閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

036 鍋

 鍋といふ物体の話をするのではない。仮に土鍋と鐵鍋の利点欠点を論じるとして、興味を持つひとだつてゐるだらうけれど、さて三人をられるかどうか。それにわたし自身、さういふ話題には興味を感じない。だから仮の話は仮のままである。我われは普通、鍋と聞いて思ひ出すのは鍋そのものではなく鍋料理の筈で、何の鍋が好きかと訊かれて矢張り南部鐵器が使ひ易いなどと応じたら、相手はどんな顔つきになるだらう。一ぺん試してみたい気はする。さういふ好奇心はさて措くとして、鍋…鍋料理はわたしの好物である。ここで云ふ鍋料理は水炊き乃至寄せ鍋とほぼ一直線に結びついてゐる。物体の話をするのではないが、どうやらわたしには、鍋料理は土鍋で用意される食べものだといふ認識があるらしく、おでんや鋤焼きを鍋料理とするのには違和感がある。かういふのは幼い頃からの習慣が理由だから、異論のあるひともゐるでせうが、云はれたところでどうにもならない。尤も水炊きだの寄せ鍋だのと云つてもそんなに気張つたことを云ふ積りでもなく、水を張つた土鍋に切れ込みを入れた昆布をはふり込んでおけばお出汁は取れる。後は


豚のばら肉。


鶏肉のお団子。


白菜。


長葱。


椎茸。


えのき茸。


お豆腐。


水菜。


春雨。


鱈。


鰤。


鮭。


千切りの大根。


餃子。


薄切りのお餅。


と挙げてゆけば切りがない…麩や帆立貝。或は海老や蟹や牡蠣があつてもいい…からこのくらゐにしておくが、お湯を(さつと)潜らせて食べられるものなら大体は旨いだらうと思ふ。それをぽん酢と醤油、更に大根おろしか紅葉おろし、かぼすや柚子を加へて食べれば、まつたくのところ、玄冬にこれ以上ない幸せではありますまいか。


 かういふ幸せには麦酒でも焼酎でも葡萄酒でもなく矢張りお酒が似合ふ。それも冷酒では駄目で冷や…ここでは常温とかひと肌くらゐのお燗の意で云ふ…が宜しい。これは湯豆腐や常夜鍋(豚肉と菠薐草の簡単な鍋料理で、毎晩食べても飽きないからかう呼ばれる)でも同じで、何がなんでも冷酒でなくてはと云ふのは狭量の謗りを免れない…とは云へ、鍋料理はそれだけで幸福感が満たされる食べものだから、酒精がなくたつてかまはない。たつたひとつの難点は、ひとりでは食べにくいことで、世の中に存在する自分だけではどうにもならない問題はあるものなのです。