閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

757 結び目

 イタリー人曰く、小麦を粉にして捏ねて麺状にするのは、イタリーの技術で、それが東へ東へと伝はつたのだと云ふ。我われが愛好する饂飩やラーメンの類を遡ると、あの長靴の姿の土地に辿り着くことになる。

 一方、話は逆で、中國大陸から西へ向つたのが、實態なのだといふ説もある。こちらが正しければ、拉麺から汁気を抜く代り、オリーヴ油を用ゐたのが、スパゲッティの原型といふことになる。

 

 有り体に云つてどつちも怪しい。

 

 この手の技法は、どこからともなく生れ混ざり、歓ばれた土地で洗練されるものだからね。今さら現代の國境を持ち出して、我こそ元祖なりと云はれても、対処しかねる。かつ丼だの何だのの元祖を競ふ方が、まだしも健全な態度ですよ。

 なので入口には使つたけれど、東西についてはこれ以上、踏み込まないことにする。

 スパゲッティの話をしたかつたのだ。

 パスタではなく、スパゲッティの話。

 こんなことを云ひ出すと、パスタ…訂正、スパゲッティ通だとか、イタリー贔屓とか、ひよつとしたらボローニャ人やナポリ人やジェノヴァ人が、あれやこれやと口を挟んでくるかも知れず、さらに云へば非難咜責罵倒をくらふ不安もあるのだが、気には留めまい。

 

 とは云ふものの、わたしが話さうとするのは、イタリー式ではなく、日本人が好き勝手に改造したスパゲッティ。ナポリタンとかミート・ソースとか、ツナと大葉の冷製とか、明太子とかを考へればいい。少年丸太にとつてスパゲッティの原型は

 

 胡瓜や晒し玉葱、ハムの類を刻んでおく。

 スパゲッティはうでた後、水で〆る。

 両者を混ぜて、マヨネィーズで調へる。

 

さういふ一皿だつた。恰好よくサラド・スパゲッティと呼びたい気持ちもあるが、眞つ白なお皿にぽつぽつと緑や赤がのぞくのは、まことに無愛想であつた。トマトを添へレタースを敷き、茹で海老をあしらつて、黑胡椒を挽けば、豪勢な感じにもなつたらうが、当時のわたしは今より偏食で、トマトは食べなかつたし、海老は喜ばず、(これは今もさうだが)胡椒も好きでなかつた。我儘勝手な倅だつたのだな。ええ、反省してゐます。

 

 旨かつたなあ。記憶が調味料なのは間違ひないし、それがスパゲッティと思ひ込んでゐた部分も確かにある。母のスパゲッティは、今にして思へば、いつも茹ですぎだつたが(祖父母と同居してゐた事情もある)、最初からさうだつたのだから、不思議に感じはしなかつた。アル・デンテなんて単語が、世の中にあるとは思はなかつたもの。

 さう云へば、我が國のスパゲッティは茹でて炒めるのが主流なのだらうか。伊丹十三が若書きのエセーで、あれは炒め饂飩ぢやあないか、と罵倒してゐたのは忘れ難い。鮮やかな批判だと思ふ。炒め饂飩の愛好家は腹を立てるかも知れないが、伊丹は炒め饂飩をくさしたのではなく、折角のスパゲッティを、炒め饂飩の手法で作る安直さに立腹したのだと愛讀者としては弁護しておきたい。

 

 炒め饂飩の話をしてもいいが、我慢しませう。

 

 伊丹の云ふところでは、適切に茹でてお湯を切り、バタを融かし混ぜ、チーズをたつぷり削り掛ければ、"白くてぴかぴかして、つるつるした"スパゲッティの基本は出來上る。成る程簡潔である。

 と書いて、塩野七生が、紡錘形に盛つたところに、豚の脂と黑胡椒で味を調へたスパゲッティを、指で摘み上げ、檸檬を搾つた水を飲むイタリー労働者(下層階級だらうな、きつと)の姿を描冩してゐた。これもまた簡素である。彼女はかういふエセーだと巧いのだが…いや文學的な批評は、スパゲッティに似合はない。

 一旦戻ると、母は茹でたスパゲッティを更に炒めるなど、しなかつた。イタリーを眞似たのでないのは確實で、単に知らなかつたのだと思ふ。さう云へばイタリー人がスパゲッティを炒めるのは、茹で残りを翌日に食べなくてはならない時くらゐといふ説(中國人が水餃子の余りを翌日焼くやうなものか)を耳にした記憶があるが、本当だらうか。

 その辺の事情はさて措き、少年丸太の家でのスパゲッティは、茹で上げたのをその時に平らげるものだつた。仮に母がスパゲッティを炒める技法を知つてゐたとして、さういふ手間を掛けたら、伊丹の云ふ炒め饂飩になつてゐただらう。

 

 リュック・ベッソンの映画、『グラン・ブルー』にエンゾといふ男が登場する。タフで陽気なイタリー人のフリー・ダイバー。些か傲慢でもある男だが、マンマに頭が上がらないのが弱点。曰く

 「外でスパゲッティを食べてゐるのがばれたら、マンマに殺されちまふ」

なのでスパゲッティは兄弟と一緒に、マンマが作つたものしか食べられない。さういふエンゾがジャポネーゼのスパゲッティを目にしたら、何と云ふだらう。

 "何て酷いんだ"と頭を抱へさうな気もするし、"これはスパゲッティとは呼べないから、マンマに咜られない"と云つて飛びつくかも知れないと思ひもする。かれは映画の最後、悲劇的な死を迎へるのだが、その前に一度、ベーコンやピーマンや玉葱がどつさり入り、ケチャップで彩られた"炒め饂飩方式"のナポリタンを食べさせたかつた。

 

 さて。ここで我われは、ジャポネーゼ・スパゲッティが何かに似てゐると思はなくてはならない。勿体振るのは面倒だから、先に正解を云ひませう。ラーメンである。どちらも

 

 原型が外ツ國にあり

 日本に取り込まれてから獨特の変化を遂げ

 その変化が豊かな表情を

 

見せてゐる点で共通してゐる。何せスープ・スパゲッティだの、トマト・ラーメンだの、出身が曖昧なのまで幾つか、或は幾つもあるのだ。かうなると、本格も変格も同じやうだと感じたところ(實はきつね饂飩とカレー南蛮より異なつてゐるのだが)で、無理はあるまい。伊丹十三が聞いたら、眉間の皺をぐつと深くして、息を吐くだらう。

 厳密な俳優兼エセーストの憂鬱はひとまづ横に措き、上の共通項を眺めると更に、両者には激変を受け入れるだけの器がある、と纏められる。

 それは何故だらう。

 と考へるに、我が國には饂飩があつたからではないか。

 伝説が正しければ、饂飩はお大師さまがもたらしたさうだから、千四百年くらゐの歴史がある。本当か知ら。その怪しさにはひとまづ目を瞑つて

 「饂飩を啜り續けた蓄積が時を経て、スパゲッティと拉麺に援用された」

と想像する時、それは大陸の東西で生れまた發達した小麦の麺料理が、島國で結びついた姿まで聯想が繋がる。その様はお目出度い水引のやうにちがひなく、これなら東西の愛國者も、納得の意を表してくれるにちがひない。