特化してサイズを切り詰めたのを見ると、よくやつたものだと感心する。

 大坂の家には古いふるいザウルス(九千八百bpsのFAXモデムと併せて七万円くらゐで買つた)や、品名は忘れたが確かカシオせいの"見えるラジオ"を残してある。今の家でも、どこかにPalmの端末(二万円くらゐで買つた後、一ヶ月も経たないうちに半額になつた)が転がつてゐる。色々と無駄遣ひだねえと笑はれても、まあそれはご尤もと応じる外にない。

 要するに。Diamond memoを手に入れたのは、歴史的ではなく伝統に則りもしない

 「物品に対する嗜好」

といふ背景が先に色濃くあつた。ミドリカンパニーに戻つたのはいいんだけれど、どうも話がせせこましくなつてきた。

 理窟をつければ、残したくない穢い字と内容を入れてしまへば、後々の自分と、もしかすると手帖に目を通すかも知れない人びとに、見栄を張れない不安がある。かと云つて、その場限りに必要なメモを無視も出來ない。その辺の鬩ぎ合ひに、荷風老が筋を立ててくれたのかと思へる。

 早速使つてみると、浄書の手間を除けば、存外に宜しい。紙の色目がもう少し、クリームいろに近ければもつといいと思ふが、贅沢は云ふまい。それでちまちま何をメモしてゐるかと云へば…冒頭、後でちやんと話すと書いたのは、取消しにする。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、どうせ詰らないことだらう、と考へてもらつてかまはない。勿論

 「いやもしかして、閑文字手帖では公にしてゐない、惡口雑言や罵倒や愛慾があつたりするのか」

さう思ふのもひとつの方向である。わたしとしては、この稿を書けた一点で、メモだけでなく、元まで取れてゐる。

757 結び目

 イタリー人曰く、小麦を粉にして捏ねて麺状にするのは、イタリーの技術で、それが東へ東へと伝はつたのだと云ふ。我われが愛好する饂飩やラーメンの類を遡ると、あの長靴の姿の土地に辿り着くことになる。

 一方、話は逆で、中國大陸から西へ向つたのが、實態なのだといふ説もある。こちらが正しければ、拉麺から汁気を抜く代り、オリーヴ油を用ゐたのが、スパゲッティの原型といふことになる。

 

 有り体に云つてどつちも怪しい。

 

 この手の技法は、どこからともなく生れ混ざり、歓ばれた土地で洗練されるものだからね。今さら現代の國境を持ち出して、我こそ元祖なりと云はれても、対処しかねる。かつ丼だの何だのの元祖を競ふ方が、まだしも健全な態度ですよ。

 なので入口には使つたけれど、東西についてはこれ以上、踏み込まないことにする。

 スパゲッティの話をしたかつたのだ。

 パスタではなく、スパゲッティの話。

 こんなことを云ひ出すと、パスタ…訂正、スパゲッティ通だとか、イタリー贔屓とか、ひよつとしたらボローニャ人やナポリ人やジェノヴァ人が、あれやこれやと口を挟んでくるかも知れず、さらに云へば非難咜責罵倒をくらふ不安もあるのだが、気には留めまい。

 

 とは云ふものの、わたしが話さうとするのは、イタリー式ではなく、日本人が好き勝手に改造したスパゲッティ。ナポリタンとかミート・ソースとか、ツナと大葉の冷製とか、明太子とかを考へればいい。少年丸太にとつてスパゲッティの原型は

 

 胡瓜や晒し玉葱、ハムの類を刻んでおく。

 スパゲッティはうでた後、水で〆る。

 両者を混ぜて、マヨネィーズで調へる。

 

さういふ一皿だつた。恰好よくサラド・スパゲッティと呼びたい気持ちもあるが、眞つ白なお皿にぽつぽつと緑や赤がのぞくのは、まことに無愛想であつた。トマトを添へレタースを敷き、茹で海老をあしらつて、黑胡椒を挽けば、豪勢な感じにもなつたらうが、当時のわたしは今より偏食で、トマトは食べなかつたし、海老は喜ばず、(これは今もさうだが)胡椒も好きでなかつた。我儘勝手な倅だつたのだな。ええ、反省してゐます。

 

 旨かつたなあ。記憶が調味料なのは間違ひないし、それがスパゲッティと思ひ込んでゐた部分も確かにある。母のスパゲッティは、今にして思へば、いつも茹ですぎだつたが(祖父母と同居してゐた事情もある)、最初からさうだつたのだから、不思議に感じはしなかつた。アル・デンテなんて単語が、世の中にあるとは思はなかつたもの。

