閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

759 時と場合の半熟卵

 うで卵は堅茹でをもつて佳とす。

 と思つてゐる。

 原則としては。

 念を押した理由は、画像から易々と推察出來るでせう。

 経験的に云ふと、にうめんやカレー・ライス、それから丼ものにあはす場合、生卵より半熟卵の方がうまい。

 いや私は断然、生卵派ですと反論が出るとは予想してゐるし、饂飩や蕎麦の月見を思ひ浮べたら、その反論はまことに尤もだと云ひたくなる。

 まあ、さういふ好みは、ひとそれぞれですからねえ。

 併しそんな風に頷かれるのは気に入らない。

 好みがひとそれぞれで別々なくらゐ、こちらだつて承知してゐて、そのちがひが面白いと思つてもゐて、そこを如何にも寛容な顔つきで頷かれたところで、寧ろ樂みを潰されたやうな気分になる、なつてしまふ。

 ちがひを論じるのは多様性に関はることで、そこを好みといふ曖昧で便利な言葉に押し込めかねないのだが、さういふ話をしたいのではない。

 

 半熟卵の何が嬉しいかと云へば、黄身が蕩けかかつてゐるのがいい。

 安直に茹でた即席麺に割り入れるだけで、何となく贅沢をしてゐる感じがされる。

 すりやあちよと貧しげだなあと思ふなら、大振りのお碗に盛られた豚汁の具…豚肉の塊、玉葱や馬鈴薯、牛蒡や大根や葱や蒟蒻に、その蕩けかかつた黄身が絡んでゐる様を想像してみ玉へ。

 …多くは語るまい。

 それでもつぺん、気がるな方向に戻ると、豚丼牛丼にも半熟卵は適ふ。

 溶いた生卵を埋めるのが、わたしの基本なのだが、丼の中心にころりと半熟卵が置いてあるのもいい。

 この場合、黄身は意図的に崩さないのが肝要で、食べるに任せれば勝手に崩れ混ざり、半熟卵の濃い箇所とさうでない箇所が出來、味が不均衡…が妙なら、変化を樂めると云ひかへませう…になつて具合がいい。

 但し半熟卵は油断すると直ぐ固まつてしまふから、のんびりとはかまへにくい上、それに崩れ方次第で、丼が穢くなりかねず、他人さまに見られると、耻づかしい。

 ゆゑに我われは、時と場合を撰んでこそ、半熟卵の美味は際立つことを忘れてはなるまい。

 まあ、豚丼牛丼なら、残しておいた肉の欠片で最後に拭へば、綺麗に片が附くんだけれども。