 さう云へば、我が國のスパゲッティは茹でて炒めるのが主流なのだらうか。伊丹十三が若書きのエセーで、あれは炒め饂飩ぢやあないか、と罵倒してゐたのは忘れ難い。鮮やかな批判だと思ふ。炒め饂飩の愛好家は腹を立てるかも知れないが、伊丹は炒め饂飩をくさしたのではなく、折角のスパゲッティを、炒め饂飩の手法で作る安直さに立腹したのだと愛讀者としては弁護しておきたい。

 

 炒め饂飩の話をしてもいいが、我慢しませう。

 

 伊丹の云ふところでは、適切に茹でてお湯を切り、バタを融かし混ぜ、チーズをたつぷり削り掛ければ、"白くてぴかぴかして、つるつるした"スパゲッティの基本は出來上る。成る程簡潔である。

 と書いて、塩野七生が、紡錘形に盛つたところに、豚の脂と黑胡椒で味を調へたスパゲッティを、指で摘み上げ、檸檬を搾つた水を飲むイタリー労働者(下層階級だらうな、きつと)の姿を描冩してゐた。これもまた簡素である。彼女はかういふエセーだと巧いのだが…いや文學的な批評は、スパゲッティに似合はない。

 一旦戻ると、母は茹でたスパゲッティを更に炒めるなど、しなかつた。イタリーを眞似たのでないのは確實で、単に知らなかつたのだと思ふ。さう云へばイタリー人がスパゲッティを炒めるのは、茹で残りを翌日に食べなくてはならない時くらゐといふ説(中國人が水餃子の余りを翌日焼くやうなものか)を耳にした記憶があるが、本当だらうか。

 その辺の事情はさて措き、少年丸太の家でのスパゲッティは、茹で上げたのをその時に平らげるものだつた。仮に母がスパゲッティを炒める技法を知つてゐたとして、さういふ手間を掛けたら、伊丹の云ふ炒め饂飩になつてゐただらう。

 

 リュック・ベッソンの映画、『グラン・ブルー』にエンゾといふ男が登場する。タフで陽気なイタリー人のフリー・ダイバー。些か傲慢でもある男だが、マンマに頭が上がらないのが弱点。曰く

 「外でスパゲッティを食べてゐるのがばれたら、マンマに殺されちまふ」

なのでスパゲッティは兄弟と一緒に、マンマが作つたものしか食べられない。さういふエンゾがジャポネーゼのスパゲッティを目にしたら、何と云ふだらう。

 "何て酷いんだ"と頭を抱へさうな気もするし、"これはスパゲッティとは呼べないから、マンマに咜られない"と云つて飛びつくかも知れないと思ひもする。かれは映画の最後、悲劇的な死を迎へるのだが、その前に一度、ベーコンやピーマンや玉葱がどつさり入り、ケチャップで彩られた"炒め饂飩方式"のナポリタンを食べさせたかつた。

 

 さて。ここで我われは、ジャポネーゼ・スパゲッティが何かに似てゐると思はなくてはならない。勿体振るのは面倒だから、先に正解を云ひませう。ラーメンである。どちらも

 

 原型が外ツ國にあり

 日本に取り込まれてから獨特の変化を遂げ

 その変化が豊かな表情を

 

見せてゐる点で共通してゐる。何せスープ・スパゲッティだの、トマト・ラーメンだの、出身が曖昧なのまで幾つか、或は幾つもあるのだ。かうなると、本格も変格も同じやうだと感じたところ(實はきつね饂飩とカレー南蛮より異なつてゐるのだが)で、無理はあるまい。伊丹十三が聞いたら、眉間の皺をぐつと深くして、息を吐くだらう。

 厳密な俳優兼エセーストの憂鬱はひとまづ横に措き、上の共通項を眺めると更に、両者には激変を受け入れるだけの器がある、と纏められる。

 それは何故だらう。

 と考へるに、我が國には饂飩があつたからではないか。

 伝説が正しければ、饂飩はお大師さまがもたらしたさうだから、千四百年くらゐの歴史がある。本当か知ら。その怪しさにはひとまづ目を瞑つて

 「饂飩を啜り續けた蓄積が時を経て、スパゲッティと拉麺に援用された」

と想像する時、それは大陸の東西で生れまた發達した小麦の麺料理が、島國で結びついた姿まで聯想が繋がる。その様はお目出度い水引のやうにちがひなく、これなら東西の愛國者も、納得の意を表してくれるにちがひない。